アリオスは動揺する気持ちを悟られまいと、一呼吸置くとと、女をじっと見た。 「今ごろになってなぜ?」 女は申し訳なさそうに俯くと、ポツリポツリと話を始めた。 「----今度、ようやく、アンジェリークの父親と正式に結婚できることになったんです…。 私もこれを機に女優を引退させていただくことになって…。親子三人で、暮らせたらと思いまして…」 声のトーン、女の眼差しを見れば、これが真剣であることが判る。 だが、アリオスはそれを認めたくはなかった。 絶対に認められないことだと感じた。 17年もアンジェを放っておいて、何だよ!! 今ごろそんなことを言い出しても、遅せえんだよ!! 怒りのあまりの喉まで出かかっている言葉を、彼は何とか飲み込んだ。 二人の間に重い沈黙が走る。 「----身勝手なお願いだとはわかっています…。ですが・・・」 女は持っていたハンカチをぎゅっと握り締めた。 震えている肩。 この女性がどれほどアンジェリークを引き取りたいと思っていることが手に取るように判る。 だが…。 他ならぬアンジェリークのことになると、アリオスはたとえ正統な理由があろうとも認められなかった。 彼は一度深呼吸をする。 その後、真摯な眼差しを女に向けた。 その光には、厳しいものがある。 「申し訳ございませんがお引き取りください」 感情のない冷たい声だった。 アリオスは静かに立ち上がると、女に背を向ける。 「待ってください!!」 女も慌てて立ち上がり、アリオスに近づくが、彼の雰囲気は取り付くしまなどない。 「----引き取ってください。アンジェリークは17年前からうちの子です。ここで育ち、生活しています。 あなたは17年前にその権利を手放したんだ」 彼はそこで言葉を切り、振り向いた。 「あんたにはもう、あいつの”母親”の権利はねえ!! 判ったら、帰ってくれ!!」 彼は女を見なかった。 背中を通して、彼女の嗚咽が聞こえる。 彼はその嗚咽が、自分を非難しているように思えて、たまらなくなってしまう。 そのまま看護婦控え室に向かい、年老いた看護婦を呼ぶ。 「お客様が、お帰りだ…」 彼の一言で、ベテラン看護婦は全て悟り、そのまま応接室へと向かった。 アリオスはやりきれない思いを抱えながら、住居部分にあるダイニングへと向かった。 そこで、いつもは、アンジェリークが座る椅子に腰をかけて、煙草を口に銜えた。 ホントは…。 俺があいつを手放したくないから…。 この17年間、俺はあいつから目をそらさなかった。 ホントは妹じゃないことを知っていたから…。 あいつ以外の女は目に入らなかった…。 戯れの恋は…、したこともある…。 だが…。 あいつ以外には、本気になったことなんてなかった…。 彼は紫煙を宙に吹き上げる。 その紫煙はむなしく、彼の心に映っていた---- アンジェリーク…。 おまえだけを愛してるから… ---------------------------------- 「あれ? アリオスお兄ちゃんお弁当食べなかったんだ」 夕食の準備をしながら、アンジェリークは不思議そうにお弁当箱を覗いた。 お弁当箱の処理をしながら、彼女は首をひねる。 「美味しくなかったのかなあ…」 そう思うと少し暗くなってしまう。 「まあ、後で訊いてみよ!」 そう口に出して自分に言い聞かせると、アンジェリークは夕食の準備にかかる。 今日のメニューはトンカツとサラダ。それにコンソメスープ。 大量の下ごしらえをアンジェリークは奮闘する。 弟たちはクラブで遅いし、兄のオスカーも今夜はサークルの飲み会で夕食いらないという。 とりあえず、全員分を作って、彼女は満足げに溜息をつく。 「うん!! 完璧!!」 楽しそうに料理を作るアンジェリークを、アリオスはそっと見つめていた。 おまえのこの姿を、俺はいつ前も見ていたいから…。 これは兄としてではなく、一人の男として… いつものように、食卓は賑やかだった。 夕食はアリオスは夜の診療が終わるまでは食べないせいか、兄弟たちが第一陣で食べまくる。 アンジェリークもその世話に忙しいので、結局は、アリオスと一緒に食べることになるのだ。 「アンジェお姉ちゃん! ちゃんとダイエットオイルで揚げてくれた?」 「もちろんよ。レイチェル。あなたのは脂身も少ないし〜」 「大好き!!」 お姉ちゃん子であるレイチェルはいつもこういう調子でアンジェリークを和ませてくれる。 「アンジェねえ! おかわり!!」 「僕も〜」 弟のゼフェルやマルセルも一生懸命お変わりをしてくる。 「はい、はい」 戦争だけど楽しいな…。 はりあいがでるもの!! 日常生活が一番幸せだと、彼女は常日頃から感じていた。 アリオスが診療を終え、住居部分に戻ってきたのは、9時まわってからだった。 「お帰りなさい! アリオスお兄ちゃん!!」 アンジェリークはいつものように満面の笑顔で彼を迎えてくれた。 その笑顔が眩しくて。 昼間の女性と顔がシンクロしてしまい、彼は思わずはっとする。 血は争えねえか…。 だが、そんなものは、俺は認めない… 「おにいちゃん!」 何度目かに呼ばれたときに、彼の懸想は破られた。 「あ、何だ?」 心配そうにアンジェリークはアリオスを見つめる。 その眼差しは、どこか愁いを帯びていて切ない。 「…お兄ちゃん、疲れてるんじゃないの? 今日だって、お弁当食べてくれないし…」 その言葉にはっとする。 今日は考え事をしていて食事を入れる暇もなかった。 それもこれも彼女を愛するゆえだと、きっと彼女は知らないだろう…。 「何でもねえよ…」 その言葉にアンジェリークは怪訝そうに眉根を寄せる。 いつもの彼とは違って、異色の眼差しには、明らかに苦悩が読み取れる。 お兄ちゃん、何か隠してる!? |
TO BE CONTINUED…