Don't Cryout Loud

〜あなたしか見えない〜

Chapter6


 アリオス先生・…。

 美しい女性といるアリオスをずっと見ていることは、アンジェリークには絶えがたいことであった。
 感情をいつものように鉄の自制心で抑え、アンジェリークは深々と頭を下げた。
 そのまま彼女は逃げるようにして、再び手話学校の中に入る。

 今、話さなければならねえ!

 アリオスはそのまま彼女を追いかけ、車が往来するにもかかわらず、車道を横切る。
「アリオス! ちょっとどこに行くのよ!!」
「悪ィ、ちょっと待ってろ!」
 彼はただ栗色の髪の少女だけを求めている。
「アンジェリーク!」
 その名を呼んで、アリオスは彼女を求めて追いかける。
 ようやく栗色の髪が揺れるのを見つけ、その華奢な肩を抱き寄せた。
「・・・!」
 振り返って見つめる大きな瞳は、うっすらと涙が滲み、彼を非難しているように見える。
 それがアリオスには心苦しい。
「会いたかった! 会って話がしたかった!」
 その問いにも、彼女は頭を振るだけ。
「アンジェリーク!!」
 思い詰めたように降りてくる彼のまなざしが、今は苦しい。
 アンジェリークは視線を逸らせるかのように、俯く。
 手早く、いつも持っているメモを取り出すと、そこに書きつくった。
 『彼女が待っているから、早く行って下さい』
「アンジェリーク!」
 アリオスはさらに手に力を込めて、彼女が行かないようにしてしまう。
『まだ仕事が残っていますから』
 その文字に、アリオスは肩から手を外した。
『有り難う、さようなら』
 唇の動きだけで、彼女は彼に言葉を伝える。
 もう一度会釈をすると、アンジェリークは踵を返して立ち去った。
 アリオスはその後ろ姿を呆然と見つめていた。



 結局、ランチも余り楽しむことも出来ず、女ともレストランの前で別れた。
 彼の足は、自然とアンジェリークがアルバイトをする手話学校へと向いていた。
 もう一度あの笑顔を見たいという一念から、彼は学校の事務所を尋ねる。
「すみません、こちらで手話を習いたいのですが」
 生徒になってしまえば、彼女に何時でも逢うことが出来ると、考えての結果だった。
「はい、では学校についてのお話と、手話のレベルなどをお訊きしますね」
 事務的な手続きの後、アリオスは正式に手話学校の生徒となった。
 テキストを貰い、少しアンジェリークに近付いたような気がした。

 アンジェリーク、俺はやっぱりおまえを諦められない・・・。
 おまえは俺の一番純粋な場所に呼び掛けてくる。
 俺の濁っている心を浄化してくれる・・・。

 家に帰り、アリオスはテキストを開けながら、考えることは彼女のことばかり。
 
 自棄になっていたとはいえ、アンジェリーク以外の女を、抱いてしまうなんてな・・・。
 せめて元に戻りたい・・・、あいつと・・・。
 そばにいてほしい・・・!
 アリオスは、純粋に人を愛する苦しさを知った。



 アンジェリークは、今夜も余り夕食が入らず、テレビも見ず、自室に引きこもっていた。

 今日、アリオスといた女性綺麗だった。きっと綺麗な声で彼を呼ぶんだろうな・・・。

 少し溜め息を吐いた後、アンジェリークは肩に触れる。

 力強かったな・・・。アリオスの腕は・・・。私、本当は、あのままでいたかった・・・。
 あのままあの腕に抱かれていたかった・・・。だけど恋人のいる人だもの・・・。
 私とは住む世界が違う人なんだものね・・・。

 膝を抱えながら、アンジェリークは唇を噛みしめる。今夜もまた、声を押し殺して泣いていた。

                      -------------------------

 翌日、シナリオ学校の授業が三時で終わり、アンジェリークはアルバイト先に急いだ。
 頭を下げて挨拶をすると、アンジェリークがアシスタントを勤めている、ディア先生に呼び止められた。
「あ、アンジェリークさん」
「先生」
 もちろん手話で答える。
「今日から6時台の初心者クラスを受け持ちますから、よろしくね?」
 しっかりと頭を下げることでアンジェリークは答える。
「あとプラクティスの時に、一人半端になるから付き合ってあげてね?」
 何だか嬉しくなって、笑いながら彼女は頷いた。

 私もこうやって役に立つのが嬉しい・・・。人に迷惑を掛けてばかりだから、凄く嬉しいな・・・。

 アンジェリークは張り切って、授業の準備を始めた。


 アリオスは、らしくなく、心臓が高まっているのを感じる。
 栗色の髪をした少女に逢えると思っただけで、満たされるような気がする。
 用意された席に座りじっと始まるのを待つ。
 しばらくして多数の生徒が入ってきたが、皆、会社帰りのOLのように見えた。
 誰もがアリオスを見るなり、ときめかずにいられないようで、騒いでいる者さえいる。
 あれだけの容姿をしているのだから、それも当然である。
 アリオスは、騒ぎ立てる女達など目には入らなかった。彼の眼中に入るのは、栗色の髪の少女だけだ。
 チャイムが鳴り響いて、背筋のピンと張った女性とアンジェリークが入ってきた。
「皆様お静かに」
 ニコリと微笑む女性はとても魅力的に写っている。
 だがアリオスはアンジェリークしか見えない。
「皆様、はじめまして、公認手話通訳のディアです。本日から、皆様と一緒に手話を勉強していきます! よろしくお願いします」
 ディアは一端言葉を切ると、手話を使い始めた。
「お隣りにいるのは、アンジェリークさんです。彼女は私のアシスタントを努めてくれています。彼女は皆さんを助けてくれるでしょう。彼女は聞こえますが、話すことが出来ません。話しかけられるときは、手話でお願いしますね。アンジェリークさん」
 その名を呼ばれて、アンジェリークは頷くと、教壇に上がった。
 前を見た瞬間、アンジェリークは異色の魅力的な眼差しを見つけた。

 アリオス先生・・・。

 アンジェリークの顔から笑顔が消える。動揺とも取れる顔色と、足下が僅かに震える。
 アリオスも彼女を見つけ、じっと見つめる。
「アンジェリークさん、自己紹介をお願いするわ」
 その声に反応するように、アンジェリークは背筋を延ばした。深呼吸をして、手話を始める。
『アンジェリーク・コレットと申します。宜しくお願いします』
 簡潔にそれだけを手話で語り、ディアに通訳をしてもらうと、アンジェリークは教壇から降りた。
 だがアリオスは彼女を目で追わずにはいられなかった。
 最初の授業は自己紹介だった。
 アンジェリークが見本を見せ、それを生徒たちも一緒に繰り返してやる。
 ある程度こなれてきた所で、プラクティスタイムが訪れた。
「はいそれでは、皆さん、二人一組になって、練習をしましょう。男性はアリオスさんだけですから…アンジェリークさん組んであげて? その他の方はちゃんとペアを組んでやってください!」

 私がアリオス先生と…。

 アンジェリークは固まってしまって動くことが出来ない。
「ほら、アリオスさんがお待ちですよ? 行っておあげなさい?」
 ディアに言われて、アンジェリークは躊躇いがちに返事をすると、彼の席に向う。
「宜しく、アンジェ」
 その言葉に彼女は頷くだけ。
 練習は真面目に行われた。
 アリオスは、アンジェリークを困らせることなく、真摯な態度で手話を会得しようとしている。
 彼女にとってはそれが嬉しかった。
 彼に自分の世界を覗いて貰ったような気がして堪らなくうれしかった----

 アリオス…。
 この瞬間から、私はどうしようもなく、あなたに溺れ始めたの…

TO BE CONTINUED…

コメント

『愛の劇場』第四弾は、話すことが出来ないアンジェリークと、言葉を紡ぐことを
生業としているアリオスです。
アンジェリークのためなら心を入れ替えることが出来そうなアリオスさんです。
次回は結構書きたいシーンです!(*^^*)