仕事が終る前、レヴィアスは、院長に直々に呼び出された。 「帰る前にわざわざすまないな…」 「いえ…」 レヴィアスはなぜ呼び出されたか判りきっていた。 だが無言で何も言わず院長を見詰める。 「ご用件は…」 院長は残念そうにふうっと息を吐き、ゆっくりとレヴィアスを見た。 「先方がお断りの電話を入れてきた。わざわざクリスティ−ヌさんがな。事情があるからといって…」 「・・そうですか…」 聞きながら、レヴィアスの心の奥が少し痛む。 もう自らの心に背くことはしたくなかったから。 出来なかったから。 あの、命のともし火が消えようとしている、大事な少女の為に。 「残念だったな…。まあ、君なら、また…」 レヴィアスは曖昧に院長を見るだけ。 「話はそれだけだ…。引き止めてすまなかった」 「いいえ・…。失礼します」 院長室を出て暫く歩くと、レヴィアスはふうっと溜息を吐いた。 クリスティーヌ…。 有難う… 「レヴィアス先生」 「エルンスト」 私服に着替えたエルンストが、通用口前で声を掛けてくる。 オフの彼もまた彼らしく少し堅苦しいが、好ましくもあった。 「行きましょう。アンジェリークとレイチェルが待っていますよ?」 「ああ」 二人は駐車場に行き、互いの車に乗り込む。 レヴィアスは、母のプレゼントとともに、渡しそびれている、アンジェリークへのプレゼントを見つめる。 アンジェ…。 想うだけで、心の中に甘い痛みが駆け抜ける。 アンジェリークは、最早、レヴィアスの心の中で、大きな存在となり、一番美しい場所に住む唯一の"天使”になっていた こぼれ行く彼女の命を、どうしても止めたい。 それが、彼の最初で最後の願いだった…。 ---------------------------------------- 二台の車は、アルヴィース邸の駐車スペースに停まった。 二台ほど増えても全く問題がないといった感じである。 自分の家に帰るだけなのに、レヴィアスはエルンストよりもずっと緊張をしていた。 アンジェリークと逢うだけのことなのに、甘く切ないときめきを感じる。 俺らしくないな… 息を深く吸い込むと、レヴィアスは、インターホンに指を掛ける。 その姿を、エルンストは好ましく見ていた。 「・・・はい?」 インターホンに出たのは、アンジェリークの声だった。 彼の心を最もくすぐる甘い声。 「レヴィアスだ…」 「あっ…、お兄ちゃん」 一瞬間があるのは、アンジェリークのぎこちなさ故だった。 「いま、開けるね?」 インターホンをきると、アンジェリークはレイチェルと二人ぱたぱたと玄関先へと急ぐ。 ドアを開けたのはレイチェルだった。 「やっほ〜エルンスト、こんばんはレヴィアスさん」 「こんばんはレイチェル、アンジェリーク」 エルンストが声を掛けると、レイチェルの影からひょっこりとアンジェリークが顔を出した。 その姿を見て、レヴィアスははっとする。 アンジェリークは益々美しくなっていて、触れてしまえば消えてしまうような儚いものだった。 「こんばんはエルンストさん…、レヴィアスお兄ちゃん…」 このまま、華奢な身体を抱きしめて、この場から連れ去ってやりたかった。 その衝動をぐっと押さえて、レヴィアスは拳を握り締める。 「ただいま、アンジェ」 レヴィアスは、昔のようにアンジェリークを見つめて優しく呟くと、彼女の瞳の光が輝くのを感じた。 「お帰り! おにいちゃん!」 あの頃と同じように、アンジェリークは少し涙ぐんではいたが、笑顔で挨拶をしてくれる。 その二人を見ていると、レイチェルはなきそうになってしまう。 そこには温かな愛がある。 決して誰にも邪魔されることなどないような、崇高な愛が。 「ほら、ぼっとしてないで行くぞ」 「うん」 彼女が子供の頃そうだったように、レヴィアスは髪をくしゃりと撫でてやる。 それが妙に心地よくて、アンジェリークは笑った。 神様…。 最後の素敵な夢を有難う… 仲良くLDKに行く二人の姿を見て、エルンストとレイチェルは微笑まずにはいられなかった。 夕食パーティーはとても和やかで楽しいものとなった。 レヴィアスとアンジェリークは向かい合って座り、時折笑みすら交し合う。 アンジェリークが、もし健康な少女だったら…。 こんなに嬉しいことなどないのに…。 レヴィアスの両親はそう思わずにはいられなかった。 穏やかな団欒が澄み、デザートの時間となった。 レヴィアスは、時折、アンジェリークの顔色を見ながら、彼女の体調を気遣ってはいたが、今夜の彼女は元気そうだ。 「さてと、ケーキでデザートと行きましょうか」 「あ、おばさんは座っててください。私とレイチェルでしますから」 穏やかに笑い、アンジェリークはレイチェルと二人キッチンに入った。 てきぱきと準備をする彼女を目を細めて見つめ、レヴィアスは幸せの幻影を見る。 キッチンに彼女が立ち、彼がダイニングテーブルで待つ姿を---- だがその幻影が現実になる確率など、殆どないといっても良かった。 「出来た」 二人はお盆に紅茶やコーヒーそしてケーキを載せてやってきた。 飲み物はレイチェル。 ケーキはアンジェリークが受け持つ。 レヴィアスの前に来たとき、以前のことがあったからか、アンジェリークは一瞬強張った。 「…お兄ちゃんは、要らないよね?」 「----いや、頂こう」 折角彼女が心をこめて作ったものなのだ。 これを食べなかった自分が、今はとても愚かなように思える。 レヴィアスの言葉にアンジェリークは少し嬉しそうにはにかんで、頷き、ケーキを彼の前に置いた。 全員分の準備が整ったところで、アルヴィース夫人へのプレゼントの贈呈が行われる。 レイチェルとエルンストからはショール、レヴィアスからはブローチ、そして、アンジェリークからは----- プレゼントの中身を知っているレイチェルは涙が出そうだった。 「私から…、おばさんに…。おじさんにもあるの。大したものじゃないけれど…」 そっと差し出された二つの包みに、二人は本当に嬉しそうに微笑んだ。 少女のことだから、きっと形見になると思って選んだのだろう。 そう思うだけで、泣けてくるが、誰もが我慢した。 「何かしら…」 わざと明るく振舞って、アルヴィース夫人はアンジェリークのプレゼントを開ける。 そしてレヴィアスの父も。 その物が明らかになったとき、誰もが胸を詰まらせた。 夫婦湯のみで、”ありがとうお母さん”"ありがとうお父さん”とかかれている。 「ちょっとベタだったかしら?」 おどけて言う彼女に、その場にいたものが少し和む。 「有難うアンジェちゃん、大切にするわ…」 心から言われて、アンジェリークは嬉しそうに微笑んだ。 「サ、ケーキ食べましょ!」 アルヴィース夫人の言葉でケーキを食べることになり、アンジェリークはレヴィアスの動きに注目する。 レヴィアスもそのことはわかっていた。 だから彼は、フォークをケーキに近付け、食べる。 食べてくれた! そのことが嬉しくて、アンジェリークはたまらなかった。 「うまいな?」 低く呟かれた言葉に心がこもっていることをアンジェリークはだれよりもわかっていた。 「有難う!」 泣き笑いの状態で、彼女は笑いかけていた---- ----------------------------------------- いい時間になりお開きになった。 勿論、レイチェルはエルンストに送ってもらい、自然と、アンジェリークはレヴィアスに贈ってもらうこととなった。 アルヴィース房いい挨拶を下後、夫々の車に乗り込み、アルヴィース邸を後にした。 「ごめんね、お兄ちゃん、手間取らせちゃって…」 「いいや…」 運転しながら前を見るレヴィアスを、アンジェリークはじっと見つめる。 「お兄ちゃん、今夜は有難う・・…。 私が小さなときみたいに接してくれて・…、嬉しかった…。 最後にいい思い出を有難う…」 その言葉に、レヴィアスは突然急ブレーキを掛けちた。 「きゃっ!」 悲鳴とともに揺れた彼女の身体を、レヴィアスは力いっぱい抱きしめる。 「お兄…ちゃん…」 「そんなこと言うな! おまえはこれからずっと生きていくんだ! もっともっと思い出を作っていくんだ!」 「----だったら、思い出を作って…! 一度でいいから…! あなたに…」 二人の情熱が溶け合う。 じっと官能に煙った艶やかな眼差しをアンジェリークに向ける。 「いいのか?」 「うん…」 その一言で決まった。 レヴィアスは、アンジェリークの体から一旦離れると、再びハンドルと向かい合う。 そして車は動き出す。 レヴィアスのマンションへと---- |
コメント