−ANGELIQUE SIDE−

「…あなたは…誰?」
 朦朧とする意識の中でも、青年と青年の腕の逞しさは判る。
「誰って、人のアトリエに突然現れて、何言いやがる。おまえこそ誰だ?」
 深い、戸惑いの取れる苛立たしげな声が、アンジェリークに降りてきた。
「ここはどこ? うちじゃないの…?」
 徐々に合ってきた焦点を部屋に合わせると、確かに、そこは彼女が間借りしている家だった。ただ、床や壁が妙に新しく、朽ちているはずの屋根裏部屋への階段がまっさらのような気がする。
「ここは俺のアトリエだ。それよりも、おまえは誰だと訊いている」
 青年の冷たいほど整った顔が近付いてくる。
 冷たさと焦燥が影を作り輝く眼差しに、彼女は不思議と惹かれた。
 ずっと見つめていたい。
 その眼差しに見つめられたい。
 その想いは振り払おうとしても、出来なかった。
「おまえは…、誰なんだ…」
 彼の言葉の響きに、苦しげなものがあることを彼女は感じる。

 アナタハダレ?
 ドウシテ アナタガ ココニイルノ?

 再び、意識がぐらついてきた。部屋は視界を回転し、身体の力が全て奪われてゆく。
 胃が強張り、視界が熱によってかすんでゆくのが判る。
 彼に何か話そうと試みるが、咽喉が焼け付くように痛く締め付けられて、声が出ない。
 意識が遠のく。
 アンジェリークはぐったりと、青年の腕の中で崩れ落ちると、無限の空間に墜ちていった----

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 −ARIOS SIDE−

 栗色の髪をした少女を初めて見たとき、アリオスの心は少なからずも悲鳴を上げた。

 ----エリス!!

 目が眇めるような光と共に、突然目の前に姿を現した少女。
 少女を包む光が、まるで天使の羽根のように見えた。
 儚げに崩れ落ちようとした彼女を、咄嗟に抱き止め、彼は何度か、生気のない頬を叩いた。
「おい! しっかりしろ!!」
 その低い鬼気迫る声に導かれるように、少女はゆっくりと瞳を開いた。
 熱で潤んだ紺碧の瞳は、アリオスを捕えて離さない。
「…あなたは…誰?」
「誰って、人のアトリエに突然現れて、何言いやがる。おまえこそ誰だ?」
 儚げな声に、彼は胸の苦しみを何とか抑えながら、苛立たしげに呟いた。
「ここはどこ? うちじゃないの…?」
 うわ言のように囁く彼女をもっと近くで見つめたい。
「ここは俺のアトリエだ。それよりも、おまえは誰だと訊いている。
 アリオスは、無意識に、そっと彼女に顔を近付いていた。
 知りたかった。
 彼女が一体何者であるかを、知りたった。

 どうしてそんなに、エリスに似ている…!

「おまえは…、誰なんだ…」
 苦しげに眉根を寄せながら、彼がうめくように囁くと、少女は、熱で煙った瞳を宙に投げ、そのまま彼の腕の中でぐったりとした。
「おい! しっかりしろ!!」
 先ほどと同じように呼びかけてみるも、少女からの返事は一切ない。
 彼は彼女をそのまま抱き上げると、仮眠室のベットへと運ぶ。
 熱を帯びた彼女の身体は、どうしようもないほど熱く、そして小さかった。
 ぐったりとしている少女の額に手を当てると、驚くほど熱く、脈を取ると、かなり早くなっている。
 息遣いも荒く、彼女は苦しげに何度も頭を揺すっている。
「----しょうがねえか…。本意じゃねえんだがな・・・」
 苦しげなドレスを先ずは取り除いてやらなければならない。
 アリオスはそっとベットの端に腰をかけ、少女を抱き起こすと、ドレスのファスナーを外した。
 彼女は微動だにしない。彼はゆっくりとドレスを脱がせ、少女の磁器のような白い肌と、豊かな胸のふくらみが露になった。
 はっと息を飲み、彼は身体の奥から抗い様のない欲望を感じた。

 俺は医者だ。こんな子供の身体など、見慣れてるはずだぜ?
 女だって、不自由はしてねえ。
 だが----

 昂まる胸の鼓動を抑えながら、彼は医者らしい手際のよさで、彼女から完全にドレスを抜き取る。
 豊かな胸も、華奢なウェストも全て見ないように注意を払いながら。
 彼は、クローゼットから自分のシャツを出してきて、彼女にそれを着せた。
 その間も少女は目を決して開けようとはしない。
 少女をベットに寝かし、その額に氷嚢を当てて、ようやくアリオスは息がつけた。
 ベットの上から、慈しむように、彼は少女を見つめる。

 綺麗な子だ。
 栗色の髪が乱れていても、顔が紙のように白くても、目の下にクマがあっても・・・。
 ----だが、どうしてこんなにエリスに似ている・・・。

 アリオスはいつの間にか、少女の小さな手を握り締めていた。

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 アンジェリークは、手に優しい温もりを感じて、目を覚ました。
 柔らかなシーツの感触が背中に当たる。さらさらの布の感触が心地いい。そっと、額を冷たい濡れタオルで拭いてくれるのが判る。
「気がついたか?」
 ゆっくり目を開けると、そこにはあの銀の髪の青年が、探るような眼差しを向けていた。
「----あの…、あなたはが看ててくれたんですか?」
「----ああ。これでも医者の端くれだからな」
「医者? ここはアトリエって言ってたのに?」
「ああ、そうだ」
「そう・・・」
 力無く言って、少女は不意に自分の格好に気がついた。
 着ていたドレスに代わって、白い男性物のシャツに着替えさせられている。
 全身をそれこそ林檎のように真赤にさせて、少女は咎めるように上目遣いで青年を見た。
 怜悧な性質の彼は、すぐに少女が意図していることが判る。
「クッ、そんな顔すんな。苦しそうなドレス着てたから、楽にさせた。医者としては当然のことだ。大丈夫だ、職業柄、ガキの身体は見慣れてるからな?」
 彼女が気にしないように軽く青年は言ったが、本当のところは違っていた。
「もう…、そんなこと・・・うっ…!!」
 急に吐き気が襲ってきて、彼女は思わず口を抑えた。
「おい、しっかりしろ!? 今洗面器を持ってきてやるから!!」
 青年がすぐに彼女に洗面器をあてがうと、何も戻すものなどないのに、アンジェリークは苦しげに戻しつづけた。
 彼は医者らしく、取り乱すことも泣く彼女を見守っている。
「だい…じょうぶ…」
 力無く呟いて、彼女は再びベットへと沈み込んだ。
 そこに広がる視界は、確かに見覚えがあるもの。
 自分のベットルームと同じ物だ。
 ただ、煤けているそれとは違い、ここに広がるものは真新しい。
「おい、どうしてそんな身体でここに迷い込んだ?」
 彼の眉は怪訝そうに顰められ、金と緑の瞳は怜悧に彼女を捉える。
「----判らない」
 軽く頭を振り、栗色の髪がシーツと衣擦れを起こす。
「判らないって…」
「…ホントなの…、白いドレスを着て、天井がぐるぐる回って、気分が悪くなったの…。確かに私はここに住んでたはずなのに…、天井も壁も何もかも新しくて・…、あなたがここにいて…、何が起こっているのか検討もつかない…」
 華奢な身体を震わせ、涙を滲ませながら呟く少女の態度に、彼は決してふざけているとは思えなかった。
「----ここは、俺が絵を描く為に建てたアトリエだ。誰かが先に住んでいたとは、思えねえけどな」
 色の違える不思議な瞳に暖かさが一瞬宿る。
 その眼差しに見守られているような気がして、アンジェリークは儚げに笑みをもらした。
「----だったら、錯覚かしら…」
「おそらくは。落ち着くまではここにいていい。俺はちゃんと家があるからな」
 熱で火照った頬を青年に優しく撫でられ、別の熱が彼女を覆い尽くす。
 ”情熱”という名の熱が----
 少女はホッとしたように僅かに笑うと、潤んだ紺碧の瞳で青年を見つめる。
 その眼差しは、最早彼を魅了して止まなかった。
「有難う・・・。名前…、言ってなかったわね…。私は、アンジェリーク…。あなたは…?」
「アンジェリーク…」
 彼は噛み締めるように、突然目の前に現れた天使の名を呟く。
 これほどぴったりな名前はないと心の底から思いながら。
「俺はアリオス。よろしくな」
 その名前を聞いてアンジェリークは全身が震えだした。
「おい、大丈夫か!!」
 手を差し伸べてくれたアリオスに彼女は思わずしがみつく。
「----ね、アリオス、絵を描いてるのよね?」
「ああ」
「----で、お医者様なのね?」
「そうだ」
 少女が意味している意味が判らず、彼は思わず眉根を寄せた。
「----だったら、”天使光臨”って、絵、描いたことある?」
 訊きながらも、アンジェリークの背中には冷たいものが流れ落ちる。

 まさか----

「----いや、そんな絵は描いちゃいねえ。ここんところ、肖像画なんて描いてねえよ・・・」
 苦い思いを噛み締めながら、彼は応えた。
 そう。
 愛する妻を亡くしてからは、一度も描いていない。
 彼女が、彼の肖像画の全てだったから。
 だが、今、目の前にいる少女は、彼女と寸分違わぬ姿をしている。
 そのことが、彼を苦しくさせる。
「----そう…。念のために訊いておくけど、今は何年?」
 奇妙な質問に、彼の不思議な双瞳が疑わしげに揺れた。
 しょうがないとばかりに、彼は何年か彼女に教えてやる。
「----!!」
 少女の表情が明らかに衝撃と受け止めるような表情をし、彼女は涙を瞳に滲ませる。
「どうしたんだ、おいっ!!」
 アリオスの呼びかける声が遠くなる。

 私、100年を飛び越えてきたの…!?

 涙で頬を濡らした少女がそのまま崩れ落ちるのを、アリオスはしっかりと抱きとめた。
 その華奢な身体は先ほどよりも熱い。
 今にも消えてしまいそうな彼女を何故だか繋ぎ止めたくて、彼は抱きしめる腕に力を込めた。
 意識が朦朧とする中、アンジェリークは、始めてあったばかりの青年にもかかわらず、彼の腕の中ほどしっくりと来る場所がないように思えた----



 初めて彼女を見た時、天使が舞い降りたのではないかと思った。
 ”天使光臨”----
 まさにその言葉がぴったりだった。
 俺は一生あの瞬間を忘れないだろう…----
 そして熱かった彼女の小さな身体を----
   

Chapter 2




































































































































































































TO BE CONTINUED…


コメント

「SOMEWHERE IN TIME」の二回目です。
ようやく二人は出会い、言葉を交わしました。
これから切ないお話になってきますが、最後までよろしくお願いします。