Don't Cryout Loud

〜あなたしか見えない〜

Chapter8


 今のは・・・?

 アンジェリークは呆然と見ている。
 大きな瞳を精一杯見開いて、ただ彼の姿を捕らえることしか出来なくて。
 走りたかった。
 アリオスの元に走っていきたかった。
 だがそれも心を縛り付けている”鍵”がそうさせてくれなくて。
 アリオスもまた、アンジェリークだけを見ていた。
 今の彼にとっては、思いを伝えることが出来たことが嬉しい。
 彼はゆっくりと立ち尽くすアンジェリークに近付くと、彼女を真摯な瞳で見つめた。
「----俺は本気だ、アンジェリーク」
 低い声が温かさを帯びて、彼女の心の中に入り込んでいく。
 アンジェリークは何とか頷くと、アリオスに泣き笑いの表情を浮かべた。
 彼女の心が震えているのが確かであることを、アリオスは感じる。
 そして、それだけでも第一歩だと、アリオスは思った。
「今度の休み、一緒にどこか出かけねえか? おまえさんをもっと知りたい」
 アンジェリークはそれに頷くと、手を差し延べた。
 それをアリオスは優しく包み込む。

 今はこれでかまわねえ…。
 きっとおまえを、振り向かせて見せる…。

 互いの暖かさを感じながら、二人はじっと見つめ合う。
 恋はゆるやかに進行していた----


 マンションに戻ると、レイチェルが不思議そうな顔で、アンジェリークを見た。
「アンジェ、いいことでもあった?」
「えっ? 何で?」
 ついつい顔がにやけてしまう自分にアンジェリークは真っ赤になってしまう。
「その顔が何よりの証拠!」
 指摘されて益々茹で蛸のような顔色になる彼女が、レイチェルには可愛かった。

 アンジェ、アナタが幸せだったらワタシは何も言わないヨ。
 ただ、アナタが傷つくのを見たくないから・・・。
 今度大きな傷を負ったら、アナタの心はきっと壊れてしまう・・・。

 レイチェルは、繊細な心を持つ親友を、誰よりも心配していた。

 入浴の後、アンジェリークは早速メールのチェックをした。
 すると期待した通りに、アリオスからメールが来ていた。
 後先構わず、アンジェリークは嬉しくなって、それを開いた。

 ”今夜は楽しかった。明後日、公園にでも行かないか? 良かったら近くまで迎えに行く”

 メールを読みながら、アンジェリークの形相は変わっていく。
 明るく可愛いものになる。
 アンジェリークは、心を込めて、アリオスへの返事を打つ。

 ”今夜は有り難うございました。私こそ楽しかったです。明後日の件、宜しくお願いします。”

 メールを打つだけで優しい気持ちになれる。
 アンジェリークは送信ボタンを胸をときめかせながら押した。


 約束の前の日の夜から、アンジェリークはいきいきとし、瞳は輝いていた。
 こんなに綺麗なアンジェリークをレイチェルは今まで見たことはなかった。
 服を選ぶのに悩む彼女に、レイチェルは微笑ましく思う。
「アンジェ、お洒落をしなくたって、今のアナタは十分に綺麗だよ」
 頬を染め、首をかしげてアンジェリークは本当にと尋ねる。
「本当だってば! 自信を持ちなよ!」
 強く言ってやると、アンジェリークはようやく恥ずかしそうに頷いた。
「明日、アリオス先生と会うんでしょ?」
 一瞬、アンジェリークは体をぴくりとさせる。
 「大丈夫、ワタシは止めないよ。アンジェ、頑張っておいでよ」
 笑いながら肩をトンと叩いてくれた親友に、アンジェリークは本当に嬉しそうに頷いた。

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 翌日、約束の場所に、アンジェリークは立っていた。
 薄いクリーム色のワンピースがいかにも彼女らしくて清楚に見える。
 アリオスはアンジェリークの姿を見つけるなり、胸の奥が甘い感覚になる。
 こんな狂おしい感覚はかつてなかった。
「アンジェ!」
 目の前で車を止め、アリオスはその名を呼んで助手席のドアを開ける。
 助手席を当然のごとく開ける彼は嬉しいのだが、何だかアンジェリークは気後れしてしまう。
「どうした…? 早く乗れ」
 その問いに、アンジェリークはスケッチブックを取り出して、アリオスに書いて伝える。
『私がそこに座っていいの?』
「あたりまえだ、バカ。この場所はこれからはおまえ以外は乗せねえ」
 さりげない愛の言葉が、アンジェリークの心の奥の鍵を、ゆっくりと溶かしてゆく。
 彼女は唇の動きだけで"ありがとう"と伝えると、意気揚々と助手席へと乗り込んだ。
「行くぜ?」
 彼の言葉にアンジェリークはしっかりと頷いて、嬉しそうに姿勢を正した。
 車中、アンジェリークは彼に気を散らせまいと、何も特には話し掛けない。
 手話で話し掛ければ、彼はきっとそちら集中してしまうだろうし、スケッチブックもまた同じような気がする。
 話せなくても、運転する彼をじっと見ているだけでも、アンジェリークは幸せであった。
「どこに行くか興味はねえか?」
 勿論とばかりにアンジェリークは頷く。
「だろ? 折角の俺たちの本格的なデートだしな?」
 "本格的なデート”
 その言葉もまたアンジェリークの心を深く潤ませて、頬を紅潮させる。
「だけどヒミツな?」
 途端に彼女は、わざと少しむくれた顔をした。
「やっぱり思い出のデートにしてえからな。おまえをびっくりさせてえし」
 アリオスの楽しげな話に、アンジェリークの表情もいつしかほころんでいった。
 アンジェリークは、"ありがとう”という思いを込めて、アリオスに頭を深く下げる。
「いいんだよ。遠慮するな?」
 アンジェリークは何度も何度も頭を下げて、アリオスを見つめた。
「こら…、俺には遠慮するんじゃねえぞ? 二度とな?」
 アリオスは小さな彼女の手を一瞬だけ握って、笑いかけてやる。
 安心したように彼女も微笑み、頷いた。
 温かな空気が車内に流れて、それに二人は漂っていた----


 車は、一時間ほど走った後、小さな自然公園の駐車場に止まった。
「降りるぞ?」
 アリオスは自然とアンジェリークの手を引っ張ってゆく。
 彼女も最初は少し恥ずかしかったが、だが嬉しかった。
 彼の温もりを感じることが、その心を感じることのような気がして、とても嬉しかった。
 ぎゅっと握り返すと、アリオスもそれに答えてくれてさらに強く握ってくれる。

 アリオス…。
 もっと強く握ってもいいのよ?

 アリオスはアンジェリークを無言で、目的の場所へと誘った。


 そこを一目見るなり、アンジェリークは息を飲んだ。
 そこはデイジーが可憐な色をつけて、野に一面に咲き誇っている。
 爽やかな風が二人を包み込む。
「おまえだけにこの花を見せてやりたかった。
 おまえこういうの好きだろ?」
 目の前に見える光景を、アンジェリークは涙を日血筋だけ流して見つめる。
「アンジェ!?」
 アンジェリークの涙に、アリオスは思わずドキリとした。
 アンジェリークは首を何度も振って、否定をすると、慌てて鞄からいつものようにスケッチブックを出して書き始めた。
『凄く、嬉しいの。
 こんなに綺麗な光景を見せてくれて有難う。
 私の里も、秋になるととても綺麗に花を咲かせるのよ。コスモス畑があるの。そこをあなたにもいつか見せてあげたい…。
 有難う・…』
「アンジェ…!!!」
 アリオスは、もう彼女のことが愛しくて堪らなかった。
 溢れる思いを停めることは出来ない。
「愛してる…」
 アリオスはその華奢な身体を始めてかいなに抱く。
 ぎゅっと強く、彼女を放さないように。
 初めて抱かれる男性の腕のあた田坂、そして胸を騒がせる彼の香りに、アンジェリークは胸の奥が切なく痛むのを感じた。
 自分が彼に釣り合わないことは判っている。
 だが、求めずにはいられなかった。
 彼に答えるように、彼女もぎゅっと身体を抱きしめてきた。
 アリオスはあまりにもの感覚にアンジェリークをさらに抱きしめる。
「アンジェ…」
 彼女を見つめる。
 その潤んだ瞳には、明らかに艶やかな光があり、誰よりもアンジェリークが美しいとアリオスは思った。
 彼は彼女の顎を持ち上げて、ゆっくりと唇を重ねる。
 甘い口付け。
 だが、彼のそれはとても深くて…。
 彼女がびっくりしないように、最初は優しく、だが徐々に深さは色濃くなる。
 舌で彼女の口腔内を愛しげに愛撫をし、力が抜けてゆく彼女をアリオスはぎゅっと支えてやって。

 息が…できない・…。
 アリオス…!!
 どうしてあなたのことがこんなに好きなんだろうか・…

 唇が離された後、彼もまた艶やかな瞳で見つめてくる。
「アンジェ…」

 あなたの名前がいいたい!!
 呼びたい・…!!!

 その思いがやがて大きくなり、アンジェリークは一生懸命声を出そうとする。
「…ア…リ…オ・・・・」
 か細い甘い声だった。
 アリオスは驚愕してアンジェリークを見つめる。
 彼の全身に感激の嵐が駆け抜ける。
「呼んで、くれたのか…?」
 アンジェリークも、自分が声を出せたことに驚いて、頷くだけだ。
「アンジェ!!!!」
 アリオスはそのままj心から彼女の名前を呼ぶと、もう一度しっかりと抱きすくめた。

 俺は…、このときのアンジェリークの表情を一生忘れない…。
 そして、あの天使のような声も…。

 恋は、もう引き返せないところまできていた。

TO BE CONTINUED…

コメント

『愛の劇場』第四弾は、話すことが出来ないアンジェリークと、言葉を紡ぐことを
生業としているアリオスです。
アンジェリークのためなら心を入れ替えることが出来そうなアリオスさんです。
今回のラストシーンは、前半の山です。
これから二人は試練が待ち構えています。
アンジェちゃんを幸せにしてあげたいですね〜。