CHAPTER 3


 大丈夫だから・・・。
 大佐がいるから…。

 初めてのミッションに少し震えながら、アンジェリークは精一杯の虚勢を張って、背筋を伸ばす。
 後ろにアリオスが付いていてくれる。
 それだけで、緊張は幾分か和らぐ。

 危機管理能力は今のところCマイナスだな・・・

 愛飲する煙草ダンヒルを口に銜えながら、アリオスは冷静に、彼女を監視する。
「---あの…」
 少し固い声で彼女が声をかけると、中年のディーラーは彼女を見た。
「なんだ、あんた」
 脂ぎった男の視線が嫌で、彼女は一瞬ひるむ。
 その瞬間だった----
 刹那の隙をつき、MI5のエージェントたちが、麻薬ディーラーたちを取り囲む。
「ちっ!」
 ボディーガードの男の一人が軽く舌打ちをしたかと思うと、いきなり銃を抜き、彼女目掛けて、トリガーを引いた----
 アンジェリークは横に飛び、彼女を守るようにアリオスもまた、同じタイミングで飛び、彼女に覆い被さる。
 ボディガードの撃った銃弾は、そのままアリオスとアンジェリークが先ほどまでいたテーブルに置いてあるグラスにあたり、それは見事に砕け散る。
 ランチに来ていた客は悲鳴を上げ、一斉にそこから逃げ出す。
 それを合図に、銃撃戦が幕を開けた。
 銃弾の雨が降る中、アリオスは、瞬時に彼女を抱き起こすと、その手を取って立ち上がらせる。
「今のうちだ? 行くぜ?」
「はいっ!」
 彼女の手を繋いだまま、彼はいつの間にか銃を片手に持ち、入り口へと走り始めた。
 銀の銀の髪が、まるで絹糸のように僅かに揺れる。
「逃げたぜ!!」
 ボディガードの一人が気付き、数人が二人を目掛けて追いかけてくる。
 手を通して、彼女が僅かに震えていることが彼には判る。
 アリオスは、ほんの一瞬振り向き、彼らに向かって正確にトリガーを引く。
「うわあああっ!!」
 足を撃ち先ずは動けなくしてしまうと、彼はそのまま手にも銃弾を撃ちこみ銃自体も飛ばしてしまう。
 感情の湛えない翡翠と黄金の不思議な瞳は、彼の冷酷さを助長する。
 彼の銃捌きに、彼女は不謹慎ながらも見惚れてしまった。
 彼のその姿は、まるでギリシャ神話に出てくるような、艶やかな煌きがあった。
 アンジェリークは、アリオスに手を引かれながら、安全な場所へと導かれる。
 その精悍で、どこか厭世的な横顔を見つめながら、信頼と同時に、彼女の心に親近感にも似た甘い気持ちが浮かび上がった。
 その感情の名をまだ彼女は知らない。
 心臓が早鐘のように打つ。
 そこには、二人の足音と、鼓動しか聴こえない。
 無言のまま、アリオスはアンジェリークと一緒に、パブレストランの厨房を抜け、そのまま女子トイレへと向かう。
 その場所に、彼女はおもわずめんを食らった。
「ちょっと、ここは…」
「女子トイレから逃げるなんて、俺たちエージェントでは日常茶飯事だ。こんなことで、いちいち驚くな」
 低い感情のない冷たい声。
 その声に少し心を震わせながら、彼女は唇を切なく噛み締める。
「悪いが、干渉に浸ってる暇はねえようだ…」
「えっ!?」
 彼女にはその気配が判らなかった。
 だが彼には、追っ手がしっかりとやってきていることが判っていた。
 不意に、彼に女子トイレの個室につれ困れ彼女は息を飲む。
 中に入るなり、彼女は便座の上に立たされた。
 目を凝らしてみると、その上には狭い窓がある。
「そこから逃げるんだ。裏通りに通じている」
 戸惑っている暇などなかった。
 彼女にもようやく判る。
 追っ手が容赦なくやってきたのだ。
 彼の尋常じゃない危機管理能力を、今更ながらに見せ付けられた、瞬間でもあった。
 彼女は、飛び上がり、トイレの窓にしがみつく。
 枠を持つ手が冷たい汗で震える。
 見守るような視線を背後に感じ、彼女は勇気をもって外へと足を踏み出す。

 見守ってくれるから・・・。
 だから怖くない…。

 彼女はそのまま外へと素早く飛び降り、アリオスが降りてくるのを待った。
 しかし、次に聞いたものは、一発の銃声だった。
 彼女はその音に一瞬身体を震わせる。
 だが----
 次の瞬間にはアリオスは、彼はトイレの窓から姿を現し、その場で飛び降りた。
 飛び降りる時も、彼は姿勢の一つも崩すことはない。
「行くぜ?」
 そのまま、ごく自然に彼女の手を取り、そこからさらに安全な場所に連れて行く。
 彼の背中を見つめ、彼女はその広さと逞しさに、言いようがないほどの安らぎを覚える。

 こんな安らぎを感じたのは何時だったのかしら…。
 包まれる手も暖かい…
 えっ!

 今まで逃げることに夢中で、アンジェリークは彼に手を包まれていることに気が付かなかった。
 それを知った瞬間彼女は息を飲み、思わず立ち止まる。

 私…、この人の未来が見えない…。
 何故?

 紙のように蒼ざめ、彼女は呆然と立ち尽くす。
「アンジェリーク?」
 返事はない。
 それだけで、彼は彼女が何を考えているかを把握してしまう。
 強張った表情が、彼の考えを肯定してしまう。

 驚くのは無理もねえか…

 彼はそっと彼女の手を離すと、煙草を銜え、それにライターで火をつける。
「驚いたか? アンジェリーク」
 その総てを悟ったような声に、彼女ははっとする。

 この男性は総てを知っているの!?

 青緑の大きな瞳は、彼を探るように、そして不安げに見つめる。
「----そんな顔はするな。さっき言ったはずだ、エージェントはいかなる時にも感情的になってはならねえと」
 紫煙を宙に吐き出しながら、アリオスは、相変わらず冷たい声で呟くと、切れるような眼差しで彼女を見た。
 その眼差しに彼女は心底震え上がり、胃が強張るのを感じる。
「そんな、化け物を見るみたいな表情をするんじゃねえよ。俺はおまえのことは総て判っている」
 指に煙草を滑らせながら、至極あたりまえのように彼は呟いた。
「おまえの生い立ちも、何故弟が入院しているかも…、そして、おまえが組織になぜ追われ・・・、何を持っているを・・・」
 アンジェリークの表情は強張ったまま、彼を見つめることしか出来ない。
 フッと深く微笑むと、アリオスは彼女の華奢な肩をポンと叩く。
「----おまえには、まだ俺の未来を予知することは出来ねえ」
 言って、彼はそっと彼女に背中を向ける。
「来い。ぐずぐずしている暇なんかねえ。本部に帰る」
 キッパリといわれて、彼女は彼の後を追いかける。
「---今日のミッションは俺がいたし、身内のMI5のヤマの助っ人だったから良かったが、おまえの危機管理能力は、よく見積もって、Dマイナスだ」
 アリオスの冷徹な言葉は、アンジェリークの心を強く揺さぶる。

 私、試されていたの・・・?

   

TO BE CONTINUED・・・


コメント

エージェントアリオスの三回目です。
いよいよ次回からようやく本筋に入ってゆきますので、宜しくお願いします。
MI5といえば、今の長官は女性の方なんですよね〜。
氏素性は隠されておりますが。
MI5は国内向け。
MI6は主に国外向けです。