CHAPTER5
アンジェリークは、暗い闇の中を彷徨っていた。
歩いても、歩いても、いつまでたっても"光”が見えず、途方にくれた。
まるで、今の私のようだと、アンジェリークは思う。
俯いて歩きつづけていると、視界に明るい光がぼんやりと入ってきて、彼女は必死になってそれに向かって、駈けた。
駈けて、駈けて、その光が手に届いた瞬間----
光は、いつのまにか人の形のシルエットを作り、彼女を包み込んでいった。
整った横顔の影が、彼女に近づき、そっと、唇に触れた。
温かく、優しい、唇。少し冷たくて、だけども情熱的で・・・。
キスに酔いしれていると、いつのまにかあたりは明るくなり、彼女は言いようのない「幸福感」に包まれていた----
階下から聞こえる食事の準備をしてる音に反応して、アンジェリークはゆっくりと目を覚ました。
幸せな、幸せな夢。
先ほどの夢のキスの感触が、妙に現実的で、思わず唇に触れてしまう。
夢だったのだろうか…
今朝は、久しぶりによく眠ったせいか目覚めもよく、すっと起き上がれる。
体の辛さも、幾分か和らいでいる。この分だと、すぐに学校にも行けるだろう。
しかし、目覚めがいい最大の理由は、昨夜見た夢が担うところが大きかった。
彼女は、パジャマの上にカーディガンを羽織ると、静かに一階へと下りていく。
もちろん、キッチンから聞こえてくる音の正体を、判っているけど確かめるために。
「おはよう・・・」
彼に朝の挨拶をしたのは、何日振りだろうか。そんなことを考えながら、彼女は、キッチンへと入ってゆく。
「おはよう」
低く、素敵な声と同時に、キッチンに立っていたアリオスがさっと振り返った。
「おい、寝てなくて平気なのか?」
「うん、もう平気だから・・・」
気遣わしげなアリオスの瞳が、アンジェリークの胸を苦しくさせる。甘く、切ない痛みが胸を引き裂く。
お願い・・・。そんなに優しい瞳で私を見ないで・・・。
あなたを思い切れなくなってしまう・・・!
またあなたを頼ってしまう・・!
あなたに、もう迷惑をかけたくないのに・・・!
「・・・アンジェ、・・・アンジェリーク・・・!」
何度か名前を呼ばれ、アンジェリークははっと我に返った。
「・・・何、叔父さん・・・」
「ぼんやりしやがって・・・、全然大丈夫じゃねーじゃねーか」
「ホント・・・、大丈夫だから・・・きゃっ」
突然アリオスに抱きかかえられて、アンジェリークは小さな悲鳴を上げた。
彼の行為は、驚くほど甘美でアンジェリークを魅了せずにいられない。しかし、これは"叔父"としての愛情から来ているもの。決して、男女間にあるものではない。
そう思うと苦しくなる。切なくて、苦しくて、どうしようもなくなる。
「おとなしく寝ておけ・・・。後は俺がやっておく」
「ごめんなさい・・・」
「謝るな。謝るようなことはしてねーだろ?」
「うん」
アリオスに部屋まで抱き運ばれている間、アンジェリークは全身が愛の矢に引き裂かれてしまうのではないかと思うほど、きりきりと痛んだ。
正直言って、アリオスにベットに寝かされたとき、ほっとした。これ以上この状態に置かれれば、きっと、禁断の言葉を口にしてしまう。
それを言ってしまえば、もう二度と、元には戻れない気がして・・・。
「今日は、おとなしくしてろよ?」
鼻を摘まれて、アンジェリークは無意識に少し拗ねたように口を尖らせた。
からわられるとこの表情になるのは、子供の頃からの癖になっていた。もう7年間も繰り返されてきたことだ。
「うん」
「そうだ。いい子にしとけよ?」
アリオスは、アンジェリークの頬にそっと手を触れ、優しく、深い視線を彼女に注いだ。
彼の想いが、大きく繊細な掌(たなごころ)を通して、彼女の頬へと伝わってゆく。
アンジェリークは、目を閉じ、その深い温かさに暫し溺れた。
ゆっくりと名残惜しそうに彼は手を離すと、僅かな微笑を彼女に送る。
「何かあれば、携帯に連絡しろ。今日は、5時には帰ってくるから」
「ありがと」
「いってくるからな」
「いってらっしゃい!」
アンジェリークは、ベットの中から、アリオスに向かって手を振りながら、輝くような笑顔を送った。
太陽のように輝いていて、同時に抱きしめてあげたくなるような笑顔・・・。
その笑顔に久しぶりに逢えて、アリオスは心からの微笑をフッと浮かべた。
この笑顔が手に入れば、俺はもう何もいらないとすら思うのに・・・。
アリオスが、部屋から出て行くと、アンジェリークの顔からは笑みが消え、その大きな瞳からは、大粒の涙が零れ落ち、苦しげに唇を噛み締めた。
神様、どうしようもないほどに、私は、この人が好きです!!
それは許されないことなのでしょうか?
罪なのでしょうか?
応えてください。
アンジェリークは、両手で顔を覆いながら、声を押し殺して偲び泣いた。
アリオスの車が出て行く音が聞こえ、彼女は、ベットから起き上がり、カーテン越しに車を見下ろした。
「----アリオス・・・、大好き・・・!」
彼女は、初めて愛する人の名前を噛み締めるように囁いた。
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もう、17か・・・。
あのちびが、考えてみれば、もうあの時のエリスと同じ年なんだな・・・。
大人びてくるはずだ…。
俺のオヤジと、エリスのお袋が再婚して、俺たちが”兄妹”になってから15年、彼女が亡くなって10年か…。
アリオスは、煙草を吸いながら、事務所の窓から雲を見ていた。
「なーに、瞑想でもふけってんの!」
「オリヴィエ・・・」
アリオスの、どうしようもない世話焼きの同僚が、励ますように微笑みながら、彼に近づいてきた。
「また、アンジェちゃんのことを考えてたんでしょ!!」
図星な同僚の言葉に、アリオスは思わず視線を逸らす。
「あなたもしょーがない男だね」
オリヴィエはアリオスの横に腰掛けると、その茶化した口調とは裏腹に、探るような真摯な視線を彼に投げかけた。
「----そろそろ、聞かせてくれないかな? アンタがアンジェちゃんを引き取ることになったきっかけを・・・」
「助けたよしみか・・・?」
「そんなとこね」
アリオスは、自嘲気味にフッと微笑むと、静かに瞳を閉じた。
外からは、自動車の往来の音だけが響き、まるでそこだけが、時間が止まったようになっていた。
「アンジェリークは・・・、死んだエリスの実の姪だ」
「じゃあ・・・、アンタとは」
「義理の叔父といったところか」
オリヴィエは、アリオスの心の軋みを痛いほど感じ、唇を噛み締める。
「俺のオヤジとエリスのお袋が再婚したのは、おまえも知っていると思う。エリスには母親の違う姉がいて、その子供がアンジェリークだった。
あいつとは、まだ歩き始めた頃に逢っただけだった。
エリス、オヤジとお袋が自動車事故で死んじまってからからは、全く、疎遠になっていた。
エリスの姉は、妻子ある男との恋をして、生まれたのがアンジェリークだ。
姉が働いて、たった一人でアンジェリークを育て、その無理がたたって、彼女は死んだ。
エリスの死後、エリスの姉には最早身寄りがなく、アンジェリークがたった一人残された」
アリオスは、大きなやるせない溜め息をつく。
その姿がひどく寂しく見え、オリヴィエは臍を噛んだ。こんなことを、訊かなければよかったと。
「----連絡先に唯一あった俺の家に連絡がきて、俺は、とりあえず知らないわけではなかったから、葬式に顔を出した。
雨が降りる日、小さなあいつが気丈にも応対をしていたのが、今でも忘れられない・・・!!
かわいそうで、どこか寂しそうで、そして、何よりもエリスにその面差しが似ていた。
俺は、あいつを連れて帰って、そのまま”後見人”としての手続きを取ったんだ・・・」
アリオスは、そこまで言い、喉に迄出かかった言葉を飲み込む。
”今は、エリスよりも、誰よりも愛している”という、一言を----
「ありがと、話してくれて」
それ以外の言葉が見つからなくて、オリヴィエは労るようにポンと彼の肩を叩いた。
「----ところで、アリオス」
「なんだ?」
「アンタ、1週間前ぐらいに、女の人連れて、学園前通りなんて歩いたりしないわよね〜?」
「ああ。世話好きのオバハンの顔を立てるために、無理やりデートさせられた」
「は〜ん」
オリヴィエは、その一言で、総てのパズルが解けるような気がした。
「何だ?」
アリオスは、怪訝そうに眉間に皺を寄せ、頭をかしげた。
先ほどの深刻な顔とは打って変わり、オリヴィエの表情はしたり顔に微笑までが浮かんでいる。
「ヘンなやつ・・・」
ね、アリオス。あなたたちはお互いを思う余りにすれちがちゃってるだけよ?
あんなことがあったと訊かされた以上は、私もあなたたちを何が何でも幸せになってもらいたいと思うわ・・・。
ただ、もうひと波乱ありそうだけど・・・。
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コメント
異間人館愛の劇場(笑)のとうとう5回目です。今回は、二人がどうして一緒に住むことになったかを中心にお届けしました。
後、2,3回で完結予定ですので、宜しくお願いします。
BGMは、ELTON JOHN GOODBYE YERROW BRICK ROAD
