それからしばらくたっても、アンジェリークの迎えはこなかった。 アリオスも同じ有翼人種のはしくれ。 対局の位置にいるからこそ、アンジェリークに何が必要か、どう接すればいいかが判った。 アリオスの後を、ちょこまかと着いてくる小さなアンジェリークがとても愛らしい。 荒んでいた心が、不思議なほど癒されるのを感じた。 また、俺は同じ過ちを繰り返すのか・・・? 時々、アンジェリークは空を眺めながら、切なげな表情をする。 アリオスは、やはり、小さな天使は天界へと帰りたいのではないかと、感じていた。 「早く迎えに来ると良いな?」 だが、小さな天使は頭を振った。 帰りたくないと。 アリオスのそばにいたいと。 「みんなと遊ぶのも楽しかったけど、ここにいると、もっと楽しいもん!! アリオスみたいな綺麗な心の悪魔もいるって知って、天使と悪魔は同じだと思ったもの! どうして仲良く出来ないのかしら・・・」 アンジェリークの幼い顔は、切なげに揺れた。 「アンジェ・・・」 今まで沢山の天使に遭ったが、これほどまで純粋な心の持ち主はいなかった。 「そうだな、アンジェ」 栗色の髪を優しく撫でてやりながら、アリオスは惹かれずにはいられない自分を、心の中で諫めるしかなかった。 有翼人種の成長は早い。 迎えが来ないアンジェリークは、そのままアリオスのそばに居着いてしまった。 一緒に洗濯をしたり、料理をしたり、昼寝をしたり・・・。 満ちたりた中、アンジェリークはアリオスの手によって育てられていく。 悪魔の手によって、天使であるアンジェリークは成長していく。 そして、短いながらも季節は流れ、子供だったアンジェリークは、美しい天使に成長した。 「ねえ、アリオス、起きてよ〜」 「おまえも判ってるだろ!? 俺は悪魔だ、朝には弱い」 アリオスの”仕事”は、夜行われる。 死を司る彼らにとっては、朝は忌み嫌う時間。 彼はそのせいもあって、昼間よく寝ている。 「アリオス! 私がちっちゃい時には、ちゃんと起こしてくれたじゃない!」 「あれはおまえがチビだったからだ」 アリオスは布団を握り締めて離さない。 「もうっ! こうよ!」 アンジェリークはそう言うと、思い切り布団をはがしにかかる。 「こら、バカ! やめろっ!」 アリオスは抵抗するものの、アンジェリークは容赦しない。 「おまえ、やめろっ!」 「アリオスってば、悪魔のくせに往生際が悪いわよっ!」 「うるせえ、悪魔だから悪いんだろうが!」 再び布団の中に潜ったアリオスを、アンジェリークは容赦しない。 「起きなさい!」 白い羽を大きく揺らして、アンジェリークは怒る。 それにアリオスは弱くて、結局は起きてしまう。 「ほら、起きるから、とっとと羽根はしまえ」 「うん」 素直にアンジェリークは羽根を直す。 これもアリオスが教えたこと。 アンジェリークが羽根を人間に見せては拙いという、彼の判断であった。 「御飯できてるからね」 「ああ」 アリオスは、嬉しそうにキッチンに向かうアンジェリークを、ゆっくりと追いかけていく。 また、同じ過ちを俺は繰り返すのか・・・。 アリオスは、自分の心に芽生え始めた感情に、蓋をしようと懸命だった。 食卓には、美味しそうな匂いが漂っている。 アンジェリークは植物性のものしか口にしない。 動物性のものはミルクとバターだけ。 ケーキは大好きなせいか、しょっちゅう食べたり、作ったりしている。 アリオスはもちろん悪魔なせいか、動物性も口にする。 「ねえ、美味しい?」 「ああ」 返事をしてやれば、アンジェリークは嬉しそうに小踊りをする。 その姿が可愛かった。 「ねえ、アリオスはどうして羽根を見せてくれないの?」 「嫌だから」 ごはんを食べながら、アリオスはきっぱりと言うと、そのまま食事を続ける。 「ねえ、アリオス〜、見せて」 だだを捏ねるアンジェリークに、アリオスは少し苛立つ。 「駄目なものは駄目だ!!」 思わずきつく言い、アンジェリークの体はピクリと跳ね上がった。 滅多に強くは怒らないアリオスのせいか、アンジェリークはしょんぼりと肩を落とした。 その姿はアリオスにとっても辛い。 きっとおまえは俺の羽根を見れば嫌がるだろう・・・。 「・・・家族なのに・・・?」 その言葉にアリオスはびくりとした。 「家族でしょう? 私たち」 澄んだまなざしとまっすぐな心。それは十分に彼の心に届いた。 「・・・判った。家族だもんな?」 アンジェリークのまなざしが、きらりと輝く。 アリオスはゆっくりと瞳を閉じると、呼吸を深くした。 すると背中から漆黒の立派な羽根が生え、その美しさに、アンジェリークは目を奪われる。 何も言わない彼女に、アリオスは少し深い色を瞳にたたえた。 「恐いか?」 真摯な声だった。 アンジェリークは何度も頭を振る。 彼女の表情を見れば、嘘などついていないことが判る。 アンジェリークは、まるで宝石のように輝いた眼差しを向けると、本当に感極まったように呟いた。 「綺麗…!!!!」 澄んだ声だった。 それは、アリオスの心を溶かす情熱となる。 アリオスは震える手でアンジェリークに触れた。 その指先の熱さに、アンジェリークは頬を染めて、目を閉じる。 「…大好き…」 「アンジェ…」 二人がより近づこうとした瞬間---- 「みつけたわ! アンジェ!」 甘い空気を切り裂くかのように、その声が部屋に響き渡った。 驚いて振り向いてみると、そこには金色の髪をした美しい天使が姿を見せていた。 「…レイチェル…」 「アンジェ!! ようやく見つけたよ! この悪魔がシールドを張っているから、中々あなたを見つけられなかったの! さあ、早くこっちへ! 悪魔から離れて!」 レイチェルぐいっと手を引っ張ったときに、アンジェリークはその手を振り解いた。 「いやっ!!」 「アンジェ!」 「私はアリオスの側にいたいの! 悪魔とかそんなのは関係ない!」 アンジェリークは、大きな瞳に涙を浮かべながら、何度も首を振る。 「何言ってるの! 悪魔だよ! 近づくことがどんなに恐ろしいか、アナタなら判っているでしょう!? 穢れるわよ!」 「穢れない!!!」 「天界から追放されるのよ! もうアナタは天使じゃいられなくなるんだよ!?」 「いいの!!!」 アンジェリークとレイチェルの会話は平行線のを辿ったまま。 アリオスは二人の会話を聞きながら、決意する。 アンジェが幸せならば… アリオスは唇を噛み締めると、アンジェリークの背中を思い切り押した。 「きゃあっ!」 そのまま彼女はバランスを崩して、レイチェルの腕の中に収まる。 「アリオス!?」 突然突き放されて、アンジェリークはショックのあまり顔色を変えた。 どうして…!!! 「天使よ…」 冷たい声だった。 「おまえを側に置いたのは一時の気まぐれだ・…。 -----はっきり言って、おまえのような子供の天使が俺の側にいるのは、迷惑だ!!」 「そんな!!!」 アンジェリークの瞳が、明らかに傷ついている。 アリオスはその瞳が見たくなく、視線をそらす。 「とっとと俺の前から消えろ! いい迷惑だ!!!」 冷たい視線が、とどめだった。 アンジェリークは全身を震わせて頭を下げると、そのままレイチェルに縋りつく。 「いい子ね、アンジェ…。さあ、帰りましょう・…」 突然、光に包まれて、アンジェリークはレイチェルとともに消え去った。 アリオスはそれを呆然と見つめる。 これで…、これで良かったんだ… ------------------------------ アンジェリークが天界に帰ってから、アリオスは初めて出会ったあの木の下で過ごすことが多くなった。 いつも蘇る、アンジェリークの可愛い仕草。 笑顔・…。 そして、最後のあの泣き顔…。 …アンジェ…、おまえのためだ…、仕方がねえんだよ…。 俺は悪魔でおまえは天使…。 相容れない…。 突然、空が光った。 アリオスは目が眇む。 風が吹き、彼は手で眼差しを覆った。 風がやみ、ゆっくりと目を開けると、そこにはアンジェリークを連れて帰った金の髪の天使が、泣きながら立っていた。 「おまえは・・・!?」 「お願い!! 一緒に来て!! アンジェが死にそうなの!!!」 何だって!? |