遠くからかすかにエアロ・ジェット・バイクのエンジン音が、カインの耳に入った。それと同時に、彼の表情が氷のように冷たくなる。
「アリコ、おまえに言っても判らないかもしれないが、これからここに俺の部下が来る。おまえはこのマントから絶対に出るな」
カインは、ポケットから小さな黒い包みを取り出すと、それで亜梨子の身体を覆い始めた。それは、彼のマントのようで、長身の彼のそれは彼女を覆うには充分すぎるほどの大きさがあった。
一瞬であれ、亜梨子は戸惑いを見せたが、
カインを信頼して、されるがままになった。
「熱いかもしれないが、我慢してくれ」
彼が何を言っているのかは亜梨子には判らなかった。
ただ人形のように、黒いマントに巻かれる彼女は、彼への信頼感だけが唯一の心の拠り所だった。
(カインさんがやることやから、きっと信じられる)
亜梨子は、黒いマントの隙間から、じっと彼の様子を見つめていた。
「すまないな。おまえの姿を部下に見せると、いろいろ面倒なことが起こるからな」
何を言っているかは判らなかったが、とりあえず、ここから顔を出さなければいいと判断した亜梨子は、深く頷いた。
彼が何を言っているかは判らない。だが、彼女は本能で正しい答えを導き出していた。
「団長殿!!」
遠くからしっかりとした足跡と共に、カインと同じ軍服を着た、彼と同年代の青年がやってきた。
「団長! マドリナ騎士団第三グループ所属大尉、ジョナ・マッケナであります!」
「ご苦労だった、マッケナ大尉」
青年はカインに向かって最敬礼をし、彼もそれに答える。
カインに開けて貰った隙間から、亜梨子は逐一、二人の様子を観察した。
(カインさん凄いんや…。あの男の人と歳が変らないのに、二人は明らかに主従関係にある)
「そこに男が倒れているだろう」
カインは感情が全くない低いが、魅力的な声で、部下に言いながら、冷酷な視線で倒れた間男を示した。
「----また、ルーンの奴らですか。本当に奴らはしつこいですね!?」
屈みこんで間男を観察するマッケナの眼差しは、恐ろしいほど切れている。
「仕方あるまい。ルーンは虎視眈々と我らが国を狙っているのだからな」
「ええ」
「こいつの処理はおまえに任せる。崟打ちだから数時間は目を覚まさないだろう。俺も後から立ち会う」
「了解しました!」
敬礼すると、彼は、カインの横にいた、黒いマントに包まれている亜梨子に、不思議そうな眼差しを向けた。
「あの、恐れながら団長、この黒装束のものは」
亜梨子は、それこそマントの中でびくりとし、背中に冷たいものが流れるのを感じたが、やはり、カインは冷静だった。
「この間男に人質に取られていた、子供だ。今からこいつを研究所に送らねばならん」
言って、カインは、そっと彼女の細い腰を抱いて、自分の身体に寄せる。
(いやあ〜、恥ずかし〜)
マントの中で、それこそ亜梨子は喜怒哀楽の百面相をし、忙しいことこの上なかった。
「そうですか! 了解いたしました!」
マッケナは、少し不思議に思ったが、この団長が何かするわけがないと思い、それ以上追求はしなかった。
「後は頼んだ」
「はい」
亜梨子はカインに腰を抱かれながら、ひょこひょことついてゆく。
ただでさえスタンスの長い彼だったが、彼女はマントのせいであまり自由に歩けないせいで、走るような格好で歩いていた。
暫く歩くと、そこには立派な駐車場のようなものが有り、そこには、まるで白馬のようなエアロ・ジェット・バイクが何台も並べられている。
「行くぞ」
その中でも、一番立派で、本当の馬のようなデザインのものが有り。その前に来た時、カインはぴたりと歩みを止めた。
「これが俺のバイクだ。申し訳ないが、そのまま乗ってもらうことになる」
彼はポンと後ろのシートを叩き、亜梨子を見つめる。
「ここに座れ」
言葉がわからなくても、彼女は彼が何を意図しているかを直ぐに読み取って、そこになんとかして跨った。
「よし」
優しい深い声が響き、彼女はなんだか嬉しい気分になる。
彼女がちゃんと乗っているかをカインは確認した後、彼女に、ヘルメットをかぶせてくれた。
紐を顎に通される間、亜梨子の身体は甘く震えが走り、彼女は思わず目をきつく閉じる。
「ほら、出来たぜ」
艶やかな声に、亜梨子はただ頭を下げた。
カインはすぐさま自分自身もヘルメットを被り、運転席に向かう。
大きなエアロ・ジェット・バイクでも、豊かな長身と足の長さを誇る彼には、簡単に乗りこなせてしまうものだった。
「おい、掴まれ」
カインは、自分の背中を数回叩いて、そこに掴まれということを彼女に示す。
(え、やっぱり掴まるんや…)
心臓が、急に早鐘のように打ち付けるのが、亜梨子には判る。音が凄くて、それが自分の鼓動だとは、俄かに信じがたい。
震える手で、彼女はそっと彼の背中に触れた。
「おい、恥ずかしがるな?」
窘めるような低い声が聴こえ、彼女は覚悟を決める。
(何考えてんの、亜梨子)
彼女は大きく深呼吸をし、胸の奥の甘い痛みを抑えながら、思い切って、カインの精悍な背中に手を回した。
『宜しくお願いします』
凛とした彼女の声と共に、柔らかな暖かさがカインの背中を通じて伝わってくる。
「……!!」
その懐かしい温もりに、彼は一瞬ひるむ。
(何を考えてるんだ、俺は…)
今度は彼の胸の奥が、甘い疼きに支配される。
カインは振り切るように前を見つめると、思い切りエンジンをかけた。
バイクが走り出し、亜梨子は後ろを振り返る。
先ほどの塔がどんどん小さくなってゆき、なんだか切ない気分になる。
(これから、あたしはいったいどうなるんやろか? でも、カインさんのことを信じるって決めたから。きっと、カインさんやったら、あたしをわるいようにせえへんわ。多分やけど…)
夜風を肌に感じながら、彼女は前を向き、いつの間にかカインの背中に顔を埋めていた。
背中に感じる暖かさは、彼に遠い昔の想いを思い出させる。
(感情など、とうに忘れた。俺の命は、血の一滴までもイシュタリアの為に捧げると、あの時に決めた。なのに、何故こんなに心が揺れる…)
背中の当たる心地よい暖かさは、彼を癒すと同時に苦しくもさせた。
(なのに、ずっとこうしたいとも思う…。後悔はもうしたくはない。信念と決めた以上、もう動かすことは出来ない。俺には、こんな生き方しか出来ない!)
カインは、厳かに輝く月の光に答えを求めるかのように、闇夜を見上げた----
暫く走って、亜梨子が連れて行かれたのは、巨大なUFOのような近代的な大きな無機質な建物だった。
そこの駐車場に、カインは、エアロ・ジェット・バイクを停め、彼女を降ろした。
ヘルメットを取ってもらう時に、些か緊張はしたが、それを彼に悟られまいと必死に耐え抜いた。
「行くぞ」
『あ、うん』
長いスタンスのカインに、亜梨子はよたよたと付いて行き、巨大UFOドームの中へと入っていった。
建物の中に入るなり、彼女は声にならない声を上げた。
その建物は、まるでSF映画に出てくるようなそれで、シースルーの円柱エレベーターが何台も有り、かなりの高さまで伸びている。
「ほら、ぼうっとしてるな」
何を言われているのかは判らなかったが、彼女はいそいそと彼の後を着いてゆく。
エレベーターで最上階に言った後、何度も、何度も、セキュリティを通過した。
その間、何人もの、同じ白い制服を着たものたちに、怪訝そうに見られて、彼女は何度も肝を冷やした。
だが、そのことよりも、恐れをなしたようにカインを見つめながら、敬礼をする彼らの態度の方が、亜梨子には気になった。
(カインさん…、皆に恐れられてるみたいやけど、何でやろ…)
「もう直ぐだ…」
閉口するほどのセキュリティを通過した後、ようやく辿り着いた場所は、無機質な白いドアの前だった。
「待ってろ」
カインは、ドアの横のインターホンにIDカードを入れ、暗証番号を入力すると、女性の映像が出てきた。
(綺麗な人…)
出てきたのは、金髪を高く結い上げた大人の魅力が溢れる美女で、亜梨子は思わず見惚れる。
「レイチェル、連れてきたから、入れてくれ」
「判ったわ」
その怜悧な声が響いたのと同時に、思いドアが軽やかに開いて、彼女は身体をびくつかせた。
そこから出てきたのは、先ほどの金髪の美女だった。
「カイン、もうみんな揃ってるわよ」
「サンキュ」
カインの蔭に隠れるように、亜梨子は立っていたが、彼にジェスチャーで促されて、中に入ってゆく。
「なんなの、この子は」
「後で判る」
ドアが完全に閉まりきり、カインに導かれて、亜梨子はミーティングルームに連れて行かれた。
そこには、カインと同じデザインだが、色の違う軍服を着た青年たちが、集っていた。
その美丈夫ぶりに、マントの影から亜梨子は息を飲む。
長い金髪を揺らす青年は白地に銀モールの軍服に身を纏いとても優美な雰囲気があり、銀色の紙と翡翠の瞳が特徴的な野性的な青年は青地に銀モールの軍服を、金髪が揺れるさわやかな青年は紫地に銀モールの軍服を、そして黒髪の落ち着いた雰囲気の青年だけが、カインと同じ軍服を着ていた。
「みんな、この子に注目だ」
青年たちは亜梨子を凝視する。
「アリコ」
カインに呼ばれ、彼女は彼の前に立つ。
緊張感が漂う中、彼は、皆が見守る中で、亜梨子のマントを剥がしてゆく。
彼女がマントから開放され、煌々と輝く明りの前にその姿を現したとき、誰もが息を飲んだ。
「アリアーヌ…」
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コメント
「時空の翼」やっとこさ五回目です。
このデータを読み込んでたワープロちゃんが、本日見事に昇天し(笑)
記憶を頼りに打ったのですが、こっちの方が移して打つより早かった(笑)
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