Shadow Of Your Smile

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 決断してからは、感傷に浸る間などなく、やることが沢山あった。
 感傷に浸るのは、店を閉めてからになりそうだ。
 それだってそうなる限りはない。
 まずは、レイチェルの恋人エルンストには、”街角の店”の状態を残すために、こと細かくデジタルカメラで写真を撮ってもらった。
 そしてアンジェリークは閉店セール告知のポスターと、赤地に白字で書かれたディスカウント短冊の製作、閉店に伴う最後のお話の会の企画など、ベッドの上で出来ることや腕一つで出来る準備を率先的にやる。
 その合間に尋ねてくれる、アリオスとの散歩が最近はとても楽しく思えた。

 今日も仲良く病院周りを散歩する。
「もうすぐ退院だな?」
「ええ。左手が何とか治るまでいさせてもらいましたけど、何とか退院にこぎ着けられます」
 ほんのりと白い肌も薔薇色に染まっているせいか、元気になりつつあることを、アリオスも感じた。
「だけど、退院したらすぐに閉店セールだから、忙しいですけど・・・」
 きつくなり始めた春の鈍色の日差しを、アンジェリークは眩しそうに目を細める。
「最後のお話の日には、俺の親戚のガキどもも連れていく。楽しみにしているみてえだから」
「いらして下さい」
 傍から見れば、敵対する二人が仲良くしているのは、奇妙な光景かもしれない。
 だが、当の本人たちはそんなことは関係なかった。
「明後日には退院できるんです」
「そうか。この散歩も明日で終わりだな」
 退院イコール散歩の終わり。
 そう考えると、余りにも切なすぎる。
 アンジェリークはそれを払拭したくて、わざと上を見上げた。
 そこには桜の古木があり、立派な枝をはっている。
「桜ももうすぐ咲くんだ・・・」
「俺は散り際が好きだ。命の刹那を感じて美しい・・・」
「来月の半ばにそれが見られるわ・・・。私は、やっぱり満開時が一番好き・・・」
 ふたりは、蕾が桜色に染まる枝々を見つめながら、美しい春の訪れに思いを馳せていた。

 ひとりで日常生活が出来るレベルになり、アンジェリークは無事退院した。
 ただひとつ残念なのは、もう、アリオスとの中庭散歩が楽しめないこと。

 昨日の散歩は小雨が降って、結局は出来なかったもん・・・。
 また、機会があればいいけれど・・・。

 アンジェリークの心の中には、”騙した””騙された”といったわだかまりは、もはや微塵も感じられなかった。
 今は、以前に近い親しい状態になっている。

 アリオスさん流の”魔法”にかかったかもしれない・・・。
 ちょっと悔しいけれどね。

 部屋に戻り、パワフルに火事などの雑務をてきぱきとこなした。
 やはり家がいいのか、仕事はどんどんと捗る。
 自分の城に戻ったというだけで、ストレスが緩和され、明日からの閉店セールへのパワーがチャージされた。
 一連のすべき仕事を終えると、久方ぶりにパソコンに向かう。
 勿論、狼にメールを書くためだ。

 Subject:いよいよ明日!
 狼様。
 今日からちゃんとパソコンでメールを送ることができて、とても嬉しく思っています。
 明日からはいよいよ、新しい世界に向かうための、最後の全力燃焼が始まります。
 今、私ができる限りのことを全てやりたいと思います。
 私なりの完全燃焼です。
 これで燃焼しきったら、また、新しいことに向けて頑張っていきます。
 今までのこととは決して無関係ではない新しいことですが、こちらも今の私が更にパワーアップ出来るように頑張っていきたいと思っています。
 いっぱいいっぱいこちらも頑張ります。
 今は何のわだかまりもなくて、とてもすっきりした気分です。
 また、躓いたりした時に、ご相談することもあるかと思いますので、よろしくお願いします。
 またメールします。
 栗猫。

 栗猫からの毎日の前向きなメールは、アリオスをとても前向きな気分にさせてくれた。
 彼女のおかげで、毎日とても精力的に仕事をこなすことが出来ている。
 充実した疲れの中、彼は”狼”としてメールを書いた。

 Subject:いよいよ。
 新しいことに前向きにチャレンジ出来るというのは、とても羨ましいことだ。
 俺もおまえのメールに凄く刺激されている。
 より良い仕事をしようと、今頑張っている。
 その前向きな気持ちでいれば、きっと上手くいく。
 お互いに頑張ろう。
 心からの努力をすれば、上手く行くから。
 狼。

 メールによるお互いのエールの交換は、仕事への相乗効果を生む。
 お互いに最善を尽くした仕事をすることが出来た。


 閉店セールの初日、たったさんにんの街角の店のスタッフは、ひき締まった面持ちで、最終確認ミーティングを行っていた。
「いよいよ、”街角の店”も後三週間です!! 引き締めて全力を尽くしていきましょう!!」
 凛としたアンジェリークの宣言に、残りのふたりも緊張した面持ちでしっかりと頷く。
 てきぱきと在庫本を綺麗に並べて、臨戦態勢につく。
 店を開けると、そこそこの客が入ってきた。
 ここ最近、こんなに客たちが入ってきたことがなかったせいか、接客にも気合いが入る。
 セールをしているせいで、忙しいのにも関わらず、きめ細かい接客は行った。
「やっぱり、満足いく本を選べるわ。有り難う」
 接客の後に礼を言ってもらうと、とても嬉しい。
「本当に、凄い売り上げですよ? 最高記録! これが決意前にあればねえ・・・」
 嬉しい悲鳴のなか、ミセスメイヤーは複雑な気分で苦笑いする。
 価格を下げれば客が増える。
 それが、経済競争の現実だと、皮肉にも見せつけられた形となった。

 かなり忙しいせいか、セール中は感傷に浸る暇などなく過ぎゆく。
 ”お話の会”の最後の日、アリオスもメルとマルセルを連れて、春の花束を持って現れた。
 アンジェリークが最後に選んだお話は、とても有名なお話であり、今まで彼女が有名過ぎて選ばなかった、シャルル・ペローの”シンデレラ”だ。
 今日は、”おいしいおかゆ”との特別二本立てだ。
「今日は特別に二本立です〜!!」
 アンジェリークが宣言すると、子供たちは歓声をあげる。
「では、始めます。むかし、むかし、あるところに・・・」
 アンジェリークが話し始めると、子供たちは真剣な表情になった。
 ”おいしいおかゆ”は、本当に食べてみたいと思うほど美味しそうで、子供たちは誰もが生唾を飲んで、聞き入っている。
 これはもう、アンジェリークの話術の巧みさによるところが大きかった。
 彼女の朗読は本当に引き込まれる。
 それには、アリオスは、感心せずにはいられなかった。
 とっても美味しいお話しの後は、今度はシンデレラだ。
 誰もが知っている物語を、アンジェリークがどう料理をするのか、アリオスは楽しみでならなかった。
 アンジェリークが語るシンデレラは表情がとても豊かで、アリオスも恋をしてしまうのではないかと、一瞬思う。
 自分が王子様になった気分になるのだ。
シンデレラは可憐で働きもので、それこそ誰もが恋をしてしまいそうだった。
 魔法使いのおばあさんの時はなりきるし、意地悪な母姉もまたしかりだ。
 新しい、彼女が生み出したシンデレラに誰もが夢中だ。
 本当に、ずっと聞いていたかった。
 だが、始まれば終わりはすでに近付いている。
「・・・そしてシンデレラは王子様と共に、何時までも幸せにくらしました」
 アンジェリークが本を閉じた瞬間、子供たちの間からは”はははん”といった、物語から現実に引き戻される溜め息が聞こえた。
 誰もがその瞬間に、何とも言えない寂しげな表情をする。
 アンジェリークは穏やかに微笑んで頭を軽く下げると、小さな”お話しの部屋”は満場の拍手に包まれた。
 アリオスも深い微笑みを浮かべると、アンジェリークに持ってきた春の花束を渡す。
「素晴らしかった」
「有り難う・・・」
 心からの礼を言い、彼女は花を受け取った。
「素晴らしい才能だぜ? その才能をまたどこかで発揮できるだろうな。例えば、おまえの子供に語って聞かせるとか・・・」
 その途端、アンジェリークの顔は真っ赤になり、俯く。
 それが初々しくて、アリオスは見ているのが楽しかった。
「ねぇ、アリオス、”美味しいおかゆ”食べたいな。食べに行こうよ!」
「メルも!!」
 マルセルとメルは、すっかりその気で、アリオスにねだった。
「ああ。美味いリゾット食いに行くか?」
「やった〜!」
 マルセルとメルが有頂天なのはもちろんのこと、アリオスもやはり食べたくてたまらない。
「おまえのお話は、俺たち全員洗脳されたみてえだ」
 この一言にはアンジェリークもくすりと笑った。
 暫く話した後、これ以上の長居も悪いだろうと、アリオスは気を遣ってタイミング良く暇を切り出す。
「-----じゃあガキどもを送って行かなくっちゃならねえから、またな」
「ええ、また」
 素直に”また”と今は言える。彼とはライバルを解消すれば、親友のようになれるかもしれない。
 アリオスたちを見送りながら、アンジェリークは純粋に思うのだった。


 閉店セールは思いのほか好評だった。
 在庫にあった本が最終日までに全て売り切り、昼で店仕舞いとなった。
 残ったのは、本箱とレジの机だけ。
 これらも、夕方には運送屋の手によってに運ばれていった。
 小さな倉庫を借りたので、当分はそこに置くつもりだ。
 最後に残ったのは、”街角の店”のネームプレートと、祖母・母・幼いアンジェリークが写った写真が納められた、銀のフォトフレームだけ。
 店の中はすっかり片付き、がらんとしている。
「終わりましたわね」
「終わっちゃったね」
「本当に、終わってしまったんだわ」
 がらんとした店内に、さんにんはしんみりとする。
「ふたりともどうも有り難う。明後日は、レストランでぱーっとフェアウェルパーティをしましょうね!」
 湿っぽくなくしようとして、アンジェリークはからりと言う。
「そうね! お店は終わったかもしれないけど、私たちの絆はこれからだもん!」
 レイチェルの言葉に、ふたりともそうだとばかりに頷いた。
「じゃあ、明後日!」
「明後日に、アンジェリーク」
「またね!」
 ミセスメイヤーとレイチェルを送り出した後、がらんとした店内で、アンジェリークはひとりになった。
「…とうとうわたしだけ…」
 しんみりと呟いて、ひとりごちてみる。
 最後の儀式とばかりに、店のネームプレートとフォトフレームを外しにかかった。
 外した後、ネームプレートの屋号をそっとなぞってみる。
「今までどうも有り難う・・・。ご苦労様」
 次になぞるのは、セピア色の思い出が詰まったフォトフレーム。
 心が懐かしい時代にタイムスリップし、アンジェリークは目を細めた。
 その瞬間、目の前に懐かしい光景が浮かび上がる。

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 それはセピア色の幻影。
『ママ、ダンスしましょ!!』
『しょうがないわね』
 まだ足が自由に動いた頃、母親とダンスするのが大好きで、良く、手に手を取って踊りあかした。
 そして、最後は決まって、母親に宙でくるくるまわしてもらう。
 伸長差ゆえにできたダンス。
 母親の周りを、足を浮かせながらくるくると回った懐かしい時間。
 一瞬、感極まってアンジェリークは泣きそうになるのを必死でこらえた。

 また、戻ってくるからね…。
 それまで待っていて?

 力強い約束をしっかりと心の中で交わすと、アンジェリークは、屋号の入ったネームプレートと大切なフォトフレームをバッグの中にしまうと、扉に向かう。
 ドアを開けて、もう一度だけ振り返って店の中を見通す。
 忘れないように。
 心のアルバムにその光景を刻みつけると、彼女は外に出て、最後の戸締まりをした。
 鍵が閉じられる最後の音がもの悲しい。

 さよなら、”街角の店”-------
 明日には、”baby GAP”になっているかもしれないわ-----

コメント

『愛の劇場』シリーズです。
今回は、アンジェとアリオスは「ライバル」!!です。

お約束通りのべたな展開!
今月中に集中UPしてまいりますので、よろしくです〜

いよいよゴールに向かって突っ走ります!



マエ モドル ツギ