ブランド『ドリーム・ジュエル』の新ライン『エンジェル・ホリデイ』のモデルに決まってからというもの、アンジェリークは、美容についてのアドバイスを受けるために、頻繁にアリオスの店へと通った。
『美容のアドバイス』
それはあくまで表向きで、彼女は毎日ただたんにアリオスに逢いたいだけだった。
内心は、アリオスに逢う良い口実が出来たと、喜んでいる。
レイチェルもアドバイスを受けてはいるが、半ば、アンジェリークの付き添いといっても良かった。
今日は、委員会でレイチェルが遅くなるため、アンジェリークだけの「ご出勤」だ。
「こんにちは〜、ニキビの直し方訊きに来ました」
明るく素直なアンジェリークが店内に入ってくると、それだけで店の雰囲気が穏やかで優しいものに変る。
「いらっしゃい、アンジェ」
たまたま、アシスタントのシャンプー待ちをしていたセイランが笑顔で迎えてくれる。
彼女はそれを眩しい笑顔で答える。
誰もが憬れてしまうような笑顔。
彼女は自分のその魅力にすら全く気がついていない。
アリオスが彼女を人前に出したくない理由が判るような気がするな。
全く…、罪な天使だよ。君は。
彼は苦笑いをしながら、彼女の傍らに、これまた元気な彼女の親友の姿がないことに気がついた。
「あれ、レイチェルは!?」
「今日は委員会で抜けられないから、一人で来たの」
どこか手持ちぶたさな風のアンジェリークに、セイランは可愛いと思ってしまう。
アリオスの手前口にこそは出さないが、この皮肉屋の心すらも、少女は奪ってしまう勢いなのだ。
「ところで、アリオスは!?」
言いながらも、彼女の視線はアリオスを求めて彷徨っている。
「あっ、そうか…、今日は…」
無意識にセイランは呟くと、考え込むように手を口元に持っていった。
少し険しい表情が一瞬、彼の繊細な美貌に現れる。
今日はあの女性(ひと)が来ているんだったな・・・。
ヘンな誤解をしたらまずいな・・・。
あの雑誌見た日には…
「セイランさん!?」
その不自然な動きに、アンジェリークは大きな瞳で彼を覗きこんだ。
「あ…、ああ、アンジェ、今日の質問は僕が答えるからさ、それ終わったら帰ったほうがいいよ」
少ししどろもどろに答えるセイランを、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「いないの?」
「あ…、ああ、いない…」
言いかけたところで、二人の視界に、不機嫌そうに奥のブースへと向かうアリオスの姿が飛び込んできた。
「あっ、いるじゃないの!! セイランさんってば!」
少し拗ねる彼女を、いつもは可愛いと思うのだが、今日はそれよりも心配の方が勝る。
彼女を傷つけたくないのは、彼も同じだからだ。
「いたっけな・・・、店長」
「じゃあ。アリオスに逢って来るね!!」
「ちょっと、アンジェ」
セイランの制止も聞かず、アンジェリークはアリオスに駆け寄っていった。
「アリオス〜」
「ああ」
彼は考え事をしているようで、その返事は、感情が感じられないほど冷たかった。
「アリオス!?」
その冷たさが、先ほどまで弾んでいた彼女の心に冷水を浴びせ掛ける。
「いいから今日は帰れ。悪ぃがおまえの相手をしている暇はねえ」
彼の声の調子はいつもと違いどこか苛々しており、その論旨のきつさに、アンジェリークは胸に鋭い痛みを覚えた。
「…ごめんなさい…」
彼女の元気さはすっかりなえてしまい、肩を落とすと、がっくりとうなだれてしまった。
華奢な彼女がそうすると、儚げに見え、アリオスもまた胸を痛める。
言い過ぎたと、アリオスが舌打ちしたとき、アシスタントのランディが駆け寄ってきた。
「すみません、店長!! ローズマリー様はお時間がないそうなので!!」
「わかったすぐ行く」
しょーがねえ、後で謝るか…。
ったく、タイミングが悪イ。
踵を返すと、アリオスは心だけを彼女に残し、VIPルームへと足早に向かう。
どうして彼があんな言葉を言ったのかを知りたくて、アンジェリークは、彼がVIPルームに入った後、そっと彼の後を追った。
VIPルームは店の一番端にある、歩道からは死角になっている、シースルーのブースのことを言った。
アリオスが著名なヘアメイクで在るが故に、女優・モデルと言ったVIP客も多いための配慮だった。
アンジェリークがそっと影から覗いているのを気づかずに、彼はVIPルームの客と楽しげに談笑している。
もちろんそれは営業スマイルなのだが、アンジェリークにはまだそこが良くわからない。
アリオス…、楽しそう・・・。それにあの女性、雑誌やコマーシャルでよく出てるモデルの人だ…。
そこにいたのは、スーパーモデルのローズマリーだった。
ローズマリーは艶やかで大人の魅力を醸し出す、アンジェリークとは対極をなすようなモデルだった。
アリオスのローズマリーに対する笑顔を、アンジェリークはとてもじゃないが正視できず、そっとVIPルームから離れた。
アリオス…、やっぱり、あんな大人な女性(ひと)が好きなのかな・・・。
何もかも私と正反対だ…
アンジェリークは益々自信を失ってしまい、俯いたまま、とぼとぼとサロンの入り口へと向かう。
「お邪魔しました…」
いつもと違って元気のない彼女に、サロンのスタッフも彼女に釣られて元気がなくなっていくような気がした。
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いつもの倍の時間を掛けて家路に着いていると、ふと本屋の吊り広告が目に付いた。
『スーパーモデルローズマリーのニューモードヘア!! アリオス氏のアドヴァイス付き!!』
そのタブロイド誌に引き寄せられるようにして、アンジェリークは本屋の中に入った。
お目当ての雑誌を見つけると、彼女は早速手にとり、目次でページを探して、それに見入った。
ローズマリーの新しいヘアスタイルの発表と、仲むつまじそうに話し合う二人の様子が掲載されている。
だが、最後に目に付いたグラヴィアが彼女を凍りつかせた。
それは、アリオスが艶やかな微笑で優しそうにローズマリーに笑いかけている写真だった。
私には、こんな表情はしてくれない…!!
アリオス、優しそう…。
やっぱりこの人が大事だから、あんなこと言ったの!?
全身が震えて、立っていられなくなる。
顔色が紙のように白くなり、全身に鋭い痛みが駆け抜けてゆく。
それは心の痛み。
彼女は何とか雑誌を置いて、本屋を出た。
その途端、我慢していた嗚咽が漏れて、どうしようもなくなっていた。
やっぱり私じゃ、いくら背伸びをしても釣り合わないんだ…
どうして、もっと早く生まれなかったんだろう…。
何とか家に辿り着いたアンジェリークは、先ずオリヴィエに電話をする。
このままだと、私は上手く笑えない・・・。
皆さんにご迷惑がかかる。
「ハーイ! アンジェちゃん!!」
電話越しにオリヴィエの明るい声が響き渡って、彼女は少し胸を痛める。
「撮影は10日後だよ? 準備はオッケイかな〜」
「あ・・あの…、オリヴィエさん…」
弱々しい彼女の声のトーンに気がついて、オリヴィエはすぐに明るい論旨を引っ込めた。
「私…、モデル、やっぱり降りさせていただけませんか?」
「アンジェちゃん!! どうして何で!!」
衝撃的な告白に、オリヴィエの声は大きくなり、椅子から立ち上がる音が受話器から聴こえるのが判る。
がっかりとした彼の声に、アンジェリークの胸も切なくなる。
しかし、誰にも迷惑をかけたくないのが、彼女の願いだった。
「私…、このままだと…、上手く笑えないんです…、お願いです…、もうこれ以上は…」
電話口から聞こえる嗚咽の混じった声に、オリヴィエはこれ以上もう何もいえなくなっていた。
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ようやく仕事が終わり、アリオスは真っ先にアンジェリークの携帯に電話を掛けた。
しかし何度掛けても繋がらず、とりあえずはメールを送った。
だが、どうしても自分の声で謝りたかった。
彼は今度は店の電話を取り、彼女の自宅へと電話を掛ける。
「はい。コレットです」
出たのは彼女の母親だった。
「アリオスですが、アンジェリークは?」
「あら、アリオス、久しぶりね。ごめんなさいね、アンジェリーク、夕方に帰ってきたらすぐに、気分が悪いと言って寝込んでしまって…」
その原因に、思い当たるふしのあるアリオスは、臍を噛んだ。
失言と言っても良かった彼女への言葉。
よほど傷ついていたのかと思うと、いたたまれなくなる。
「とにかくそういうことだから、また、連絡してやってください。喜びますから」
「どうも」
アリオスが受話器を置くと途端に、電話のベルが鳴り、彼は再び受話器を取った。
「もしもし?」
「オリヴィエだよ〜!!」
底抜けに明るい友人の声にも、敏感な彼は反応する。
「何かあったか?」
「ぴんぽん! さすが鋭いね。それか原因がわかっているのかも知らないけれど」
「原因!?」
それこそ訳がわからず、アリオスは眉根を寄せる。
「----アンジェちゃんが…、モデルの仕事を断ってきた…」
それは、アリオスにとっても、衝撃だった-----
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コメント
今回は、少女漫画のお約束「結ばれる前の誤解」の回です。
勿論お約束はもう目の前ですので、宜しくお願いします。
しかし、これもまたまた久々の更新でしたね〜。
