「コレット、おまえ、マンチェスター訛を使えるか?」
「ええ。大丈夫です」
「老夫婦に近づくとき、すべてそのアクセントで話せ」
「判りました」
密着している体とは裏腹に、アリオスは事務的に話し、アンジェリークはそれに答える。
はたから見れば、とても素敵な新婚夫婦に見える二人ではあったが、その会話の内容は無味乾燥としていた。
二人は、老夫婦の隣のテーブルに座り、わざとマンチェスター訛で話し始める。
「ねえ、湖水地方ってとっても素敵ね、明日はピーターラビットの里に連れて行ってね?」
「クッ、おまえ、そういうの好きだもんな?」
二人は、本当に新婚間もない夫婦のように話す。
アンジェリークは本当に、心からその会話を楽しんでいた。
途中の、マンチェスター訛に気を使いながらも、彼女は少女らしい華やいだ雰囲気で話す。
そのあまりもの明るい雰囲気が老婦人の心を捉えたのか、彼女は楽しそうに耳を傾けている。
もちろんアリオスはそのことに気づく。
「もっと話せ。今のまま」
「はい…」
小さく囁かれて、彼女は同意する。
たとえ偽りだっていいの…。
今がとっても楽しいから…
「やっぱりね! かわいいウサギさんがみたいし、テディベアのミュージアムだって行かなくっちゃね!」
明るい声と、幸せそうな笑顔に、アリオスは心を満たされるのを感じ、フッと深い微笑を僅かに浮かべた。
「あっ! 笑った」
虚を付いたアンジェリークの言葉に、アリオスは一瞬たじろいでしまう。
「笑っちゃわるいか?」
少し美眉をひそめながら、彼は異色の眼差しを彼女に送る。
「悪くは…、ないけど…」
逆に彼女が照れくさそうにしてしまい、俯いてしまう。
その間も、彼女はエージェントらしく、きちんとマンチェスター訛を使い続けた。
よし、コレット、その調子だ…
冷静に彼女を見つめながら、アリオスは満足げにふっと深い微笑をもらす。
それがアンジェリークにとっては何よりも嬉しかった。
「まあ、楽しそうだこと…」
痺れを切らしたのか、老婦人が二人に声をかけてくる。
そう。
アリオスやアンジェリークと同じエージェントであった、”リチャード・ギャラガー”の母、”メアリアン・ギャラガー夫人”が。
来たか…
「こんばんは!」
いつものように明るい笑顔を浮かべながら、アンジェリークは立ち上がって挨拶をする。
「まあ、いいのよ…。あなたたちの言葉を聞いていて、ひょっとして同郷かと思ってね」
「私たちはマンチェスターです」
「まあ、偶然。あなたたちもマンクーニアンなのね!」
嬉しそうに老婦人は声を上げ、微笑む。
本当に報告書通りだな。
社交好きで、マンチェスターをこよなく愛する…、か…。
きっとSTINGやOACIS好きだぜ
「もしよろしければ、ご一緒いたしませんか!! 彼もそのほうが楽しいですし、ね?」
「そうです。ぜひご一緒しましょう」
二人がマンチェスター出身の若夫婦だとすっかり信じきってしまった彼女は、いちもにもなく返事をした。
「待っててくださいね、主人を呼んできますから」
老婦人が夫を呼びにいっている間、アリオスはアンジェリークにいちどだけ深く頷く。
”よくやった”と。
「お待たせしました。あ、自己紹介がまだだったはね、私はメアリアン・ギャラガーです。主人のデイヴィッド・ギャラガーですの」
やさ面の老紳士が深くお辞儀をし、二人に目を細める。
「有難う、今夜は楽しい夜になりそうだ。私たち夫婦にとっては」
「ええ」
二人は席につきながら、穏やかに微笑を交し合う。
私とアリオスも、いつかああいう風になれたら…
それは叶えたくても叶えられない、アンジェリークの小さな愛の願いだった----
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「ホントに、今夜は楽しいこと!」
「私たちもですわ」
大いに盛り上がり、アンジェリークと老婦人はすっかり意気投合した。
「ホント…、息子が亡くなってから、こんなに楽しかったことは久しぶり…」
老婦人は急にしんみりとして、寂しそうに俯いてしまう。
「ギャラガー夫人…」
アンジェリークは気遣わしそうな視線を送り、老婦人に愛を持って接する。
「メアリアン…」
涙ぐむ妻の肩を老紳士はそっと抱き、優しく包み込む。
「----きっと…、素敵な息子さんだったんですね…」
「ええ。オックスフォードを優秀な成績で出て、海軍に入って、それはそれは優秀な、自慢できる息子でしたわ…」
「そうですか…」
真実を知るアンジェリークは、居たたまれない思いになる。
リチャードは、実際はMI6の局員であり、そのことは決して誰にも話してはいけないことだった。
彼女は、一生、彼が危険な国を守る仕事をしていたことを知ることはないのだ。
「アリオス…、特にあなたを見ていると、息子を見ているようだわ…。あの子は末っ子で、年を取って出来た来た子供だったから、可愛くてね…」
「あなたに息子のように思われるなんて、光栄です」
「そう、有難う…」
メアリアンは本当に息子を見るような眼差しでアリオスを見つめ、唇をかみ締めた。
「おい、メアリアン、もう休もう。明日も早い。せっかくアリオスとアンジェリークと湖を見に行く約束をしたんだから」
そっと彼は妻を立たせると、テーブルから離れる。
「今日は有難う。また、明日」
アリオスとアンジェリークも立ち上がると、笑顔でそれに答える。
「お休みなさい、アリオス、アンジェリーク」
「おやすみなさい…」
立ち去る二人を見つめながら、アンジェリークは胸が締め付けられるような気すらした。
「----コレット、感情移入はするな」
その言葉は、アンジェリークの心の冷水を浴びせ掛けた。
「…大佐…」
「後がつらくなる」
彼は特に感情なくさらりと言うと、彼女の華奢な腰を抱く。
「行くぞ? ちょっと散歩だ」
「アリオス!?」
意外な彼の行動に、彼女は黙ってついてゆくしかなかった。
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暗闇に、僅かな明かりが点る中、二人はゆっくりと、ホテルの裏の小さな庭を歩いた。
月明かりに見守られ、アンジェリークはアリオスへの想いを胸の中に満たす。
ずっと、こうしていたい…
突然、アリオスが歩みを止め、アンジェリークは探るように彼を見上げる。
「----おい、そろそろ出てきたらどうだ!? リチャード・ギャラガー」
その低い声にアンジェリークはびくりとする。
彼女は気配すら感じていなかったのに。
「----さすがだな…、MI6一の切れ者だな」
低い声が響いたかと思うと、月明かりに照らされ、背の高いサングラス姿の男が、木陰から出てきた。
あれは、写真の、殺されたっていう、あのご夫婦の息子さん!!
「ほざくな…、裏切り者…」
冷酷な声で呟くと、アリオスは愛銃ワルサーPPK/Sを男に向かって構えた----
いったいどういううことなの!?
TO BE CONTINUED…

コメント
短編から生まれた「SOLITAIRE」のスピンオフです。
マンチェスター訛って、日本人には中々聞き取れないんですよ、実は。
私の先生もそうで、最初は何を言っているかちんぷんかんぷんでした。
おかげで勉強できたけど。
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