Shadow Of Your Smile

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 その夜は、どうしても狼に話を聞いて貰いたくて、アンジェリークは不自由な手でありながらも、何とかメールを打つことにした。
 彼には相談したいと心から思う。
 そして---------
 助けてくれるのも、彼しか考えられないことを、アンジェリークは本能で知っていた。

 Subject:ご相談したいことがあります。
 こんばんは。狼様。
 以前、狼様に、私の仕事のことについて、あなたに相談したことを覚えておられるでしょうか?
 あなたは最後まで戦えと励ましてくれましたね?
 私は燃え尽きるまで戦おうと、強く心に誓いました。
 ですが--------
 現実という物は時には、手厳しい事実を突きつけてくることがあります。
 今私は、決断をしなければならないところに来ています。
 戦いを挑んだ相手は、とてつもなく大きく、小さな個人でやりくりをしている私が、到底叶う相手ではないのです。
 一生懸命戦っています。
 ですが、私が戦い続ける意志は変わりませんが、多くの人々を巻き込むことがもう出来ないところまで来ています。
 このままでは、おそらく逆転もあり得ないでしょう。
 様々な人達の支えで、今までやってきましたが、甘えるわけにはいきません。
 今までは、手伝って頂いている方の給料と、生活費、仕入れ費などを何とか捻出することが出来ましたが、恥ずかしいことに、今は、仕入れすら出来ない状態です。
 祖母の代からやってきたお店ですが、ここで閉めるのも勇気なのではないかと、思うようになりました。
  弱々しいことばかり言って済みません。
 是非、お返事を下さい。
 そして、私の選択が良い物であるように、導いて頂ければと思います。
 栗猫

 打ったメールを何度も読み返して、何度も確認をした後に、送信ボタンを押す。
 心の中の答えは、すでに決まってはいたが、狼に背中を押して貰いたかった。
 親友のレイチェルではなく、メールだけのつきあいである狼にその役をして貰いたかった。
 彼女は、狼がアリオスであるということを露程も思わずに、送信ボタンを押す。
 心のそこからの敬愛を込めて-------

 アリオスは今日もまた残業になっていた。
 オフィスで黙々と仕事をするのも、少しも厭わない。
 その代償に何があるかを考えると、むしろ華やいだ気分になれた。
 不意に内線が鳴り、アリオスはそれを機械的に取る。
「アリオスだ」
「リサさんがお見えになっていますが…」
「通してくれ」
「はい」
 電話の受話器を置くと、 アリオスは机から立ち上がり、煙草を口に銜える。

 そろそろ決着を着けなきゃならねえ時が来ているようだな…。

 紫煙を宙に吐くと、アリオスはじっとそれが消えてゆくのを見つめていた。
「アリオス?」
 ノックと共に聞き慣れた声がドアの向こうから聞こえてくる。
 アリオスは表情を引き締め、彼女との決着に望むべき、姿勢を正した。

 もう、今までのようなことは出来ない…。
 アンジェリークが一番大切だから…。
 あいつがいれば、俺はもうだれもいらない…。

「リサ、入ってくれ」
 オフィスに現れたリサは、相変わらず知的で妖艶だ。
 だが、もう、誰にも心を動かされることはない。
 最高に愛せる相手に巡り会えたのだから。
「今日、私が来た理由は、おおよそ判るわよね」
「ああ」
 アリオスの異色の眼差しはリサを捕らえているが、決して目を逸らすことはない。
「最近、あまりあなたと会う機会がなくなったわよね? はっきり言うわね?
 -------大事な女性(ひと)が出来たの?」
 彼女は真剣だった。
 ただまっすぐと彼を見つめるその眼差しは、弁護士らしく怜悧な光を湛えている。
「-------ああ」
 アリオスは嘘を付けないと思った。
 いや、嘘など吐く必要はないと思ったのである。
 この答えにも、リサは冷静だった。
 むしろ笑みすら浮かべている。
「やっぱり…。そうだと思ったわ…。おめでとう!
 あなたとの約束を果たす日が来たみたいね?」
「そうだな」
 アリオスは深い微笑みをフッと浮かべると、リサを穏やかな眼差しで捕らえた。
 約束-------
 それはお互いに、”本当の相手が現れた場合は、速やかにこの関係を解消”するものだった。
「私たち、タイミングも似ているみたいね? 私も、弁護士仲間とおつきあいをはじめているの。
 ”刹那的”なものではなく、”永久的”なものをね?」
 穏やかに笑うかの彼女が、幸せそうにアリオスには見えた。
「よかったな」
 アリオスは心からの言葉をリサに贈り、彼女も頷く。
「あなたの大事な女性(ひと)は、…ひょっとしてあの車椅子の女の子?」
 アリオスは暫く間をおいた後、静かに一度だけ頷いた。
「やっぱり…」
 リサは予想できたことだと思い、何度か頷いてみせる。
「彼女には話したの?」
「いいや…。話しちゃいねえ」
「そうなんだ…」
 彼女はアリオスに微笑みかけると、手を差し出した。
「私、行くわね? 今まで本当に楽しかった。あなたも、彼女とうまくやるのよ?」
「サンキュ」
 ふたりはしっかりと握手をする。
 その時にウィンクをしながら微笑む彼女が、アリオスには印象的だった。
「じゃあね。早く行かないと、彼を待たせているから」
「ああ」
 リサはさわやかな笑顔を残し、オフィスから出て行く。

 幸せにな?

 幸せなリサを見送りながら、心からアリオスは祈るのだった-------


 きちんとリサとの間もわだかまりなく出来、アリオスはもう、アンジェリークだけをまっすぐ愛していく環境が整いつつあった。
 ただひとつ大きな問題を抱えているので、それを何とかしたい。
 アンジェリークの信頼を得られるためなら、どんな努力すら厭わないと思う。
 今日も深夜近くまでの残業となり、彼は家に戻ってパソコンを立ち上げてメールチェックをした。
 楽しみなのは、もちろん栗猫のメールである。
 彼女のメールを真っ先に読む鳴り、少し複雑な気分になった。

 おまえの苦しみの原因を作っているのが俺だと知ったら、おまえはいったいどうする…!?

 アリオスは、不自由な躰で精一杯頑張っている小さなアンジェリークのことを思うと、胸が張り裂けられるほどつらい。
 だが、彼もひとりの経済人だ。
 彼女のためだけに、”ラグナ”アルカディア南店を閉鎖し、そこで気持ちよく働いている者たちを路頭に迷わすわけにはいかないのだ。
 恋心と社会の立場の狭間に揺れながら、アリオスはパソコンの前に座った。
 その眼差しはとてもシビアだった。

 Subject:自らの力で。
 こんばんは。栗猫。
 メールを読ませて貰った。
 少しお前らしくないと思いながら、読んだ。
 結論から言えば、結局、人になんとアドヴァイスを貰おうが、結論を出すのは自分自身なのだ。
 それだけはしっかりと肝に銘じて欲しい。
 どんなことがあろうとも、俺はおまえが出した結論を支持する。
 それはおまえが心でしっかりと考えた結論だからだ。
 ゆっくりとかんがえて、おまえだけの結論を出してくれ。
 狼

 アリオスもまた、彼女がこれで傷つかないようにと細心の注意を払いながら、何度も読み返した後に送信ボタンを押した。

 アンジェリーク…。
 悩んでいるおまえを抱きしめられたらいいのに…。

 送信した後、彼は椅子から立ち上がり窓辺に立つ。
 そして、アンジェリークが今入院をしている場所に、じっと視線を向けていた----------


 アンジェリークは眠れなかった。
 耳元には、昼間のミセスメイヤーの声が響き渡る。

「けれど、私たちはあなたについて行きますよ。
 あなたの勇気や決断を信じて、ついて行きますから」

 そう…。
 店を止めるには勇気が必要…。
 だけど、その勇気を今の私は必死になって否定しようとしている…。

 不意に携帯が震えメールの着信を伝えた。
 直ぐに携帯を見ると、狼からのメールが来ているのが判る。
 彼女は彼のメールを見て、胸が締め付けられる気分だった。
 彼の言う通りだと思う。

 …そう。
 結局は自分で決めたことだから、それを実行しないといけないんだもの…。
 狼さんの言うとおりだわ…。

 アンジェリークは肩まで被っていた布団を取ると、躰を起こし、再び、帳簿を見た。
 正直言って、以前に比べると50パーセント以下の売り上げになっており、この状態が、もう二月近く続いている。
 元々個人商店なので、体力などあろうはずもない。

 おばあちゃんが生きてた頃言ってたっけな…。
 「人様に迷惑をかけたらおしまい」だって------
 このままだと、本当にそうなってしまう。
 時代の流れだとはいえ、もう仕方がないのかな…。

 アンジェリークは唇を噛みしめると、帳簿をおいて、布団を頭から被った。
 肩を小刻みに震わせて、切なくも忍び泣く。

 おばあちゃん、お母さん…。
 アンジェの決断を許して下さいますか…?

 心の中で切なく叫びながら、アンジェリークは泣き続けた。



 翌日、アリオスはいつもの時間に彼女のもとを訪れた。
「来たぜ?」
 病室に入る鳴り、アンジェリークの表情にはっとさせられる。
 目は腫らしてはいたが、とても透明感があり、何とも言えない神聖な輝きがある。
「アンジェリーク…」
 声をかけて近付くと、彼女は真っ直ぐとした眼差しを彼に向けた。
「アリオスさん…。
 街角の店を閉鎖することに決めました-------」
 

コメント

『愛の劇場』シリーズです。
今回は、アンジェとアリオスは「ライバル」!!です。

お約束通りのべたな展開!
今月中に集中UPしてまいりますので、よろしくです〜

いよいよゴールに向かって突っ走ります!



マエ モドル ツギ