アンジェリークの表情が、随分和らいで、明るいものになる。 彼女は純粋に嬉しそうな表情をして手話で答えた。 『手話の勉強されているんですか?』 当然、付け焼き刃のアリオスにはその意味など判るはずはなくて。 「すまねえ、俺、始めたばかりだから、挨拶ぐらいしか出来ねえんだ」 その言葉に、アンジェリークはくすりと笑って頷いた。 その笑顔に、アリオスはしばし見惚れる。 ごそごそとバッグから昨日と同じスケッチブックを取り出すと、そこにさらさらと文字を書き始めた。『手話は始められたばかりですか?』 それを見て、アリオスは嬉しくなって、珍しくも笑う。 「ああ、本を読んでな。あ、あの席が空いてるから座らねえか?」 アンジェリークも頷いて、アリオスの後に着いていった。 二人は仲良く隣同士に座り、色々と”話し”始めた。 『このドラマもアリオス先生の原作脚本ですよね? 凄く面白いです』 アンジェリークは、さらさらとスケッチブックに言葉を綴りながら、アリオスに見せた。 「サンキュ! そう言ってもらえると、書いているかいがある」 『田舎にいる時から、何時もみてました、先生のドラマ』 アンジェリークが本当に嬉しそうに書いてくれるものだから、アリオスもまた温かな気分になる。 この少女といると、心が澄んでくるような気がする・・・。 「田舎?」 『レイチェルも私も、アルカディア高原出身です。彼女はスカウトされて二年前こっちに来たんです。私は勉強の為、この春こっちに出てきました。今は、レイチェルと一緒に暮らしています』 あの手話の挨拶のせいで、随分と打ち解けてくれたのか、アンジェリークには昨日の強張った表情はなく、むしろよく話してくれた。 「勉強は順調か?」 アリオスはアンジェリークを覗き込むように見つめる。その澄んだ瞳に、自分の姿を写していたかった。 彼女はすっかりはにかんでしまうと、俯きながら、字を操る。 『難しいです。勉強のために、レイチェルに頼んで、撮影所を見せてもらってますけど・・・』 真摯な彼女の横顔を見つめながら、アリオスは惹かれている自分を感じた。 『私、先生のドラマを見て、この仕事をしたいなって思いました』 少し緊張をしているのが判るように、固い字で書かれているのが、好ましい。 「だったら、脚本とか何かあったら、見てやろうか? なんだったら、俺の仕事場に来て、見学するのはどうだ?」 アンジェリークは本当に心から嬉しそうに笑った後、遠慮がちに彼を見る。 『いいんですか? 私なんかお邪魔してしまって』 その謙虚さすらも、アリオスには新鮮でたまらない。 「かまわねえよ。待ってるから」 アリオスが自ら誘って自分の仕事場に人を入れるのは、初めてのことであった。 穏やかな空気が二人の中に流れてくる。誰もがこの空気を甘く感じずにはいられない。 遠くから見ていても、二人は似合いのカップルにしか見えない。 「ねえ、あの子、アリオスの恋人? いい雰囲気が出てるね」 たまたま、ドラマのポスター作りの打ち合わせにきていた、芸術家のセイランが、スタッフに耳うちをした。 「いえ、彼女はレイチェルの幼馴染みで、脚本の勉強にきていただけです」 「ふーん、にしては、いいかんじだね。アリオスがあんな表情をするのは珍しい」 セイランは創作意欲が沸いたらしく、簡単なスケッチを始めていた。 二人の様子を見ていた人影がもうひとつあった。 アリオス・・・!!! その影からは、嫉妬と言う名の情念が、溢れていた。 「アンジェ!!」 撮影が終わったレイチェルが、いち早く駆け寄ってきてくれる。 彼女は、隣にちゃっかりいるアリオスに、少し困惑ぎみの眼差しを送った。 レイチェルはわざと手話で会話をする。 『何もされなかった?』 『うん、先生は紳士だった』 『紳士の仮面を被った狼!』 レイチェルの手話に、アンジェリークは楽しそうに笑う。 だが、表情だけで、声はなかった。 その魅力的な微笑みに、アリオスは食い入るように見つめる一方、その声が無性に聴きたくなった。 アンジェリークの声は、きっと澄んでいて綺麗だろう・・・。心と一緒で・・・。 「アンジェ、アリオス先生が夕ごはんを一緒にどうかって言ってるけど、どうする?」 その途端アンジェリークは頬をくれないに染めて、本当に嬉しそうな表情を純粋にする。 『いいのかな? 私なんかが行って…。先生はレイチェルに用事があるんじゃないの?』 余りにもの的外れで、自分を判っていないアンジェリークに、レイチェルは苦笑した。 「勿論アナタとお話がしたいからよ! アンジェ! ねえそうでしょう、先生!」 レイチェルは、アリオスにウィンクをして明るく話し掛ける。 「俺はあんたと話したかったんだ。アンジェリーク」 アリオスの言葉にアンジェリークはほっとしたように笑うと、静かに頷いて見せた。 「撮影が終ったら、直ぐに行こうな?」 甘い眼差しを向けられて、アンジェリークははにかむ以外のことが、出来やしなかった---- 嬉しさに輝くアンジェリークの瞳。 だが、それを疎ましく思うものの影が、まさに手が届く所で近づいていた---- ----------------------- レイチェルのパートの撮影が終るまで、アンジェリークとアリオスはずっと語り合っていた。 レイチェル以外で、アンジェリークがこんなに話すのは、都会に来てからは全くといってなかった。 それが今、夢中になって会話を進めている。 「手話をあんたから習いてえんだが・・・、ダメか?」 意外な申し出に、アンジェリークは目を丸くした。 『先生が望むなら喜んで!』 素早くかかれたもじに、アリオスは本当に満足そうに笑う。 「サンキュ! その代わりに俺も、あんたの脚本の勉強に協力するから」 アンジェリークは微笑んで、何度も何度も彼に頭を下げた。 「これじゃあ逆だ、アンジェリーク…。 交渉成立だ」 そういって、アリオスは、当然のようにアンジェリークの白く柔らかな手を手に取る。 「…!!!」 その瞬間、アンジェリークは耳まで真っ赤にして、その手を引っ込めようとする。 恥ずかしい…!!! 勿論アリオスは、その初々しい反応に楽しんでしまう。 男の手を握ったことのない手か… 運命は、確実に二人を恋に巻き込んでいった。 レイチェルの撮影も終って、アリオスの車で、三人は"イタリアンレストラン”に行くことにした。 アンジェリークが歩いていると、急に何かが出てきて、彼女はそれに躓く。 「・…!!!」 倒れそうになったアンジェリークを、アリオスは素早く支えた。 「大丈夫か!?」 突然、精悍な彼の腕の中にすっぽりと身体を閉じ込められて、アンジェリークはドキリとする。 彼女は心臓の鼓動を早くしながら、何とか頷いた。 その様子を後ろから見ていたレイチェルは、表情を強張らせる。 誰かの足だった…!! 誰がアンジェを落としいれようとしているの!? レイチェルは、恋を知り始めたときめきをアンジェリークの中に見出す。 アンジェ、私はアナタが傷ついて欲しくない…。 アリオス先生の相手の恋だと、あなたは確実に傷ついてしまうような気がして…。 アナタは誰よりも純粋な心を持っているから…。 ねえ、アリオス…。 私はこの瞬間から、あなたに恋をしたの…。 あなたに出会った瞬間から、私の人生は輝き始めたのよ----- |
TO BE CONTINUED…

コメント
『愛の劇場』第四弾は、話すことが出来ないアンジェリークと、言葉を紡ぐことを
生業としているアリオスです。
まだ明るい部分ですが、次回からは…です。
ちなみにこの創作のタイトルは、リタ・クーリッジの昔の曲からです。
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