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目の前に晒された真実は、どこか理解できるような気がした。 あのような温か味は、誰もが出せるようなものではない。 アリオスの心が求めて止まない優しい光は、彼女だけが持ち得るものだった。 彼は、”偏見と傲慢”を隠し持ったまま、アンジェリークに近付いていく。 何も知らない彼女は、白い頬を薔薇色に染めて、きょろきょろと周りを見ていた。 その姿はとても純粋で美しく、アリオスの心を深く揺さぶる。 一歩、また一歩と近付いていくと、アンジェリークはようやくアリオスの姿に気がついた。 「あ・・・」 今まで幸せな笑みを浮かべていた彼女は、すぐにそれを引っ込める。 「何かご用ですか? 私は人を待っています」 「だろうな」 堅い表情で対峙してくる彼女が、彼にはとても痛い。 心がきしむ。 あからさまな彼女の態度にも関わらず、アリオスは真向かいの椅子に座った。 「そいつが来るまで、ここに座らせて貰うぜ?」 「止めて下さい。嫌がらせは・・・。他にテーブルは空いているではないですか?」 アンジェリークが窘めても、アリオスにはまったく効果がない。 彼はどんなに嫌がられる表情をされても、あくまでクールだった。 ウェイトレスがやってきて、アリオスに注文を訊きにくる。 彼はそのまま、夕食代わりのライ麦を使ったクラウ゛サンドウィッチを頼んだ。 ウェイトレスが行った後、アンジェリークの表情が更に厳しいものになる。 「嫌がらせはいい加減にして下さい!」 「嫌がらせ? 俺は座りたい場所に座りたいだけだ」 彼は真摯な表情でじっとアンジェリークを見つめる。 「じゃあ、私が動きます」 そう言ったものの、周りの席が埋まってしまい、二階席になる。 これには車椅子では行けそうにない。 アンジェリークは恨めしそうにアリオスを見ると、俯いてしまった。 「・・・食べたら、どこかに行って下さい・・・」 アリオスは返事をするかのように、僅かに眉を上げる。 彼は再びアンジェリークを見つめ始めた。 彼女は相変わらずむすっとはしているが、店のドアが空いたときに限っては、その表情が明るくなる。 ”狼”が来たかもしれない。 明るい日だまりを見せる表情が、アリオスには少し切ない。 ”狼”でないと判った瞬間の落胆した顔が、更に彼を憂鬱にさせた。 アリオスの注文したものがやってきて、彼はがむしゃらに食べる。 彼女に”狼”だとは名乗れない自分が、腹立たしくてしょうがない。 今名乗ってしまえば彼女との温かな繋がりが切れてしまう。 それがどうしても、彼には我慢出来なかった。 真実を話すには、少し待たなければならないのが、堪らなく苦しい。 「食べたら、帰って下さい・・・」 「どうしてさっきから、そんなに目を気にする? 相手は男だからか?」 彼の言葉はとても意地悪に響き、アンジェリークは僅かに顔色を変える。 「あなたには関係のないことだわ・・・」 苦々しく呟く彼女は、明らかに傷ついているようだった。 「そう、俺には関係ない・・・。確かにそうかもしれねえ。だが、あんたと俺は全く関係がないとは言えねえだろ!? 俺たちは、今、同じリングに立って戦いを挑んでる。相手にとってお互いに不足ないはずだ。その相手が、変な男にうつつを抜かして、戦いを放棄されては困るからな。見極めてやる」 「大きなお世話です!」 アンジェリークは息を整えると、きついまなざしでアリオスを睨んだ。 その肩は、僅かに怒りで震えている。 「あなたと違って、彼はとても紳士です。素敵な人だわ。私をいつも励ましてくれて、勇気をくれるの。外見だとか、地位とか、そんなものは私には関係ないわ。私にはあなたと違って、”心”が重要なの!!」 凛とした確信の元で、彼女は力強く言う。 それは、アリオスにとって眩しすぎるものであった。 こんなに自分のことをまっすぐに思ってくれる彼女に、真実が言えないのが辛い。 「約束の時間はいつなんだ?」 「八時よ・・・」 ちらりと時計を見たアンジェリークに、哀しみの色が浮かぶ。 時計は既に九時を指していた。 「・・・そんな誠実な”彼”が、どうして今まで連絡なしで来ないんだ?」 真実を突かれる。アンジェリークの顔色が一瞬にして傷ついたものに変わった。 彼女は唇を僅かに震わせてどうすることも出来ない。 今にも泣き出しそうで、アリオスは心臓を鷲掴みにされたように痛かった。 「・・・きっと何かあったのよ・・・」 小さい声で苦しく呟く彼女を抱き締めたい。 そんな衝動に、彼はかられる。 だが出来ない自分が、もどかしくて堪らなかった。 アンジェリークがいても、食事は味気無い。 彼はパンを口に押し込んでいれると、リズミカルに租借した。 心までも満たすのではなく、生きていくのに必要な要素だけを体にいれたという感じだ。 食材を飲み込んだ後、彼は請求書を持って立ち上がる。 アンジェリークのカフェオレ分も持ってである。 「またな」 「あ、それは・・・!」 「迷惑料だ」 彼は簡潔に言うと、精算を済ませてしまった。 少し唖然として、アンジェリークはアリオスの姿を目で追いかける。 颯爽と立ち去る姿は、悔しいがとても素敵だった。 アンジェリークは、少し甘い思いでかき乱される自分が嫌でたまらない。 時計を見て、溜め息を吐くと、周りを片付け始めた。 また溜め息を吐いて、切なく車椅子を漕ぎながら、アンジェリークは外に出る。 「あ・・・」 顔を上げると、目の前にアリオスが立っていた。 「送る」 「車で来ましたから、結構です」 冷たく言い放った後、彼女は車椅子を漕いでいく。 だが、そんなことはどうでもいいとばかりに、アリオスは彼女の後に着いていく。 アンジェリークもアリオスも少しも話すことはなく、険悪な雰囲気を漂わせている。 「着いてこないで下さい」 「若い娘がひとりでいたら危ねえだろうが・・・」 「車椅子ですから、誰も襲いません!」 きっぱりと言った瞬間、アリオスが前に回ってきた。 「んなこと、言うんじゃねえ!」 かなり強い調子で言うと、アリオスは彼女を睨みつける。 彼女は唇を噛み締めると、切なそうに俯いた。 「・・・あなたに、私の気持ちなんて、判らないのよ・・・」 「…アンジェリーク…」 彼女は思い詰めたように呟くと、そのままアリオスの横をすり抜けて、駐車場に入っていった。 アリオスは遠くで見守るようにして、彼女を見るしか出来ない。 アンジェリークは器用に車に乗り込むと、駐車場から走り去る。 アンジェリーク・・・。 俺が”狼”だと知っても、ちゃんと受け入れてくれるか? アリオスは切なく思うと、奥に止めていた自分の車に乗り込んだ。 家に帰り、アンジェリークは、連絡がないかどうか、すぐにメールをチェックする。 ”狼”のことだ。絶対に連絡があると思い、期待を込めてパソコンのディスプレイを見た。 しかし、そこには何も連絡がない。 何かあったんじゃないだろうか・・・? そう思うだけで、胸が張り裂けそうになった。 心配で堪らないものの、どうすることも出来ず、おろおろとする。 だったら、お風呂に入ろうと思い、なんとかそれで時間を潰すことにした。 その頃、アリオスもまた、パソコンの前でじっとしている。 彼はメールソフトを開けているものの、何も言い訳が思い付かず、頭を痛めていた。 きちんと約束は守ったが、今は彼女にそれを告げることが出来ないのが、もどかしい。 ”栗猫へ。 実は今日の昼に急な出張が言い渡され、フェリシアまで行かなければならなかった” ここまでメールを打って、納得いかずに消す。 ”栗猫へ。 実は、会社が停電になり、四時間に渡って、エレベーターに閉じ込められた” -------と打つものの、嘘臭くてこれもボツ。 アリオスは溜め息を吐くと、グラスに次いだウォッカを一口飲んだ。 気分をこれで転換が出来るような気がした。 Subject:心からすまなかった 栗猫へ。今夜俺が目の前に現れなかったことを、おまえはきっと怒っていることと思う。 どうしても、そこにはいけない深い事情が発生してしまった。 本当に心から、すまないと思っているし、心から詫びたいと思っている。 約束を破ったのは最悪のことだと思っている。 本当に申し訳ない。 だが、判ってくれ。いつかこの本当の訳を話すことが出来ればと思っている。 その時まで、また俺にチャンスをくれないだろうか? 狼。 アリオスはメールにアンジェリークへの深い思いを乗せて、送信ボタンを押した------ 入浴後、アンジェリークは再びパソコンの前に座ると、メールチェックをする。 そこには、待望の狼からメールが来ており、彼女は慌てて開ける。 メールを読むなり、正直胸の奥底が痛むのは、事実だったが、彼の正直な気持ち綴られており、それが決め手になった。 今回だけはと、正直思ってしまう。 それに、彼とは切りたくないという想いが、心の中にあったのだ。 狼さん…。 あなたならきっといつかお話ししてくれるような気がします…。 Subject:お気になさらないで下さい。 狼様。 きっとあなたのことだから、やんごとなき事情だったのでしょう。 いつか、あなたがお話しして下さることを、待っていますから。 きっと、恐縮されているかと思いますが、お気にされないで下さいね。 また、今まで通りメールを下さい。 栗猫。 重い気分のままだったが、何とか彼の思いで癒しながら、送信ボタンを押す。 その夜、アンジェリークは、アリオスとの想いの苦しさに眠れない夜になった------- |
コメント 『愛の劇場』シリーズです。 今回は、アンジェとアリオスは「ライバル」!!です。 さて。 次回から急展開の予定です! 愛の劇場らしくなりますので〜 |