「じゃあ、ふたりは中央に立って! 制服の全身ショットにいく。照明はさっきと同じで、レフ板の位置も同じだ」 アリオスの一言で、ばたばたと動いて行く、スタッフの動きが壮観で、固くなっていたアンジェリークの心は、かなりほぐれる。 でもさっきの手は・・・、悪くなかったかな・・・? 「はい、また二人とも楽しいこと考えて」 ぼんやりと笑っているアンジェリークに、レイチェルはぴんとくる。 「アンジェ、アリオス先生オトコマエだからニヤニヤしてんの?」 笑いながら小声で話しかけてくるレイチェルに、アンジェリークは真っ赤になって反論する。 「そんなことないもん!」 大きな声がスタジオに響き渡り、アリオスの表情が厳しくなる。 その切れるようなまなざしを見ると、アンジェリークは急に畏縮してしまう。 やべえ・・・。 「オッケ、二人とも。今日の撮影は終了」 凛とした声が響いて、アンジェリークは安堵と不安な溜め息を吐いた。 撮影の後、アンジェリークは私服に着替え、しばらくしょんぼりと休憩室にいた。 「アンジェ、ワタシがへんなこと言ったから、ゴメン・・・」 「ううん、大丈夫だからね」 缶のジャスミンティーを飲んで、アンジェリークは少し落ち着きを取り戻していた。 「エルンストさんが待ってるから、行ってね。私もすぐに行くからね」 「判った」 少し傷心気味の親友を残していくのは、レイチェル的には辛かったのだが、これ以上そばにいても、すぐに気を遣うのが判っているので、ここは甘えることにした。 「うん、じゃあ行くね? また明日」 「ばいばい」 レイチェルを見送った後、アンジェリークは溜め息を吐いた。 レイチェル、ごめんね? 時計を見ると、もう七時近い。 「今日は、お父さんもお母さんも遅いって言ってたな・・・。家の近所で御飯食べて帰ろう」 椅子から立ち上がって、アンジェリークはとぼとぼと帰り始めた。 アリオスは手早く片付けをした後、スタジオを出た。 写真もちゃんと良いものが撮れたと確信していて、気分はそう悪くない。前を見ると、栗色の髪の少女が、とぼとぼと歩いているのが見える。 アリオスは自然と笑みが浮かび、足早に彼女に近付く。 「おい」 「きゃあっ!」 不意に男性に声を掛けられて、アンジェリークはすくみ上がった。 「おい、俺だ」 「アリオス先生!」 大きな瞳を見開いて、アンジェリークはアリオスを見ている。 「あれ、あの金髪の友達は?」 「レイチェルはエルンストさんと・・・」 その一言に、アリオスは先程の彼の表情に合点が行く。 「職権乱用」 「そんなことないです」 隣を歩くアリオスにかなり距離を置いて、アンジェリークは歩いていた。さらにふたりの横の距離が、開いている。 「おい、これはねえだろう?」 「あ、でも・・・」 アリオスは男性の中では怖くないほうに入るが、それでもまだ、少し恐怖が拭えない。 スタジオから駅までの帰り道、アリオスが少し離れた距離でいるだけで、夜道の怖さを癒してくれる。 「ひとり?」 いきなり声を掛けられて、アンジェリークはおどおどとした。 「あ、あの・・・」 「おい、俺の女に何をしやがる」 アリオスはすっとアンジェリークの前に立った。 「あ・・・」 目の前に広い背中があるのが、少し安心する。 「行け」 アリオスの鋭い眼光に、ナンパ男はたじろいで立ち去った。 「ほら、こうなるからな? 俺のそばにいてろ。この時間帯になると変なやつらがいっぱいいるから」 「はい」 素直にコクリと頷くと、アンジェリークはアリオスとの距離を少し詰める。 「もっとだ、アンジェリーク」 「はい」 おずおずと近付いてくる彼女が初々しい。 「ほら、俺をレイチェルだと思って、もっと横にこねえと、変な輩から守ってやることが出来ねえぞ!?」 「はい」 真っ赤になりながら、ようやく自然な距離を取った彼女に、彼は笑った。 「これからまっすぐ家か?」 「はい。今夜は両親が遅いですから、どこかで買い物をしてからひとりごはんです」 アリオスにとってはまたとない機会をアンジェリークは与えている。 男に恐怖心を持っている割には、変に無防備だよな・・・。 「だったら、俺もこれから晩飯だし、美味しい定食屋を知っているから、そこに行かねえか?」 「え・・・!?」 男の人とどこかに行くというのは、アンジェリークにとっては初めてのことで、胸が早鐘のように打ち付ける。 「どうだ? 今日頑張ったご褒美だ。奢ってやる」 その言葉に、アンジェリークの心は動いた。 「怒ってないんですか…?」 オズオズと上目遣いで、アンジェリークはアリオスを見る。 「全然」 アンジェリークの眼差しが僅かに明るくなる。 アリオスさんだし、今後のこともあるし・・・、頑張って行こうかな・・・。 アンジェリークは、これが”餌づけ”であることに気がつかないでいた。 「決まりだな。さあ行くぜ」 「はい」 アリオスに導かれて、左斜め後ろにしっかりと付いていった。 連れていってくれた店は小洒落てはいるが、堅苦しい雰囲気などない暖かなものとなっていて、アンジェリークにはとても過ごしやすい環境になっている。 「よ、久し振りだな」 中に入るなり、金髪の品の良い主人が声をかけてきた。 「よ、カティス、久し振りだな?」 「よお、アリオス! 可愛い子を連れてきてんな!」 その言葉にアンジェリークは真っ赤になって俯き、少し遠ざかる。 「いいから、”おやぢセット”2つな?」 「ああ」 カティスは含み笑いを押しながら、厨房に消えていった。 「こっちだ」 「はい」 アリオスに連れられるままに、アンジェリークは席についた。 案内された場所は、ちょうど死角になって、誰にもわからない場所である。 「ここにはいつも来るんですか…?」 「たまにな。安い・美味い・早いからな?」 フフッと笑う彼女を、じっと見つめながら、アリオスは嬉しげに眺めた。 「上がりましたよ」 笑顔の似合う店主自らが運んでくる"おやぢセット”は、とてもおいしそうな臭いが漂ってきている。 「おいしそう」 煌いている大きな青緑色の瞳を、アリオスは始めて見て、益々少女に惹かれてゆく。 おいしい食事。 コレこそ会話を弾ませる何よりものスパイスになる。 「美味しい」 「だろ?」 アンジェリークは、ようやく、心の鍵を解いたのか、少しずつ話すようになってきた。 ポツリポツリと話す彼女に、少しは近づいたような感じがする。 「・・・で、クラブとかは入ってねえんだ」 「はい。生徒会の仕事を少しお手伝いしていますから…」 「生徒会!?」 「はい」 このような、彼女のごくごく日常を語るのを聞くのが、アリオスにとって全く苦痛ではない。 久し振りだな… こんなに人の話を聞きたいと思ったのは… どうしてだろう…。 アリオス先生と話していると、楽しい…。 男の人は怖かったけれど、別かな…? 「おいしかったです!」 家のまえまで送ってもらって、アンジェリークは心からのお礼を言った。 もう、最初に出会ったときのぎこちなさは無い。 すこし柔らかくなっているような感さえする。 「いいや。今日は俺も楽しかった。 ----いい、写真にしような?」 「はい!」 先ほどよりもまして力強い挨拶。 アリオスはそれを嬉しそうに眺めている。 「じゃあな!」 「はい、有難うございました!」 我ながら…、我慢強くなっているかもな・・・。 アリオスが帰ってゆくのをじっと見送りながら、アンジェリークは胸が甘さでいっぱいになるのを感じる。 明日もまたお会いしたいな…? 少女は、これが恋の始まりだとは、まだ気がつかない…。 |