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アンジェリークが腕を怪我したという事実が、アリオスの耳に入ったのは、夕方近かった。 アンジェ・・・!!! 総帥として精一杯のことをしなければならない。 同時に、足の不自由な彼女のことを考えると、アリオスはいたたまれなくやった。 今、アンジェリークに残されているのは、右腕一本だけなのだ。 アリオスは胸が張り裂けそうになる痛みを堪えて、教えられた彼女のいる病院に向かった。 どんな状態なのか、考えるだけで息が苦しくなる。 病院に着くと、すぐにアンジェリークのいる病室まで早足で歩いた。 ノックする音が、病室に響き渡り、アンジェリークは躰をびくりとさせる。 「はい?」 アンジェリークの少し張りのない声が響き渡り、アリオスは緊張する。 「”ラグナ”の責任者アリオスです」 いつものような尊大な雰囲気はなく、声は誠実に心に届く。 だが、今のアンジェリークには、アリオスに会う気力などない。 幸いなことに軽症で済んだし、いずれは治るだろう。 だが、右手しか使えない今は、絶望しか感じなかった。 「帰って下さい。何もお話することはありません!」 震える声が凛と聞こえるように、努めてきっぱりと言い切った。 だがそんなことで怯むアリオスではない。 彼は不躾にもドアを開けた。 「やめて下さい!」 「きちんと謝らせてくれ・・・!」 アンジェリークの怒りにも、アリオスは動じない。 「・・・惨めな私の姿を見にきたんですか?」 「違う!!」 否定をしても、今の彼女には通じなかった。 一度、誤解が生じて、彼女を不本意だとは言え、裏切る立場を取ってしまったのだ。 「・・・右腕しか動かないのよ! 車椅子もひとりで満足に乗れない、車も運転出来ない! 学校にも仕事にも行けない・・・。完全に、世界から孤立しているのよ!! こうしてあなたを追い払うことだって、自力では出来ないのよ!!!」 アンジェリークは涙を浮かべながら、アリオスに感情的に叫んでいた。 胸が苦しくてしょうがない。 「・・・嫌いよ・・・」 アリオスはただ耐えていた。 彼女の言葉ひとつ、ひとつが鋭いナイフになって突き刺さる。 確かに、この騒動が、アンジェリークから自由を奪ったのだ。 嫌いと言われても、本当にしょうがないことだった。 だが、そんなことで引き下がりたくはなかった。 心の宝石を持ち、誰よりも美しく輝いているアンジェリークとの繋がりを離したくはない。 「だったら、俺がおまえに自由を取り戻させてやる。おまえの手になって、足になってやる!」 アリオスの魂からの叫びも、今のアンジェリークには届かない。 「・・・帰って・・・。お願い・・・」 胸の奥底から絞り出されたアンジェリークの嗚咽は、アリオスを息苦しくさせる。 これ以上、ここにいられないことを感じる。 「・・・判った。今日は帰るが、明日また来る」 「来なくていいわよ!」 アリオスは冷たい色の瞳を輝かせると、アンジェリークに春のミニバラが沢山詰まったバスケットを強引に渡した。 「また明日な?」 アリオスが病室を出ていった瞬間、アンジェリークの紺碧の眼差しからは涙が溢れかえる。 嫌い・・・。 アリオスなんて大嫌いなんだから・・・! 肩を震わせながらバスケットを見つめると、涙に滲んで春の花が美しく映る。 恋することに臆病になっている少女は、切なくそこに視線を落として泣いた。 アリオスは胸のもやついたものを、払拭することが出来ずにいた。 誰とも逢う気など起こらない。 家にまっすぐ戻るとアリオスは暗い面持ちで、パソコンの前に座り、メールをチェックした。 思いがけずに、アンジェリークのメールを見つけ、彼は飛び上がりたくなるのを押さえた。 だが、メールの内容を見るなり、一気に奈落の底に突き落とされそうになる。 メールのやり取りすら絶たれる。 予想していたこととは言え、辛くてしょうがなかった。 彼女とは、たとえメールだけであっても繋がっていたい。 心の奥底で願わずにはいられなかった。 Subject:送り続ける。 栗猫へ。 メールを読ませてもらった。 確かに、おまえの状況が許さないのであれば、仕方のないことだと思う。 だが、俺からメールを一方的に送っても構わねえだろうか? 返事は、出来るようになってからで構わないから。 携帯アドレスにメールを送ってもかまわねえか。 はい、いいえだけでいいから返事をくれ。 狼 着信の音が聞こえ、アンジェリークは何とか起き上がって、携帯を手に取った。 メール主は狼で、慌ててそれを読む。 こんなメールだけで、心が和んでしまう。 温かさのあまりにアンジェリークは泣けてくる。 彼女は携帯を使い、ただ”有り難う”と打ち、送信をした。 狼のメールを開けたまま、アンジェリークは携帯を抱き締めて眠りに落ちる。 良い夢が見られるような気がした。 翌日は、疲れと痛みを癒すかのように、アンジェリークはのんびりすることにする。 店のことは、レイチェルとミセスメイヤーに任せているから安心だ。 何とか看護婦に手伝ってもらい、トイレと朝の支度をした後、ゆったりと昼食を取る。 精神的なダメージが大きかったせいか、余り食べる気にはならなかった。 午前中は、片手で出来る読書などをして時間を潰す。 その後の昼食も、健康食にも関わらず、入らなかった。 「コレットさん、これだと痩せますよ?」 「すみません・・・。入らないですから」 心配げな看護婦に申し訳ないと思いながら、アンジェリークそうしか言えない。 食べる気にもならない。 ぼんやりとしていると、再びノックする音が響く。 アリオスかもしれない。 そう思うと、躰が緊張の余りに震えた。 「・・・はい」 「入るぜ」 艶やかなテノールはやはり予想通り、アリオスだ。 アンジェリークの返事を待つことなく、彼はズカズカと入ってきた。 それがまたアリオスらしい。 「何ですか? 帰って下さい」 アンジェリークは本当に冷たい表情を彼に向ける。 「じっとベッドの上にいるから、湿っぽい考えになるんだ。外に行こう」 アリオスは怯む事なく、畳まれて隅に直されているアンジェリークの車椅子を開く。 「止めて下さい!」 何を言っても、彼には通じなかった。 それどころか、彼女を抱き上げようとする。 「やめて下さい!」 抵抗しようにも、右手しか使えないお陰でアンジェリークには出来なかった。 車椅子に座らせられて、膝には膝掛けが掛けられる。 「外の空気は気持ちいいぜ。春の花も、続々と咲いている」 そのままアリオスに車椅子に乗せられ、アンジェリークは戸惑いながら、外に出ることとなった。 病院の庭は、早春のばらが咲き始めて、清楚な香りを漂わせている。 日を浴びたそれは、確かに美しかった。 彼女は植物に対しては素直で、嬉しそうに愛でる。 眼差しが優しく、微笑みすら浮かべていた。 「光や自然を愛でていると、とても良い気分になる。イライラもどこかに飛んでいく」 ”それをおまえに教えてもらった”と、アリオスは心の中で付け加える。 「私が閉じこもったのは、あなたたちのおかげなのよ?」 皮肉ぽく彼女は言い返したものの、まだアリオスをまともには見られなかった。 「毎日、この自然に触れて、躰と心を癒せば、すぐに元気になる」 車椅子は良いペースでゆったりと進んでくれる。 これが心地好いことを、アンジェリークはおくびにも出さなかった。 悔しくて、言えなかった。 光が躰に注ぎ込み、気持ちがいい。 日差しを浴びるのは良いものだと、つくづく感じる。 結局、ほとんど話さなかったが、お互いに温かな思いを少しだが、取り戻せた。 短い暖かな時間は直ぐに過ぎゆく。 タイムリミットになったため、アリオスはアンジェリークの病室に戻り、そこで楽しくも苦い散歩はお開きとなる。 それが切なくないことを、アンジェリークは必死になって自分に言い聞かせようとしていた。 車椅子から抱き上げられてベッドに戻される。 冷たい場所に戻ってきた気分になり、心が徐々に凍てつく感じがした。 「これ、見舞いだ」 無造作に膝の上に置かれたのは、アンジェリークが大好きなショップのチョコレートだ。 中にキャラメルソースが入ったのが、なによりも好きで、それが箱の中に沢山入っている。 「また明日散歩しようぜ? じゃあな」 「あ…」 アンジェリークが悪態を吐こうとしたが、アリオスはその暇を与えないかのように病室から出て行く。 …アリオス…。 こんなことでは騙されないんだから…。 心の中では悪態を吐きながらも、アンジェリークは甘い思いがわき上がるのを抑えきれなかった------- |
コメント 『愛の劇場』シリーズです。 今回は、アンジェとアリオスは「ライバル」!!です。 お約束通りのべたな展開! 今月中に集中UPしてまいりますので、よろしくです〜 |