
優しくも、穏やかな日々が続いた。 「アンジェ、もうすぐ絵が完成するから、楽しみにな?」 満足そうにアリオスが話すのを、アンジェリークは微笑を浮かべて耳を傾ける。 「ホント!」 「ああ。”天使降臨”はまもなく完成だ。それが終わったら、ふたりで旅行に行かねえか?」 「嬉しい!!」 彼女は嬉しそうに彼に抱きついて、彼もそれに答えるかのように抱きとめ、栗色の髪を優しく撫でた。 暖かな雰囲気が二人を包む込む。 二人が一緒に暮らし始めて、こちらの時間で三ヶ月が過ぎようとしていた。 その間、アンジェリークは彼の妻のような生活をしていた。 甘く満たされた生活。 少なくともアリオスはそう思っていたが、アンジェリークは少し違っていた。 不安を感じていたのである。 彼女がいた場所は馴染み深いとはいえ、百年前のそこなのだ。 そして---- 彼が、自分を"愛人”とは思ってはいても、”妻"とは思っていないことを、彼女は感じ始めていた。 ベットで愛し合った後、アリオスは身支度を整え始める。 「アンジェ、今日は・・・」 「判ってる。お家に帰らなくちゃいけないのよね?」 「ああ」 二週間に一度程度、彼は自分の本宅に帰る。 もちろん彼女を残して。 彼女がドレスを発見しないようにと、屋根裏部屋の鍵を厳重にかけ、それを身に付けて。 その行為が、彼女を切なくさせることぐらい、彼には判っていた。 だが、屋敷にはエリスの思い出がアトリエよりもさらに詰まっていて、それぬぐってしまってから、彼女を屋敷へと迎えたかった。 もちろん正式な妻として。 本当は手早く準備をしたかったのだが、彼女のそばにいたいがあまり、屋敷に帰るのが月に二回ほどになってしまっているため、作業が遅れがちだ。 彼女がその思い出でつらくならないようにという、彼なりの思いやりであった。 それが、深くアンジェリークの心を傷つけているとは知らずに。 「明日の朝には帰ってくるからな?」 「うん・・・」 しばしの別れの口付け。 それを交わした後、深夜に彼は屋敷へと向かう。 最早アリオスにとっては、アンジェリークがいる場所こそ、"自宅”だった。 旧式の車のエンジンがかかるのが外から聞こえる。 彼が完全に戸締りをした部屋に、一人残されたアンジェリークは、ベットのシーツにもぐりこみ、忍び泣く。 アリオス・・・、私はあなたの何なのかな・・・。 愛してくれていることは、凄く良くわかる・・・。 だけど、やっぱり私だって、ちゃんとあなたに認められたいもの・・・ あなたは、まだエリスさんのことを忘れられないの・・・? つらい切ない夜がまたふけていった。 ------------------------ エリスさんのことが知りたい---- アンジェリークはその一心で、アリオスの画材道具入れを内緒で調べ始めた。 それは、以前見た美術書での一言。 妻エリスの絵を描いていた--- 彼女はそれだけを手がかりに、スケッチブックを探した。 なるべく慎重に、彼には見つからないように。 彼が帰ってくるまでの短い時間を利用して、彼女は本棚なども探し尽くす。 見つかるかしら・・・ 不安げにそう思ったときに、彼女は本棚の板が二重になっていることに気がついた。 「あっ・・・」 そこをあけると小さなスケッチブックが入っており、彼女は夢中になってそれを抜き出す。 アリオス、ごめんなさい・・・ 震える指で、彼女はそっとスケッチブックを恐る恐る開いた。 背中に冷たいものが流れるのを、彼女は感じる。 そのスケッチを最初に見つめたとき、彼女は、ほんの一瞬安堵のため息をついた。 「何だ、私じゃない」 そこに描かれていたのは明らかにアンジェリークとしか思えない、栗色の髪の彼女そっくりの女性の姿だった。 目を凝らしてよく見てみると、そのサインに彼女は息を呑む。 TO ERIS FROM LEVIATH WITH LOVE。 エリスさんって、私にそっくりだったんだ・・・ 小刻みに絶望の震えを彼女にもたらす。 鋭い痛みが胸を切り裂き、息が出来ない。 そうよね・・・、そうじゃなければ、私なんかに親切にしたりしないわよね・・・ 涙が滝のように溢れ、もう彼女の意思ではとめることなんて出来ない。 帰らなくっちゃ・・・。 元いた場所に・・・。 彼女は何とか気力をかき集めて、スケッチブックを棚の奥に直すと、ふらふらと力なく、ソファへと身体を沈み込ませた。 アリオス、あなたが私を通じて誰を見ていたか判ってしまった以上は、もうここにはいられない・・・。 彼女は顔を両手で覆う。 わかっていたもの、本当は・・・。 彼が誰を愛していることぐらい・・・。 今まで私はそれをごまかしていたのよ・・・。 顔を上げると、彼女の視界に屋根裏部屋へと続く梯子が飛び込んできた。 そう、きっと彼はそこに隠している・・・。 私のドレスを・・・。 彼女は涙で煙る視界で何とか梯子に近づくと、それを上り始めた。 「やっぱり・・・」 やはり予想した通り、そこはしっかりと鍵がかけられていた。 きっとアリオスは持ち歩いているのね・・・ 彼と離れ離れになるのはつらい。 だが彼女はドレスを探さずにはいられなかった。 真実を知ってしまった今となっては、ここにいることは出来ない。 ここにいることは、彼にも、そして自分自身にとってもいけないことだと、彼女は痛切に感じていた---- |
![]()
コメント
いよいよタイムトリップものも佳境を迎えてまいりました。
もうしばらくですが、どうかお付き合いのほどをよろしくお願いいたします!
![]()