「だったらそこに座っててくれねえか?」
「うん」
薄紅色のワンピースに身を纏ったアンジェリークは、アリオスに言われた通りに黄色のソファに腰掛けた。
彼は、チェストからスケッチブックと木炭を取り出し、それを持って、彼女の目の前に腰掛ける。
彼女を見つめる眼差しは真摯な光を帯び、冷たい情熱に彩られてる。
それは、彼女をゾクリと魅了し、うっとりとさせる。
男性が真剣な眼差しで物事に取り組むのは、なんて素敵なんだろうか…
アンジェリークは、アリオスの眼差しに酔いながら、心が何時になく満たされるような気がした。
ずっと、こうしていたい…
自分を描いている彼をもっと良く見たくて、彼女は彼を凝視する。
スケッチブックに木炭を走らせる彼の指先は繊細で優しく、とても官能的だ。
この指に触れられたい…。
この指に触れられたら、一体どんな感じになるんだろうか…
そう想った瞬間、恥ずかしくなって、彼女は耳まで真赤にさせた。
もう・・・。私ったら何考えてるの!!
うっとりしたり、恥ずかしがったり、彼女の豊かな表情は本当に休む暇もなく、忙しく動いている。
「クッ!」
咽喉を鳴らして笑うアリオスに、アンジェリークは益々真赤になった。
「な、なに!?」
「クッ、いや、表情がよく変って面白れーと思ってな」
「へ、変!?」
益々顔を赤らめて、アンジェリークは大きな瞳を見開いて彼に尋ねる。
その表情が、小動物のように可愛らしくて、アリオスは益々可笑しくなってしまう。
肩を震わせて笑う彼に、彼女はソファから立ち上がると、そのまま近付いた。
「ね? 私そんなに変!?」
ずいっと顔を近づけて、彼女は大きな瞳をさらに大きく開いて、尋ねる。
あどけなさとしどけなさが同居する彼女に、アリオスは、一瞬、胸が苦しくなり、視線を逸らした。
何故こんなに、俺の心は乱れる…。
もう、とうの昔に忘れた感情なのに・・・。
エリスがいなくなってから…
彼のその表情が、彼女には怒ったように思え、すっと顔を引いた。
その大きな青緑の瞳には、傷ついたように少し潤んでいる。
「ごめんなさい…、怒った? 邪魔しちゃった・・・、ね」
その声があまりにはかなげで、アリオスは彼女が消えてしまうような気がし、その華奢な腕を無意識に掴んでいた。
どこにも行かないでくれ!
「ア、アリオス?」
戸惑った声が、アンジェリークから漏れる。
その声はとても艶やかに彼の心を捉えた。
体の置くから甘美な欲望が突き上げるのが、彼には判る。
「怒っちゃいねーよ」
何とか声を絞り出し、アリオスは妖艶な眼差しをアンジェリークに向けた。
異色の瞳に艶やかな欲望が翳ると、それはとても幻想的になる。
「アリオス…」
はにかんだように彼を見つめる彼女が、ひどく愛しい。
これほど誰かに傍にいて欲しいと渇望したのは、久しぶりだ…。
そっと、彼女の華奢な体が彼に抱き寄せられる。
アンジェリークは心臓がドキドキして苦しくなるのを感じる。
だがそれは決して不快なものではない。
どうしてだろう…。彼にずっとこうして欲しかったって思うなんて・・・。
ずっと、彼だけを待っていたように思えるなんて…
「アンジェリーク…」
低くよく通る声で名前が呼ばれ、彼女は全身が甘く震えるのを感じた。
彼は身体を少しだけ椅子から浮かせ、彼女の小さくて柔らかな唇に、自分の硬質な唇を近づける。 彼女は、唇にかかる彼の吐息にくらくらしながら、瞳をゆっくり閉じた。
百年という時空を乗り越えて、二人の唇は、今重なり合う。
アリオスの膝の上に乗っていたスケッチブックが音を立てて床に落ちる。
二人はそんなことも構わず、お互いの時間の距離を溶かすかのように、何度も求め合う。
彼の舌が彼女を求め、最初はぎこちなかった彼女も、何とか答えられるようになって来た。
時折、彼女の唇から小さな吐息が漏れる。
それは彼を高めるのに他ならなかった。
アンジェリークの華奢な腕が彼に回され、甘い旋律に崩れ落ちそうな体を何とか支える。
二人は今、この情熱に身を任せていたかった。
たとえそれが、刹那であったとしても…。
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陽射しに輝く彼女を描きたいという、アリオスの申し出で、二人は小さな庭に出た。
「ね、アリオス、ここに植えたての桜の木があるでしょ?」
柔らかに照りつける午後の陽射しにはしゃぎながら、アンジェリークは明るく言う。
「どうして、知ってるんだ?」
彼は怪訝そうに眉根を寄せる。
その表情に彼女はクスリと微笑んだ。
「さっき言ったでしょ? 私は百年後の人間だって。百年後のここに住んでいるもの」
「クッ、まだ熱が下がってねえんじゃねえか?」
「もうからかって!!」
頬を膨らます彼女が可愛くて、彼は愛しげに目を細める。
こんなに笑ったのは久しぶりだ。
そして、心が癒されるのも…
俺は神というものは信じねえが、天使なら信じられるのかもしれない…。
そう、天使に出会ったから…
心から安らぐアリオスであったが、ひとつだけ心に引っかかっていたことがあった。
『私は百年後の人間だって。百年後のここに住んでいるもの』
その言葉が妙に真摯に彼の心の中で響く。
ひょっとして…
だがアリオスは信じたくなかった。
それを信じて認めてしまえば、彼女が手の届かない女神だということを思い知らされるからだ。
「アリオス!!」
太陽のように微笑む彼女の躍動感は、彼に新たな創作意欲を奮い立たせる。
「おい、そこの椅子に座れよ? 描かせてくれ」
「うん」
彼女は、小さな木のベンチに座り、彼をはにかんだように見つめる。
アリオスは、再び、アンジェリークが好きなあの眼差しを異色の瞳に宿して、今度は鉛筆を片手にデッサンを始める。
さわさわと渡る風の音だけが二人を包む。
優しく風に乱した銀色の髪を気にすることもなく、彼は彼女を描きつづける。
ずっと、こうしていたい…
久しぶりに、二人は満たされた時間に見を置いているような気がした----
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アリオスが、一通りのスケッチを済ませると、既に夕方になっていた。
「悪ぃ、病み上がりのおまえに無理をさせちまったな…」
「ううん、全然平気。何だか病気だったことが嘘みたいだもん」
元気そうに彼女が言うと本当のように思えてしまうのが不思議だ。
「ねえ、絵、見せて?」
柔らかな少女がすっと腕を自然に絡めてきて、彼は優しい思いが満たされるのを感じる。
幸せと思ったのは、久しぶりだ…
「ね、アリオス?」
「ああ。見せてやるが、汚すんじゃねえぞ」
「うん! 有難う」
アンジェリークは嬉しそうにスケッチブックを受け取ると、それを立ち止まって、見始めた。
「うわあ!」
少し照れが入った、感嘆の声を彼女は上げる。
そこにいたのは、アリオスに描かれた、まるで天使のような、表情豊かな彼女の姿だった。
「----アリオス…、有難う…。だけど私、こんなに可愛くないよ…」
照れくさそうに上目使いで見つめる彼女が、可愛くて、彼は笑いながら華奢な身体を抱きしめる。
「おれにはこう見えるんだ。判ったか?」
「…うん…」
そっとアンジェリークは彼に体を預けた。
夕日を背に、二人のシルエットが再び重なり合った----
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アリオスがモデルのお礼にと、夕食を作ってくれることになった。
彼がキッチンに立っている間、先ずはこの世界に着てきた白いドレスが乾いたかどうか確認してから、彼女はアイロンを当てた。
やっぱり、このドレスは素敵ね。
折角アリオスがご馳走してくれるんだったら、ちょっと着ておしゃれしてみようかな…
彼女は嬉しそうにふふと笑うと、再びドレスに袖を通した。
一瞬、目の前が真っ暗になるような気がする。
まさか…!?
『アンジェ! アンジェ! いるんなら返事をして!』
心配そうなレイチェルの叫びが遥か遠くに聞えてきて、彼女は耳を凝らす。
その声は徐々に大きくなり、力を増す。
やがて、目の前に、必死で自分を探すレイチェルの姿が浮かび上がる。
「アンジェ、メシ…」
言いかけて彼が、急に驚いたような形相になり、彼女に手を伸ばす。
「アンジェ!!」
彼女が手を伸ばしても、最早彼に届かない。
「アリオス!!」
彼の名を呼んだ瞬間、彼女は暗闇に飲まれ、元いた時代に引っ張られてゆく。
最後に、彼の悲痛な表情を見つめながら。
元の時間に戻りたくなくても、アンジェリークには最早なすすべはない。
彼女はそのまま暗闇に意識を飲まれ、引き戻された。
生まれた時代へと----
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最初にアンジェリークを見つけたとき、レイチェルは心臓が止まるかと思った。
「アンジェ!」
彼女は、白いドレスを着て、そのままキッチンに倒れていた。
レイチェルはアンジェリークをすぐさま抱き起こしたが、その身体に生気はなく、身体は燃えるように熱い。
『アンジェ、アンジェ!」
何度か頬を叩いて、ようやく彼女は、一瞬、うっすらと瞳を開いた。
「アンジェ!」
「レイ…チェル…」
力なく呟くと、彼女は再び瞳を閉じる。
「ねえ、頑張って、これから病院に行くんだからね、アンジェ!」
悲痛に叫ぶと、レイチェルは、憔悴した彼女の華奢な身体を抱きしめた----

Chapter 4
TO BE CONTINUED…

コメント
アリオスとアンジェリークのタイムトリップ話の第四弾です。
これからさらに切なくなってきますが、明るい未来に向けてのそれですので、
見捨てずお読みくださいね。
