FROM THE HEART

CHAPTERT3 「アリオス」

アリオス----

 その名を聞くたびに、胸の奥に甘い痛みを齎す。

 彼と共に旅をし、心から笑えたあの日々。

彼の気持ちを感じたと頬を緩めた途端、彼は倒さなければならない相手へと豹変し、私は哀しみに暮れた。

それでも、私は、彼への想いを、止めることが出来なかった。

 彼と旅をしたあの日々は既に遠くなってしまった。だが、あの旅で共に過ごした想い出は、時の流れとは別の場所に眠っていて、今でも鮮やかに一瞬、一瞬を事細かに思い出すことが出来る。

『故郷の宇宙の危機』

 確かにそうだったかもしれない。

 だが、私にとっては、確かに、輝ける日々だった。

 そして----初めて恋をした日々でもあった。

                       

 恋は、最初から始まっていた。

彼に最初に出会ったのは、白亜宮の惑星の宿屋。

 火事に遭い、助けてくれたのが彼だった。

 目を開け、最初に飛び込んできた、艶やかな銀糸。まるで宝石のように濡れて輝く翡翠の瞳。

 一瞬、彼こそが天使だと思った。

 まさしく私にとってはそうだった。

「…あなたは…」

「アリオス。ただの旅人だ」

 良く響くテノールと共に、彼の名前が、あたりまえのように私の心の中に入り込んできた。

 私の心の中にずっと眠っていた名前。

 意味が知りたくて、幼い頃、辞書で調べた名前。

 あの日、占いで告げられた名前を持つ男性に、私はようやく出逢うことが出来た。

 アリオス----

 “旋律の美しい“と言う意味を持つその名は、私にとっては特別な意味を持っていた。

 運命の男性は彼かもしれない。

 それは、私にとって“刷り込み”だった----

 この日から、アリオスは私にとって、苦しい旅の心の拠り所になった。

 旅の重圧を背負い、私の疲れた心を、彼はさりげなく癒してくれた。

 彼になら素直な自分を晒すことが出来た。

 ごく自然に、私は、彼のことを目で追うようになっていた。

「アリオス!!」

 いつものように彼を探し、私は彼の傍に息を弾ませながら子犬のように駆け寄る。

 旅が始まってから、最早癖になりつつある行動だった。

 名前を呼ぶと、アリオスは必ず口角を僅かに上げて微笑んでくれる。

 それはどこにいても同じ。

 そして、私を見る眼差しには、いつも深い憂いがあった。答えが見つからず思案に疲れたような、そんな虚脱の色があった。

 その色を、取り除いてあげたかった。

 それごと彼を受け入れてあげたかった。

 彼を守ってあげたかった。

 彼を救ってあげたかった。

 その為なら、なんでもしてあげたかった。

「アリオス!!」

 もう一度彼の名を呼ぶ。

旅の間、その意味を噛み締めるように、私は何度その名前を呼んだだろうか。

 そのたびに、私は彼への想いの深さを感じてしまう。

「ったく…、一回呼べば判るって」

 憎らしい口の訊き方も、すっかり心地よくなってしまっている。

「あなたの名前なら、何度も呼んでみたいもの!」

「クッ、しょうがねーな」

 このような小さなやり取りですら、彼は私を虜にしてしまう。

「アリオス?」

「ん…? 何だ?」

 不安げで、どこか寂しい瞳をアリオスに向けると、彼は必ず、包み込むような視線をくれる。

 それが、何よりも私を安心させてくれた。

「明日は、いよいよ虹の洞窟“に入るのね…」

「ああ。“蒼のエリシア”を修復しないといけねえからな…」

「そうすれば、陛下をお助けするために、皇帝のところに行けるのね?」

 一瞬、彼の顔は、今までにないほど凍りつき、その瞳は苦しげに光った。

 彼の心の悲鳴が聞こえてきそうだった。

 私は、無意識に、彼をそっと抱きしめ、包み込んでいた。

「アンジェリーク…」

 その声の響きは、最初惑っていて、どこか憂いがある。

 私は、胸が詰まって何も言えなかった。

「どうした? いつもの元気は?」

 いつの間にか私たちの形勢は逆転していて、私が彼に抱きしめられる格好になっていた。

 彼の鍛えられた胸に声が響き、甘い旋律を呼吸する。

「アリオス…、お守り、貰ってくれる?」

「お守り?」

「うん」

 私は、名残惜しかったが、そっと彼から身体を離すと、ずっと持っていたあの石をポケットから取り出した。

 ヴェルヴェットの黒い布で出来た小さな袋に、私はそれを入れていた。子供の頃から、何度となく眺め、それを磨いてきた。眺める度、いつもくすぐったいような、幸せな気分になったのを思い出す。

 運命の男性を思い浮かべて、選び取ったたった一つの石。

 漆黒の菱形の石----

 占い通りの人の手に、ようやく手にされる日がやってきた。

「これ。開けてみて」

 胸を高まらせながら、私は緊張しつつ、彼に石の入った袋を手渡した。

「何だ…」

 彼は怪訝そうに眉根を寄せながら、袋を受け取ってくれると、早速、中身を取り出してくれた。

 掌に漆黒の石を乗せ、アリオスは、刹那、切なげな光を、石に投げかける。

「アリオス?」

 このときの私は、彼の心の機微をきちんと理解してあげることが出来なかった。

 彼が気に入らなかったのだろうと、勝手に不安になって、おずおずと彼を見上げた。

 彼は、フッと深く、そして今まで一番穏やかな微笑を浮かべてくれた。

「サンキュ、アンジェリーク」

 その笑顔と、一言で、私はもう何もいらないと思った。

 涙が自然に出てきてしまう。

「コラ、泣くな。ったく、すぐ泣くのはおまえの悪い癖だぜ?」

「だって〜」

 再び彼の胸に顔を埋めると、彼はそっと私を包んでくれた。

「サンキュ、嬉しかった…」

「うん…」

 優しく、まるで子供をあやすように私の肩をそっと叩いてくれる。

 すべてのことから彼をお守りください----

 願わくば、私たちに愛の祝福を。

 私は石にそう願いを込めた。

 しかし、この抱擁が最初で最後の抱擁となってしまった

 翌日、彼は消えてしまった。

 彼は、私にとって倒すべき相手だった。

 哀しいとか、そんな生易しい言葉では、とてもでないが表現できなかった。

 慟哭が身体を貫き、私はこのまま死んでしまいたいと想うほど、心の一部を完全に剥ぎ取られていた。

 けれども、私には立ち止まることは許されなかった。

 何とか踏みとどまることが出来たのは、私を待ってくれている大好きなレイチェルの存在、一緒に旅をしてくださった守護聖様方、教官の方々、協力者の方々、陛下やロザリア様の優しい心、そして----

 アリオス。あなたをどうしても救いたいという、私自身の心だった。

 あなたと対峙したあの日。

 あなたは私の前で灰燼となって姿を消してしまった。

 ごめんなさい、アリオス。

 あなたを救ってあげられなかった。

 あなたの心を少しも理解してあげることが出来なかった。

 本当にごめんなさい。

 風になったあなたを、私はただ、ただ、見ていることしか出来ませんでした。

 あなたを救いたい----

 それは真実の心だった。

 けれども、本当は、私があなたに救われていた。

 あなたの笑顔が、その性質が、あなたのすべてが、私を救ってくれていた。

 私を守ってくれていた。

 それを、せめて、あなたに伝えてあげたかった----

 アリオスが無に還った後、あの石すらも残ってはいませんでした。

 新宇宙に帰り、私は再び命の誕生を見守る日々に戻った。

 あの石は、結局アリオスと一緒に逝ってしまった。

 そう、あの石は、私の心。

 彼は心の一部を持っていってしまったのだ。

「新しい命にカンパーイ!!」

 レイチェルは興奮隠せない様子で、物凄い勢いで執務室に入ってきた。

 その言葉は、私の心に染み込んで、涙が出そうになる。

 ようやくの苦労が報われたのだ。

 興奮しているのか、嬉しくて泣いているのかわからない表情を、私はレイチェルに向けた。

 これで、アリオスへの想いを少しは癒せるかもしれない----

 私は一瞬そう想った。

「ねえ、新しい生命って!?」

「それがね〜、不思議なことに、金と翡翠の瞳を持つ神秘的な男の子なの。金と翡翠の瞳の新しい命にカンパ〜イ!!」

 アリオス!!!

 私は、心の一部がゆっくりと戻ってくるのを感じる。

 もう一度遭える。

 あなたもそう望んでくれたの?

 だから私の宇宙に生まれてきてくれたの?

 嬉しくて、けれども切なくて、胸が苦しくて、私は涙が最早溢れるのを止めることが出来なかった。

「ねえ、なぜ泣いてるの!? アンジェ!」 

 レイチェルにもいつか言える日が来るかも知れない。

 私の初めての恋の話を。

 だけど今は、この幸せに酔わせて。

 あの石が、私に明るい未来を齎してくれるかもしれない。

 そう感じずにはいられなかった----   

 TO BE CONTINUED


コメント
「FROM THE HEART」のアリオス編です。
これは天空編ですので、これから「メモワール」「トロワ」と続いてゆきます。