DESPERADO


mission3  『死別(わかれ)と出会い』









「どうやら弟が王位を狙っているらしい」
 苦々しく口に乗せられた言葉に、彼女は自分の夫であり、アルカディア現国王でもある男を見つめた。
「…弟とは…パトリック大公ですか?まさか…」
「いや。あいつはかなりの野心家だからな。考えられない事じゃない」
 そして彼は、僅かな自嘲交じりに苦笑した。
「まったく、好き好んで王になりたいというあいつの神経が信じられんな」
 一国の主と言う立場ほど厄介なモノはないというのに。
 そう、国王とは思えないような発言をさらりと口にし、彼はもう一度苦く笑った。

 ―――それが、ほんの数週間前の事だ。



「…か…さまっ、かあさまぁっっ」
 半狂乱になって自分を呼ぶ娘の声に、彼女は沈みかけていた意識を何とか取り戻した。
 霞む視界に、自らの血で出来た赤い水溜りが映る。
 随分とバカに出来ない量の血が流れてしまったらしい。その所為だろうか。身体がひどくだるい。
 それでも何とか首を廻らせ、すがり付いてくるアンジェリークヘと視線を向けた。

「…にげ…なさ……アンジェ……ク…」

 弱々しい声は少女に届いただろうか。
「…早…く……っっ」
 まだまだ、危機は去っていない。
 こんな所にいてはいけない。
 殺されてしまう。
 だから、だから、早く―――――

「!!」
 泣き叫ぶ少女の肩越しに、銃を構え、今、まさに引き金を引こうとしている先刻の男の姿が見えた。
 その男を、鋭いまなざしで睨みつける。
 すると男は僅かに怯んだ様だった。
 その様子に彼女は内心、男をあざ笑う。

 気の小さい男。
 堂々と殺す勇気がないからあんな所から狙って。
 死にかけの女の視線にすら怯えている。
 男自身に見覚えはなかったが、誰の差し金かというコトは分かる。

 弟王――――――パトリック大公。
 苦痛と、何より激しい怒りに彼女は眉を寄せた。
 ―――あなたは自分の望みの為になら、何でもすると言うのですか。
 こんな―――幼い子供の命すら厭わないと言うのですか。
 なんて、なんて、なんて愚かなヒト―――――!!

「…怨みます。パトリック大公……」

 掠れた声で呟かれた言葉は、誰に届くでもなく霧散した。


 ずるり…と身体から力が抜ける。
 何とかアンジェリークの姿を捉えようとして、彼女は自分が泣いていることに気づいた。
 視界が滲み、ぼやけていく。
 泣きつづけるアンジェリークに心配をかけまいと微笑もうとしたが、顔を歪める事さえ出来なかった。

 ―――自分は死ぬのだ。
 唐突に、彼女は悟った。
 ここで。この場所で。
 自分はもう―――明日を迎える事はない。
「…ごめんね、アンジェリーク…ごめんねえ……っ」
 もう、あなたを抱きしめてあげられない。
 溢れる涙を拭ってあげられない。
 私はもう、何もしてあげられない。
 いつか、あなたの花嫁姿を見ることが夢だったのに。
 それさえ叶えられずに。
 ほとんど何も見えなくなった瞳に、再び銃を構える男が映る。
 けれどもう自分には、少女を守る力がない。
 彼女は願った。
 救いを。
 そして、意識が途切れた。



 王妃が完全に事切れたのを確認し、男はほっと息をついた。
 しかし王妃の死に明らかに安堵している自分に気づき、彼は忌々しそうに舌打ちをした。
 まさかこの自分があんな女の視線に怖気づいたなど、認めるわけにはいかない。
 彼はもう一度舌打ちをし、照準を王妃に縋りついて泣き叫ぶ王女へと合わせた。
 薄い唇を舌先でなぞり上げる。
「俺を怨むなよ、王女サマ」
 彼は引金にかけた指に力を込め―――



 突如響いた破裂音に、アンジェリークはぴくりと身体を震わせ、顔を上げた。
 それが銃声であると言う事は今度はすぐに分かった。
「…あ……」
 助けを求めるように、まだ温もりを残した母親の身体に身を寄せる。
 不安と恐怖に揺れる瞳に、右手を押さえうずくまっている男の姿が映った。
 そしてまるでアンジェリークの視界を遮るかのように、近くの茂みを揺らせて長身の人影が現れた。
 どこかの制服なのだろう、きっちりとした服を着こんだ、20を出たぱかりと思われる青年。
 彼の持つ銀の髪が陽に透け、細波のように揺らめいた。
 彼はこの状況に何ら驚く風でもなく、極めて落ち着いた様子で口を開いた。
 呆れかえった声が整った唇から漏れる。
「まったく、銃声が聞こえたモンだから何かと思ってきてみれば…」
 溜息をひとつ。
「どう言う事だ、これは」
 言いながらアンジェリークと、血まみれの王妃へと一瞥を投げかけた。
「……」
 注がれる金銀妖瞳(ヘテロクロミア)の視線に、アンジェリークは憐れなほど過敏に身を疎ませた。
 鋭さを秘めた異色の瞳は、少女を怯えさせるには十分すぎるほどの威力が備わっている。
 そしてそれは、男の方とて例外ではなかった。
 振りかえった瞳に見つめられて、わけもなく身体に震えが走る。

「…ふん」
 目を細め、銀髪の青年レヴィアスは小さく鼻を鳴らした。
 ニヤリと唇を歪める。
「見たことあるぜ、あの女。たしか現王妃じやなかったか?ということは。あのガキはアンジェリーク王女だな? で?」
 レヴィアスの表情から笑顔――と言えるものならば――が消え、瞳に絶対零度の冷たい輝きが宿る。
「二人に銃を向けたおまえは一体なんだ?」
「…くっ…」
 男は顔を歪め、足元に落ちた銃に手を伸ばした。
 しかしそれは再び響いた銃声に阻まれる。
 チン!という高い金属音がして、銃が僅かに跳ねあがった。
 それはほんの小さな弧を描きながら、もとの場所から少し離れた場所に転がった。
「…勝手に動くなよ。今度はあてるぜ?」
 面白そうにレヴィアスが告げる。
 まるで何でもない事のように。
 この青年は、言った事は必ず実行するだろう。
 僅かな恐怖心とともに男は確信した。
 だが―――

 くっと唇を吊り上げ、喉奥で下卑た声で笑い出す男に、レヴィアスは不快げに眉を顰めた。
 何が楽しくて、こんな男の笑いを聞かなければならないのか。
 それも、胸がムカつくような。
 男が勝ち誇った様に声をあげた。
「バカめ!だったらどうだと言うんだ!? キサマー人に何が出来る!」
 その声が合図であるかのように周囲の茂みが揺れ、数人の男達が姿を現す。
 皆一様に黒いスーツを着、顔を隠すためのサングラスをかけている。
 そして彼らの手に握られているのは、紛れもなく銃だった。
 しかしレヴィアスはとくに慌てた様子もなく、男達を見まわした。
 その数8人。
「…たかだか小娘一人殺すのに、この人数かよ」
 よく言えば用意周到、悪く言えば『何を考えてんだか』。
 心底呆れかえった咳きに、男の顔が怒りに歪む。
 それを目の端に捉え、レヴィアスはさらに言った。
「分かってるだろうな。王族殺しは重罪だ」
「そんなものはなあっ、キサマとこの小娘さえ殺せばそこで終わりだ!」
「…なるほど」
 やれやれと肩を疎める。
 短絡思考もここまでくると、いっそ見事でさえある。
 そのことに、レヴィアスは男に対する侮蔑の感情をさらに強くしながら、それを表に出すことはせずに、小さな声で嚇いた。
「…分かってるな、カイン」
 近くの茂みに身を潜めている従者にだけ聞こえる声で言葉を紡ぐ。
 間をおかず、微かに頷く気配が伝わってくる。
 黒服たちが銃を構え様としているのが、視界に映った。
 それを傍目に、叫ぶ。
「行け!」


 がさりと大きく揺れた茂みと、飛び出したと思った途端見えなくなった人影に、男たちの間に動揺が走った。
 目の前の二人か、それとも先刻走っていった人影か。
 一瞬の迷い。
 しかしレヴィアスにはその一瞬で十分だった。
 彼は荘然としていた少女をほとんど無理やりに抱き上げると、全速で走り出した。



 

        
コメント

 タチキ様から頂いた「DESPERADOEX」です。
 私が書く続編より、100000000倍素晴らしいです!!!
 いつも有難うございます