DESPERADO

CHAPTER11 


 アンジェリークのアルカディアへの帰国が、翌日と迫り、彼女は早朝、主治医だったクラヴィスの元にお礼の挨拶に訪れた。
 友人たちや、お世話になった方々への挨拶は、昨日にすべて済ませていた。
 そして今日のクラヴィスが最後になる。
 ----一人を除いては。

 結局、アリオスにはあれから一度も逢えなかった・・・。
 もう一度、出来ることなら…。

 そんな彼女の気持ちを、傍らで見守るオスカーが判らないはずはなかった。
 気遣わしげな眼差しと、アリオスへの羨望の思いを、彼は彼女にそっと送る。
「失礼します、先生」
「ああ。入れ」
 厭世的なクラヴィスの声が響き、アンジェリークは静かに研究室の中へと入った。
「ああ、良く来た…。公爵もご一緒か…」
「はい」
 クラヴィスはフッと深い微笑をもらすと、少し俯き加減になる。
「----公爵、ほんの少しだけ…、席を外して欲しい…」
 表面上は穏やかなクラヴィスの声だが、その意志は明確に現れている。
「----判りました」
 一瞬、躊躇われたものの、オスカーはあっさり同意をして、席を外す。
 もちろん、ドアの前に張り付いてはいたが。
 オスカーが立ち去ると、クラヴィスは柔らかな深い眼差しをアンジェリークに送った。
「先生…」
「一度しか言わん。おまえが帰国すると聞いて、言わなければならんと思った。どうせ奴のことだ、絶対にこのことはおまえに言わないだろう…」
 彼が誰を指していっているのかは、彼女にはすぐに判った。
 身体が小刻みに震える。
 あの男性(ひと)しかいない。
「…誰のことか、判ったようだな…」
 僅かに眼差しを細め、彼は穏やかに微笑んだ。
「----おまえが眠っていた一年もの間、アリオスは毎日のようにおまえの元に通っていた」

 アリオス…!!

 心から、彼への愛しさが涙となって、彼女の瞳から溢れてくる。
 切なくて、愛しくて堪らなくて、大きな愛に包まれていたことを初めて知った。
「先生…」
 涙と鼻水でぐしょぐしょになりながら、泣き笑いの表情をクラヴィスに向ける。
「おまえが目覚めるようにと、何時も手を握って、話し掛けていた。おまえを目覚めさせたのは、アリオスだった…」
 アンジェリークは胸が一杯になって、頷くのが精一杯だ。
「おまえが目覚めてからも、奴はおまえをずっと見守っていた。後見人として、何不自由のない生活を提供したのもな…。
 ずっと、ずっと、見守っていてくれたのだ…。それは、忘れないようにな」
「はい…!!」
「----だから、私のところよりも、行くところはあるんじゃないか? 公爵なら、そのあたりは心得ているかもしれないが…」
 そっと、クラヴィスはアンジェリークの涙で冷たくなった頬に触れ、優しい闇のような眼差しで彼女を捕えた。
「一度きりの人生だ。後悔はするな・・・。私から送ってやれるのはそれだけだ。
 ----身体に気をつけてな」
「はい、はい!! 先生も」
 泣きながら顔をくしゃくしゃにしながら切なげに彼女は微笑む。
「お別れだ」
 そっと手を離され、アンジェリークは深々と頭をたれた。
「色々と有難うございました!!」
「しっかりな」
 静かに一度だけ、クラヴィスは頷く。
「さようなら…、先生…」
 背筋を伸ばし、彼に見守られながら、彼女はそっと研究室を後にした。
「殿下!!」
 出るなり、オスカーが待ち構えていた。
「オスカー公爵、お願いがあります」
 どんな願いか彼は訊かなくても、その潤んだ瞳を見れば判った。
 彼は、天使のために、甘い微笑を浮かべながら、判ったように軽く頷く。
「ご案内します----」
 彼女の表情は、明らかに晴れ上がった。

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 クラヴィスの病院を出て一時間余り、ジョージ・ワシントン・メモリアル・パークウェイを北上し、車はようやく緑に囲まれた地区に入ってきた。
「もうすぐ着きます。今日は本部で仕事をしているようですから」
 アンジェリークは決意を秘めたようにしっかりと首を縦に振る。
 ヴァージニア州、ラングレー。
 深い森に囲まれたその場所に、CIA本部配置する。
 森に隠れて、外側からは見ることが出来ないようになっている。
 車はいくつかのセキュリティを通過し、ようやく駐車場についた。
「ここからは、このIDカードで中に入ります」
 オスカーはスーツの胸ポケットからIDカードを取り出すと、それをアンジェリークに渡した。
「これを胸に着けて、正面玄関から中に入ってゆきます」
「----じゃあ、最初から用意してくれていたの…?」
 彼女は大きな瞳を更に大きく見開くと、驚愕したような眼差しをオスカーに浮かべる。
「さあ、行きましょう…」
 彼も自分の胸にIDカードを着けて、そっと微笑んだ。
 二人は車から出た後も、平衡するほどのセキュリティチェックを何度も受け、ようやく建物の中に入ることが出来た。
 本部のエントランス部分の大理石で出来た大廊下に差し掛かったとき、アンジェリークははっと息を飲んだ。
「どうか、なされましたか?」
「公爵あの言葉…」
 彼女が指をさした先には、文字が刻み込まれていた。
 それはCIAの活動理念として、掲げられた聖書からの引用文だった。

『汝は真理を知らん。真理は汝らに自由を得さすべし----』

 ”真理は汝らに自由を得さすべし----”
 その言葉は、アンジェリークの心にすっと入り込み、自然と涙が溢れてくる。

 アリオス----
 あなたのことをようやく理解できたような気がする----
 私のために、私が真実を知ることで、自由になるようにと、あなたは見守ってくれてたんだ----

「殿下…」
 ポンポンとオスカーに肩を叩かれても、彼女は何時までも泣いていた----


 二人は再びセキュリティを何度も潜り、ようやく最上階に近い階に辿り着いた。
「もう、セキュリティはこりごり」
「全くです」
 二人は顔を見合わせ、苦笑いする。
 彼らが来ているのは、セキュリティにおいては、最高レヴェルに属する場所だった。
「殿下…、ここからはあなたがお一人で行ってください。場所は1122です」
 オスカーに先を促され、彼女は神妙な面持ちで頷いた。
「あの…、公爵?」
「なんでしょうか?」
「----有難う」
 はにかむような表情で言う少女に、オスカーもまた笑顔で答える。
「早く行ってください」
「はい」
 少女は緊張した面差しで、ルームナンバー1122を目指した。

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 躊躇いがちにノックをすると、名乗っていないのに、鍵が開く音がした。
「入ってくれ」
 懐かしく響くテノール。
 心が彼の元に走ってゆく。
 そっと部屋の中に入ると、窓辺に凭れて立つアリオスがいた。
 窓の外から見える木々と、ポトマック川が彼をまるで絵画のように見せている。
「よお、久しぶりだな、アンジェリーク」
 煌く陽射しが彼の銀色の髪を祝福するように輝かせている。
 仕立てのいい、ダークグレイのスーツを隙なく身に纏う彼は、まるで太陽神のようだ。
 あいも変わらず、少し意地悪だけれど優しい微笑を彼女に浮かべてくれている。
 心の高鳴りを抑えることが出来ない。
「…アリオス…」
 プリンセスである前に一人の少女であるアンジェリークは、彼の存在を確かめるように呟く。
 彼の名を----
「ん? 何だ、アンジェリーク?」
 深い声で名前を呼ばれると、もう思いを止めることなんて出来やしない。
「アリオス!! アリオス!!!」
 ずっと我慢していた想いが、今、堰を切って、彼へと流れ出す。
 彼の名を泣き叫びながら、彼女は彼の胸に飛び込んでいった----
「アリオス!!」
「アンジェ…」
 アリオスは、アンジェリークの華奢な身体を受け止めて、そっと包み込んでくれる。
「逢いたかったの!! ずっと、逢いたかったの!!」
「あれから、一週間も経っちゃいねえぞ? ほら泣き止め」
「だって…」
 彼の精悍な胸を通して響く声に、うっとりと導かれながら、彼女はゆっくりと顔を上げた。
 紺碧の瞳が僅かに涙で潤み、肩を引き攣らせている。
「アンジェ、デートしねえか?」
「デート!?」
 ニヤリと楽しげに笑う彼に、彼女はきょとんと目を見開く。
「オスカーには許可は得ているが…、いやか?」
 彼女がそういうはずはないことを知っていて、彼は意地悪にも訊く。
 もちろんアンジェリークは、顔を真赤に染めながら、コクリと頷く。
「どこで?」
「----ニューヨーク」
 その夢のような提案に、彼女はうっとりと彼を見つめた---- 


コメント
すみませ〜ん(泣)m(_)m
前回あんなに二人のデートを予告したのに、寸前で終わってしまいました。
ページが足りなかったんです(泣く)
次回は必ず、アリアン「ニューヨークの休日」をお届けします。
すぐに更新しますね!!