WHERE DO WE GO
FROM HERE

CHAPTER3


 西日が、アリオスの蒼ざめた横顔を照らし出す。
 部屋には、外から聞こえる車の往来の音だけが響き渡り、そこだけ時間が止まっているようだった。
「----オリヴィエ・・・、いつから気がついていた?」
 最初に沈黙を破ったのは、アリオスだった。
「ここ2,3年のあんたを見てたらなんとなくね・・・」
 オリヴィエは、柔らかな光を帯びた澱みのない視線をアリオスに向ける。またその口調も、いつもになく真摯だ。
 アリオスは、自嘲気味の深い微笑を、オリヴィエに一瞬向け、そのまま視線を下に落とした。
「----アンジェリークがいつかは離れていく以上は、束縛は出来ない。それまでの間、俺は、あいつを家族として、精一杯幸せにしてやる。・・・それだけだ・・・」
「そう・・・、だったらいいけど・・・」
「それぐらいの覚悟も出来ていないと思ってたか?」
 アリオスは、タバコを銜えながら、いつものように口角を上げるだけの微笑を浮かべる。なんのわだかまりも残していないかのように。
「ごめんちゃい」
 オリヴィエもまた、目を伏せながら、フッと深い微笑を浮かべた。
 アリオスは、窓際に立つと、紫煙をふかしながら、夕焼けを見つめ始めた。
 彼の横顔が寂しそうに、オリヴィエには見える。
「----アンジェちゃんのこと可愛いんでしょう?」
 オリヴィエの気遣わしげな言葉に、アリオスは広い背中をピクリとさせる。彼は、一瞬間を置き、軽く息を整えた。
「・・・・・・。束縛が出来ないほど可愛い・・・」
「アリオス・・・」
 彼の想いの総てが凝縮されている言葉だと、オリヴィエは思い、切なくなる。

 ----アリオス・・・、あんた、それほどまでにアンジェちゃんを・・・。

 アリオスは、もうオリヴィエには隠してはおけないと悟っていた。自分の本当の気持ちを・・・。

 あいつを引き取って7年・・・。
 おれは、あいつを亡きエリスのようにしたくないと、幸せにするためにここまでがんばってきた・・・。
 最初は、エリスの片代にと思っていた・・・。
 あっという間に、あいつは17歳になった。
 蝶が飛び立つように、花が開くように、あいつは日に日に美しく、慕わしくなる。
 それが嬉しくて、苦しくて、堪らない・・・。
 いつか離さなければならない相手とわかっているのに・・・、俺は・・・。

 アリオスは、自分の気持ちをもてあましながら、紫煙をくゆらせていた。      

------------------------------------------------------------ 

 昨日渡された進路表と三者面談希望表とにらめっこをしながら、アンジェリークは切なげに溜め息をついた。

 アリオス叔父さんにこれ以上負担はかけられない・・・。高校を出たら自立しなくては・・・。

 外から、車の止まる音が聞こえて、アンジェリークは慌てて窓を開けた。
 シルヴァー・メタリックのスポーツカー----アリオスの車だ。
 アンジェリークは、その車を見ただけで心が高鳴り、二階から階段を転げるようにして駆け下り、玄関へと向かう。
 ドアノブが回る音がして、彼女は満面の笑顔でアリオスを迎える準備をした。
「おかえりなさ〜い」
 ドアが開くと、アリオスに一番に明るい挨拶をする。
 7年間繰り返されてきた光景。それは、二人にとっては、もうなくてはならないものになっていた。
「今日は、おでんだよ。寒いから」
「ああ」
 楽しげにキッチンへと向かうアンジェリークの背中を見送りながら、アリオスはさも愛しそうに目を細めていた。
 この光景が、いつまでも続くことを願いながら。

 アンジェリークが家事を担当するようになってもう5年が過ぎようとしていた。
 最初はろくに味噌汁すら作れなかった彼女が、努力をして、今やベテラン主婦以上の腕前になっている。
 「アリオス叔父さんの好きなものだけは誰にも負けない」とレイチェルに自慢するほどである。
 二人は、小さな食卓を囲みながら、料理に舌鼓を打つ。
「最近、学校はどうだ?」
「・・・うん・・・、た、楽しいよ。レイチェルも一緒だし」
 アンジェリークは、学校のことを聞かれ、とっさに言葉が詰まってしまう。
 それは進路相談表のことと、三者面談のことを切り出せない自分が、疚しく思っていたからだった。
「----お、叔父さんは・・・、最近どうなの?」
 話題を変えたくて、アンジェリークは、話の矛先をアリオスに向けてみる。
 今度は、アリオスがたじろぐ。
「何もねーよ」
 あまりものあっさりした言葉に、アンジェリークは昨日のことが頭によぎる。
 昨日叔父と一緒のいた、あの美しい女性はいったい誰なのか・・・。
 恋人なのだろうか・・・。
 そう思うだけでも、アンジェリークの小さな胸は、引き裂かれるような強い痛みを覚える。
「----す・・・、好きな人とかは・・・?」
「アンジェリーク・・・!」
 今にも消え入るような、アンジェリークの頼りない声。
 しかし、今のアリオスには、何も耳に入らない。
「----いねえよ・・・!」
 アリオスは、少しいらだたしげに答えると、眉を顰め、箸を置く。
 彼のその態度は、アンジェリークをやるせなくさせ、同時に少しびくついてしまう。
 しかし、知りたかった。
 どうしても、知りたかった。
「----うそでしょ?」
「----え・・・?」
 アンジェリークの消え入りそうな声に、アリオスは一瞬その耳を疑う。
「----叔父さん・・・、私のことは気にしないで、ひとりでなんとかなるから・・・。邪魔だったら・・・」
「邪魔じゃない・・・!」
 アンジェリークの声を、掻き消すようにアリオスは怒鳴ると、机をバンと強く叩いた。
 二人の間に、重く、切ない沈黙が流れる。
 アンジェリークは、泣きたいのを堪えながら、叔父の顔をちらりと見た。
 怒りの焦燥が翳る不思議な瞳。激昂に震える横顔。
 こんなに蒼ざめて怒る叔父を見たのは、アンジェリークは初めてだった。
「----それともおまえは、俺なんかはもう必要ないか?」
 アリオスの苦しげな言葉は、アンジェリークに十字架の傷となって突き刺さる。
 本当は、あなたが必要だと、心の奥底から、叫びたかった。
 だけど、叔父の幸せのために、自らの心すらも捧げてあげたかった。
 それがせめてもの愛の証だと、アンジェリークは思う。

 アリオス叔父さんが幸せになるなら、私はどうなってもいい。
 
 アンジェリークは、自らの心に楔を打ちつけるため、大きな深呼吸をする。
「私は、もう一人でもがんばれる年だよ・・・、アリオス叔父さん」
「・・・!」
 アリオスの、心が音を立てて崩れていくのが、彼にはわかる。
「・・・もう、いい!」
 アリオスは、テーブルから立ち上がると、そのまま自室へと向かった。その背中は、ひどく怒りを覚えているようだった。

 誰よりも愛しいおまえの口から、そんな言葉なんて聞きたくなかった!
 おまえはもう、俺を必要としないんだろうか?
 恐れていたことがやってきたらしい・・・。

 ダイニングに一人残されたアンジェリークは、アリオスが部屋にこもったのを見計らい、自分の部屋へと戻った。
 涙が、何も思わないのに溢れて、胸の奥が苦しくて、苦しくて・・・。

 アンジェリーク・・・、あなたが望んだことでしょう?

 アンジェリークは、忍び泣きながら、自分に言い聞かせた。

 その日アンジェリークは、進路表と三者面談表を書き入れた。
 進路希望:王立アルカディア大学・第二文学部(昼間は働きたい)
 三者面談:欠席----

TO BE CONTINUED


コメント
「WHERE〜」の3回目で、どんどん泥沼化です。もう少しこのもどかしい状況は続きますので、お付き合いくださいね。