Shadow Of Your Smile

10


 目の前に晒された真実は、どこか理解できるような気がした。
 あのような温か味は、誰もが出せるようなものではない。
 アリオスの心が求めて止まない優しい光は、彼女だけが持ち得るものだった。
 彼は、”偏見と傲慢”を隠し持ったまま、アンジェリークに近付いていく。
 何も知らない彼女は、白い頬を薔薇色に染めて、きょろきょろと周りを見ていた。
 その姿はとても純粋で美しく、アリオスの心を深く揺さぶる。
 一歩、また一歩と近付いていくと、アンジェリークはようやくアリオスの姿に気がついた。
「あ・・・」
 今まで幸せな笑みを浮かべていた彼女は、すぐにそれを引っ込める。
「何かご用ですか? 私は人を待っています」
「だろうな」
 堅い表情で対峙してくる彼女が、彼にはとても痛い。
 心がきしむ。
 あからさまな彼女の態度にも関わらず、アリオスは真向かいの椅子に座った。
「そいつが来るまで、ここに座らせて貰うぜ?」
「止めて下さい。嫌がらせは・・・。他にテーブルは空いているではないですか?」
 アンジェリークが窘めても、アリオスにはまったく効果がない。
 彼はどんなに嫌がられる表情をされても、あくまでクールだった。
 ウェイトレスがやってきて、アリオスに注文を訊きにくる。
 彼はそのまま、夕食代わりのライ麦を使ったクラウ゛サンドウィッチを頼んだ。
 ウェイトレスが行った後、アンジェリークの表情が更に厳しいものになる。
「嫌がらせはいい加減にして下さい!」
「嫌がらせ? 俺は座りたい場所に座りたいだけだ」
 彼は真摯な表情でじっとアンジェリークを見つめる。
「じゃあ、私が動きます」
 そう言ったものの、周りの席が埋まってしまい、二階席になる。
 これには車椅子では行けそうにない。
 アンジェリークは恨めしそうにアリオスを見ると、俯いてしまった。
「・・・食べたら、どこかに行って下さい・・・」
 アリオスは返事をするかのように、僅かに眉を上げる。
 彼は再びアンジェリークを見つめ始めた。
 彼女は相変わらずむすっとはしているが、店のドアが空いたときに限っては、その表情が明るくなる。
 ”狼”が来たかもしれない。
 明るい日だまりを見せる表情が、アリオスには少し切ない。
 ”狼”でないと判った瞬間の落胆した顔が、更に彼を憂鬱にさせた。
 アリオスの注文したものがやってきて、彼はがむしゃらに食べる。
 彼女に”狼”だとは名乗れない自分が、腹立たしくてしょうがない。
 今名乗ってしまえば彼女との温かな繋がりが切れてしまう。
 それがどうしても、彼には我慢出来なかった。
 真実を話すには、少し待たなければならないのが、堪らなく苦しい。
「食べたら、帰って下さい・・・」
「どうしてさっきから、そんなに目を気にする? 相手は男だからか?」
 彼の言葉はとても意地悪に響き、アンジェリークは僅かに顔色を変える。
「あなたには関係のないことだわ・・・」
 苦々しく呟く彼女は、明らかに傷ついているようだった。
「そう、俺には関係ない・・・。確かにそうかもしれねえ。だが、あんたと俺は全く関係がないとは言えねえだろ!? 俺たちは、今、同じリングに立って戦いを挑んでる。相手にとってお互いに不足ないはずだ。その相手が、変な男にうつつを抜かして、戦いを放棄されては困るからな。見極めてやる」
「大きなお世話です!」
 アンジェリークは息を整えると、きついまなざしでアリオスを睨んだ。
 その肩は、僅かに怒りで震えている。
「あなたと違って、彼はとても紳士です。素敵な人だわ。私をいつも励ましてくれて、勇気をくれるの。外見だとか、地位とか、そんなものは私には関係ないわ。私にはあなたと違って、”心”が重要なの!!」
 凛とした確信の元で、彼女は力強く言う。
 それは、アリオスにとって眩しすぎるものであった。
 こんなに自分のことをまっすぐに思ってくれる彼女に、真実が言えないのが辛い。
「約束の時間はいつなんだ?」
「八時よ・・・」
 ちらりと時計を見たアンジェリークに、哀しみの色が浮かぶ。
 時計は既に九時を指していた。
「・・・そんな誠実な”彼”が、どうして今まで連絡なしで来ないんだ?」
 真実を突かれる。アンジェリークの顔色が一瞬にして傷ついたものに変わった。
 彼女は唇を僅かに震わせてどうすることも出来ない。
 今にも泣き出しそうで、アリオスは心臓を鷲掴みにされたように痛かった。
「・・・きっと何かあったのよ・・・」
 小さい声で苦しく呟く彼女を抱き締めたい。
 そんな衝動に、彼はかられる。
 だが出来ない自分が、もどかしくて堪らなかった。
 アンジェリークがいても、食事は味気無い。
 彼はパンを口に押し込んでいれると、リズミカルに租借した。
 心までも満たすのではなく、生きていくのに必要な要素だけを体にいれたという感じだ。
 食材を飲み込んだ後、彼は請求書を持って立ち上がる。
 アンジェリークのカフェオレ分も持ってである。
「またな」
「あ、それは・・・!」
「迷惑料だ」
 彼は簡潔に言うと、精算を済ませてしまった。
 少し唖然として、アンジェリークはアリオスの姿を目で追いかける。
 颯爽と立ち去る姿は、悔しいがとても素敵だった。
 アンジェリークは、少し甘い思いでかき乱される自分が嫌でたまらない。
 時計を見て、溜め息を吐くと、周りを片付け始めた。
 また溜め息を吐いて、切なく車椅子を漕ぎながら、アンジェリークは外に出る。
「あ・・・」
 顔を上げると、目の前にアリオスが立っていた。
「送る」
「車で来ましたから、結構です」
 冷たく言い放った後、彼女は車椅子を漕いでいく。
 だが、そんなことはどうでもいいとばかりに、アリオスは彼女の後に着いていく。
 アンジェリークもアリオスも少しも話すことはなく、険悪な雰囲気を漂わせている。
「着いてこないで下さい」
「若い娘がひとりでいたら危ねえだろうが・・・」
「車椅子ですから、誰も襲いません!」
 きっぱりと言った瞬間、アリオスが前に回ってきた。
「んなこと、言うんじゃねえ!」
 かなり強い調子で言うと、アリオスは彼女を睨みつける。
 彼女は唇を噛み締めると、切なそうに俯いた。
「・・・あなたに、私の気持ちなんて、判らないのよ・・・」
「…アンジェリーク…」
 彼女は思い詰めたように呟くと、そのままアリオスの横をすり抜けて、駐車場に入っていった。
 アリオスは遠くで見守るようにして、彼女を見るしか出来ない。
 アンジェリークは器用に車に乗り込むと、駐車場から走り去る。

 アンジェリーク・・・。
 俺が”狼”だと知っても、ちゃんと受け入れてくれるか?

  アリオスは切なく思うと、奥に止めていた自分の車に乗り込んだ。


 家に帰り、アンジェリークは、連絡がないかどうか、すぐにメールをチェックする。
 ”狼”のことだ。絶対に連絡があると思い、期待を込めてパソコンのディスプレイを見た。
 しかし、そこには何も連絡がない。

 何かあったんじゃないだろうか・・・?

  そう思うだけで、胸が張り裂けそうになった。
 心配で堪らないものの、どうすることも出来ず、おろおろとする。
 だったら、お風呂に入ろうと思い、なんとかそれで時間を潰すことにした。

 その頃、アリオスもまた、パソコンの前でじっとしている。
 彼はメールソフトを開けているものの、何も言い訳が思い付かず、頭を痛めていた。
 きちんと約束は守ったが、今は彼女にそれを告げることが出来ないのが、もどかしい。

 ”栗猫へ。
 実は今日の昼に急な出張が言い渡され、フェリシアまで行かなければならなかった”

 ここまでメールを打って、納得いかずに消す。

”栗猫へ。
 実は、会社が停電になり、四時間に渡って、エレベーターに閉じ込められた”

 -------と打つものの、嘘臭くてこれもボツ。
 アリオスは溜め息を吐くと、グラスに次いだウォッカを一口飲んだ。
 気分をこれで転換が出来るような気がした。

 Subject:心からすまなかった
 栗猫へ。今夜俺が目の前に現れなかったことを、おまえはきっと怒っていることと思う。
 どうしても、そこにはいけない深い事情が発生してしまった。
 本当に心から、すまないと思っているし、心から詫びたいと思っている。
 約束を破ったのは最悪のことだと思っている。
 本当に申し訳ない。
 だが、判ってくれ。いつかこの本当の訳を話すことが出来ればと思っている。
 その時まで、また俺にチャンスをくれないだろうか?
 狼。

 アリオスはメールにアンジェリークへの深い思いを乗せて、送信ボタンを押した------


 入浴後、アンジェリークは再びパソコンの前に座ると、メールチェックをする。
 そこには、待望の狼からメールが来ており、彼女は慌てて開ける。
 メールを読むなり、正直胸の奥底が痛むのは、事実だったが、彼の正直な気持ち綴られており、それが決め手になった。
 今回だけはと、正直思ってしまう。
 それに、彼とは切りたくないという想いが、心の中にあったのだ。

 狼さん…。
 あなたならきっといつかお話ししてくれるような気がします…。

 Subject:お気になさらないで下さい。
 狼様。
 きっとあなたのことだから、やんごとなき事情だったのでしょう。
 いつか、あなたがお話しして下さることを、待っていますから。
 きっと、恐縮されているかと思いますが、お気にされないで下さいね。
 また、今まで通りメールを下さい。
 栗猫。

 重い気分のままだったが、何とか彼の思いで癒しながら、送信ボタンを押す。

 その夜、アンジェリークは、アリオスとの想いの苦しさに眠れない夜になった-------

コメント

『愛の劇場』シリーズです。
今回は、アンジェとアリオスは「ライバル」!!です。

さて。
次回から急展開の予定です!
愛の劇場らしくなりますので〜



マエ モドル ツギ