月の光が、厳かに二人を照らしている----
「先生、有難うございます…」
「ああ」
アリオスは静かに彼女を支える手を離し、彼女の震える肩から手を離した。
「コレット、試合まで少ししかねえが、頑張れそうか?」
「----何とか…」
再び歩きはじめたアリオスの後を追って、アンジェリークもまた歩き始める。
「選手に選ばれた以上はベストを尽くせ、俺に選ばれたことにもっと自信を持て」
アリオスの声は不思議な威力があった。
強い調子で言われれば、それが本当のように思えてくる。
「はい、ベストを尽くします!」
自然と微笑みが出て、彼を見上げる。
彼女の微笑みは、彼の心に真直ぐと入ってくる。
強い光を持った、優しい穢れのない微笑。
それは不思議と彼の心を癒してゆく。
笑顔によって癒されたのは、いったい何時の話だっただろう…
自嘲気味笑うアリオスの表情を横目で見ながら、、アンジェリークは心が奪われてゆくのを感じた。
月光が彼の銀色の髪を、まるで宝石のように幻想的に照らし出し、不思議な瞳に艶やかな影を作っている。
それらが、彼女を魅了して止まない。
綺麗だな…、先生…。男の人がこんなに綺麗だ何て思わなかった…
ふいに、彼は彼女のうっとりした視線に気付いた。
その表情が自然と可愛いと思えてしまう。
「クッ、何、俺に見惚れてるんだ?」
咽喉を鳴らして笑う彼の表情が一気に少年のように和らぎ、アンジェリークは惚けたように彼を見た。
先生…、あんな風に笑うんだ・…
「何だ? コレット」
「何でも…、ありません…」
俯いて頬を染める彼女を、彼は好ましいとすら思う。
深い微笑をフッと浮かべると、彼女を見守るかのような眼差しをそっと向けた。
「先生…」
二人は立ち止まって再び見つめあう。
この一瞬が、お互いの心の鍵を外したことを、彼らはまだ気付かなかった----
ふたりが初めて出会ったのと同じ電車に仲良く揺られる。
「先生は電車通勤ですか?」
「いや、明日からは車にしようかと思ってる。丁度、学校の駐車スペースを確保できたからな」
「----そうですか…」
もう一緒に帰れない----
そう思うだけで、彼女はがっかりしてしまう。
彼が電車通勤ならば、一緒になるチャンスがあるだろうに、車になるとそうは行かない。
「なんだ? また気分が悪くなったら助けてもらえねえとか、そんなことを考えてたんじゃねえのか?」
からかうように彼女を捉える瞳。
それは学校にいるときの彼からは想像できないような、明るい光に満ちている。
「ちっ、違います!!」
強い調子で否定しつつ、彼女は頬を上気させている。
他愛のない会話にもかかわらず、二人にとっては何よりも楽しい時間となった。
『イーストエンジェル』
無常にも、アナウンスはアンジェリークの降りる駅を告げる。
「私、ここですから…」
名残惜しみつつ、 彼女が彼に礼をしてドアの外に出た時だった。
「コレット」
アンジェリークは思わず、振り返る。
「----今日は…、楽しかった…」
その瞬間、彼女の顔に笑みが広がる。
彼女は、何か言おうとするも、言葉が出てこない。
その間にも、電車のドアは閉まり、ゆっくりと動き出す。
アンジェリークは彼に向かって頭を下げることしか出来なかった。
この言葉だけで、疲れが吹っ飛んでゆくような気がする…。先生、明日も頑張ります…
何時までも電車を見送る。
彼女の小さな心に、一筋の炎が灯った----
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翌日から、大会に向けて、アリオスのアンジェリークへの壮絶な特訓が始まった。
帰るのは毎日一番最後。
コートに響き渡るのは、アリオスのアンジェリークへのキツイ罵声。
「コレット!! そんなボールを返せなくてどうする!!」
「はいっ!!」
二人のやり取りは、最早、スモルニィの名物になりつつある。
“えこひいき“だと陰口を叩く部員も少なくはなかった。
だが、レイチェル、リモージュ、ロザリアが影で動いて、そのようなことが彼女の耳に入らないようにしていた。
もちろん、アリオスもそのことに気がついてはいた。
だが自然に任せるしかなかったのである。
こんなこともあった。
アンジェリークが更衣室に戻ってきたのと同時に、ベンチに座り、そのまま疲れのあまりぐったりと寝込んでしまうことがあった。
「アンジェ!! アンジェ!! ダメだって、こんなところでお休みになっちゃ!! 早く着替えて、おうちに帰ろう?」
レイチェルが何度も彼女の身体を揺らして起こす、というようなことも、暫し見られた。
月日は無常にも過ぎる。
特訓につぐ特訓に明け暮れた、アンジェリークの大会までの日々が幕を閉じた。
明日はいよいよ大会。
彼女のデヴュー戦である。
翌日に疲れを残さないようにと、練習は早めに切り上げられた。
もちろん、アンジェリークもである。
早々に制服に着替え、アンジェリークとレイチェルは校門を潜ろうとした。
そこには、革ジャンに革のパンツ姿のアリオスが待ち構えていた。
「----先生…」
アンジェリークは思わず立ち止まり、大きな瞳でアリオスを凝視する。
「----明日の試合に備えて、一言だけ言っておく。テニスルール第32条。プレーヤーは試合中、いかなる指導も助言も受けてはならない。これがテニスプレーの原則だ。自分で打ち、走り、そして考えろ」
彼はそう一言言うと、そのまま駐車場に向かって、長いスタンスで歩いてゆく。
「自分で打ち、走り、そして考えろ、か----」
アンジェリークはその言葉を噛み締めるかのように、そっと呟いた。
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時計の音と共に、緊張の面持ちで、アンジェリークは選手控え室で、自分の番を待っていた。
手足が何もしなくてもがたがたと震え、手にはうっすらと冷や汗が滲む。
次…、私の番だ…
ごくりと咽喉を鳴らし、彼女が深呼吸をした時だった。
外から、試合終了の拍手と、審判の声がかすかに聞こえる。
きたっ!!
足音が廊下に響き渡り、ぴたりと控え室の前に止まり、アンジェリークは身体をピクリとさせる。
「コレットさん?」
ノックと同時にリモージュは優しい声で呼びかける。
腹をくくって、アンジェリークはベンチから立ち上がる。
「あなたの番よ? 準備は出来てる?」
「はい」
腹を括って彼女は返事をすると、静かにドアを開けた。
「さあ、行きましょう?」
リモージュの穏やかな笑顔に導かれて、彼女はテニスコートへと向かった----
トス合戦の結果、アンジェリークがサーヴィスを取ることになった。
サ−ビスラインに立って、彼女は真っ先に観客席を見つめる。
もちろん、彼女の視線はアリオス一点に絞られる。
彼らは互いに真摯に見つめあう。
そこには彼らしかいないような錯覚に、周りのものは陥る。
レイチェルもその一人だった。
この短期間の間に、ふたりはなんて深い絆に結ばれたんだろうか…。
こっちが、妬けちゃうぐらいの
二人の絆が、今、形になろうとする。
アリオス先生…、あなたに教えられたようにやってみます…
コレット…、おまえなら出来る…。しっかりやれ!
信頼の視線がからまりあう。
それはほんの一瞬の出来事だったにもかかわらず、二人には長く感じられる。
「プレイ----」
試合開始を示す審判の声が響き、アンジェリークは空高くボールをトスした----
TO BE CONTINUED
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コメント
ようやく「WHEN YOU SAY NOTHING AT ALL4」をお届けすることが出来ました。
ようやく次回から、恋モードに入ってゆきます。
懲りずにお付き合いくださいませ。
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