「あの子ですわ、アンジェリーク・コレット」
射撃訓練施設で最後の仕上げにかかるアンジェリークを、長官秘書であるロザリアと、厭世的な雰囲気を持つ青年が、監視室から凝視していた。
姿勢を正した彼女は、次々に的に銃弾を当ててゆく。
「銃の腕もたいしたものですわ」
「自分を護るためにも、背に腹は変えられねえからだろう」
よく通るテノールは冷酷な響きがあり、厳しい眼差しで少女の様子を彼は見ている。
その視線は、少女の指先に集中していた。
「ロザリア」
「はい。なんでしょうか」
「用意する銃はデザートイーグルにしてやってくれ。調整は俺がする」
「はい」
秘書らしい機敏な返事を彼女はする。
「----銃の腕は、Aマイナスだな」
静かに告げると、青年は踵を返しその場から立ち去った。
憂いを湛えた大きな瞳か----
「大佐。あなたは相変わらずね。その氷の心を溶かすのは、一体誰なのかしら…」
ロザリアはフッと溜め息を吐いた。
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「マルセル、行ってくるわね」
「うん、お姉ちゃん、いってらっしゃい」
病室のベッドで起き上がれない弟マルセルの額をそっと撫で、アンジェリークは柔らかな微笑を彼だけに向ける。
いや----その笑顔は、マルセルにしか向けることが、今や許されなくなってしまったもの。
椅子から立ち上がり、彼に背を向けると、彼女は背筋を伸ばしてドアへと向かう。
その表情には、、最早、先ほどの優しさはなく、引き締まった輝きがある。
大きな青緑の瞳は、戦う少女のそれだ。
マルセルのためにも、私は闘いを止めるわけにはいかない
気丈に振舞う彼女は、ここ数年、誰にも涙を見せたことはなかった。
それは彼女にとって、ちょっとした戒めでもある。
泣いているヒマなんかないもの。
病院を出たアンジェリークは、澄んだ青空を見上げながら、 胸を張って、歩き始めた。
自分自身を奮い立たせるために----
「ここが、MI6の本部」
テムズ川のほとりにある立派な建物を見上げると、彼女は緊張の面持ちで建物の中へと入った。渡されたIDカードで次々にセキュリティを外してゆき、彼女は教えられた部屋の前へと来ていた。
「1116。ここね…」
ノックをすると、聞いたことがある声が艶やかに響き、彼女は少し安心する。
「早かったわね。待ってたわ」
出てきたのは、長官秘書で、アンジェリークが訓練中、まるで姉のように世話を焼いてくれたロザリアだった。
「ロザリアさん、おはようございます」
「おはよう、アンジェリーク。早速だけど、あなたの直属の上司は、銃の訓練中よ」
「銃の?」
首を傾げる可愛らしい姿に、ロザリアは思わず甘い笑みを漏らす。
「いらっしゃい。案内するわ」
「はい」
緊張感に身を震わせながら、アンジェリークは姿勢を正して、ロザリアの後についていった。
「そうそう。これつけて?」
そっとロザリアは耳栓型のイヤープロテクターを差し出した。
「有難うございます」
「誰かさん、きっとマグナムをぶっ放してるからね」
受け取ったイヤープロテクターを耳につけて、アンジェリークはロザリアと共に射撃訓練場へと入っていった。
地下に作られたそこは、完全防音はもちろん札が、最新鋭のシステムを駆使して訓練が出来るようになっている。
入った途端、アンジェリークはその最新設備に目を見張った。
「彼よ---」
ロザリアが何を言っているかは、その唇の動きと、該当人物を指差す動作で、アンジェリークには解る。
しっかりと頷いて、彼女は指を指された方向にいた人物を見て、はっとした。
そこにいたのは、銀の髪をした青年だった。
大佐という地位と、担う職務の重さから、アンジェリークは、彼を中年男性だと思い込んでいたのだ。
しかし目の前にいる彼は、若く、しかも魅力的だ。
銃の腕も、彼女の度肝を抜いた。
次々に繰り出され、人間と同じように予期せぬ動きをする人型の的の心臓部分に、彼は容易そうにマグナム弾を撃ち込んでゆく。一発たりとも外さず、時にはダミーで出てくる、子供型的や動物型的には一切弾丸は撃ちこまない。
こんな見事な銃裁きを見たのは、アンジェリークは初めてだった。
訓練所で、エージェントとしての英才教育を受けた彼女ですら、これだけ完璧に銃を扱う者を見たことがない。
しかも誰もが容易に扱えない、スミス&ウェッソン44マグナムを、片手で扱っているのだ。
その銃さばきと、彼が醸し出している厭世的な雰囲気に、アンジェリークはすっかり飲まれていた。
何だか…、寂しそうな人…。
私と同じ匂いがする…。
気のせいかしら…
青年は一ターンの射撃が終わると、ヘッドフォン型のイヤープロテクターを外し、アンジェリークたちに近付いてきた。
初めて正面を向き露になった青年の表情に彼女ははっと息を飲む。
翡翠と黄金の異色の瞳は、甘やかな溜め息が出るほど美しいものであったが、そこに宿る「孤独」こそ、アンジェリークが魅了されて止まないものだった。
この眼差しを見てしまったら、私はどうすればいいの・・・。
私と同じ、眼差しを----
「おまえが、アンジェリーク・コレットだな」
プロテクターを外すことをすっかり忘れていた彼女は、ロザリアに背中をつつかれて、ようやく耳から異物を外した。
「はいっ! そうです」
彼女は真赤になりながら挨拶をすると、深々と頭を垂れる。
「俺は、アリオスだ。よろしくな」
すっと以外にも大きいが繊細な手を差し出され、アンジェリークは躊躇する。
その手に包まれたい。
だけどもそうすることが自分には出来ない。
アンジェリークは、歯がゆい思い出、そっと首を振った。
「あの、握手は出来ません…」
「クッ、まあいい。俺もあんまり堅苦しいのは苦手だからな」
僅かに口角を上げ、彼は微笑むと、さらりと流してしまった。
「ロザリアご苦労だった。後は俺がやるからよ」
「はい。では」
アリオスに頭を下げ後、ロザリアはアンジェリークに向き直る。
「アンジェ、しっかりおやんなさい。あなたなら頑張れるわ」
艶やかな微笑を浮かべ、まるで妹にそうするかのように彼女は、アンジェリークの華奢な肩に励ますように手を置いた。
「はい」
その優しい眼差しが嬉しくて、アンジェリークは精一杯の笑みをロザリアに浮かべる。
「がんばってね」
ロザリアは、アンジェリークを送る笑顔を浮かべると、静かにその場を去った。
「----さて、アンジェリーク」
「はい。アリオス大佐」
真面目腐って彼女が言うので、アリオスは僅かに口角を上げる。
「なあ、さっきも言ったと思うが、俺は堅苦しいのは苦手でな。大佐は止めてくれ。アリオスでかまわねえ。どうせ"大佐”は海軍時代の称号だ。ここでは関係ねえ」
「はい。じゃあ、アリオスって呼ばせていただきます」
「頼んだ」
一瞬、二人の視線が絡み合う。
真直ぐな強い意志を秘めた憂いのある眼差しと----
意志を貫こうとする厭世的な孤独な眼差しが----
それは、僅かな時間だったが、二人にとっては、永遠にすら感じられる時間だった。
アリオスはフッと深く微笑むと、静かの腕時計に視線を落す。
「いい時間だな。昼飯食ってから、色々説明してやる」
「はい」
「俺のおごりだ、いっしょに来い」
「はいっ!」
嬉しくなって、彼女は、明るい声で彼に答える。
「クッ、現金な奴だな」
「だってよく言うでしょ? "お昼は奢りが一番”」
「そうだな…。行くぜ?」
「はい」」
アリオスの広いスタンスにアンジェリークはついてゆく。
二人は、久しぶりに心が和んだような気がした。
だが、このような時間は、二人にとっては奇跡の時間だったかもしれない----
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二人が、MI6本部から出て、通りに差し掛かったときだった----
「----!!」
アリオスのこめかみがぴくりと動く。
「伏せろっ!!!」
彼はアンジェリークを抱きかかえたまま飛ぶようにして伏せる。
刹那。
銃弾が二人頭上を飛び越え、通りの石造りの壁に当たる。
相手も巧みで、サイレンサーをしている。
素早く体を起こしたアリオスは、アンジェリークを護るように右手で抱き、左手でホルスターから愛銃であるS&W44マグナムを取り出す。
走り去ろうとする射撃した相手の後頭部目掛けて、彼は冷酷にもトリガーを引く。
正確に。
そして、大胆に。
「うっ!!」
アリオスの銃もまた、サイレンサーが施してあり、音を出すこともなく、針を通すような正確さで、簡単に刺客をしとめた。
余りにも無表情な彼に、アンジェリークは息を飲んでその顔を覗き込む。
「----エージェントは、いかなるときにも、感情的になってはならねえ。覚えておけ」
氷の月のような声。
それは、アンジェリークが初めて受けたプロの"洗礼”だった----

Chapter1
TO BE CONTINUED…

コメント
いよいよ本格的に始動した「Solitaire」です。
今回は、二人の出逢いが中心で、これからどんどん謎が深まってくる予定です。
アリオスももっと活躍してゆきますのでよろしくお願いします。
MI6といえば、ジェー○ス・ボ○ドですが、今回のアリさんのイメージは、
「LE SAMOURAI」の殺し屋のイメージです。
