何でだろうな記事

main navigation bar
HOME an Actressアイドル編
アイドル総合カタログ
映画のロマン女優・美熟女編 映画のロマン女優・美熟女編 2 麗しの80年代のスター
AVアイドルの小箱
麗しの90年代のスター
AVアイドルの小箱その二
80年代のAVアイドルプチ・
コメント付きバージョンその一
80年代のAVアイドルプチ・
コメント付きバージョンその二
90年代のAVアイドルプチ
・コメント付きバージョン
 

2006年12月21日の記事

◆オヤジ世代様に贈る為になる今時アイドル論考◆

民間人が豪華な官舎にて只で起居しあまつさえ女人と同衾、じゃなかった、同居していた問題は問題だと、さ。「あてがい扶持で好い目にあいやがって」と言うことなんだろうが、「元気があれば何でも出来る!」というやつで、その勢いで励んでいただければ先ずは結構な事じゃないですかね。

アリャランランってな事云っているうちに辞任。西軍が東軍に押し切られたか?。後任は間違いなく灯台閥からだろうな!。「おいりゃーせんのう」。

新聞用語に説明責任というのがある。「ちょっとアンタどう云う事なのよ、説明しなさいよ!」、「君、困るよ。良く解るように説明したマエ」。説明したって最初から納得する気がないのであって、自分の考えに合わない事には「聞く耳持たず」ってか。こういう有り様を理不尽という。

格差と云うマスコミ用語がある。格差があるから商売が成り立つので、みんな同じなら「創意・工夫なぞ無意味になる」。毎朝に同じ新聞紙をウン百万人の人が読んでいる、その気味悪さに気付かない人は幸いである。

TVに視聴率と云うのがある。巨人戦をウン千万人の人が見る、と、夢想できる人々は幸いである。今時、ウン千万人の人が同じ四角い画面の前に座っている筈がない、「マスゲームか!」。

いまや野球がお好きな方は確かにマイノリティーだ。偏在している。だったら、「ミニ・コミとして商売できるよう変わらなければならない、野球の方で」。マスコミだけがメディアじゃないよ。

「女もいろいろ、アイドルも色々いて面白い」ので、大函キャバレーじゃあるまいし「イッツモ、いっつも同じ娘(こ)」ばかり画面に登場するんじゃ飽きる。少数派の為に「質の悪い番組」を創ってもらいたいモノだ、昔の「ギルガメッシュ・ないと」のような。

「矢吹春奈」という娘がいる。巨乳ではないが程よい身長で、足は短めで寸胴気味だが、典型的なモンゴロイド系の扁平な顔だが、腹の面積の広いところが好い。腰骨がグッと張っているのだ・・・!。性感成熟な、ところがオヤジ世代様にピッタリだ。芳紀二十二歳、今が咲き頃だ、美人だし。

「愛川ゆず季」という娘がいる。巨乳で小父さんでも付き合える身長で、ロリっぽいのか成熟しているのか解りがたい雰囲気で、南方系か北方系か判らない顔で、ムチムチとしているのが何より好事家のオヤジ世代様にピッタリだ。この娘も腹部の肉付きが何とも「性感成熟」だ。1983年生まれだそうだ。

「我嬉嬉雀躍一人微笑、今晩消液」

胸だ尻だ、と云うよりも、今や腹だ、腹部だ。今時の自動車のデザインのようなボリューム感のある腹部を持ったアイドルが、来年は流行る、と思う・・・?。
「嗚呼、これでようやくタイトルに対する説明責任を果たしたな」 。

◇管理人 記◇

2006年08月03日の記事

◆AVアイドルに惚れたのか?AV女優が好きなのか!◆

人の噂的にはとっくに時効だが、某放送局の関連会社の契約プロデューサーが起こしたウイニーによる流出事故があった。その某氏がウイニー上でお宝収集の起点になる検索キーワードなるものに「AV女優」、「ソープ」、「???(畏れ多くて書けない)」と打ち込んでいたそうな。

「きも〜い」、「うざ〜い」等の言葉がそのキーワードと某氏に浴びせられたことは云うまでもない事だという。きも・うざ〜いの山があれば当サイトなぞ三合目位だろうから、人様をとやかく言えないので、ほにゃららを流出させたのが悪いのかウイニーを使ったのが悪いのかはメディアの議論を参照していただきたい・・・。

「AV女優」と言う検索単語は厳密に言うと「AVそして女優」というAND検索を使用としていることになる。複合語として正規に認められたとは聞いてはいないが、言葉の意味としてもAVに係わるところの女優と言うところだろうと思う。

AVにおいて女優という仕事に従事している方々がAV女優と云うことになる。どちらかというと業界に関わっている方か、当のご本人が使う言葉だろうと思う。AVを鑑賞する側を含めて第三者がAV女優と言う単語を使うとしたら、税務署か社会保険事務所か**当局だろうか??と思う

歌手でアレ、女優でアレ、モデルさんでアレ、彼女・彼等を鑑賞する者が好ましいと思い、その生業を離れて入れ込む時に尤も相応しい言葉は「アイドル」だと思う。まさに特定のアイドルが好きか嫌いかは「心の問題であり、強制されるものではない。誰でも自由だ。個人の判断に委ねられるべきだ」。

鑑賞する側がAV女優という名詞を使うのは正直好ましいとは思わない、特定の生業に関して貴賎の感情が絡んでいるような気がして気が滅入ってくる。なんの屈託もなく芸能人に対して、その容姿や業績を愛でて、何時までも心に留め置くのは、「実に正統な心映え」だと思う。それが正にアイドルに対する正統な態度だと思う。

是非とも「AVアイドル」という言葉を使って欲しい。AVに関わろうが何に関わろうが「可愛いものは可愛いし、好きなものは好き」だろうと思う。第三者の余計な屈託に惑わされることなくアイドル・フリークへの道に勤しんでいただきたい、そしてその事は「己が心の問題」に通じる道だと思う

2006年04月21日の記事

◆隗(かい)より初めよ◆

今のネット上に存在する日本語の情報には情緒的なある種の偏りがあるのじゃないだろうかと疑っている。「済んでしまったことは仕方ないじゃないの」(1965年、知りたくないの、歌手:菅原洋一、訳詞:なかにし礼)と言うわけでも無いだろうが、特に過去の事物や人物に関する情報にその傾向が顕著に現れている。

「帝国主義的再編、反帝・反スタ」と言う言葉が安保闘争華やかなりし六十年代に流行ったそうである。手垢にまみれたどころか「鑑定団」でも値がつきそうも無い言葉ではあるが、その根底にある「反戦・平和」は今も永遠に不滅ださうな。

4月21日に竹島周辺海域の海洋調査の問題で全国紙の社説が出そろった。さすがに「歴史認識・A級戦犯」に絡めて政府対応を批判している社説は無いようだ。我が麗しの北海道新聞は控えめながら「靖国参拝」を引きあいに出し「韓国の過剰反応を思いやるべきだ」とお笑いのセンス溢れる??主張をしている。

「歴史認識」とはどえらく難しい言葉ではあるが、早い話が「我がご先祖さまのなさった事ども」と言うことで、客観的かつ冷静に語れと云われても「哲学・美学」が絡むだけに難いものがある。なるべくならば「歴史の事実」と云って欲しいものだ。

「A級戦犯」に至っては「糞尿をつかんだ手で牡丹餅をこねる」がごとき非常識な言葉だ。A級というのは一時の便宜の為につけられた記号である。貴方は刑を全うされた方を「記号」で呼ばわるほど愚かではないはずだ。 「歴史の事実」に対して批判があるなら堂々とお一人お一人の名前で呼ぶのが人としての情ではないだろうか。「十把一絡げ・味噌糞一緒」というのは「教養ある人」の取る道ではない。

「竹島周辺海域の海洋調査の問題」で事を大袈裟に煽り立てるメディアもどうかしているが、韓国と戦争が始まるかの如く囃し立てる掲示板・ブログでの発言は常軌を逸している。曰わく「韓国の沿岸警備艇が二十隻も同海域に出張っている」、「同艇には大口径の速射砲が積まれている」等々。待って欲しい韓国の海洋警察庁の組織や配備や装備が解らなければ二十隻や速射砲が示す意味合いも判じかねる。

中国や韓国の情報は断片的で偏ったものが多いのはどうしたわけだろう。「反戦・平和」等の情緒的な報道はともかくとして、客観的データを積み上げることなくして真実を語ることは出来ない。新聞や雑誌やテレビのメディアは出し惜しみすることなく客観的な事実を我々に提示すべきである。特にWeb上でも。検索してみたら本の宣伝だったではがっかりである。「それとも民衆や大衆を小馬鹿にしている」のだろうか。

◇いわし雲 記◇

2006年03月09日の記事

◆戦国自衛隊@素人さんは手をだすな◆

「戦国自衛隊・関ヶ原の戦い」(日本TV系列、2006年1月31日、2月7日放映)というTVドラマを見てあの自衛隊に対するもどかしさに身もだえてしまった。「土のうを積め、塹壕を掘らんかい」と叫びたくなる。

白兵戦の巧者の徳川軍に対して実戦経験のない素人同然(失礼!)の自衛隊が野戦を挑む設定に無理がある。支援部隊を伴わない戦闘部隊なぞは玩具の兵隊同然で、あの局面ではヘリコや戦車よりブルドーザーや油圧ショベルの方が役に立つ。

黒沢映画の「七人の侍」(製作:東宝、1954年公開)を見ればわかるが、厳重に防備を固めてもなお多くの戦死者を出すストーリーになっている。孫子曰わく、勝つべからざるは己れに在るも、勝つべきは敵に在り。

防備を固めずしてインターネットの大海に乗り出すのは、戦国の自衛隊のごときものである。年々動作が重くなるセキュリティー・ソフトや膏薬だらけの爺様(失礼)のようなWindowsには確かに辟易する。「ダ〜れの所為でもありゃしない、みんなあたしのタメなのよ」。と、言うところだろうか。

Antinny(アンチニー)と言うウイルスをご存じだろうか?。Winny(ウイニー)と言うソフトを使っていると感染するウイルスだ。知らない方は引き続き興味を持たれないことを強くお薦めする。

人の行為を禁止しようと思ったらそれ相当のコストをかけなければならないだろう。かけ声だけでは実行性が薄く、中途半端な監視は「隠れて行為を為すようにさせ」よりリスクを増大させる。

Winnyの世界は責任者の存在しない暗黒のブラックホールだ。驚くべき事に制作者がサル事情?で「ベータ版」の段階で開発を放棄した恐ろしい代物なのだ。ソフトに重大なセキュリティー上のバグがあっても開発者がいないのじゃ笑うしか方策がない。

どうしてもお使いになりたいのならケチらずにもう一台「それ用」の最新のPCをお買い求めになった方がよい。仕事や他の趣味と共用するなぞ「殺されに行くような」ものだ。

Winnyで共用されるファイルの本体は暗号化されていて、シロートにはどれがどれだか解らない仕組みになっている。「怪しいファイルは開かないように」と言ったって駄目で、ウイルス入りの暗号化されたファイルは貴方のPCに残ることになる。そのウイルス入りのファイルを共有していることになる。

暗号化されたファイルを開かなければ「セキュリティー・ソフト」は働かないし駆除されない。貴方は安全かもしれないが「他人はリスクを背負う」事になる。PCに貯め込まれた「お宝暗号ファイル」を毎度消去すれば幸である。

そうすると「ファイル共有ソフト」としての役目は果たされないことになる。オマケにウイルス入りのお宝暗号ファイル(キャッシュと言うらしい)を消去するのも素人には難しいそうだ。Winnyというソフトは今や矛盾だらけの存在なのだ。

「お宝が欲しい」という気持ちは解らなくもない。が、Winnyを初めフリーのファイル共用ソフトは訳知りの野戦の達人にお任せし、素人は手を出さない方が無事だと思う。貴方はどう思うだろうか?

◇管理人 記◇

2006年02月17日の記事

◆言の葉責め@SMは痛いから嫌い◆

富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も
雪に変わりはないじゃなし とけて流れりゃ皆同じ
(お座敷小唄、作詞者:不詳、作曲:陸奥明、歌唱:和田弘とマヒナスターズ・松尾和子)

都会の歓楽街の雪解け水は雨水枡からやがて人為的に浄化され海に流れる、雪が溶けた後には人の営みによる驚くほどの量の澱(おり)や塵(ちり)が残される。

山の雪は溶けて栄養分を含んだ水となって生とし生けるものを潤す。雪にしても東京と新潟に降る雪は決して同じではない。どんなに言葉を極めても雪の降る田舎に住む人の苦楽は都会の人には理解できないだろうと思う。

言葉というのは外に飛び出し足で稼いで初めて三分の真実を含む、と言いつつ風説や伝聞に頼って言葉をつないでいる我が身の拙さは変わらないが。

言葉だけが一人歩きして八分九分の真実があるかの如く喧伝される場合が多いのは、ひょっとして言葉を信じていない所為かもしれない。自信を失い自分自身を信じ切れていないのかもしれない。

経済格差・所得格差・地域格差というのは中国だけの専売特許ではないと見えて世に盛んに言い囃されている。外国の言葉をもって邦国を揶揄するのは機会主義勢力の十八番である。

ぬくぬくと身体が暖まる場所にいて「格差、格差」と言い立てられても格差という言葉そのものが差別ではないかと怪しんでしまう。格差にも人により場所により百万の格差がある。それぞれに対処できるのならやって貰いたい。相手党派を攻撃する言葉遊びは止めにして欲しい。

言い立てる側の弱い者苛めは度が過ぎるように見える。SMごっこを通り越して気が触れているのではないかと思ってしまう。

どこぞのアイドルが未成年にもかかわらず喫煙したのだそうな。闕所獄門関八州所払いで、八百屋お七のように火あぶりにならなかったのは幸である。げに恐ろしきは言の葉責め裁判であり弱った者苛めである。「やっぱりSMプレイか?」。

アイドルたちの写真をご覧になった時に悲しそうに見えたのなら其れは貴方が悲嘆にくれている所為かもしれない、ひねくれて見えたのなら貴方や私の見る目が曲がっているのかもしれない。

アイドルとて人の子で、ケツも掻けば欠伸もする屁を放るし雲脂もでる目脂もでるのである。ただ大切なのは業績で其れなりの業績を愛でれば本人の人格や賞罰は参照程度のことでしかない。愛でる人が他の人の言葉より己の審美眼を信じれば良いのだ。

八百屋お七の事を芝居に仕立てた江戸時代の人の方が文化程度では上だったのかな?、
うーん、「雪に変わりはないじゃなし とけて流れりゃ皆同じ」というのは真実で深い意味があるのかな?

八百屋お七『好色五人女』から:ttp://www.ne.jp/asahi/kanda/mk/index.htm

◇管理人 記◇

2006年02月09日の記事

◆先ばしり汁@うーんもう我慢できない◆

先ばしり汁の中に精子が含まれている場合がありますのでご注意ください。病原体が含まれていることもありますので口に含む場合は感染症対策をお忘れなく。

穴恐ろしや先ばしり汁。女人の姿を一キロ先から視認するが速く先走ってしまった思春期が懐かしい今日この頃である。

もうほとぼりが冷めただろうと思いの他マダマダ続く「ホリエモン」報道。弁茶ーの方々には埒外(らちがい)として首をすくめるほか無いと推察。検察の旦那方が精魂こめて起訴状を書いて、裁判官様が渾身の判決文を作ってさえ、えん罪がゼロではないというのに、マスコミ流起訴状や報道的判決文を流布させるのは如何なものか?

「泣く子と地頭に勝てない」の地頭とはマスコミの事かいなと思うのは偏屈の極だろうか。最も近頃は地頭とは「常識に捕らわれない成功頭脳」の事だそうで、やっぱりセイコウに関係するんだ。納得。

市場原理主義の破綻・時価総額一辺倒・勝ち組負け組・小泉流の規制緩和の崩壊などなど。「社会全体の利益を考えずに、自分の利益だけを追求する」という意味で拝金主義に堕したと言う批判がある。

「アンタはチュウゴク人か」とか「アンタは思春期か」と突っ込みたくなるはな。経営者が自己の利益を優先するのは当たり前のことで、社会全体の利益を考えるのは消費者の責務だ。だから、資本主義において消費者の諸権利は守られなければならない。そう思わない人は「念仏社会主義者」だ。

モットも腹が立つのは、「ホリエモンが逮捕され一つの虚業が退場した」という批判だ。ライブドア・グループにも斬れば赤い血が流れる人々が勤めているのだ。お給金は天から降ってくるんかい。こういう云う批判を「マスコミによる筆の先ばしり汁」というのだろう、口にすると病気になるのでお気を付けて。

「目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは 無理をせず」(時代おくれ、作詞:阿久悠、作曲:森田公一、歌:川島英五)という歌の文句のように生きるのが良策です。なんてのは正統なのだろうが寂しい気持ちになるのは私だけ。

空から雪が降る如く「倫理・リンリ」と喧(かまびす)しいが、アレどっかで聞いたことがあると思ったら、お隣の国のアレだ。倫理で物事が解決するなら四千年の歴史や二千年の歴史は何ナノさ。兎にも角にも社会主義だけはゴメン被りたい。

参照させていただいたWebページ
モラル・ハザード:ttp://www.sipec-square.net/~kseo/topics/moralhazard.ht

2006年02月02日の記事

◆4610さん@お支度ととのいましたが◆

シロウトさんと言うと何やら淫靡なイメージを連想するのは筆者だけではないと思う。今アダルト系サイトで人気なのは4610さん系のおねー様(おばさま)なのだという。アダルト・コンテンツだけでなく時代のキーワードは、今や素人なのだ。

「CGM系のメディアは新聞などの既存メディアに比較して信頼度に欠けると云う調査結果がでた」と言うニュースがあったが、それを見て「なんて当たり前のことを云うのだろう」と思った。

メディアというのは「装置(仕掛)とソフト(演出)とリンク(縁・えにし)」の複合体だ。他の企業体と違って「文化装置として枢要な地位を占めている」と信じられているので人々の信頼を勝ち得ている。

「ライブドアって何の会社なの」と云う問の答えは「新興メディア」だろうが、新興だけに既存メディアに比べてお下品な部分があるが、目指していたところはメディア・コングロマリットだったろうと思う。

出会い系サイトはメディアか?、CGM系のメディアか?と言う問には否と答えるしかない。残念ながらそれは素人を並べているスーパーマーケットだ。小難しい理屈で恐縮だが、情報そのものに世間の現状認識を変化させる力がなければ駄目で単に五欲を満足させるだけでは物販と同じだ。勿論それも大事なことだが。

化粧品のことなら!みんなのクチコミサイト アットコスメ:ttp://www.cosme.net/
と言うサイトがある。「口コミ情報は訴求力と流通力を持っていて、それはマス・メディアにとって脅威である」。確かにそうかもしれないが口コミ情報は物販の一部であってメディアそのものではないと思う。電通はメディアそのものか?というのと同じくらい怪しい。

以下は共産党@2ch掲示板の「共産主義者が語るマンションなどの耐震強度偽造問題」というスレの引用だ
ttp://money4.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1133387034/94
>革命的名無しさん
>赤旗一紙で足りるっていうけど、赤旗しか読まなかったら何も解らねぇ。
>しつこく売り歩く前に、面白い新聞を書け。
>面白い新聞を書けば部数も伸びるし票も取れるだろう。

私ゃ右巻の者だけど左の方も結構熱いのね。やっぱり新聞は「テメーコノヤロー」とビリビリ破きたくなるくらいの迫力がないとつまらないのかもしれない。近頃の朝日や道新を見て破きたくなるでしょうかね?、貴方は。

道新さんの十八番は記事の末尾に書き手のお気持ちをポロッと記すことにあるが、中身(記事)と見出しに齟齬(そご)があるのも特長だ。読者から見ると編集のお偉いさんと記者のお気持ちにかい離があるのではないだろうかと邪推してしまう。「道新や朝日しか読まなかったら何も解らない」と言ったら叱られるかな。

玄人たるメディアが所縁(ゆかり:縁と同義)でがんじがらめになり在らぬ方と契って「どこ見てんのよ!」状態になっているのは時代の皮肉だろうか。

9610さんの生み出す情報がつまらないとすれば「やはりココは4610さんの出番だ!」と思うのは飛躍しすぎだろうか?、CGMが何なのかは各自検索してお調べ願いたいが、ブログや2ちゃんねるやMIXI(ミクシィ)が既成メディアに対抗するメディア・コングロマリットになるかどうかはエンド・ユーザーとの縁の強さに係っている。「縁は異なもの」というからね(ダイナ・ワシントンのやつがよろしいようです)

2006年01月23日の記事

◆泡姫@只今ご入浴中、二軒目◆

好評?につき二軒目です。
泡風呂というのはその昔は「とるこ風呂」とか云っていたそうで、1950年代初めにまで歴史は遡る。当初は軽便なスチーム風呂とマッサージ台を備え健全?な健康施設だったそうな。

密室でうら若き女人と行為を共にするとなると何やら不健全な仕儀になるのは理の当然で、需要と供給の原理よろしく1970年代にはその黄金期を迎える。個室のドアに小窓がついたり、浴槽が併設されたり、マットなるものが現れたりと、業界と法律の虚々実々の駆け引きの末1970年代末には全盛期を迎える。

1980年代半ばに某国よりクレームが付き現在の諸兄がご存じの名称に変更されたそうな。1990年代に入ってのバブル崩壊と共に低価格化と欲望の多様化の時代を迎えより簡素なヘルスなるものが現れる。そして今日デリヘルなる亜種まで現れている。
○風俗総研-フーゾクの歴史:ttp://www.1919city.com/20seiki/index.html(スラッシュ以下コペピ)○

何れにしても個室にて泡まみれになるのは共通することだという。札幌もほぼ同様の歩みだったそうで、冬季オリンピック(札幌、1972年)を期にブームを迎えたそうで、例の小窓は衣服などで隠したそうな。諸先輩に聞くとその頃は黄金風のスチーム風呂を併設する店もあったよし。

80年代の全盛期には、店を営業しながら個室を順次改装していくという離れ業を行ったよし、泡にまみれているとは言えすすきのの客も神経が太かったようだ。

栄枯盛衰は世の習いとはいえ、勧善懲悪の心で世を律していくには2006年の今の世は複雑すぎると思う。

悪代官や悪徳商人を懲らしめれば庶民が拍手喝采すると思うのはいささか単純すぎる、彼等に信託している庶民も一緒に苦しむということも考えなければならないだろう。事前に安全ネットを張らずに悪徳商人や悪代官を懲らしめるのは黄門様の無作為なのじゃないだろうか?。
○R30::マーケティング社会時評:ttp://shinta.tea-nifty.com/nikki/

人の欲望なぞ泡の如くなりと庶民を見くびると大変なことになりそうな予感がする。

◇管理人 記◇

2006年01月12日の記事

◆泡姫@只今ご入浴中◆

タイトルをパクって御免なさい、ッて誰に謝っているんだ。
固執つき特種欲情?のことを「石鹸の国」や「流行保健室」という。その特種欲情に関し札幌の「すすきの」という所はその名を全国にとどろかせている。
「雪祭り(2月6日(月)から2月12日(日)まで)」などで札幌にお越しの節には「すすきの」に繰り出し石鹸の国や流行保健室において、景気の良い内地の皆様におかれてはタップリお金を落としていただれば、巡り巡って道民は助かるのである。

石鹸の国をご存じでない方に是非ともお薦めしたいサイトがある。
「良性記_より楽しいセックスを」を参照。特に「私の雑感」は力作である。たかが石鹸道、なれど石鹸道。道を究めた達人の語る話は奥深いものがある。
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~senkoj/index.html(スラッシュ以下をコペピ)

「そう言うオマエはどうなんだ」と問われても十ウン年以上前の武勇伝じゃお役にたてないと思う。「札幌ナイト倶楽部 すすきの風俗,デリヘル,ヘルス,ソープ情報」でじっくり検討いただければ幸だ。店名をクリックすれば強者達の詳細データ付きの奮戦記が載っている。
ttp://www.diana.dti.ne.jp/~snc/index1.html

来道のおりには「滑り止め付きの防寒靴」は必須だ。決して安くはないので「勿体ない」と思う方にはスパイクなどのついた「高機能のゴム長クツ」をお薦めする。気取って転んでケガをするより、粋にゴム長を履きこなした方が格好がよい。それと転んだときのヘルメット替わりにもなる防寒用の帽子も必要だ。

東京の方の習慣なのだろうが北海道では雪の日に傘を差すのはお止めになった方がよい。北国の路面はスケートリンクと同じだから、手がふさがっていると転んだ時にバランスを崩し顔面から路面に突っ込むおそれがある。顔が四谷怪談になっても知りませんよ。

凍った道を歩くコツは膝や足首を柔軟にして体重を足の裏全体にかけることである。スキーやスケートを滑るのと一緒だ。前屈みになったりへっぴり腰になったりするのは転ぶ元だ。特に後ろ向きに転ぶと最悪頭を打って脳外科のお世話になるから要注意。「足を上げないで滑らせるように、ペンギンの如くチョコチョコと歩くのがコツだ」。

◇管理人 記◇

何でだろうな記事のご案内

何でだろうな記事、
その四はコチラ

何でだろうな記事、
その二はコチラ

何でだろうな記事、
その一はコチラ