DESPERADO


mission4  『死者と生者と』





何が起こったのか、分からなかった。
 置かれている状況に思考と感情がまったく追いつかない。
 自分が走る時とは比べものにならない速さで、自分のいた場所が遠ざかっていく。
それを眺めているより他に、アンジェリークができることはなかった。




「何をやってる! 早く仕留めろ!!」
 だんだんと小さくなっていく男たちの内のひとりが声を荒げた。
 最初にアンジェリークを襲った男だ。
 その声と表情には明らかに焦りがにじみ出ている。

 怒鳴られ、我に返ったのか、何人かが銃を構える。
 しかし少し遅い。
 走っていたはずのレヴィアスが唐突に足を止めた。
 間を置かず、甲高い銃声が数発響く。
 直後、響いた銃声と同じ数だけの男たちが顔を苦痛に歪め、持っていた銃を取り落とした。
 うずくまらなかったのは、彼らが曲がりなりにもプロだからだろう。
 次に銃声が響けば、それは確実に死を意味するのだから。
 だが、銃声はなかった。
 レヴィアスは結果を確かめることもせずにすぐさま身を翻していた。
 確認するまでもない。
 銃の腕にはそれなりの自信がある。
 それに、いちいち確かめているような時間もなかった。
 自分は今、アンジェリークを抱えて走っている。
 完全な放心状態の彼女を抱えて打ち合いをするほど、自分は馬鹿ではない。
 そんなことをするくらいなら逃げた方が、絶対に利口だ。
 相手は待ってはくれない。
 少しでも、少しでも敵から遠くへ逃げなければ……
 しかしその彼の行動を妨げたのは、よりにもよって放心状態のはずのアンジェリークだった。




 余韻を残しながら消えていく銃声に、アンジェリークの瞳が見開かれていく。
 耳に残って離れない音。
 舞い散った赤い滴。
 視界が、その色に、染まって……
 母様が……




「…かあさまっ! かあさまぁっっ!!」
「…っっ」
 不意に暴れ出したアンジェリークに、レヴィアスは小さく舌打ちをした。
 彼女の力は思っていたよりも強く、一瞬足元がもつれる。
 放心状態が解ければ、当然こうなる事は分かっていた。
 そうなる前に何とか安全な場所に行きたかったのだが、そう言うわけにもいかないらしい。
 母親の鮮血に赤く染まった細い腕を必死に伸ばして、少しでも母親に近づこうとしている少女を横抱きに抱きなおし、レヴィアスは迫る殺気に引金を引く。
「ぐ…っ」
 乾いた銃声がして、直後、銃を構えていた男がふくらはぎを押さえて膝をついた。

 一瞬男たちの間に動揺が走る。
「ハモンド様!」
 中の一人が慌てたように男の名前らしいものを口にした。
 それを微かに捉え、レヴィアスは胸中で嘲る様に笑う。
 こんな時に仲間の―――それも指揮官の名前を口に出すとは、心構えがまったくなっていない。
 もっとも、自分には好都合だが。
 そんなことを思いつつ、けれどけして振りかえる事はせずに、彼はまだ興奮状態のアンジェリークを抱えて、その場から姿を消した。




「ったく、一体何人潜んでやがるんだ」
 近くにあった小屋―――どうやら庭師が倉庫として使っているものらしい。道具やら肥料やらが隅に固まって置かれていた―――に身を潜めたレヴィアスは細く開けた窓の隙間から外を伺いつつ、忌々しげに呟いた。
 少し探っただけでも5、6人はいる。
 恐らくは、ここにいる事にも気付いているだろう。
 仕掛けてこないのは、一応の用心のためというところか。
 アンジェリークがいたバラ園は宮殿から随分離れていて、本来なら15分位の距離なのだが、こう言う状況に陥ってしまうと、それはかなりの致命傷だった。
 自分一人なら難なく切り抜けられる自信はあるが、こちらにはまだ年端もいかない少女がいる。
 彼女を守りながらと言うのは至難のわざだ。
 そのうえ、アンジェリークは半分以上恐慌状態に陥っている。
 ちらりと少女に視線の向け、レヴィアスはきつく眉を寄せた。
 今は落ちついているように見えるが、何が原因で騒ぎ出すか分からない。
 そして、そう言う状態になった人間…それも子供を慰める術など、自分はまったく知らない。
言うなれば、『最悪』だ。
望みは知らせに言ったはずのカインだが、この状況ではあまり期待しない方がいいだろう。

「……」
 わずかに苛立たしげな溜息をつき、彼は考えを巡らせ始めた。
 もちろん、こんなばかげた事でくたばるつもりなど、毛頭ない。
 まずは手近にいるらしい数人をどうするかだが…

「……は…?」
 小さな呟きが聞こえたような気がして、彼は少女を見遣った。
 移ろいだ視線のその先、栗色の髪に隠れるように、虚ろな瞳が虚空を見つめ、揺れていた。
「……こ…?……」
「おい?」
 あまりに小さな呟きだった為に、青年の耳にはそれが言葉として届くことはなく、レヴィアスは顔を顰める。
 暫くそれを繰り返し、ようやく言葉として聞こえたのは、数分後の事だった。
「かあさま、どこ…? かあさまいないの…、かあさまが…」
 壊れた人形の様にそれだけを繰り返す少女に、レヴィアスは小さく舌打ちをした。
 半ば予想していたことではあったが、こうなるとかなり厄介だった。

 なぜなら。

「かあさま…かあさまむかえに、いかないと…」
「おい」
 ふらふらと立ち上がろうとするアンジェリークをレヴィアスは制した。
 何も映そうとしないくらい瞳が、レヴィアスの姿を捉える。
「おにいちゃん…? かあさまを…かあさまの、ところ、に……」

 いつもは明るい輝きを宿しているだろう瞳は、どこまでも暗く、彼は異色の双眸をふと細めた。
 憐れだと思った。
 同情や、共感や、そんな感情からくるものではなく、ただ、憐れだった。

「ねぇ、おにいちゃん。はやく、かあさまを…」
 繰り返す少女に、胸中で溜息をつく。
 まだ幼さを強く残す、12の誕生日を迎えたばかりの少女にとって、母親の死は残酷だ。
 それも目の前で、自分を庇って…
 衝撃はどれほどのものだっただろう。
 認めたくない気持ちも、多少は理解できる。
「……」
 一瞬レヴィアスは考えを廻らせ、それからゆっくりと口を開いた。
「おまえの母親は…」

 ―――死を肯定したものに、死者が生きている事を認めさせるのは容易いが、死を否定するものに生者が死んでいることを認めさせることは難しい。
 …なぜなら、彼らにとって、死者は『生きて』いるのだから。
 そして、彼女は母親の死を認めていない。
 ならどうするか。
 宥め、落ちつかせる事は簡単だ。
 優しい言葉を言い連ねて、納得させてしまえばいい。
 けれど、それでは解決にならない。
 結局は真実を言うしかないのだ。
 どんなに残酷だと言われようと、それが彼の信念だったし、彼なりの優しさだった。

「おにいちゃん?」
 首を傾げる少女に、レヴィアスは一瞬瞳に影を走らせる。
 それでも、躊躇いはなかった。
 薄い唇が言葉を紡ぐ。
「おまえの母親は、もう死んでるんだ」

 刹那、少女は身体を震わせ、ただでさえ大きな瞳をさらに大きく見開いた。

 

        
コメント

 タチキ様から頂いた「DESPERADOEX」です。
 私が書く続編より、100000000倍素晴らしいです!!!
 いつも有難うございます。
 いや〜かっこいい・・・。