第一章「出逢い」
1
死ナナイデ
オ願イダカラ 生キテイテ
眠ッタママデモイイカラ
何デモイイカラ 生キテイテ
俺ヲ置イテイカナイデ
ヒトリニシナイデクレ
2
冷たく薄暗い、生命の息吹が全く感じられない部屋に、男はいた。
その部屋は、月や太陽の光が入ることも、星の瞬く音すらも憚れるような、神々しい静けさと暗さに包まれている。
彼はただ一点だけを見つめ、僅かに灯る明りも、その視線と同じ場所に向かって伸びていた。
「今日はおまえの記念すべき日になるはずだったのにな。----あんなことさえなければ…。だから約束通り、今日はリクエストの花束と一緒に逢いにきたぞ、アリアーヌ」
彼は、低く深みのある声で呼びかける。その響きは、慈愛に満ちた優しいものだ。
彼は思う。何度この名前を呼びかけたことだろうかと。この名前の主は、呼んでも、最早応えてはくれない。
「本当に眠っているみたいなのに、呼びかけても応えてはくれないんだな…。----おまえがこんなことになったのは、俺のせいだと怨んでいるか?」
男は語りかけながら、静かに明りの先に近付く。そこには、硝子で作られた棺が静かに安置されており、彼は、その上に白い薔薇の花束をそっと置いた。
棺には、若い娘が眠っていた。
娘の漆黒のふっさりと多い豊かな髪は、まるで絹糸のように縺れず、勾玉のような輝きがある。閉じられた瞳を縁取る睫も、まるで闇のように黒く、長くて美しい。
そして何よりも、無心に瞳を閉じながら眠る姿が聖らかで、生前の化粧をした姿よりも美しかった。
まるですぐに起き上がってくるようだ。
それは、この亡骸に魂が宿らなくなって一月経つとは信じられないほどの美しさだった。
「”聖なる翼“の奇跡か…。そんなもの、存在しないのだろうな。おまえのことを考える度に、そう思う」
この場所に来る度に、男はいつも苦い思いを噛み締める。幼い頃から何度も聞かされてきた”奇跡”の伝説と、この数ヶ月の出来事が重なり、彼を苦しめていた。
「おまえは幼い頃から、”聖なる翼”と“翼の騎士”の伝説が好きで、優しい声で、俺に肩って聞かせてくれたな…。そのお蔭で、俺は騎士一の伝説通だ」
彼は物語を紡ぐ。イシュタリアの地に古の昔から伝わる奇跡の伝説を----
「『かの地に不穏な茎が齎されし時に、聖なる翼を持つ乙女が現れ、騎士に力を齎さん。
騎士は翼を持ち、守護騎士となり、かの地に平和を齎さん』か----。“守護騎士”は、”聖なる翼“がいなけりゃ、ただの腑抜けだ」
男の騎士としての悔恨の念が、彼を押しつぶす。彼は、寂しげに視線を遠くに這わせ、その想いを宙に投げかけていた。
どれくらいそうしていただろうか。男が辺りを見やると、闇が空に降り、会う身渡った冷たい空気が漂っているのを感じた。
「おまえは必死に努力をして、夢の実現を見せてくれた。だが、俺が不甲斐ないばっかりに、おまえの魂の器を、邪悪から護ってやることすら出来なかった…」
男は瞑想するように、瞳を硬く閉じた。耳元には、アリアーヌの消え入るような最後の言葉が蘇る。彼の腕の中で、一瞬、正気に戻り、空を見つめながら呟いた、あの言葉が。
『空に還るわ…、星になって…、あなたを…いつまでも…、見守るわ…、私の身体を…、あなたに…、封印して…、欲しい…、お願い…、私を空に還して…』
男は瞳を開け、硝子の棺に眠るアリアーヌを見た。
彼女の魂が、時を刻まなくなってから、一月が経過しているにもかかわらず、その魂の器は、男の記憶の中のまま、美しいままで、安らかに眠りつづけている。
(ここにいるのは、最早、おまえではないのにな…)
男はそれを痛ましく思う。それは、彼と、彼の護るべきだった者との、距離のように思える。とてつもなく遠い距離。今や手を伸ばしても決して届かない。
「アリアーヌ…」
彼は再び低い呟きを漏らすと、まるでその想いを振り切るかのように、硝子の棺に背を向けた。
柔らかな光がガラスの棺に反射し、幻影的に男の超然的な美貌を照らし出した。
彼は誰もが目を引く美青年だった。
最初に、誰もが男の双眸に目が行く。彼の瞳は左右の色が異なり、印象的だった。双眸とも切れ長で、形も良い。ブルーグレーの右瞳と、エメラルドの左瞳に光が反射し、その奥にある“情熱と冷酷”が影を作っている。真直ぐに伸びた高い鼻、精悍な高い頬、形の良い唇。それらを引き立てるシャープな輪郭。赤茶色の髪は、首筋にかかるほどの長さで、前髪は瞳の上に零れ落ちている。
その体躯も鍛えられていたが、決して筋肉質ではなく、筋肉が逆に彼の身体のラインを美しくしていた。背もかなり高く、手足も長い。そのせいか、彼が纏っている、黒地に銀モールの軍服も映えていた。
どれをとっても完璧な容姿だが、彼の、誰にでも冷たい態度が、それを助長していた。
「また来る、アリアーヌ…」
彼は、日ごろの冷たい態度からは想像がつかない、労りの溢れた声で、独り言のように呟く。その異色の魅力的な瞳も冷酷ではなく、繊細で、寂しげだった。
彼のこのような一面は、アリアーヌしか窺い知れぬものだ。
男は姿勢を正し、ドアへと向かう。
機械的に、彼は、ドアの横のあるセキュリティチェッカーにIDカードを差し込み、暗証番号を入れる。
“アリアーヌ“は、イシュタリアにとって最重要機密であるために、セキュリティはかなり厳しかった。
最初にセキュリティが解除され、最も厚くて重い扉が、大げさな鈍い音を立てて開く。彼が外に出た瞬間、既にドアは閉じられていた。
男はこの瞬間が何よりも嫌いだった。護るべき者と自分には、既に距離が隔たれていることを思い知らされるようで、見を切り裂かれる想いだった。
いつもこの瞬間から、”冷酷で無表情な騎士”に戻ってしまう。
男は自嘲するような微笑を口元に浮かべる。その表情は、いつもの冷酷なものに変わっていた。
亜梨子は、よく手入れされたふかふかの芝生の上で、暫し、眠りを貪っていた。芝生は極上の寝床のように思え、気分は良く、暖かなまどろみは心地好い。
不意に、風が亜梨子の頬を撫で、その冷たさに、思わず目を開けた。
『----ん…』
ぼんやりとした視界が徐々にはっきりとするにつれて、亜梨子は、自分がどうやら見慣れない場所にいることが判ってきた。
『ここは、どこなんやろ…、あたしは車にぶっ飛ばされて…、っ痛っ!!』
彼女は突然右脳に痛みを感じ、頭を抱えた。それはいつものあの痛みだ。
顔を顰めながら、すくりと立ち上がってみる。周りをきょろきょろと見渡すが、お目にかかったことのない風景に思える。
『何やろ、あれ…』
亜梨子の視界に飛び込んできたのは、厳かな光に照らされる、白い石の塔だった。その塔は荘厳に聳え立ち、神聖な光を放っている。まるで見守られているような気分に、彼女はなった。
『あの塔見てたら落ち着くわ…』
亜梨子は塔を見上げながら、ぼんやりとした脳裏が、徐々に明るく澄んでゆくのを感じた。蝋を見るだけで不思議と落ち着き、冷静になる。
『さっきの変な光といい、いったいあたしに何が起こってるんやろか』
彼女はこの短い時間の間の自分に起こったことを分析してみた。しかし、解ることといえば、“エンジェル・ウィング”のライヴの帰りに交通事故に遭い、暖かな光に包まれた声に導かれる、夢とも現実ともつかぬ、危うい体験をしたことだけだ。
『”聖なる翼”って、一体何やろう?』
亜梨子は考えれば考えるほど、混乱してゆく自分を感じ、おもわづなんども頭を振った。
『あーあ、判らん! 考えれば考えるほどアホになるわッ』
へなへなと座り込むと、彼女は、塔を見上げ、大きな溜め息を吐いた。塔はまるで自分お不安を取り除いてくれる存在のように、彼女には思える。
『これも夢やんな…。夢やったら、こんな夢から目覚めさせてや…』
大きな澄んだ瞳に涙を貯めながら、まるで何かを確かめるように、頬を抓る。
『あ痛っっ…!!』
幼い少年のように膝を抱え、亜梨子は俯いた。塔を照らす厳かな月明かりだけが、彼女を見守るように照らしている。
『あたし…、どーなんのかな?』
ふと、彼女の耳に、がさがさと足音が聞えた。
『何!』
亜梨子が顔を上げると、そこには、黒装束の見慣れない格好をした、体躯の良い男が立っていた。左手には、彼女が見たこともないような形の、年季が入った大剣を持ち、殺気を吹き上げて構えている。
その曲者の顔は黒い覆面で覆われており、表情は計り知れない。だが、唯一確認できる青い双眸だけが、不敵に光っていた。
亜梨子は恐ろしさのあまり腰を抜かし、お尻を地面に擦りながら後ずさる。最早、恐怖は理解の範囲を超えている。
『あ、あんたなんか知らんよっ! あっちへ行け!』
恐怖の余り亜梨子の大きな瞳は、さらに大きく見開いてる。
(こんなの、ゲームか小説の世界でしかお目にかかったことないよっ!)
「聖なる翼、アリアーヌ・オーディアール、命を頂戴!!」
男は、亜梨子が今まで聞いた事のないような言葉で話す。その声の調子で、殺気だっているのが、彼女も肌で感じる。
『なっ、何言うてんねんな! あたし、あんたが何言うてるか判らへん!』
(あたしはとんでもない場所に来たん?)
亜梨子は、恐怖の余り、首を振ることしか出来ない。
男は、じりじりと亜梨子に近付いてき、彼女は無意識に大きな叫び声を上げていた。
![]()
コメント
ようやく亜梨子が異世界にやってきました・・・。
しかしまだ、出会っていません。
次回は、運命の出逢いをします。
お楽しみに(←本当に楽しみにしている方なんているのか!?)
![]()