止まない銃声。
永遠に続く暗闇。
アンジェリークは、もがくように走り続ける。
恐怖の余り、足が縺れて動かない。
叫びたくても声が出ない。
胃が強張り、背中に冷たい汗が流れる。
助けて!! 助けて!! 誰か!!
ふいに誰かに手を引かれ、力強さを感じた。
「走るぞ!!」
なされがままにアンジェリークは引きずられるように走り始めた。
人柄を表しているような温かな腕が、彼女の緊張を少しずつ和らげる。
暗闇から開放されていくのを感じる。
不思議な温かさ。
暗闇で、手を引いてくれる男性(ひと)の顔はよく見えない----
だが彼女には判る。
彼は、信用に値する相手であるということを。
「頑張れ! アンジェリーク、おまえならここを抜けられる」
彼は、彼女を銃弾の雨から守り、自らも銃弾を発射することによって、徐々に弾丸の雨が少なくなってゆく。
----どれくらい走っただろうか。
やがて、疲れてきった彼女は、足が縺れてきた。
「動けない…」
思わず弱音を吐き、彼女は倒れそうになった。
「おいっ!!」
男は、アンジェリークをいとも簡単に抱きとめ、その体を支えた。
「しょーがねーな」
苦笑いする声が響くと、突然、彼が屈む。
「ほら、負ぶさって、俺に掴まれ」
低い声に導かれるようにして、彼女はその広く逞しい背中に負ぶさり、温かさを求めるようにしがみついた。
男はそのまま立ち上がると、彼女を背負っているのにもかかわらず、疾走する。
彼の背中に耳を当てると、規則正しい鼓動が伝わり、それは何よりも彼女を安心させた。
頬に伝わる体温、鼓動----
そして何よりも、その鼻腔をくすぐる、懐かしくも、心を揺るがす香りが、何よりもアンジェリークを安心させていた。
やがて、遠くに僅かな光が見えてくる----
「アンジェリーク、もう直ぐ、出口だ。しっかりしろ」
輝ける光が、アンジェリークの瞳を眇めて、眩しい余り、彼女は瞳を閉じた----
------------------------------------------------------------------------------------
瞼の奥に光る朝日に導かれて、アンジェリークは目を覚ました。
繰り返し、何度も見ていた夢。
孤独な心を癒され、何度も幸せな気分に、いつも最後はしてくれた。
最近は、孤独感を癒されて見なくなった夢だった。
何かの兆しではないかと、アンジェリークは思う。
体にほのかな重さを感じて、彼女はゆっくりと目を開ける。
彼女の体には、アリオスのレザーのコートが掛けられており、シートも彼女がぐっすり眠れるようにと倒されていた。
心が暖かいもので満たされるのを、アンジェリークは全身で感じる。
隣の運転席を見ると、アリオスはいなかった。
車も、見ず知らずの空き地に止められている。
いいようのない不安にさいなまれて、アンジェリークの全身に緊張が昂まる。
彼女が視線を彼方此方に飛ばしていると、ドアが叩かれた。
「よお、目が覚めたか」
「はい…」
アリオスが戻ってきたことに、アンジェリークはとりあえずほっとし、体の緊張を幾分か和らげた。
彼は運転席側のドアを 開け、車に乗り込んでくると、彼女にポンと何かを投げた。
「眠気覚ましだ」
「有難う」
彼が投げてくれたのは缶コーヒー。
その心遣いが嬉しくて、アンジェリークは缶コーヒーをぎゅっと抱きしめた。
「クッ、おまえも妙なことをするヤツだな? 缶コーヒー抱きしめて嬉しいかよ?」
少し意地悪でいて、甘い微笑を浮かべるアリオスは、どうしようもないほど魅力的で、もしこのような状況でなければ、もっと嬉しいだろうにと、彼女は思う。
「とりあえずそれでも腹に入れとけ。直にドライヴインに連れて行ってやる。朝飯はそれからだ」
言われたものの、アンジェリークは大事そうに抱えたまま飲もうとももしない。
「コーヒー、嫌いなのか?」
彼女はふるふると首を振り、俯くと小さな声で呟く。
「…今は、いいや・・・」
「そうか」
総てをお見通しのような少し笑みを浮かべた視線を、彼は彼女に注ぐと、車をゆっくりと発進させる。
先ほどの彼の意味深な視線が恥ずかしくて、アンジェリークは、頬をばら色に染めた。
本当は、もったいなくて飲めなかった。
アリオスが買ってきてくれたものだというだけで、例えコーヒーでも愛しくなった。
それが、俄かに、"恋"に育ちつつある感情だということを、彼女は知らなかった。
「ラジオいいか?」
「どうぞ」
アリオスによって選曲されたラジオ局は、ノスタルジックな60年代から90年代の曲についてのリクエスト番組が鳴らされていた。
『ここで短いニュースを二つ。アルカディア王国のパトリック大公がご訪問され、大統領と歓談される予定です。また、自由党の大統領候補サヴェジ上院議員がニュージャージーで遊説 予定になっています。ではここで懐かしいナンバーを。イーグルスで”デスぺラード”』
ラジオから流れるノスタルジックな曲に耳を傾けながら、 アンジェリークはアリオスの端正な横顔をじっと見つめる。
「何だ、俺に見とれんなよ?」
「ち、違うもん!!」
むきになって、彼女は声を張り上げる。
「判った、判った」
彼はいかにも楽しそうに喉を鳴らして笑う。
ついつい暗くなりがちの彼女の気持ちを和らげるための彼流に配慮だということに気づくのに、彼女は余り時間がかからなかった。
「アリオス?」
探るように彼の名前を呼ぶ。
「何だ?」
「コート、有難う…。風邪ひかなかった?」
「バーカ。ヤローがんなこと気にするかよ」
少しはにかむような笑顔をアリオスに向ける。
これが何よりも彼にとっては、お返しであることも、この少し鈍感な少女は気がつかなかった。
互いを、少しずつ理解し合い、彼らはその情熱で、緊張の氷を溶かしてゆく。
少し緊張が解け始めた彼らをよそに、一台のBMWが、トーラスにひたひたと忍び寄っていた。
暫くして、BMWの存在に、アンジェリークは気がついた。
「アリオス…、後ろ!!」
信じ始めたアリオスが一緒とはいえ、昨夜のカーチェイスの恐怖を思い出し、彼女は身を固くする。
「大丈夫だ…。襲う気配がねーからな」
アリオスはあくまで冷静で、眉ひとつ動かさない。
強い人だと、アンジェリークは思う。
その余裕がどこから出てくるのか、その出所を知りたいと思う。
彼女の潤んだ不安げな瞳を向けられて、アリオスはそれを取り除くような、深い微笑を優しく彼女に送った。
---------------------------------------------------------------------------------------
アリオスの言った通り、BMWは後ろにピタリとついていただけで、何もしてこなかった。
この状態は、彼らがドライヴインに入るまで続いたが、昨夜のような緊張感はまるでなかった。
アリオスは、小ぢんまりとしたドライヴインの駐車場に車を停めた。
「とりあえず、メシだ。降りるぞ」
「あ、まって!!」
久しぶりに立ち上がるアンジェリークは、立ち上がろうとしたのだが、上手く立ち上がれなかった。
「しょーがねーな」
アリオスは簡単に彼女を抱き上げてしまうと、そのままドライヴインのレストランへと向かった。
「アリオス・・・、恥ずかしいから下ろして。もう立てるから」
「そうか」
はにかんでいるアンジェリークのために、彼は彼女が立てるようにと、ゆっくりと腕から降ろし、支えるように立ち上がらせた。
「何とか…、歩けるかな」
「行くぜ?」
アリオスの後をおたおたと歩き、千鳥足で何とか、彼女はレストランへと入り、駐車場が見える位置に陣取った。
後ろの席は、初老の紳士とその妻が楽しそうに食事をしていた。
丁度同じ頃、先ほど彼らの後ろを不審に走行していたBMWが停まり、中からは鍛えられた肢体を持つ、がっしりとした男が出てきて、そのままレストランへと入ってくる。
「アリオス…」
アンジェリークの大きな瞳が心配げに揺れ、声が震えた。
「大丈夫だ…、心配ない」
彼女を宥めるように響く、甘い低い声。彼の声は、絶対的な説得力があり、声の響きだけで、彼女を安心させてしまう、不思議な威力を持っている。
そうこうしているうちに、レストランも込み始めてきた。
朝食を注文し、待つ間、アンジェリークは落ち着かなかった。
誰かに監視されているような、そんな気がしていたからだ。
しかし、アリオスは相変らず落ち着いている。
赤毛の男と茶色の髪をした、兄弟のような二人が、レストランに入ってきたところで、満席となった。
ウェイトレスたちは所狭しと動いており、忙しそうだ。
「すまねぇ、煙草買ってくるから、そこから動くなよ?」
「うん」
アリオスの有無を言わせない口調に、アンジェリークはしっかりと頷いた。
「何かあったら、遠慮なく叫べ。いいな?」
まるで初めての留守番をする子供と同じように、彼はアンジェリークに言い聞かせる。
彼女が再度頷いて、彼はようやく売店へと向かった。
「アリオスは心配性なんだから・・・」
彼女がふふと笑った、その時だった----
「おとなしくしろ…」
背後から突然銃を突きつけられ、アンジェリークは体を一気に強張らせ、異にも強張りを感じる。
銃を突きつけた相手は、不審な体格のいい男でもなく、不自然な美形兄弟でもなく、後ろの紳士だった。
「そのまま立って、外に移動しろ…」
アンジェリークが立ち上がり、ゆっくりとレストランの入り口に向かった時、彼女の背中に光る銃口を、偶然にもウェイトレスが発見した。
「きゃあ!! 銃だわ!!」
叫び声と同時に銃声が上がり、アリオスはすぐさま駆けつける。
先ほどのBMWから降りてきた男と共に。
「くそっ!!」
彼が席に戻ってきたとき、男とアンジェリークは外に出た後だった。
「”デスペラード”!!」
先ほど這いいてきた兄弟の片割れである、茶色の髪を持つ男が、アリオスに駆け寄る。
「ランディ!! おまえが監視してながら、どうしてこんなことになる!! 外交問題ものだぞ!!!」
辺りを切り裂くような罵声が、ランディに落ち、彼はそれこそ小さく体を竦める。
「まあいい! 今はあっちが先だ!!」
アリオスは、レストランを出て、彼女を探すべく駐車場へと疾走する。
「アリオス殿!!」
赤毛の長身の男が今度は彼に近付く。走った盛夏、少し息を乱しながら。
「----あの車です!!」
赤毛の男が指差した車に、アンジェリークは乗せられ、発進しようとしている。
「サンキュ、公爵」
アリオスは、車の走行を阻止すべく、その位置まで疾走する。
銀の髪が風に揺れ、汗が宝石の玉のようになって髪から零れ落ちていた。
彼が追いついたとき、車は無常にも発車する。
「アリオス!!」
車の窓越しに聴こえる彼女の叫び声。
アリオスは、なんの躊躇いもなくホルスターから、愛銃であるコルト・アナコンダ44マグナムを抜くと、アンジェリークの乗る車に照準を合わせた。
「ナメた真似するんじゃねえ!!」
彼の、いつもは冷徹な影を宿す瞳が、今に限って激しい焦燥の影で揺れている。
車の左のリアタイアにゆっくりと照準を合わせると、彼は無表情で右手でトリガーを引いた。
それは、神業だった
空気が一瞬にしてタイアの空気は抜かれ、車は鋭く音をきしませながら、ドライヴインの入り口のところでで停まった。
「アンジェリーク!!!」
アリオスはすぐさま駆けつけ、その他の男たちもその後に続けられる。
「大丈夫か!!」
彼はすぐさま後部座席に乗せられていたアンジェリークに手を差し伸べると、彼女は、その優しい手を取り、外に出される。
前部座席の中年男と女は、後からきた体格のよい男に取り押さえられる。
外に出た瞬間、、アンジェリークの緊張の糸はぷっつりと切れてしまい、アリオスの精悍な胸に飛び込んだかと思うと、そのまま泣き出してしまった。
「どうして、私だけこんな目に合うの…?」
泣きながら呟くやるせない言葉を、アリオスは受け止めてやることしか出来なかった。
![]()
コメント
やっとのところで「DESPERSDO」の3回目が上がりました。
今回は、少し彼の活躍はかなり地味になりますが、次はもっと活躍させますので、宜しくお願いしますね。