WHEN YOU SAY
NOTHING AT ALL

CHAPTER2 「面影」


 コートの周りが、一気に緊張感を帯び、硬質な空気に包まれていた。
「----今日からおまえたちのクラブの顧問兼コーチとなったアリオスだ」
 低くよく通る声が切り込むように響き、テニス部員たちは背筋を伸ばす。
 そうしなければいけないような雰囲気が彼にはあった。
 翡翠と黄金が対を成す彼の切れるような瞳は、怜悧な光を湛え部員たちをゆっくりと見回す。
 しかし彼の視線は、あるひとりの部員を中心に回っていた。
 アンジェリーク・コレット。
 彼が今朝助けた少女を見つめずにはいられない。
 彼女の宿す面影は、彼に胸の奥に甘い痛みを齎す。

 どうして、そんなに似ているんだ…。

 アリオスの苦しげで切れるような眼差しが正視できず、アンジェリークは思わず視線を逸らした。

 先生…、私のことイヤなのかな…

 彼女の苦しげな態度が、厭世的な厳しい彼へと引き戻す。思わず彼女を見つめずにはいられない自分に、彼は心の中で苦笑した。
 何かを振り切るかのように素早く指導者の顔に戻ると、アリオスは部員たちを見る。
「ここのコーチを引き受けた以上、俺は女子だろうとおまえたちを容赦しねえ」
 感情の特に感じられない冷酷な声だった。
 それは厳しく響いて、部員の心に落ち、旋律を覚えさせる。
「先ずは外周4週だ!!」
 厳しく響いた彼の言葉に、部員たちからは一斉に困惑の溜め息が漏れた。
 スモルニィの外周は高校にすれば大きくて、ざっと1.5Kmはある。それを4週とは、6Kmの計算がある
 いきなりのハードさに、部員たちの戸惑いは禁じえない。
「とろとろするんじゃねえ!! とっとと走れ!!」
「みんな、行くわよ!」
「はいっ!!」
 アリオスのきつい声が部員に浴びせかけられ、リモージュの号令の元、外周へと出て行く。
「ファイト!!」
 まだ新入部員がいないせいか、アンジェリークは最後の方で列におたおたとついてゆく。

 アリオス先生、随分厳しいんだな…

 柔らかな陽射しの元、栗色の髪をなびかせながら走る彼女を、アリオスは眩しそうに見つめる。
 春の光の中、輝いて見える彼女の姿が、切なかった----    

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「ゴール!!」
 ようやく6Kmの道程を走り終えたテニス部員達は、倒れこむようにテニスコートへと座り込んだ。
「アンジェ、大丈夫?」
「うん…、なんとか」
 過呼吸気味の親友を気遣い、レイチェルは、アンジェリークの背中を何度かさすってやる。
「おい、休憩したまま聞け」
 すきのない厳しいアリオスの声が響き、部員達は飲まれる。
 赴任して一日目だというのにもかかわらず、アリオスはテニス部員が完璧に統率していた。
 それは、彼のカリスマ性によるところが大きいのだが、際立った容姿もそれを助長していた。
「俺はおまえ達部員個々の力量が判らねえ。そこで、テニスマシーンを使って、おまえ達のサーブレシーブの力量を見る」
 彼の声に導かれてコートの後方部分を見ると、そこにはテニスマシーンと、それを動かすために社会科教師チャーリーがスタンバイしており、その脇には美術教師セイランがビデオカメラを持って待ち構えている。
「この結果は、春季地区大会の代表選手を選ぶ参考とさせてもらう」
 凍りついた一瞬があった。
 言い様のない緊張感が彼女達を包み込む。
「以上だ。各自準備を始めろ!! 順番は上級生から行く」
 挑むように言われ、部員達からは諦めに似た溜め息が漏れた。
 彼女達は知っている。
 何があろうと、この銀の髪をしたコーチの言うことを聞くことしか出来ない。 
「参りましょう、皆さん」
 エースであるロザリアに声をかけられ、部員がコートの周りに散らばり、スタンバイを始めた。
「順番は名簿順で行きます」
 キャプテンであるアンジェリーク・リモージュの一声で、先ずは三年生から始められる。
「コートに出た者は、学年、名前を最初に言ってくれ」
 彼はコートサイドに立ち、鋭い抜き身のような眼差しでコートを凝視している。
 春の陽射しが彼の銀色の髪を輝かせ、そこだけが時間が止まっているような雰囲気がある。
 その姿に、そこにいたもの総てが、彼に、暫し、見惚れる。
「チャーリー、球種はスピードボール主体だ。一人、20本以上。何本でもかまわねえ。コースはおまえに任せる」
「任しとき!!」
「ビデオのスタンバイもオッケイだよ」
 セイランも頷き、アリオスは部員達にゴーサインを出す。
「トロトロすんな!! 始めろ!!」
 アリオスの号令の元、サーブレシーブの力量を見るためのテストが開始された。
「三年。ロザリア・デ・カタルへナ」
 ロザリアから始められる。
 幼い頃からテニスの英才教育を受け、ジュニアテニス界に君臨する女王の華麗なラケット捌きに、部員は全員うっとりと見惚れる。
「三年。アンジェリーク・リモージュ」
 ロザリアと共にジュニアテニス界にその名を輝かせる彼女は、その華奢な肢体に似合わず、ダイナミックなプレイで、正確にボールを返してゆく。
 ロザリアとアンジェリークの二人は、ジュニアテニス界では無敵と言われるダブルスコンビでも有り、スモルニィ学院の自慢でもある。
 やがて、次のホープと言われている、レイチェルの番となった。
 彼女も天才として知られており、ストロークも正確で完成されている。
 アリオスは、彼女達のプレーを目を逸らさずに見つめていた。
 彼の黄金と翡翠が対をなす瞳が、激しさと焦燥の影に揺れている。
 新二年生の後半になると、余りにもの厳しさに泣きだしてしまう者が出てきた。
「次が最後の部員です」
 リモージュの声に、アリオスは静かに頷く。
 言われなくても、それが誰かは判っていた。
 彼の心を乱す、栗色の髪の少女----
「アンジェリーク・コレット、二年生です」
 穏やかに響くような少女の声が、アリオスの心に落ちてくる。
 彼女に向かってボールが発射され始めた。
 その紺碧の瞳に、意志の強さを示す力強い輝きが宿り、アリオスをはっとさせる。

 エリス----!!!

 息を飲み、僅かに体が震えるのを彼は感じた。

 かつてのエリスと同じ瞳の輝き…。いや…、むしろそれよりも強い…

 補欠部員であるアンジェリークは、何度も空振りをし、ひっくり返る。
 しかし、何度転ぼうとも彼女は立ち上がり、果敢にもボールへと喰らいついてゆく。
 最後の一球----
 少女は確実にボールを捕らえる。
「はい!!」
 彼女は正確に、ボールを捉え、素直なフォームで力強く打ち返した。
「----!!!」
 そこにいた、アリオス、ロザリア、リモージュ、そしてレイチェルが、息を飲み、視線が逸らすことが出来ない。
 アンジェリークはそのまま姿勢を崩してしまい、コートに倒れこむ。
 彼女が打ったボールはアリオスの脇を通り抜け、そのまま後ろに転がった。
「あらら…」
 大きな瞳をさらに大きくして、アンジェリークはボールの行方を見守った。
 アリオスは、自分の横をすり抜け転がったボールと、アンジェリークを交互に見つめる。

 おまえなら、俺について来れるのか?
 エリスはついて来れなかった…。
 だがおまえなら----

 ひとつの決意を秘めて、アリオスは彼女を見つめていた----      

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 練習が終了し、着替える為に部員達がコートを去っても、アンジェリークは後片付けのために残っていた。
 それは補欠部員の彼女の仕事でもあり、楽しみだ。
 いつもならレイチェルも一緒に残ってくれるが、急は用事があるため早めに帰ったのだ。
 コートに最後まで残り後片付けをしていたのは彼女だった。
 コートを愛しそうに撫で、悪くなったところを一生懸命に整備をしている。
 既に私服に着替えたアリオスは、その姿の彼女を見、心が甘く乱される感覚を覚えた。
「おい、コレット、門が閉まる時間だ」
 低い声に導かれるようにアンジェリークは振り返った。
 夕日に照らされた彼女は神々しく、まるで天使のようだ。
 穏やかな光となって、彼女はアリオスの心の中に真っ直ぐ入ってくる。
 彼の心の奥深く、最も暗い場所すらも、彼女は照らしてしまうかのようだった。
「あ、アリオス先生」
 穏やかに微笑みかけられると、彼は胸の奥が甘くかき乱されるようで、堪らなかった。
「こんな時間まで片づけか? ご苦労だな」
「いいえ。私が好きでやってますから」
 穏やかで何よりも温かな微笑を向けられると、アリオスは釣られて優しい微笑を浮かべてしまう。
 その笑顔に、今度はアンジェリークがはっとする。

 先生、こんな風にやさしく笑うんだ…。

 彼女は思わずうっとりと見惚れていた。
「おい、コレット。もう遅いから、着替えて帰れ」
 声をかけられて、アンジェリークは現実へと引き戻される。
「はい。判りました」
 深々とアリオスに一礼をすると、彼女は更衣室へとかけてゆく。
「コレット」
 呼び止められて、彼女は栗色の髪をふわりと揺らし、振り向いた。
「おまえはいつもコートを大切にしてくれているのか?」
 彼の問いに、彼女は太陽のような微笑を浮かべる。
「----だってコートは神聖な場所ですから、テニスが大好きな私には一番大事な場所なんです!!」
 素直に言われて、アリオスは心の奥の暗くて冷たい場所が、一気に明るくなるのを感じる。
「じゃあ先生さようなら、また明日!!」
 明るくてを振って欠けてゆく少女の後姿を見つめながら、アリオスは久しぶりに温かな気分になったような気がした。
「アンジェリーク・・・。天使か…。ぴったりじゃねーか」
 低い声で囁いて、彼はそっと空を見る。

 穢れのない瞳で見つめられると…、俺は… 

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 翌日の放課後。
 アンジェリークとレイチェルは、いつものようにクラブのためテニスコートへと急ぐ。
 コートにはテニス部員が既に整列している。
 今日は、春季対抗戦の選手が指名される日だ。
 万年補欠のアンジェリークは、そんなことは関係ないとのんびりと構えていた。
「ねえ、レイチェル、また選ばれるだろうね」
「し、アンジェ、先生来たよ!!」
 アリオスがコートに現れると、途端にその場の空気が張り詰める。
「春季対抗戦のレギュラー選手を発表する。呼ばれたものは返事をして前に出ろ。アンジェリーク・リモージュ、三年」
「はい」
「ロザリア・デ・カタルへナ、三年」
「はい」
「レイチェル・ハート、二年」
「はい」
「やったねレイチェル」
 小声でアンジェリークが囁くと、アリオスがギロりと睨んだような気がして、彼女は身を竦めた。
 発表はまだ続けられ、選手が前へと集まってゆく。
「そして…、アンジェリーク・コレット、二年」
 誰もが意外そうに声を上げ、振り返る。
 当の本人は何が起こっているのかが判らなかった。
「コレット、おまえだ!! 返事をしろ」
「----はい」

 私が、選手!? 

TO BE CONTINUED


コメント
「WHEN YOU SAY NOTHING AT ALL」の二回目です。
何だかスポ根のような様相を呈してまいりました(苦笑)
何時になったらアリオス先生とアンジェリークは恋が出来るんでしょうか(汗)
この時点で、一応は始まってるんですけれどね〜。
タイトルの意味は、「何もいわなくても判ってる」というニュアンスがございます。