その夜、アリオスは家には帰らなかった。
 少女の容体が気になったからである。
 何故彼女がこのような熱を出して倒れていたかは、いまだに謎だったか、彼女が嘘をついているようにも思えなかった。
 高熱に魘される少女が、余りにも儚くて、このまま離したくなくて、彼は懸命に治療に当たる。
 久しぶりの医師としての働きだった。
 自分の手で妻を直してやれなかったことへの罪悪感が、彼を医療の道から遠ざけ、世捨て人もような生活を送らせていた。
 だが、この少女だけは、どうしても助けてやりたかった。
 その想いだけが彼を治療へと突き動かしていた。
 天才外科医と言われた、アリオスにも、少女の熱がなんなのか、全く理解が出来なかった。

 いったいこの熱の原因は何なんだ・・・。
 これを繰り返せば、おそらくこの少女は…

 彼の脳裏に浮かんだ恐ろしい結末。
 優秀な外科医であるが故に冷静に分析できる結末。
 彼はそれを避けるためにも、一心不乱に少女の治療を続けた。
 額の氷嚢をまめに変え、全身に流れる汗を、拭ってやり、何度も着替えさせてやった。
 その度に、彼の心は、彼女への欲望に焼かれそうになったが、それを必死に耐え抜く。
 解熱剤を彼女に注射し、その様子を見守った。

 もう一度、こいつの笑顔が見たい・…

 先ほどまで苦しげだったアンジェリークの呼吸が、穏やかなものに変わり、彼は脈を看て、容体を確認する。
「もう…、大丈夫みてーだな」
 彼は安堵の溜め息をほっと吐いた。
 少女はいつの間にか、丸まって、無防備な子供のように眠っていた----

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 アンジェリークが目覚めると、すっかり夜は明けていて、明るい生気に満ち溢れる光が注いでいた。
 体が随分と心地が良い。
 目の前に広がる天井も見慣れたそれだ。
 少し明るいのは気になるが。

 全部夢だったのよ…、アンジェリーク…。
 自分とそっくりな絵を見たものだから、あんな夢を見たのよ…。
 だけど、アリオスさん、カッコよかったな…。
 あれはあくまでも、私の想像だろうけれども、あんなにカッコいい方だったら、良いのにな…

 さらさらのシーツに、幸せそうに彼女が伸びをした、その時だった----
「目がさめたか?」
 魅力的なテノールと共に、銀の髪を乱したアリオスが部屋に入ってきた。
 彼女がギョッとしていると、彼はベットの淵に腰をかける。
「夢じゃないんだ…」
 落胆とも、安堵とも取れるような囁きを吐くと、彼女はそっと体を起こした。
「顔色も大分良くなったし、熱も下がった。もう大丈夫だ」
 額に手を当てられ熱を見られ、腕を取られて脈を診られていると、彼女は心が甘くかき乱されるのを感じる。
 息が届くほどの距離に男性が、しかもこんなに魅力的な男性がいるのは初めてだったせいか、彼女は息を上げた。
「どうした? まだ気分は悪いのか?」
 尋ねられて、慌てて彼女は首を横に振った。
「----大丈夫。それどころか、久しぶりに気分が良いの…。病気だったことが、嘘みたいなの」
 天使のように微笑みかけてくれる彼女に、彼も心が乱される。

 こんな感情、エリスが逝ってしまってから、忘れてしまったはずなのに…

 アンジェリークはアリオスをまじまじと見つめる。
 乱れた銀色の髪と、潤んだ翡翠と黄金の瞳は明らかに疲労の色があり、 彼女の心を甘く疼かせた。
「ずっと看てくださっていたんですね…」
「あんな状態じゃ、ほっとくわけにもいかねーだろ」
 たしかに言葉の響きは飄々としていたが、蒼の端々で彼の優しさを、彼女は感じる。
「有難う…、名医なんですね?」
「----残念だが、俺は今は肩書きだけが医者の世捨て人だ」
 苦々しい声で彼は呟き、視線を宙に這わせた。
「そんなことない!! 私を助けてくれたのはあなたじゃないの!!」
 その力強い言葉に導かれ、彼女に視線を這わせると、儚げな印象とは裏腹に、意思の宿った生気が満ち溢れる視線にぶつかった。
「アンジェリーク…」
「あなたは、今でも立派な医者よ。じゃなきゃ、私なんか助けずに、放って置くことだって出来たでしょう?」
 余りにも力強い眼差し。
 彼はフッと深い微笑を浮かべると、彼女の栗色の髪をクシャりと撫でた。
「サンキュ」
 その言葉に、自ずから、アンジェリークの表情も明るくなる。
「汗かいただろう? シャワーでも浴びて来い? あのへんてこなドレスはまだ乾いてねえから、適当に服を持って来て置いておいてやるよ」
「ありがと…」
 彼女は素直に彼の好意に甘えることにした。
 彼女がシャワーを浴びている間、彼はクローゼットにあった、薄紅色のワンピースを出す。
 刹那、彼は複雑な気持ちでそれを見つめる。

 これがまさか役に立つなんてな・・・

 胸にちくりと痛みを覚えながら、彼は浴室の脱衣室にそれをそっと置いた----

 シャワーを浴びながら、アンジェリークは自分が置かれている状況を冷静に分析し始める。

 とにかく私は百年前に迷い込んでしまったみたい・・・。
 どうすれば帰れるの?
 私は一体どうすればいいの…
 あの熱も、きっと時空を飛んできてしまったことで、体に負担がかかったからだろう・・・。
 急に直ったのも、そう言う意味で、つじつまが合う…

 シャワーを浴びながらも涙が込み上げてくる。

 原因があるとするならば、あのドレスかもしれない・・・。
 あれを着れば、レイチェルがいる現代に戻れるかもしれない…
 だけど・・・。

 彼女は自分お気持ちを問いただすように見つめなおす。

 ここにいたいって、私の心の奥が囁いてる・・・。
 どうしたら良いの!!

 アンジェリークは居たたまれなくなって、激しいシャワーに身を任せていた----


 彼女がシャワーから出ると、脱衣室には、可愛らしい薄紅色のワンピースが置いてあった。
「ふふ、可愛い」
 彼女はそれが一目で気に入ってしまい、すぐに袖を通してみる。
 あつらえものかとおもったほど、それは彼女にしっくりときた。
 それが嬉しくて彼女は、可愛い状態でそれをアリオスに見せたくて、濡れた髪をごしごしと拭いて、ちゃんと整えてから彼の前に出ようと思った。
「この時代じゃ、ドライヤーなんてないわよ…、あっ!」
 脱衣室の片隅に、お釜型の急がたぢらいやーが置いてあり、彼女はそれにか言って髪を乾かすことにした。
「なんだかおもしろい〜」
 髪を乾かしながら、彼女はこの時代の雰囲気を楽しんでいる。

 少なくとも、私がいる時代よりは、いい時代なのかもしれない…

「あれ、こんなところにリボンも、使わせてもらっちゃお!」
 彼女は髪を手早く乾かした後、置いてあった白いリボンで、髪をポニーテールにし、幾分か気分が良くなった。

 アリオス…、喜んでくれるかな…

 今の彼女には、その思いしかなかった。

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「有難う、お蔭で助かったわ」
 バスルームから出てきた彼女の姿は、アリオスに衝撃を齎す。
 胸の奥にある切なさが、傷となって噴出してくる。
「似合うかしら?」
 はにかんだ彼女を見ると、かつて忘れた面影と重ね合わせてしまう。

『レヴィアス!! 似合うかしら!!』

 エリス…!!

「どうしたの、アリオス?」
 今の名前で呼ばれて、彼ははっとし、彼女から目をそらせた。
「な、何でもねえよ…」
「でも…」
 気遣わしげな色を湛えたアンジェリークの瞳が、彼の心をさらに切なくさせる。
「いいから。朝飯用意したから、食え。場所は…」
「判ってるわ」
 少女もまた苦しげに呟くと、彼より先にダイニングキッチンに行ってしまった。

 どうしてそんなに、エリスに似ているんだ…

 どうしてそんな切ない顔をするの…


 キッチンには、既に、病み上がりの彼女のために、野菜がたっぷり入った消化のよさそうなスープが用意されていた。
「わあ! これ、アリオスさんが作ったの!? 凄い!!」
 少女が本当に嬉しそうに感嘆の声を上げるので、彼も照れくさそうに微笑む。
「あのよ、”さん”付けは止めてくれねえか? アンジェリーク」
「判った…」
 はにかみながら頷く彼女に、彼はまたもや咽喉を鳴らして笑ってしまう。

 ったく、百面相が魅力的な奴だな…。
 絵に描いたらきっと最高だ

 彼はそう思って、はっとする。

 ----俺は、何を考えているんだ!? 

「おい、気分が良くなったら、おまえのうちまで送っていってやるが、どこだ?」
 その言葉に、アンジェリークは身を固くした。
「おい、どうした、アンジェリーク」
 アリオスに顔を覗き込まれて、彼女は探るように彼を見つめる。
「笑わない?」
「ああ。言ってみろ」
「----私、この時代の人間じゃないの…、あのドレスを着たら、百年過去にきていた・・・。おそらく…、あの熱も…、時空を飛んだことによって起こったのよ…」
 アリオスの怪訝な表情に気がつくと、彼女の言葉は途切れてしまった。彼の表情を見れば、考えていることなんて判る。"この子は直っちゃいない"と----
「ちょっと、混乱してるんじゃねえか?」
 アリオスは笑わなかったが、少し心配げに言う。
 彼女は何度も頭を振り、大きな青緑の瞳に涙を浮かべている。
「ホントなの! 美術館であなたの絵を見たもの。"天使光臨”って絵」
「嘘だろ?」
「ホントよ…」
 彼は苦々しい思いがする。
 彼女を始めてみたとき、まさにその言葉が浮かんだのだから。

 彼女が言うことが本当であれば・…

「私…、この時代だと、どこにも行く場所ないし…」
「----判った。落ち着くまで、もう少しここにいろ」
「判った、有難う…」
 深く息を吸い込むと、アンジェリークは骨の髄まで染みとおるような気がした。
「いたいだけいろ」
 何故だか、少女にはずっといて欲しかった。
 傍にいて、自分の心を癒して欲しかった。
「有難う・・・。でも、お礼できないわよ?」
 何期笑いの表情を彼女は浮かべる。

 お礼なら…

 彼はあることを思いつく。
「----お礼なら、俺の絵のモデルをしてくれたら、それでいい」
 自然についた言葉だった。
 自分でもどうしてこの言葉が出たのか、今のアリオスにはわからなかった。
「----うん…」
 少女は晴れやかに頷く。
 二人は見つめあい、そこに暖かな感情が生まれる。
 恋という名の感情が---- 

Chapter 3




































































































































































































































TO BE CONTINUED・・・



コメント

タイムトリップの第三回です。
二人は徐々に惹かれあってきますが・・・。
果たして時空の軸に勝てるのでしょうか。
次回から急展開の予定です! お楽しみに!!