鋭くも侮れない眼差しは、今まで、アンジェリークが見たことのないタイプのものだった。 その狼のような眼光ゆえ、法曹界という特殊な世界にも、飛び込んでいけるのかと思う。 「これが、おまえさんの年間スケジュールだ。ちゃんとカリキュラムを読んで、しっかりと勉強しろ」 ファイルなどをいきなり渡されて、アンジェリークは戸惑う様子で、青年を見上げた。 「あの、これを持ってどうすればいいの?」 アンジェリークの素朴過ぎる疑問に、彼は少し苛立ちを浮かべ、舌打ちをする。 「----おまえさんは、ここに何をしに来たんだ?」 「もちろん、法律の勉強よ」 引きつってはいるが、社交的な微笑みを浮かべて、アンジェリークは精一杯の愛想を作った。 それには青年は大きな溜め息を吐く。 彼は後ろにいる他のスタッフに声を掛けると、受付ブースから出てきた。 「ほら、着いてこい」 「はいっ!」 右も左も判らなかったので、多少横柄な態度でも仕方がないと思い、アンジェリークはひょこひょこと着いていく。 「ここのロースクールは、自主性を重んじる伝統がある。自分でしっかりと考えて行動することだ。アルカディア学院のお嬢様」 「はいっ!」 青年の警告を含んだ言葉にも、アンジェリークはもちろん良いほうに取って、素直に返事をする。 「・・・あんた、おもしれーな。疑心暗鬼な世界だが、その素直さは失わねえようにな」 冷たい表情が一転して、少し甘さの含んだものになるのを、彼女は見逃さなかった。 思わず見とれてしまい、ついつい目の前の階段が視界に入らない。 「きゃっ!」 お約束通り、目の前の階段に躓いてしまい、そのままバランスを崩す。 「ったく、前もまともに見られないのかよ」 そのまま無様にもコケてしまうと思った瞬間、逞しい腕に抱えられる。 その腕は、アンジェリークのFカップの胸に、しっかりと当たっていた。 だが、青年はクールな表情を、何一つ変えない。 それがかえって恥ずかしい。 「有り難う」 きちんと立たせてまでもらい、アンジェリークはしっかりと礼を述べた。 「ほら、ガイダンスはここでやる。しっかりと聞いて、後は自主的に行動するんだな」 彼はそれだけを言うと、背中を向けて立ち去ろうとする。 「あの、あなたは3年生?」 彼は立ち止まると、振り返った。 「さあな」 冷たく言い放つと、青年は戻っていってしまった。 アンジェリークは姿勢を正すと、建物の中に入っていく。 名門中の名門であるスモルニィ大学のロースクールに晴れて入学できたのだ。 これから3年間、しっかりと法律を学ぶのだ。 ガイダンスの後、アンジェリークは気を引き締めた表情でロッカーに向かうと、そこで偶然にもシャルルと出会った。 「シャルル!」 「あ、アンジェリーク!?」 こんなところで逢うとは思わなかったかのような、奇妙な表情をシャルルは浮かべた。 「どうしたの!? 僕を追いかけて来た?」 鼻持ちならないところも許せてしまうところは、まだ彼に恋をしているのだと感じてしまう。 「違うわ! ここの生徒なの! アンジェリーク・コレットはロースクールの生徒なの!」 自信を持って叫ぶ彼女に、彼は唖然とした表情になる。 「そうか・・・。それはよかった」 一瞬、空ろな表情になった後、シャルルは作り笑いを浮かべる。 「ようこそ。スモルニィへ」 アンジェリークは嬉しさと得意さを混じった笑みを浮かべた。 「シャルル!!」 張りのある元気な声が聞こえ、シャルルもアンジェリークも振り返る。 「ここにいたの? 早く行かないと次の講義よ」 金髪の勝ち気そうな少女がゆっくりと歩み寄る。 スタイルも良く、その上知的そうだ。 「シャルル、このコは誰?」 これみよがしに、彼の腕を組んできて、その挑戦的な眼差しがかなり鼻についた。 「レイチェルだ」 「シャルルの恋人のね?」 さげすむような彼女の視線が、アンジェリークには我慢ならない。 特にFカップの胸に視線が止まった時には、無性に腹が立った。 胸ですべては決まらないわよ!! 自慢するかのように大きなダイヤの指輪が、アンジェリークの目の前を霞む。 「じゃあな、アンジェリークまた今度」 「またね」 レイチェルの意味深な一瞥に、アンジェリークはまたもや腹がたち、軽くじたんだを踏んだ。 彼女はくやしかったが、いつまでもこうしている訳にもいかず、最初の講義に向かって走っていった。 教室に入ると、もう誰もが席に着いており、レイチェルとシャルルも仲良く座っている。 気に食わないと思いながら、前しか空いていなかったので、そこに座ると、アンジェリークは講義の為のノートと、筆箱を出した。 ベルが鳴り、いよいよ授業が開始される。 入ってきた教授は、背筋を延ばした、とても美しい金髪の女性だった。 「皆さん、おはようございます。これから皆さんに法律学を教えるアンジェリークです。 皆さんが立派な法律家になれるように、日々しごいて行きますので、よろしくお願いします。 今、皆さんが座っている席は、これから固定といたします。前の方、特に覚悟してくださいね」 ちらりとアンジェリークを見つめた教授に、彼女は躰を小さくする。 「では、授業に入りますが、もちろん演習問題の予習はやってきたと思います。エレミア州で起こった尊属殺人事件のケースです」 そんなことは聞いていないとばかりに、アンジェリークは焦りを覚えた。 どんな事件なのかすら、全く検討がつかない。 その上、誰もがノートパソコンを持ち込んで、開いているではないか。 「では、私と同じ名前のよしみで、コレットさん」 嘘だと思いたかった。 教授の切れるような鋭い視線が怖くて、アンジェリークは小さくなっておずおずと立ち上がる。 「・・・すみません。予習のことを知らなくて・・・」 アンジェリークが素直に告白すると、教授は皮肉げに左の眉を上げた。 「では、ハートさん」 教授が指名したのは、こともあろうかレイチェルだ。 彼女は得意げな眼差しをアンジェリークに軽く送った後、立ち上がる。 「はい、教授。通常、尊属殺人は刑が重くなっていますが、このケースの場合、被告は被害者である実父から虐待を10年に渡って受け続け、入退院を繰り返しています。一度は、命を落としかけています。この苦痛な時間に加え、父親から銃口を向けられたことにより、自己防衛反応が働いたものと思われます。よって正当防衛が成立し、執行猶予刑が相当だと思います」 自信を持って展開するレイチェルに、アンジェリークは益々惨めな思いになる。 「有り難う、レイチェル。あなたならこのように弁護するってことね。 ではもうひとつ、講義の前に予習をしないのは、有罪、それとも無罪?」 これには、アンジェリークは針の筵にいる気分になった。 「もちろん有罪です。講義に出る資格はありません!」 きっぱりと言われて、アンジェリークは苦痛の余り、とびあがりたくなる。 「そうね、その通りだわ。コレットさん、今度、こんなことをすると、ここを辞めなくては行けなくなるわ。頭を冷やしていらっしゃい!」 アンジェリークはぴしりと言われた言葉を、骨の髄に受け止め、直立不動になった。 悔しくてたまらない。 だがここはおとなしく引き下がらなければならず、彼女は机の上を片付けて、とりあえずは外に出た。 講義の間は何もする気は起こらず、中庭のベンチで腰を下ろして、大きな溜息を吐く。 「…なんてとこにきちゃったのかしら・・・」 「おい、洗礼を浴びたのか?」 聞き覚えのあった声に導かれて、アンジェリークは顔を上げた。 「あ、あなたは!」 「随分へこんでるみてえだな?」 彼はいつものようにつ冷たい表情だったが、アンジェリークを卑下するような色はない。 「------アンジェリーク教授の授業に、予習するって知らなくって、やっていかなかったら、追い出されちゃった…」 青年になら素直に本当のことを言える。 彼女の言葉に、青年は僅かにまゆを上げた。 「まあ、それはおまえさんが悪いが…、アンジェリーク教授は一番厳しいからな。だが、あの人に気に入ってもらえれば、とてもよくしてもらえるぜ?」 「そうなの?」 彼女は信じられないとばかりに、彼を見つめる。 「よし。教授の特徴を特別に教えてやる。ちゃんとこの対策をして、勉強すれば、何とかなるから」 「うん」 元来の素直さからか、アンジェリークは愛らしく頷いた。 「ほかの教授は、ジュリアスは真面目な生徒が大好きだが、説教が長い。マコニコルのおっさんは、講義中に唾を飛ばすから、前に座るのは止めたほうがいい」 これにはアンジェリークはくすりと笑う。 「ほら、あんたは笑ってた方がいいぜ? 笑って前向きに物事を考えてたほうがあってるぜ」 思いもかけない言葉に、アンジェリークは心が甘くかき乱される。 先程まであったどす黒い感情が消えて、何だか頑張ろうという気になるから不思議だ。 「うん。そうする! そのほうが私らしいものね?」 「ああ」 引き攣っていた笑顔から、ようやく本来の天真爛漫なかわいらしい笑顔に戻ることが出来た。 この青年と一緒だと、そうなってしまうのが不思議だ。 「俺はそろそろ行かなきゃな」 青年は立ち上がると、歩き出す。 「ねえ。待って!」 声をかけると、彼はゆっくりと振り向いてくれる。 「名前は?」 「アリオスだ」 「アリオス、またね〜!!!」 元気よくぶんぶんとパワフルにも手を振りながら、アンジェリークはアリオスに笑いかける。 「またな?」 彼が見えなくなるまで、アンジェリークは一生懸命手を振りまくった。 これが、二人にとって、最初の密度のある時間となった------ TO BE CONTINUED… |
コメント 可愛い恋愛小説を書きたくて、連載開始です。 宜しくお願いします〜。 胸が大きいだけで振られてしまった、アンジェリークの奮戦記。 前回好評だった(?) リモちゃんとコレッちょはまた出てきますので。 最初はちょっと、レイチェルが嫌な役です。 ファンに皆様すみません・・・。 |