Chapter 8


 優しくも、穏やかな日々が続いた。
「アンジェ、もうすぐ絵が完成するから、楽しみにな?」
 満足そうにアリオスが話すのを、アンジェリークは微笑を浮かべて耳を傾ける。
「ホント!」
「ああ。”天使降臨”はまもなく完成だ。それが終わったら、ふたりで旅行に行かねえか?」
「嬉しい!!」
 彼女は嬉しそうに彼に抱きついて、彼もそれに答えるかのように抱きとめ、栗色の髪を優しく撫でた。
 暖かな雰囲気が二人を包む込む。
 二人が一緒に暮らし始めて、こちらの時間で三ヶ月が過ぎようとしていた。
 その間、アンジェリークは彼の妻のような生活をしていた。
 甘く満たされた生活。
 少なくともアリオスはそう思っていたが、アンジェリークは少し違っていた。
 不安を感じていたのである。
 彼女がいた場所は馴染み深いとはいえ、百年前のそこなのだ。
 そして----
 彼が、自分を"愛人”とは思ってはいても、”妻"とは思っていないことを、彼女は感じ始めていた。

 ベットで愛し合った後、アリオスは身支度を整え始める。
「アンジェ、今日は・・・」
「判ってる。お家に帰らなくちゃいけないのよね?」
「ああ」
 二週間に一度程度、彼は自分の本宅に帰る。
 もちろん彼女を残して。
 彼女がドレスを発見しないようにと、屋根裏部屋の鍵を厳重にかけ、それを身に付けて。
 その行為が、彼女を切なくさせることぐらい、彼には判っていた。
 だが、屋敷にはエリスの思い出がアトリエよりもさらに詰まっていて、それぬぐってしまってから、彼女を屋敷へと迎えたかった。
 もちろん正式な妻として。
 本当は手早く準備をしたかったのだが、彼女のそばにいたいがあまり、屋敷に帰るのが月に二回ほどになってしまっているため、作業が遅れがちだ。
 彼女がその思い出でつらくならないようにという、彼なりの思いやりであった。
 それが、深くアンジェリークの心を傷つけているとは知らずに。
「明日の朝には帰ってくるからな?」
「うん・・・」
 しばしの別れの口付け。
 それを交わした後、深夜に彼は屋敷へと向かう。
 最早アリオスにとっては、アンジェリークがいる場所こそ、"自宅”だった。
 旧式の車のエンジンがかかるのが外から聞こえる。
 彼が完全に戸締りをした部屋に、一人残されたアンジェリークは、ベットのシーツにもぐりこみ、忍び泣く。

 アリオス・・・、私はあなたの何なのかな・・・。
 愛してくれていることは、凄く良くわかる・・・。
 だけど、やっぱり私だって、ちゃんとあなたに認められたいもの・・・
 あなたは、まだエリスさんのことを忘れられないの・・・?

 つらい切ない夜がまたふけていった。

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 エリスさんのことが知りたい----

 アンジェリークはその一心で、アリオスの画材道具入れを内緒で調べ始めた。
 それは、以前見た美術書での一言。
 妻エリスの絵を描いていた---
 彼女はそれだけを手がかりに、スケッチブックを探した。
 なるべく慎重に、彼には見つからないように。
 彼が帰ってくるまでの短い時間を利用して、彼女は本棚なども探し尽くす。

 見つかるかしら・・・

 不安げにそう思ったときに、彼女は本棚の板が二重になっていることに気がついた。
「あっ・・・」
 そこをあけると小さなスケッチブックが入っており、彼女は夢中になってそれを抜き出す。

 アリオス、ごめんなさい・・・

 震える指で、彼女はそっとスケッチブックを恐る恐る開いた。
 背中に冷たいものが流れるのを、彼女は感じる。
 そのスケッチを最初に見つめたとき、彼女は、ほんの一瞬安堵のため息をついた。
「何だ、私じゃない」
 そこに描かれていたのは明らかにアンジェリークとしか思えない、栗色の髪の彼女そっくりの女性の姿だった。
 目を凝らしてよく見てみると、そのサインに彼女は息を呑む。
 TO ERIS FROM LEVIATH WITH LOVE。

 エリスさんって、私にそっくりだったんだ・・・

 小刻みに絶望の震えを彼女にもたらす。
 鋭い痛みが胸を切り裂き、息が出来ない。

 そうよね・・・、そうじゃなければ、私なんかに親切にしたりしないわよね・・・

 涙が滝のように溢れ、もう彼女の意思ではとめることなんて出来ない。

 帰らなくっちゃ・・・。
 元いた場所に・・・。

 彼女は何とか気力をかき集めて、スケッチブックを棚の奥に直すと、ふらふらと力なく、ソファへと身体を沈み込ませた。

 アリオス、あなたが私を通じて誰を見ていたか判ってしまった以上は、もうここにはいられない・・・。

 彼女は顔を両手で覆う。

 わかっていたもの、本当は・・・。
 彼が誰を愛していることぐらい・・・。
 今まで私はそれをごまかしていたのよ・・・。

 顔を上げると、彼女の視界に屋根裏部屋へと続く梯子が飛び込んできた。

 そう、きっと彼はそこに隠している・・・。
 私のドレスを・・・。

 彼女は涙で煙る視界で何とか梯子に近づくと、それを上り始めた。
「やっぱり・・・」
 やはり予想した通り、そこはしっかりと鍵がかけられていた。

 きっとアリオスは持ち歩いているのね・・・

 彼と離れ離れになるのはつらい。
 だが彼女はドレスを探さずにはいられなかった。
 真実を知ってしまった今となっては、ここにいることは出来ない。
 ここにいることは、彼にも、そして自分自身にとってもいけないことだと、彼女は痛切に感じていた---- 


TO BE CONTINUED・・・



コメント

いよいよタイムトリップものも佳境を迎えてまいりました。
もうしばらくですが、どうかお付き合いのほどをよろしくお願いいたします!