「アンジェがどうしたんだ!?」 今にもアリオスは心が壊れそうだった。 レイチェルもまた思い詰めたように唇を噛む。 「・・・アンジェ、天界に帰ってから、急に元気がなくなって・・・、何も食べなくなって・・・、自らの心を封印してしまって・・・」 そこで、レイチェルは言葉を詰まらせる。 「アンジェ、自分の周りに結界を張って、カプセルの中で眠ってしまったの・・・」 天使のそれが何を意味するか、アリオスには判らないはずはなかった。 悪魔である以上、天使の生態には精通している。 強い結界を張った天使は、封印が解かれなければ衰弱する。 自らでそれを行えば、先に待っているのは”死”しかない。 くそっ! あの時手放していなければ・・・!! 脳裏に浮かぶのは、アンジェリークの幼い頃からの姿。 その一生懸命な姿が、彼の胸に突き刺さってくる。 「お願い!! あの子の封印を解けるのはアナタしかいない!!! アンジェを救ってあげて!!!」 レイチェルは必死だった。 アンジェリークを救うためなら、どんなことも厭わない勢いだ。 アリオスは苦しげに瞳を閉じる。 また同じことを、俺は繰り返したくない・・・!! 彼は決意を秘めたように瞳を大きく見開くと、アリオスはレイチェルを見つめる。 「アンジェのいるところに、俺を連れていってくれ!」 眩い光と共に、彼の背中から、漆黒の羽根が現れる。 レイチェルは、その荘厳とした羽根を見つめながら、アンジェリークが話していたことを思い出す。 ”天使も悪魔も同じよ。悪魔にだって優しくて、素敵な悪魔はたくさんいるもの”---- アリオスを見ているとそれすら納得してしまう。 「行きましょう、アンジェリークの元へ!」 レイチェルが飛び立った後、アリオスもそれに続く。 悪魔が天界に進むこと。それは大罪に他ならない。 だが、アンジェリークを救うためなら、何だって出来る。 自分の命を賭けた、たったひとつの”想い”だけが、彼をどんな困難にも突き進ませていた。 レイチェルに導かれて、アリオスは天界へと入る。 「ここからだと他の天使にも見つからないから」 「ああ」 侵入自体には緊張感はない。 ただ、アンジェリークがどのような状態なのか、酷く心配で。 「ワタシ・・・、アンジェを強引に連れて帰ったことを後悔してる・・・」 レイチェルはポツリと言った。 「あの場合は仕方ねえだろ!? 悪魔の俺と暮らしていたんだから」 慰めるつもりはないが、アリオスは本当のことだろうと言いたげに。 「うん。だけど、アンジェにとっては、アナタが全てだったのが、ワタシ、察してあげられなかったのが辛い・・・」 レイチェルは噛み締めるように言い、アリオスはそれに答えない。 二人は、天界の奥深く、瑠璃の森にやってきた。 そこは瑠璃色に全てが輝いていて、流石は天界であるとアリオスは思う。 「アンジェはこの奥の木の上で眠っているの」 アリオスはしっかりと頷いた。眩い瑠璃の森を抜け、ふたりは木に向かう。 アリオスはただ祈る。 アンジェ、目覚めてくれ! しばらくして、ふたりは木にたどり着いた。 「これよ・・・」 アリオスは木を凝視し、その木に宿り、無心に目を閉じたアンジェリークを見つけ、息を飲む。 「・・・・!!!!」」 透明のカプセルの中で膝を抱えて眠る彼女は、無機質な美しさがある。 だがそれは意思のない人形のようで、アリオスは心を痛める。 「この子、帰ってきてからずっと木を見ていたの・・・。よほど木に思い出があったんだろうけど・・・」 アリオスは、木を見ながら、アンジェリークが眠る木が、庭にある木に似ていることを悟った。 アンジェ・・・!! 彼の脳裏に浮かぶのは、小さな頃のアンジェリーク。 まだその頃は、一緒に眠っていた。 『ねえアリオス、庭にある木は何て言うの?』 『カヌンの木』 彼が答えてやると、アンジェリークは大きな瞳をさらに丸くして首を傾げた。 『カヌンって?』 『ジャック・フルーツともいう。”天使が宿る木”とも言うがな』 途端にアンジェリークは、満面に笑顔をたたえ、嬉しそうに羽根を揺らしている。 『じゃあ私がここにおっこちたのは、偶然じゃないよね、きっと!』 屈託なく笑う彼女が、アリオスは愛しかった。 だが、今のアンジェリークは・・・。 「このこがアナタの元で育ったことで、みんなにいじめられて・・・。ここに逃げてきたみたいなの・・・」 レイチェルは辛そうに言う。 アリオスはそれでもきっと自分を彼女が責めることはなかったのだろうと思うと、胸が張り裂けそうであった。 アリオスはすっと息を吸うと、アンジェリークをじっと見つめる。 「アンジェ! 目を覚ませ!」 その声に、カプセルが一瞬揺れた。 「今まで、誰が呼んでもダメだったのに・・・」 僅かな反応だったが、レイチェルは改めて思い知らされる。 アンジェ・・・、本当にアリオスのこと・・・。 「アンジェ! 判るか? 俺だ、アリオスだ!」 再びカプセルは揺れるが、その他の反応をしない。 アリオスは辛抱強く続ける。 「おまえを迎えにきた。また一緒に暮らそう!」 さらに激しくカプセルが揺れる。 「アンジェ・・・」 レイチェルは、ただカプセルを見つめている。 その揺れと、二人の愛の深さを感じずにはいられない。 「アンジェ! 俺はおまえをこんなことで失いたくない・・・! おまえが生きていれば、俺は嬉しいんだ!」 激しく揺れるカプセル。だがそれだけで、中のアンジェリークには効果がないように見えた。 アリオスは瞳を閉じ、一瞬間、考え込む。 彼は心を落ち着け、素直に自らの気持ちを語る決心をした。 「アンジェ、おまえを愛している!!」 空気が変質した。 瑠璃の森の風が止まった。 その瞬間。カプセルは舞い上がり、音を立てて、砕け散った。アンジェリークの栗色の髪が揺れて、ゆっくりと瞳が開かれる 「アンジェ!!!!」 アリオスの言葉によって、アンジェリークは自らの封印を解き放つ。 そのまま宙に浮いたアンジェリークを、アリオスはしっかりと受け止める。 腕の中に華奢な体を納めて、アリオスはしっかりと抱きすくめる。 今度こそ間に合ってよかった…!! 「一緒に帰ろう・・・」 その声にアンジェリークは、大きな瞳に涙を浮かべながら、嬉しそうに輝かせた。 「うん…! 帰る! 帰りたい!!!!」 「アンジェ!!!」 二人はしっかりと抱きあった。 突然、光が瑠璃の森に満ち溢れ、あまりにものまばゆさに二人は目を開けていることが出来ない。 「アンジェリーク、目覚めたのですね…」 温かく柔らかな声があたりに木霊する。 「天使長様!!!」 明るくなった空を、アンジェリークもレイチェルも見つめ、咄嗟に二人は跪く。 「天使長様! 私は、私はどうしてもアリオスの側にいたいのです!! そのためなら、堕天使になっても構いません!!」 彼女は何の迷いもなく、真っ直ぐと言う。 その神々しさに、レイチェルは感動せずにいられない。 天使長様!! 私からもお願いします! どうか、アンジェリークをアリオスの側に!!!」 「いいえ! 罪は私にだけ! レイチェルは関係ありませんから!」 「いいえ! 私も罪です!」 暫くして、柔らかな光が、アンジェリークとレイチェルを包み込んだ。 「----二人とも…、よくわかっていますよ…。 レイチェル、あなたは、親友を思う心に免じて許しましょう…。 ----アンジェリーク、あなたは残念ながら、この天界の追放を命じます!」 「天使長様!!」 レイチェルは、複雑な思いに駆られてしまう。 アンジェが追放だとは、余りにも酷過ぎると。 「天使長様! アンジェを許してもらえないのですか!! 」 必死の叫びが盛りに響き渡る。 「----お待ちなさい、レイチェル・…。 私の話を最後までお聞きなさい…」 穏やかで諭すような声に、レイチェルはしゅんとなった。 「アンジェリーク… あなたを天界と人間界の番人に命じます・・・」 「天使長様!!!!」 アンジェリークとアリオスはお互いの顔を見合す。 「魔界の悪魔長と相談の結果…、二人にとって一番良い方法をということになりました…。 アンジェリーク、アリオスとともに、番人として、いつまでも幸せに暮らすのですよ…」 「天使長様!!!」 アンジェリークは感激のあまり、大きな瞳から大粒の涙を零す。 何度も何度も頭を下げ、感謝の光を天に放つ。 「アンジェ…」 アリオスはゆっくりと彼女を抱き寄せて、その身体を撫でる。 「天使長!! 俺は一生こいつを大切にする! 幸せにすると誓う!」 アリオスの凛とした誓いの言葉に、空が答えるかのようにきらリと一度だけ光った---- --------------------------------- 今日も、カヌンの木は庭にそびえて、悪魔と天使の夫婦を見守っている。 「この木はずっと大切にしようね?」 「ああ----」 二人は、毎朝、感謝を込めて、必ず木に祈りを捧げる。 ”天使の宿る木”----- 二人にとっては永遠の木となった---- |