Don't Cryout Loud

〜あなたしか見えない〜

Chapter16


「アンジェ、やっぱりアリオス先生と一度話したほうがいいよ・・・」
 昨夜は、アリオスを求めて手を延ばそうとしていたアンジェリークに、レイチェルは胸を痛めながら訊いた。
 だがアンジェリークの決意は堅く、首を横に振る。
「アンジェ・・・」
「手紙書いたから渡して欲しいの」
 手話で語る彼女は、とても淡々としていて、大人びて感じる。

 そうだよね…。
 うまくはいかなかったけれど、アナタは愛する男性の子供を産むんだもんね…
 強くならなきゃだめなのよね…。

「判った。渡しておく」
 差し出された手紙を、レイチェルはしっかりと受け取り、頷いた。
「有り難う」
 穏やかに微笑んで礼を言うアンジェリークは、どこか透明感があり、美しい。
 母親になるというのはこんなに美しいものなのかと、レイチェルは思わずにはいられなかった。
「もうすぐ電車の時間だから」
 アンジェリークは、手話で話すと、鞄を持って立ち上がる。
「行こうか」
 レイチェルも微笑み、二人は駅へと向かった。

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 アリオスはベッドがこんなに広かったのだと、今更ながらに感じていた。
 三か月前までは確かにひとりで寝ていたはずなのに、それで平気であったはずなのに、今は、空洞を感じる。
「アンジェ・・・」
 昨日までそばにあった日だまりのような暖かな光。
 アリオスは、その暖かさを求める余り、ベッドから出た。
 これ以上ここにいれば辛いのは判っていたからである。
 だが、部屋のどこを歩いても、アンジェリークの姿を思い浮かべてしまう。
 キッチンで料理をしている姿や、リビングでくつろいでいる姿・・・。
 そのひとつひとつが今は華やかな影となって現れては消える。
 心を満たしてくれるはにかんだような笑顔は、アリオスの心の中で愛しさを増していた。
「アンジェ・・・」

 ベッドの中では、身も心も癒してくれる女神だった。
 いつも小さい身体を擦り付けてくるのが可愛かった。
 おまえを失いたくない・・・。アンジェ・・・。

 アリオスは、テーブルの上に、自分の名前を書いた婚姻届と、指輪を置く。

 俺にもう一度アンジェを与えてくれ・・・。
 頼む。

 祈るような気持ちで、アリオスはそれらを見つめると、ポケットに詰め込み、部屋を決意を秘めて出ていく。

 俺は、どうして、あんなちっぽけなことを拘っていた・・・?
 エリスとアンジェは違うんだ・・・。
 にも関わらず、俺は二人を同一視していた。
 アンジェはエリスと違って、虚弱ではない、健康な娘なのに…。
 俺はエリスと重ね合わせて、あのようなことを二度とみたくないと思った。
 俺の子供を妊娠し、そのために子供とともに死んでいったエリスを-----

 アリオスは、車に乗り込むと、エンジンを掛ける。

 アンジェ…。
 俺は、おまえの気持ちをひとつも汲んでやれなかった…。

 耳元に蘇るエリスの声。
『アリオス、赤ちゃんが出来たの!!』
 嬉しそうに笑っていた表情までもが蘇ってくる。

 アンジェ…。
 俺はおまえの喜びを否定していたんだな…。

 アリオスは、アンジェリークを取り戻すために、一歩を踏み出す。

 愛してる…。
 おまえ以外にもうだれも考えられねえから…。
 その手を掴んだらもう二度と離さない…。

 アリオスは、総ての思いを込めて、アンジェリークの元に急いだ。

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 アンジェリークとレイチェルは駅にいた。
 アンジェリークの乗る特急は既にホームに入線している。
「アンジェ、ロザリア先生によろしくね」
 アンジェリークばしっかりと頷き、潤んだ瞳でレイチェルを見た。
「レイチェル、今まで有り難う・・・」
 手話をする手が震える。
「何言ってんの! 友達でしょ!」
 ふたりはしっかりと抱き合い、涙をみせあう。
「産まれるとき手伝いに行くから」
 二人はもう一度抱き合い、離れた。
「元気で!」
 レイチェルが言えば、アンジェリークはしっかりと頷いてこたえる。
 アンジェリークが特急に乗り込むと、間もなく発車を告げる音が鳴り、ホームから列車は出ていく
 アンジェリークが乗る特急が見えなくなるまで、レイチェルは見送っていた。

 ぼんやりと車窓から、遠ざかる風景を見つめながら、アンジェリークは、ぼんやりとアリオスを思う

 さよなら…。
 私には、この街の総て眩しすぎたのね・・・。
 さよなら…、アリオス…。
 ずっとあなただけを愛してるわ、きっと…。

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 レイチェルが住むマンションの前で車を止めると、アリオスは、急いで彼女の住む部屋へと向かう
 早くアンジェリークを取り戻したくて、心が逸る。
 玄関の前に来ると、インターホンを激しく押した。
 だが応答はなく、アリオスは次第にいらだちを募らせる。
 何度もドアの前を往復し、インターホンを押す。
 次第に応答がないことに、アリオスは嫌な予感がした。

 まさか、どこかに言ってしまったんじゃ・・・。

 不意に足音が聞こえてきて、アリオスは音に注目する。
 少しだけ期待が膨らむ。
 だが、見えたのはレイチェルひとりだけだった。
「アリオス先生、何をしに来たんですか?」
 今までの中で、一番、きついまなざしが光る。
「アンジェに会いたい」
 切り込むようにアリオスは言うが、レイチェルの鉄のようにかたくなな心には届かなかった。
「アンジェはもういません、帰ってください」
 感情のない、心底冷酷な心は、アリオスがつけたアンジェリークの傷の深さを表していた。
「逢わせてくれ!」
 だが、ここで怯んでは、アンジェリークと繋ぐ糸が切れてしまうと、アリオスは必死だった。
「アンジェはもういません! 彼女から手紙を預かっていますから、それを持ったら帰って下さい」
「手紙・・・」
 アリオスは、レイチェルをじっと見つめ、切なげに呟く。別離のものであるには違いないと、予感をしながら。
「どうぞ。中に入って待っていて下さい」
 レイチェルは、アリオスを部屋に招き入れ、ダイニングに通した後、机に直しておいた手紙を出して来た。
「アンジェからの最後の手紙です」
 差し出された手紙を、アリオスはしばらく見つめた後、それを手にとり、開いた。

 アリオス様へ。
 今までどうも有り難うございました。
 あなたと暮らした四か月は、とても幸せでした。
 言葉を失ってから、一番の幸せの時でした。
 ごめんなさい、あなたの意に反することになってしまって。
 おなかの子は産みます。
 産ませて頂きます。
 ですが、あなたには何の責任もありませんから、心配されないで下さいね。
 これからはこの子を育てて生きていきます。
 有り難うございました。
 もうお逢いすることはないですが、いつまでもお元気で、素敵な作品を生みつづけてください。
 今度はあなたのいちファンとして、作品を見ていきます。
 さよなら、アンジェリーク。

 アンジェ…

 アリオスは、呆然と手紙を見つめることしか出来なかった。
 手紙を胸にしまうと、アリオスは真摯な日眼差しをレイチェルに向けた。
「お願いだ。アンジェリークの居場所を教えてくれ…! 頼む」
 アリオスは深深と数多を下げ、レイチェルに心から答えを請う。
「先生…」
 レイチェルは暫く黙っていたが、やや思うことがあり口を開いた。
「-----先生、どうして、あんなにアンジェの妊娠を拒んだのか、それを訊きたいの。
 それを訊いて、判断するわ…」
 レイチェルのその言葉に、アリオスはいささか戸惑いを覚えたが、アンジェリークを取り戻すためなら、話せるような気がした----

TO BE CONTINUED…

コメント

『愛の劇場』第四弾は、話すことが出来ないアンジェリークと、言葉を紡ぐことを
生業としているアリオスです。
次回最終回です。