
| アリオスは、不安という名の興奮が覚めやらぬアンジェリークを、パブレストランへと連れて行った。 そこは落ち着いた雰囲気で、内装も悪くなく、洒落ていた。 「いつもここに来られるのですか? 大佐」 「いや…」 彼と向かい合わせに座るという緊張感の中に漂いながら、彼女は、精一杯の笑顔で言ったが、彼の返事はあっさりと感情のないものだった。 「だったら、なぜ?」 「----何も今は聞くな。ただ楽しげにしていろ・・・。さっきのようにな」 有無言わせぬ口調に、彼女は頷かずにはいられない。 張り詰めた空気を、彼女は本能的に感じ、その身を固くした。 「もっと、リラックスできねえか?」 「出来ません!」 余りにものはっきりとキッパリとした答えに、アリオスは思わず咽喉を鳴らして笑う。 「た、大佐!?」 その意外な笑顔に、彼女は惚けたように彼を見つめた。 「クッ、俺が笑うとおかしいか?」 低い艶やかな声で囁かれ、からかうように異色の金と翡翠の瞳で見つめられると、彼女は、真赤になってしまう。 「----そんなこと…、ありません…」 「やっと、本来のおまえに戻ったみてえだな?」 僅かに微笑む口元。 「え、あ…、そうですか?」 アリオスの、不思議と人をひきつける微笑に、自分は癒されていたのだと、彼女は今更ながらに気がついた。 同時に、笑っていながらも、どこか厭世的な彼を見出してしまう。 大佐…。 あなたの心のどこかに切なさを感じるから、寂しさを感じるから…。 私はその笑顔にどうしようもなく惹かれてしまうんでしょうか… 「”大佐”と呼ぶの止めてくれねえ? ”アリオス”と呼んでくれ。俺は、今は海軍の人間じゃねーしな。アンジェリーク」 優しく深い微笑み---- だがそこには、本当の感情がないことを、彼女は肌で感じ取る。 「判りました。”アリオス---」 彼女も切なさの混じった笑顔を浮かべながら、彼を見つめる。 この時、二人は、互いが持っている寂しさが、同じ種類の寂しさであることを気がついていた。 「俺たちは、今日からチームを組む、そのお祝いをさせてくれ」 「お祝い?」 彼女が訊き返すと、アリオスは、甘やかな微笑を浮かべて、アンジェリークを見つめ、彼女の前に黒い小さなケースを差し出した。 「何ですか?」 思いもよらないものに、彼女は不思議そうに目を丸くしながら、黒いケースを無邪気に見つめる。 「何ですか?」 「開けてみろ?」 「はい」 嬉しそうに返事をし、明るい光が一瞬少女の青緑の瞳に宿る。 彼女をじっと、アリオスは感情のない眼差しで鋭く見つめた。 「----!!!」 その箱を開けた瞬間、少女の笑顔は強張る。 「これは…」 明らかに失望と哀しみがそこには有り、身体を軽く震わせる。 そこにあったのは、新品の調整された、彼女のための銃、”デザート・イーグル”。 それは、彼がロザリアに言って用意をさせ、自ら調整を行ったものだった。 「これがここにあるということは、この後何があるかは判るな?」 彼と視線を合わせることが出来なくて、彼女は視線を合わせないようにして頷く。 「結構」 彼は、異色の瞳に切れるような不敵な光を湛えていた。 「このミッションはMI5のサポートをする軽いものだ。油断は禁物だが、焦らなければ大丈夫だ」 「----はい」 アンジェリークは頷くものの、彼の顔を見ることが出来ない。 「憎いか?」 感情のない低い声が、探るように彼女に突き刺さる。 その痛みを感じながら、彼女は彼を涙目で睨んだ。 「----さっき言ったはずだ、”エージェントは感情的になってはならない”と----」 冷酷なまでに、真理を突きつける声。 心にそれが染みとおり、冷たさが心を覆うのを、彼女は察知する。 「----判りました…、アリオス」 血が滲むほど唇を噛み締めて、彼女は栗色の髪を僅かに揺らして頷く。 小さな手が、また、屈辱で握り締められる。 俺を憎めアンジェリーク…。 おまえにはそれが必要だ。 おまえは、これから、自分自身を守るために、困難を乗り切らなければならない…。 甘い気持ちでいれば、本当に命取りになる。 「銃をスーツの胸の間にでも隠せ」 感情を押し殺して、彼女は気難しい顔でそれに従う。 「笑え。怪しまれないように、俺たちは会社の同僚か何かのふりをしなければならねえからな」 あくまでもエージェントとしての言葉。 彼女は冷たい現実を感じながら、全然楽しくもないのに引き攣った笑いを浮かべた。 その瞳は笑顔とは裏腹に、彼を恨めしそうに見つめている。 「いい瞳だ。エージェントはこれぐらいじゃなきゃな」 「あなたがそうさせたのよ・・・」 「クッ、そうだったな・・・」 少し笑って、彼は黒いケースを指差す。 「ここの底に、おまえのMI6でのIDカードが入っている。携帯しろ」 静かに頷くと、僅かに震える手で、彼女はケースの底を調べて、それを取ると、そのまま胸ポケットにしまった。 「おまえはまだ半人前だから、それだけだ…」 その言葉は暗に”おまえは半人前だから『殺人許可証』がないということを、示していた。 「いいか、今からいうことを良く聞け」 青年の冷徹な響きの声に、彼女はしっかりと頷く。 「俺たちの席の斜め後ろの席に要る太った男を、一瞬だけ見ろ」 視線だけを彼女は這わせ、、その男がいることを確認してから、頷く。 「そいつは、MI5が狙っている、麻薬のディーラーだ。大物らしい。あの男の逮捕に、協力する。あくまで生け捕りだ。周りにいるごっついやつらはボディガードだ。一番厄介なのは、ある意味やつらだ。殺す気で発砲してくるからな。気をつけろ」 アンジェリークは真摯に頷く。 これは厳しい世界なのだ。 自分の身を守るために、生半可な気持ちでは出来やしない。 「おまえは、やつらに近付いて、気をそらす役だ。何かあったら銃を使え。いいな」 声に出して返事をすることが出来なくて、彼女はただ頷くだけ。 栗色の髪が頷くたびに揺れ、瞳は憂いの影をます。 それを息苦しく感じながら、アリオスは一瞬瞳を閉じる。 どうしてそんなに似てるんだ… それは彼が一瞬見せた、心の闇だった。 それを振り払うように、彼は時計を見つめる。 「時間だ----」 その言葉を合図に、彼女は立ち上がり、男がいるテーブルへと向かう。 背中に冷たいものが流れ、全身に震えを感じる。 だが彼女は振り返れなかった。 弟のマルセルのためにも、そして自分のためにも、振り返ることなんて出来やしなかった。 これから私は、どうなっていくんだろうか… 少女は真直ぐ前だけを見つめた---- 少女の後を優しくアリオスはついてゆく。 彼女を見守るために。 彼女を危険から守るために。 今の彼はそれだけのために彼女のそばにいる。 アンジェリーク…。 おまえは道を歩かなければならない。 おまえに魔の手が迫っている以上、自分の身をちゃんと守らなければならない… おまえがどこまで自分を守ることが出来るのか…。 アンジェリークはこの時知らなかった。 このミッションが、彼女の危機管理を見るためのテストに過ぎないということを----- |