帰り道、「実の母」だと名乗った、アネットの言葉を、アンジェリークは反芻していた。 「私の本当のお母さんって・・・」 小刻みに身体を震わせ、動揺を隠し切れないアンジェリークは、震える声で小さく呟いた。 「そうよ。驚くのも無理ないけど・・・」 アネットも動揺していたのか、混ざり切ったコーヒーをさらにかき混ぜている。 「あなたを産んだ17年前、わたしはあなたを手元で育てられなくて、コレット医師に託したの・・・。それから毎年先生はあなたの成長記録を送ってくれたわ。もちろん、亡くなった後はアリオスさんがその役割を担ってくれた。ずっとね、あなたを忘れたことなんてなかったわ・・・」 涙がいっぱいで潤んだまなざしを、アンジェリークに向けながら、端の依れた写真を、そっと彼女に差し出した。 「私・・・!?」 その写真にアンジェリークは息を飲む。同時に母の思いが胸に染み入るのがわかる。 「いつも一緒だったのよ」 母の心が痛切に自分の心に降りてくる。 「今度、あなたの本当のお父さんと、ようやく結婚出来るようになって、・・・」 アネットは潤んだ決意を秘めたまなざしで、まっすぐとアンジェリークを見た。 「親子三人で、一緒に暮らさない?」 予想できた答えだった。だが、やはりその言葉の衝撃は計り知れないものがあった。アンジェリークはすっかり動揺し、硬直してしまい、次の言葉が続かない。 「もちろん、今すぐにとは言わないわ…。 だけど、前向きに考えて欲しいの…」 期待するアネットの眼差し。 それが痛く胸に突き刺さる。 見たくなくて、彼女は僅かに目を伏せた。 そこまで反芻して、アンジェリークは大きな溜息を吐いた。 答えなんか、最初から決まっている。 私はあの家から離れたくない…。 そう、アリオス御兄ちゃんと離れたくない… ----だけど… 彼女は制服のブラウスを捲り、最近酷くなりだした、腕の内出血の後を見る。 これが何を意味するか見極めないと…。 「ただいま〜」 家に帰ると、玄関先には、険しい顔を下二人の兄が、彼女を待ち構えていた。 「あ、ごめんね? 帰るの遅くなって・・・。夕飯の支度をするね?」 兄たちがどうして険しい顔をしているか判らず、アンジェリークは怯んでしまった。 「メシは寿司を取ったからいい。それよりもおまえには話がある」 有無を言わせぬアリオスの厳しい言葉に、アンジェリークは従うしかなかった。 二人の兄に応接室に連れていかれて、彼女は神妙な顔持ちになった。 「あの女と逢ったらしいな」 心の奥底を冷たくするような冷酷なアリオスの声に、アンジェリークは顔を蒼白にする。”あの女”軽蔑が込められた言葉が誰をさしているか、判る。 「どうして・・・」 背中に冷たいものが流れるのを、彼女は感じる。 「レイチェルが見たんだ・・・」 「何で着いていった!?」 オスカーの強い調子に、彼女は身体をびくつかせた。 「オスカー」 声が荒れているオスカーをアリオスが嗜める。 「たまたま、お財布を拾って・・・、お礼にって」 アンジェリークは、しどろもどろに答えた。真実を言うことが出来なかったのである。 倒れたところを助けてもらったって言ったら、きっとお兄ちゃんのことだから、検査するって言うに決まってる。 だから・・・ 「アンジェ、で、何と言った?」 怖いほど冷静なアリオスに、彼女は逆に恐ろしく感じた。 「・・・私を引き取りたいって・・・」 部屋の中に重い緊張が走る。それがアンジェリークを息苦しくさせる。 「それで何と言った?」 迫るようにアリオスに言われ、アンジェリークは思い詰めたように俯いた。 「お姉ちゃんスカウトされたのかな〜。ちょっと立ち聞きしちゃえ!」 レイチェルは、違う意味で三人の話に興味があり、応接室の前にそっと立った。 あ、聞こえる! 「何も言わないってことは、”一緒に暮らす”てことなのか!? 血が繋がってなくても、おまえと俺たちは家族じゃないのか!?」 お姉ちゃんが…、血の繋がらない…!? そんな…!!!! ショックだった。 レイチェルは崩れ落ちてしまうのではないかと思った。 がたり。 音がして、三人はドアを見る。 そこには末妹のレイチェルがいた。 「レイチェル・・・」 「アンジェお姉ちゃん・・・は、私たちとホントの兄弟じゃないの?」 よほどのショックだったのだろう。レイチェルの顔は見事に蒼白になっている。 アンジェリークは、すぐさまレイチェルに駆け寄ると、その肩を抱いた。 「確かに・・・、私はあなたたちと血は繋がっていないわ」 そこでレイチェルは身体をぴくりとする。 「だけど、家族じゃないって思ったことは一度もないわ・・・。本当よ!!」 肩を震わせながら、レイチェルは涙目で姉を見つめた。 「・・・ホント!?」 「ええ。だから、私はずっとここにいるし、いつまでもレイチェルのお姉ちゃんだから…。ね?」 「うん…」 アンジェリークは優しく微笑むと、レイチェルの髪をそっと撫でてやる。 その姿を見て、アリオスははっとする。 本当に辛いのは…。 アンジェリークなのかも知れねえ… 彼はそう感じる。 そしてレイチェルの意識が変わろうとしていた。 いつまでもお姉ちゃん娘じゃダメだから…。 お姉ちゃんがいなくなっても大丈夫なようにしよう…! その決意が、波乱を呼ぶことは必死だった。 --------------------------------------------- 朝、いつものように、アンジェリークが起きると、すでにキッチンからは物音がしていた。 誰だろう…。 「おはよう…」 「おはよう、お姉ちゃん!」 そこには一生懸命朝食と奮闘するレイチェルの姿があった。 「どうしたの?」 「うん! これからは私が家事をしようと思って」 「え!?」 その言葉は、何よりもアンジェリークを傷つけていようとは、レイチェルには勿論知る由もなかった。 アンジェリークは感じる。 唯一、ここにいる理由のよりどころとしていた家事を、レイチェルがすると言い出したことが、心の深くを抉る。 ここにいる存在理由が彼女の中で消えていく…。 「診療所の掃除やお洗濯は?」 「ああ、もうやっておいた。お姉ちゃんは今日からゆっくりしていいから」 「うん…」 アンジェリークは力なく笑うと、そのまま肩を落として自分の部屋へと消えた。 部屋に入るなり、無性に涙がこみ上げるのを感じた。 「何だよ! このメシはよ!」 ゼフェルの悪態に、レイチェルは頬を膨らませて怒る。 「ちょっと、今日ぐらいは大目に見てよ!! もっと上手になるんだから…」 「アンジェお姉ちゃんにさせたら…」 マルセルが言った一言に、レイチェルは益々不機嫌になる。 「いいの! 今日から私がやるんだから!! みんなそれでいいわね!」 強い口調で言うレイチェルに、たじたじとばかりに、ゼフェルとマルセルは怯んだ。 アリオスはその様子をじっと見ていた。 アンジェリークの様子うぃお見ると、やはり何も食べてはいない。 極端に苦しそうにしている。 「アリオスお兄ちゃん、今日から私がこの家の”主婦”なんだから、お財布を預けてよね?」 手を出したレイチェルに、アリオスはあからさまに眉根を寄せる。 「うちの事をするのはアンジェだ。これからも変わらない」 きっぱりと言うアリオスに、レイチェルもむっとする。 「じゃあお兄ちゃんは、血を分けた私より、血の繋がらないアンジェお姉ちゃんが・・・」 「レイチェル!!!!!」 アリオスはテーブルを思い切り叩き、レイチェルを凄い形相で睨みつけた。 その表情に、レイチェルははっとする。 ワタシッたら、なんてことを… 口に手を当てるがもう遅い。 重い沈黙が食卓を包み込む。 「おい…、どういうことだよ…」 ゼフェルは信じられないと言ったばかりに、レイチェル、アンジェリーク、そしてアリオスを見ている。 「アンジェお姉ちゃんが、血がつながらないって…」 マルセルは今にも泣きそうだ。 がたり。 椅子から立ち上がる音がした。 「----今日お当番だから、先に、出るね?」 顔色を無くしたアンジェリークはそのまま冷静を装って、彼らに微笑む。 「じゃあ、レイチェル、学校でね?」 「お姉ちゃん…」 そのままアンジェリークは何事も内容に玄関へと急ぐ。 「アンジェ!!」 アリオスは髪を乱して彼女の後を追って玄関先へと追いかけていった。 「お兄ちゃん、今日。少し遅くなるから、レイチェルにしてもらって助かってるの」 「アンジェ…」 アリオスは苦しげに彼女を見つめることしか出来ない。 「じゃあいってくるね?」 アンジェリークはいつものように笑って出て行く。 それが彼には不憫でならなかった。 アンジェ… 彼女は時計を見てフッと溜息をつく。 今からだったら、カティス叔父さんの病院あいてるかな…。 検査してもらおう…。 私の予想通りだったら…、このままレイチェルに任せたほうがいいから…。 私は…消えるから… アンジェリークは決意を秘めて、病院へと向かった----- |
TO BE CONTINUED…