無機質な病室に、突然携帯の音が響く。
「はい、オスカー」
鳴ったのはオスカーの携帯。彼は低い声で携帯に出る。
「はい。ああ。大公がお呼びなのか? 判った、少しそちらに戻る、ああ。後でな」
静かに携帯を切ると、彼は困ったように僅かに息を吐き、ほんの一瞬では在るが、視線を宙に彷徨わせた。
「ランディ」
オスカーの視線がゆっくりと真摯にランディを捉える。
「はい。公爵」
ランディもまた、その視線の意味を悟り、姿勢を正す。
「すまないが、俺は少し大使館に戻らなけれならなくなった。例の“お呼び出し”だ」
心配げな眼差しを、ほんの一瞬、オスカーは、ベットで眠るアンジェリークに向けた。
「アリオスが席を外している状態だが…」
「任せてください、公爵!! 俺は殿下を守って見せますから」
その瞳を真っ直ぐに輝かせ、ランディはしっかりと頷いてみせる。その顔は、任務への誇りに満ち溢れている、まだ死線を越えたことのない者の表情----
だがいずれは、彼もそれを超えなければならない日がやってくる。
このような命を危険に曝す任務ならば----
相当な訓練を受けているとはいえ、ヤツはペーペーだ。殿下を任しても大丈夫なのだろうか・・・。
不安がオスカーを覆い、彼の表情は険しくなってゆく。
「公爵…」
彼の険しい表情を破ったのは、クラヴィスの低い落ち着きのある声。
「先生・・」
「ここは、この若者に任せたらどうだ…。伊達にアリオスの部下をしているわけではなかろう…。しかもここは政府の機関に保護をされている病院だ。心配ないだろう…」
感情のない声で無気力に話すクラヴィスの意見には、確かに一理あった。
かつて、アンジェリークが入院をしていたときも、退院するまで彼女は無事だったのだ。
オスカーは少し考え込むと、何かを振り切ったように、真っ直ぐとクラヴィスを見つめ、頷く。
「そうですね。先生の言う通りです。ここは、殿下を先生とランディにお任せします」
「はい、先生と殿下は、俺が守ります!!」
勢いのある生気に満ち溢れた声と表情。
それが眩しくて、オスカーは目を眇める。
危ない橋を渡ってきた、アリオス、オスカー、そしてヴィクトールには決して得る事が出来ないひたむきさがそこにあった。
「頼んだ、ランディ。先生も宜しくお願いします」
オスカーはフッと深い微笑を自嘲気味に浮かべると、二人に信頼の眼差しを送る。
「任せてください!!」
「ああ」
それに答えるかのように、二人も頷く。
「では、行って来ます」
オスカーは名残惜しげに、ベットで眠るアンジェリークに一瞥を送った。
「では行って来ます。アンジェリーク殿下」
出て行くオスカーの精悍な背中を見送りながら、ランディは気を引き締める。
アリオスさんも公爵もいない今だからこそ、俺は、殿下をきちんとお守りしなければならない。
強い決意が、恐怖や緊張感を総て打ち破り、彼をそこに立たせていた。
「----ん…」
僅かにアンジェリークの瞼が動き、小さな声が漏れるのを、そこにいる二人は聞き逃さなかった。
「アンジェリーク…」
クラヴィスとランディはベットへと駆け寄る。
「あ…、ここは……ッ!!」
起き上がろうとして、記憶を思い出そうとしたことからか、彼女は頭の芯に激痛を覚え、思わず顔を顰めた。
「無理をするな、アンジェリーク…」
懐かしい声がして、アンジェリークは目を凝らして声の主を見、はっと息を飲む。
「クラヴィス先生…」
「久しぶりだな…、アンジェリーク…」
記憶と同じ深い安らぎのような微笑を浮かべられると、自然と彼女の表情にも笑みが浮かぶ。
「お久しぶりです先生…。もう4年前になりますね…」
「そうだな」
彼らは、静かではあるが再会の余韻に暫し浸る。
「よかった、アンジェリーク」
ランディに屈託のない笑顔を向けられ、不思議そうに首を傾げた。
「あなたは…、先ほどいた…」
「ランディです、アンジェリーク。アリオスさんの知り合いです」
「アリオスの…」
言いながらも、彼女の視線は部屋を彷徨い、一人の男性(ひと)を探す。
いつも守ってくれる銀の髪をした男性(ひと)----
そこにいないのがどうしても不安になり、頼りなさそうな眼差しをランディへと向けた。
「ランディさん…、アリオスは? アリオスはどこなの?」
今にも泣き出しそうな、不安に満ちた紺碧の瞳。
それはまるで、アリオスに深く恋焦がれているようだと、ランディは思った。
「ねえ、どこですか?」
無意識に、アンジェリークはランディのスーツの袖を掴んでいる。
彼はそれに思わず苦笑する。
「アリオスさんは、今、少し出ているだけです。大丈夫、すぐに帰ってきます」
「そう…、良かった…」
本当に心からホッとしたように彼女は息を吐き、方から力を抜いた。
その姿を見ながら、二人は感じる。
アンジェリークの心の中で育っている感情の名を----
「アリオス…、帰ってきて…」
彼女の唇から、切ない声が囁くように漏れる。
その様子を聞いている一人の男がいた。
先ほどと同じ男である。
「”デスペラード”も赤毛の男もいなくなった・・・。今が、チャンスだな」
不気味な微笑を男は唇に浮かべていた----
------------------------------------------------------------------
その頃、アリオスとヴィクトールは、アリオスの愛車BMWに戻り、長官と連絡を取ろうとしていた。
「長官、”デスペラード”です」
アリオスは、機器工作専門官であるぜフェルが作ったご自慢の通信機器に向かって話し掛ける。
「ああ。”デスペラード”か。ご苦労だった」
画面には、アリオスの直属の上司であるジュリアスが姿を現した。
黄金の髪が輝き、王者の風格を漂わせている。
「”もぐら”が顔を出してきました、長官」
ジュリアスの眉が僅かに顰められ、顔つきも厳しくなる。
「狩れそうか?」
「もちろん」
翡翠と黄金が対をなす不思議な瞳が怜悧に光る。
アリオスの唇には冷酷な笑みが僅かに湛えられて、その非情ぶりがチラリと見え隠れした。
「"もぐら狩りの専門家”のお手並みを見せてもらおうか」
先ほどとは違い、ジュリアスの表情も若干では在るが柔らかくなる。
「”もぐら”を燻せば、肝心の"アルカディアのハイエナ"も出てくるでしょう・・・」
感情が感じられないアリオスの低い声に、ジュリアスは満足げに頷いて見せた。
「----ところで、殿下の様子は?」
再び彼の表情は硬くなった。
「無事です。ひょっとして、記憶が戻ってくるかもしれません…」
アリオスの表情も同じように少し硬くなる。
「そうか・・・。もぐらとハイエナが退治されれば・・・、後はそれだからな」
「そうですね」
「ご苦労だった、"デスペラード”。本部は全面的にバックアップをするから、精一杯暴れてやれ。後の処理はこちらでやっておく」
「有難うございます、長官」
「じゃあ、次はよい報告を待ってるぞ」
ジュリアスは憎らしいほど毅然とした笑顔を浮かべ、アリオスも画面の前で軽く会釈をしてそれに答えた。
「では、失礼します」
「ああ」
アリオスは画面を消し、ふうっと大きな溜め息を吐いた。
「どうした、アリオス」
「あー、長官は堅苦しくってよ、疲れるぜ」
「それが、まあ、あの方のいいところでもあるが…、あ!」
言いかけて、ヴィクトールは思わず声を上げた。
「どうした!?」
その声に反応するかのように、アリオスの体に緊張感が走る。
「あれは、公爵じゃあ…」
ヴィクトールが指差す方向を見ると、確かにオスカーが車に乗り込もうとしていた。
何かあっては困るからと、彼らは、ばらばらで駐車場に車を停めていた。
すぐさま、アリオスはピンと来る。
「アンジェリークが危ない!!」
鬼気迫る声。
彼は素早く車を降り、病棟へと走り出した。
「おい、アリオス…!!」
ヴィクトールもその後を追ってゆく。
クソ!! 迂闊だった。俺がいなくなったことをいいことに、誰かがオスカーを呼び出しやがった。
アリオスの銀色の髪が、雨に濡れて光ながら、僅かに靡く。
アンジェリーク、ランディ、クラヴィス先生。無事でいてくれ!!!
祈るような気持ちで、彼は病棟撫でを疾走した----
-----------------------------------------------------------------------------
病室のドアがふいに蹴破られ、ライフルを持った、金髪で短髪の男が、中へと入ってきた。
「おまえ!!何をする!!」
ランディは咄嗟に銃を構え、アンジェリークとクラヴィスの前に立ちはだかる。
トリガーにかかる彼の指が僅かに震える。
「そんなんで、俺を撃てるのか、坊や?」
不敵に笑う男は、かなり豊かな体躯をしており、ランディなど一溜りもなさそうだ。
「俺は坊やに用があるんじゃない。奥にいる娘に用があるんだ。どけ!!」
かっと見開いて瞳は殺気に満ち、ランディを威嚇していた。
しかし彼はそれに必死で堪え、ずっと動かず立ちはだかる。
「どけ!!」
「どかない!! おまえに彼女は渡さない!!」
背中に冷たいものが流れ、胃が強張っているが、それでも彼はふんばった。
その背中に守られているアンジェリークは、全身を震わせ、動くことすら叶わない
助けて!!!! アリオス!!!
彼女は必死に祈りを捧げる。
「くっそ!! どけ!! その娘は生け捕りにするんだ!!」
男は、その為にライフルを撃つことが叶わず、その銃のへりでランディの頭を殴りつける。
「うわっ!!」
彼の頭から鮮血が吹き出し、痛みに堪えながらも、何とか意識を保った。
「ランディさん!!」
それでもランディは、アンジェリークの傍を離れない。
「何をするんだ!!」
今度はクラヴィス掛かって行ったが、彼もまた頭を殴られ、血を流し、そのまま意識を失うように倒れこんだ。
「先生!!」
駆け寄りたくても、アンジェリークはそれが叶わない。
ただ、ただ、僅かに残った力で、ランディを掴んでいる。
「すみません、ボス!!」
病室の前で待っていた金髪の短髪男の部下が、焦るようにして病室に入ってきた。
「なんだ!?」
「"デスペラード”が!!」
「なに!? しょうがない、二人一緒につれてゆく!! おまえはその小僧を連れて行け!!」
急に焦るように命令し、男はアンジェリークを、その部下はランディを抱えて、病室を素早く後にする。
その後間一髪間に合わず、アリオスが全速力で病室に入ってきた。
「おい、ランディ!!」
中に入って目の当たりにしたのは、倒れこんだクラヴィスの姿だった。
「おい、ヴィクトール!! 手当てだ!! 誰か読んでくれ!!」
後ろからきたヴィクトールにアリオスはテキパキと指示をする。
「待ってくれ…」
「先生…」
僅かに聞こえたクラヴィスの声に反応するかのように、アリオスはそっと屈み込んだ。
「----後を追ってくれ…、ランディとアンジェリークが…」
絶え絶えに言うクラヴィスに反応して、彼は立ち上がる。
「判った、サンキュ、先生」
「頼んだ…、アリオス…」
ヴィクトールが戻ってくるのも待たず、アリオスは病棟の廊下から、再び駐車場へと戻り始めた。
駐車場につくと、遠くから、アンジェリークとランディが車に載せられるのが見える。
同時に、彼の視界は、あの金髪の短髪男に注がれる。
まさか…、ここで出てくるとは・・・。かえって、好都合だ…。絶対に逃さん!!
アリオスは、愛車BMWに飛び乗り、エンジンを素早く掛ける。
その間にも、二人を乗せた車は駐車場を離れてゆく。
アンジェリーク…、無事でいてくれ・・・。
----ランディ、俺が行くまでくたばるな。
アリオスの車も後を追うように駐車場を出てゆき、再び、カーチェイスが幕を開けた。
![]()
コメント
とうとう「DESPERADO」も6回目。こちらの章から佳境に入ってゆきます。
今回は、どうしても必要な、佳境までのプロセスの章ですので、アリオスさんが余り出てきません。
次回からは、バン、バン、出しますので宜しくお願いします。
今回は珍しく、銃のシーンがなかったですね〜・
![]()