「冷たいっ!」
引越しをして来ての初日。
ソファに座り、ようやく一息吐いたアンジェリークの膝に、雨の粒がポツリとかかった。
天井を見上げてみると、雨のシミが丸くなって広がっている。
「しょうがないか。格安物件だものね。これぐらい当然か…」
諦めに似た溜め息を吐くと、彼女は立ち上がり、片付けたばかりのバケツと雑巾を持ってきた。
「----屋根裏部屋にバケツを置かなきゃな…、何だかお化け屋敷にでも行く気分」
今日引越しをしてきたが、大した荷物のなかった彼女は、屋根裏部屋を使うこともなく、また入るのに少し警戒していたのだ。
雑巾が入ったバケツを手に引っ掛け、懐中電灯を片手に、大きな溜め息をまたひとつ吐くと、彼女は屋根裏部屋に続く梯子を上ってゆく。
かなり古めかしいそれは、華奢な彼女が乗っても、みしみしと音を立てる。
「お願い…、朽ちないでね…」
アンジェリークはかなり慎重に昇っていった。
彼女が今日から住まうこの家は、築百年以上経っている平屋のボロ家で、修理もろくに入っていない、格安物件だった。
両親を亡くし、経済的に余裕のないアンジェリークは、これに即、飛びついた。
とにかく格安の家賃が魅力的だった。
ダイニングキッチン、小さなリヴィング、そしてベッドルームに、屋根裏部屋のついたこの家は、彼女にとっては申し分ない。
ボロ家ということを我慢すれば、こんなに素晴らしい家はなかった。
屋根裏部屋に辿り着き、その余りにもの埃っぽさに、アンジェリークは咳き込んだ。
梯子のすぐ横のあるスイッチに手をかけると、埃だらけの裸電球に明りがついた。
それにほっとして、彼女は水漏れ個所を探ってゆく。
屋根裏部屋には、ここの歴代の住人が置いていったのであろうガラクタが、足の踏み場がないほどに乱雑に置かれている。
「あっ、ここね?」
見ると、丁度中央付近に水溜りが出来ている個所がある。それ以外は大丈夫なようだ。
「とりあえず、今日は応急処置をしておくか…」
彼女は、丁寧に水溜りを拭い、そこにバケツを置いた。
「これで、安心…」
ふいに、ビニールのカバーがかけられ、大切にディスプレー用のボディにかけられた、純白のドレスと、その横に立てかけられた同じ生地で作ったであろうパラソルが立てかけてあるのを、彼女は発見した。
明り取りの窓から、月光が差し込み、そのドレスをきらきらとまるで宝石のように輝かせている。
「綺麗…」
無意識に呟いて、アンジェリークは吸い寄せられるようにドレスに近付いた。
永い時間そこに置いてあったのだろう、ビニールのカバーは変色していて、埃が被っている。
彼女は、咳をしながら、そのカバーを丹念に取っていった。
カバーを取り終えると、ドレスはまるで昨日仕立てたかのように、美しい状態のままだった。
まるでそこだけが時間の流れとは別の場所に存在しているかのようだ。
うっとりとドレスに見惚れながら、アンジェリークは震える手でそっとドレスを撫でた。
それはまるでシルクのような感触で、滑らかで、すべすべしている。
愛しげに、彼女はそっと袖を頬に当ててみる。
気持ちいい…
うっとりとその感触を楽しみながら、彼女は感嘆の溜め息を吐いた。
虫干しをすればまだ着れるわきっと…
そう思うと何だか心が弾んでくる。
鼻歌交じりに、アンジェリークはドレスをボディから外し、ついでにパラソルを持って、下へと降りていった。
「これは神様のプレゼントかしら」
ハンガーにドレスを素早く吊るして、パラソルを広げた後、明日の天気を確かめるためにラジオをつけた。
彼女の家には、娯楽といえば、家に作り付けで置いてあったラジオしかない。
ラジオは明日は晴れであることを伝えている。
顔が自然に綻んでしまう。
「虫干しして着るのが楽しみだわ…」
少女は、また、ふふと開放的に微笑んだ。
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翌日、穏やかな晴天に恵まれ、学校へと行く前に、アンジェリークはドレスとパラソルを小ぢんまりとした庭に干し、虫干しをした。
「これで、帰ってくる頃には着れるかしら?」
少女はすっかり、ドレスに魅せられていた。
天涯孤独の彼女は、その優秀な成績ゆえに、特待生として学費の免除と、返還無用の学資金が支給されていた。それがなければ、当の昔に、学校を辞めて働かなければならなかったであろう。
両親の僅かな遺産とその資金で、細々と暮らしていた。
「おはよう、アンジェ!!」
「おはよう、レイチェル」
親友との朝の挨拶で一日が始まる。
この元気でしっかり物の親友が、アンジェリークは大好きだった。
「ねえねえ、アンジェ!! 美術展のチケット二枚貰ったんだけど、行かない?」
「うん!!」
親友の申し出は、彼女にとってこの上なく嬉しかった。
絵を見ることが大好きな彼女にとって、美術館は最高に素敵な場所だからだ。
「しかもね、今回の美術展の絵に、アナタそっくりの女性がかかれた絵があるのよ!!」
レイチェルの論旨はいささか興奮気味で、どこか楽しそうだ。。
「私にそっくり?」
アンジェリークは怪訝そうに眉根を寄せた。
「うん…、とにかく凄く似てるんだ…。もう百年ぐらい前に描かれて、確か、描いた画家も画家が本職じゃなくって、医者だったって言ってたけど…、パパが・・」
百年前・・・。
その言葉が妙に引っかかり、アンジェリークはぼんやりと考え込んだ。
なせ心に引っかかるのかは判らない。心臓が脈打つ。
「アンジェ」
呼ばれて、彼女ははっとする。
「とにかく、放課後見るのが楽しみね!」
「あ、うん…」
曖昧にアンジェリークは返事をする。
百年前の、私に似た絵か…
結局、授業中もそのことが引っかかり、彼女は勉強どころではなかった-----
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待ちに待った放課後になり、アンジェリークはレイチェルと2人、美術館へと足を運んだ。
目指す絵は、ただひとつ----
2人は、周りをきょろきょろと見回し、絵を探してゆく。
「えっと…、あ、あったわ!!」
レイチェルの声に導かれ、彼女が指差す方向に視線を持っていくと、そこには一枚の絵があった。
「…!!」
その瞬間、彼女は言葉を飲み込んだ。
その絵の女性はアンジェリークと寸分違わぬ姿で純白のドレスを着て微笑んでいる。
栗色の髪も、青緑の大きな瞳も、薔薇の蕾のような唇も、全て同じだった。
冷たいものがゾクリとアンジェリークの背中を駆け上がる。
更に女性が身に纏ってるドレスは、見覚えがあるような気がする。
目の前に行って確かめたかった。
「レイチェル、もっと近付いてみましょう!!」
「ちょっと、アンジェ!!」
アンジェリークはレイチェルを引っ張るようにして絵のまん前に向かった。
やっぱり…
目を凝らしてみると、刺繍の位置も、ドレスの形も、昨日発見したドレスと同じだった。
偶然なんだろうか…。
絵の女性に余りも似すぎている自分。
震える手で、アンジェリークは、無意識に自分の顔をなぞっていた。
鼓動が勝手にどんどん早くなる。まるで心臓だけが、自分の知らない何かを知っているみたいに、反応する。
作品プレートを見てみる。
タイトルは”天使光臨”。
描かれた時期は、もう百年も昔。
作者は”アリオス”と記してある。
その名前を見つけた瞬間、心臓が狂ったように打ち、息が出来なくなる。
アンジェリークは確信した。
この絵に運命を感じたことを----
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アンジェリークは、その後、美術館で”天使光臨”の絵葉書を買い、レイチェルのお茶の誘いも断って、家に戻った。
虫干しをしていたドレスを家の中に手早く取り込んで、改めて、絵のドレスと実際のドレスを、絵葉書をつかってくらべてみる。
見れば見るほど、同じ物である核心が高くなる。
これは偶然なの…!?
それを確かめるために、彼女はドレスを着ることを決意した。
栗色の髪を手早く上げて、ドレスに袖を通す。
ドレスは、まるで誂た物かと思うほど、彼女の身体にフィットしていた。
鏡の前に立ち、今度は自分と絵葉書の絵を比べてみる。
これが自分でなく、誰だというんだろうか。
そう思った瞬間、衝撃が彼女を襲った。
それは、強く、鋭く、体がいきなり床に叩きつけられる。
目の前が暗転し、気分が悪くなる。
刹那----
光が彼女の脳裏を瞬き、ぐったりとして、意識がなくなった----
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「おい! しっかりしろ!!」
頬が何度か叩かれる感触を感じる。
アンジェリークは、何とか、その瞳だけをゆっくりと開ける。
そこには、彼女を抱き上げる、銀の髪と、黄金と翡翠の不思議な瞳をした青年がいた----
ココハドコデスカ?

Chapter 1
TO BE CONTINUED…

コメント
10000HIT記念創作「SOMEWHERE IN TIME」の一回目です。
切ない、けれども愛が溢れるような、そんな創作にしてゆきたいと思います。
よろしくお願いします。
しかし、アリオスさん一瞬でした…(笑)
