ONLY YOU

3

「おい、玄関に突っ立ってねえで、中に入れよ」
「はい」
 アンジェリークが少し他人行儀に返事をしたのが、アリオスにはほんの少し癪に触る。
「ほら、とっとと上がる」
「あ、うん」
 アリオスに促される形で、アンジェリークはダイニングに入っていった。
 彼もその後に続く。

 しかし…。10年か…。
 大きくなったもんだよな…。
 小学生だったガキがこんなにな…。
 俺もジジィになるわけだ・・・

 アリオスは、アンジェリークの背中を見つめながら、少し感慨に浸りきっていた。

「こんばんは、アンジェちゃん」
「こんばんは!」
 アリオスの両親に穏やかな微笑みで挨拶をした後、アンジェリークは風呂敷包みを紐解く。
「お母さんから、”散らし寿司”です」
「まあ、いつも有り難う」
 ぱたぱたと小気味良く働くアリオスの母を、アンジェリークは自然の流れで手伝う。
 いつもそうしているから、気取ったポーズを取るような雰囲気が一切なかった。

 しかし・・・。
 あのガキがな…。

 アリオスはじっと観察すると同時に、アンジェリークを見つめずにいられない。

 アイツから目を離せねえなんて・・・。

「うわあ〜! おばさんのラムシチュー!! 楽しみ〜!!」
 キッチンから出る歓声に、アリオスは喉を鳴らす。

 こういうとこは変わってねえんだよな?

 アリオスは苦笑すると同時に、少しだけほっとした。
 それは、もう何かに機が吐いていたからかもしれなかった。
 その次にはお約束の悲鳴が聞こえる。
「あつっ!」
 アリオスはその声に、思わずキッチンを覗きこんだ。
 するとアンジェリークが冷水で手を冷やしているのが見える。
「ったく、おまえは相変わらずだな?」
 少し苛々しながら近づくと、アンジェリークが振り返りながら半分べそをかいていた。
「アリオスお兄ちゃん」
「ちゃんと薬塗らなきゃならねえだろ。来いっ」
 アリオスはほんの少し怒ったように手首を持つと、リビングに連れていく。
「座ってろ。ちゃんと薬は塗らねえとな。ったく、そそっかしさはまんまだな」
「アリオスお兄ちゃんの意地悪〜」
 救急箱から火傷薬をだし、アリオスはほんのり赤くなったアンジェリークの手の甲に塗ってやった。
 その部分だけがやけに熱くて、アンジェリークは胸が甘く痛む。
「ほら、終わりだ。気をつけろよ?」
 栗色の髪をくしゃりと撫でられる。
 それは10年前によくアリオスがしてくれた仕草だった。
 アンジェリークの胸の奥に小さな切なさが込み上げてくる。

 アリオス、もう私はあの時の子供じゃないのよ?
  ねえ?
「さてと、メシを食うぜ? 行くぜ」
「あ、うんっ!」
 ぱたぱたとアリオスの後に着いてくるアンジェリークは、妙に愛らしい。

 大きくなったと思っても、まだまだガキだな?

 アリオスは妙にほっとした気分になっていた。
 今日は、アリオスが帰ってきたからと、食卓は豪華だ。
 ラムシチュー、サラダ、魚のグリル、魚介のマリネ、散らし寿司が所狭しと並んでいた。
 食事も楽しみだが、やはりアリオスがアンジェリークにとっては一番。いつもは切なく見つめていた彼の席も、今日はちゃんと座ってくれている。
 それが何よりも幸せだった。
 微笑みながら、アンジェリークはじっとアリオスを見つめる。

 いつもいなくて哀しかったその場所にアリオスがいる。
 しかも以前よりもかなり素敵になって・・・。
 ホント、カッコよくなったな・・・。アリオスお兄ちゃん・・・。
 年齢をへるにつれて素敵になっている・・・。

 アンジェリークはごちそうを食べることよりも、アリオスを見つめ、想いを巡らせることでいっぱいだ。
 食ヌ進まないアンジェリークに、アリオスは心配する。
「どうした? 食わねえのか? だからいつまでたっても棒きれみてえなんだよ」
「ゆっくり食べてる。大丈夫」
 アンジェリークは小さな頃と同じように、一生懸命食事を取り始めた。

 前と一緒だな・・・。
 食べなかったら心配してくれて・・・。

「零すなよ?」
「もう7歳じゃないもの」
 彼女の言葉に、アリオスも思わず笑ってしまう。
「だな。おまえはもっと食って、ちったあ太れ」
 アンジェリークは笑うと、「これで充分なの」とおどけてみせた。
「ねぇ、アリオスお兄ちゃんはいつまで実家にいるの?」
「一週間。もうマンション借りてあるしな。ゆっくり休んで、来週から仕事再開だ」
「そうなんだ」
 本当はもっと聞きたいことがあるのだが、聞き出せない。
 28歳での突然の帰国。
 これは何を意味するか、想像できないアンジェリークではない。

 アリオスお兄ちゃんだったらモテるだろうし、きっと彼女だっている。
 結婚したい相手もいるかもしれないもの・・・。
 昔から、私なんか恋愛対象じゃなかったもんね・・・。
 判ってるけど、辛い・・・。

 アンジェリークが少し沈んでいるのを感じ、アリオスは、顔を覗きこむ。
「アンジェ、大丈夫か?」
「うん! もりもり食べる!」
 アンジェリークはわざと元気そうに笑うと、食事を一生懸命食べ始めた。
「なら、いいが」
 彼は意味深に笑うと、グラスのウォッカを飲み干した。
 不意に、電話が鳴り、母親が慌ててでる。
「はい? あ、少々お待ち下さいませ」
 母親はダイニングに戻り、アリオスを呼んだ。
「アリオス、ジョアンナさんから電話」
「ああ」
 アリオスは箸を置くと、電話口に立った。
「ジョアンナ?」
「あ、アリオスと一緒に帰ってきた弁護士さん」
「ふーん」
 返事をしながら、アンジェリークは内心気が気ではなかった。

 一緒に帰ってきたって・・・。
 彼女なのかな・・、やっぱり・・・

 アリオスは直ぐに席に戻ってきたが、特に何も言わずに食事を再開する。
 彼と電話の主のことがきがきでならず、アンジェリークは結局、味気ない食事をすることとなった。


 食事を終えて、アンジェリークはいつものように自主的に片付け始める。
 いつものことなので、本当に空気のようにアリオスの母親を手伝っていた。
「いつも悪いわね」
「いいえ。いつも美味しいものをご馳走になっているのはこちらですから」
 自然に手伝っているアンジェリ0区が、アリオスにはやけに輝いて見える。
 小さな時から、よく片付けに参加していたが、今もかわらずにやっているのが、アリオスは嬉しかった。
 アンジェリークは自分の家のお重を風呂敷に包むと、アリオスの母にお礼を言う。
「ご馳走様でした!」
「こちらこそ、いつも有難うって、お母様に言って置いてね?」
「はいっ!」
 アンジェリークはついでにひょいと、アリオスの父親がテレビを見ているリビングにも顔を出した。
「じゃあ、おじさん、ご馳走様でした!!」
「ああ、有難う」
 アンジェリークが玄関先に向かうと、アリオスが待っていてくれている。
「アリオスお兄ちゃん・・・」
「送る」
 アリオスはアンジェリークを見るなり、簡潔に口を開いた。
「-----直ぐ近くよ」
「おまえも年頃だからな?」
「有難う…」
 アリオスの気遣いが嬉しくて、アンジェリークは素直に応じることにした。
 ゆっくりと歩いて、アンジェリークの家まで向かう。
 歩いても30秒ほどの距離だが、その時間を楽しむかのように歩く。
「今日は、サンキュ。色々気を遣わしちまった見てえで、悪かったな?」
「ううん、大丈夫よ。私も久しぶりに会えて、嬉しかった」
「俺もな」
 そこでアンジェリークの家に着く。
 まことに、隣であることを恨むのは、この瞬間しかない。
「おまえに久しぶりに会えて楽しかったぜ? もうこっちにいるから、またどっかに連れて行ってやるよ」
「ホント!!!」
 途端に少し曇りがちだったアンジェリークの表情が、明るいものに変わった。
「クッ、現金だな? 約束な?」
 アリオスはそう言いながら笑うと、昔と同じように、小指を出した。
「指きりげんまんだろ?」
「-----うん」
 子供の頃と同じように、アンジェリークも小指を出して指きりげんまんをする。
「やくそくね?」
「ああ」
 小指と小指が離れたときに、胸がきゅっと締め付けられるような、切ない痛みを感じた。
「じゃあな? 見ててやるから、安心して家に入れ? お休み」
「おやすみなさい」
 和の佇まいのアンジェリークの家に彼女が入るまで、アリオスが見ててくれる。
 何度か振り返りながら、アンジェリークは自分の家に入っていった------


tawagoto…

幼馴染です。
次回から恋はゆっくりとすすみます〜。

マエ モドル ツギ