アメリカ旅行記/レンタカーで走る真夏のアメリカ グランドサークル

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六日目 デスバレー ベーカー サリナス(2002/8/7)


デスバレー(Death Valley)へ

昨夜ラスベガスに向かうI-15でふと「デスバレーにいきたい!」と思ったのだけど、本来は今日はデスバレーをパスする予定であった。
まあ、明日(7日目夜)はサンフランシスコまで行かなきゃならないのでどうしても今日は西海岸まででなきゃならず、経路(I-15)から外れるデスバレーは行程に無理があるということが一点。
そして、もう一つは「夏のデスバレーは暑すぎ。行くのは無謀」という数多くの情報から、行くのを躊躇していたのがもう一点。
気温50℃を超え、夏の間は団体観光は自粛されホテルも休みになるところがあるような所。もし行くにしても昼間の行動はさけた方が無難 、 など、おそろしいような情報があふれている。
アメリカ旅行記/ Las Vegas ラスベガスの朝焼け
ベネチアンの最高級スイートから見るラスベガスの朝焼け

ただ、3日目のグランドキャニオンのトレイル下りで下(インディアンガーデン)まで行かなかったことが、心の中で不完全燃焼を起こしていて、「どうせなら無理してでも行きたいところに行く!!」と思い始めた。昨日のブライスキャニオンもそういう気持ちがあったために5時出発で無理矢理行程に追加したところもあるし。もういけるところまでいってしまえーー

さて、今日はデスバレーにいくとして、泊るところは決まっていないのだ。旅行の中で今日だけはモーテルを探して飛び込みで宿を決める日。一応、西海岸近くのベーカーズフィールド、それとも可能であればもうちょっと伸ばして西海岸に行こうかとおもってるが、どうなることやら。モーテルに泊るのも初めて。モーテルの宿泊手続きはWEBで勉強したので分かってはいるけど、探せるかな?


さて。何はともあれもう朝。今日は5時起き... ほとんど眠れなかった。頭がさえてしまっていた。今から思えば食事をほとんど取っていなかったので、腹が空いて眠れなかったんだろうな。前日のドライブの疲れもとれないまま約1〜2時間睡眠で出発。あ、そうそう。ベネチアンの28階から見るラスベガスの遙か向こうの砂漠の山から昇る朝焼けはきれいだったな。虚飾のネオンの街から、アメリカ砂漠地帯の普通の風景にもどって行くような感じ。

6時にベネチアンを出発〜。さようなら最高級スイート。ちょっとの間しかいれなかったのが残念だよ。
I-15N をちょこっと進み、US-95Wに乗る。US-95は、まさに砂漠のなんにもない荒野を突き抜けてゆく道。右手は実は空軍の練習場があるのだがこの練習場内の遙か外れには矢追純一のUFO番組でおなじみの「エリア51」がある。この道のもう一本向こうの道(といっても100マイルほど北だけど)はネバダ州によって、"Extra Terrestrial Highway"(宇宙人の道)と名付けられている。この一帯でUFOを目撃した人が多いんだとさ。まあなんていうか人間を拒絶するような荒野だから「宇宙人がいる」といっても信じてしまいそう。
アメリカ旅行記/ デスバレー入口のガススタ。 宇宙人(Gray)の看板が立っている。ここはUFOがよく目撃される場所らしい。 アメリカ旅行記/ Amargosa Valley(デスバレー入り口) のガススタ。 UFOが給油に来てもおかしくなさそう
宇宙人向けバー(?) 。なんていうか現地の兄ちゃんが落書きしたような宇宙人の看板。 左の写真はこのガススタの裏。荒野の中にぽつんとガススタだけが立っています。平気で100kmぐらガススタがないので貴重です。

寝不足と連日の長距離運転で目が痛くて頭も冴えないままオートクルーズでUS-95をどんどんと進む。ちょっと危険かなあ。まあ、交通量は少ないから大丈夫か。とにかく目を覚ますため水を大量に飲む。

2時間ぐらいなーんにもない砂漠の中を走る。交通量も少なくなり、空気が乾燥してくるのが分かる。ようやくDeath Valley への入口 "Amargosa Valley" に到着。地図上だと大きく書かれているのだけど、実際は砂漠の中の交差点であった。何にもない平原の中にガススタがぽつっとガススタが立っている。ここの交差点にあるエッソのガススタで給油。 あらら? 併設のコンビニに宇宙人(グレイ)の絵が描いてある。品物は少ないのに、宇宙人グッズだけは充実。グレイの人形買おうかと思ったが、さすがにグロテスクなのでやめた〜。
この荒涼とした平野のなかのガススタ。本当にUFOが給油に降りてきても不思議ではないような所。エッソのCMになりそう。この辺りはガソリンスタンドが少ないので給油は必須です。

ラスベガスから100マイルほど走ってきたUS-95からNV-373へ左折。しばらく行くとカリフォルニア州。"Welcome to Carifornia" という看板。いろいろと州を越えてきたけど、これからは帰るまでずっとカリフォルニアの中だな。頭の中では"Welcome to the Hotel California〜" ってフレーズがしばらくなっていた。
この辺りからあまり車を見かけなくなってきた。風景はいよいよ「砂漠の中の谷」という荒涼とした風景。
"Death Valley Junction"を右折していよいよデスバレーの公園内へ。さすがに他の公園と違って入場ゲートはない。

そういえば、さっきからずっと下りっぱなしだな。いよいよ、「死の谷」か。

気温50℃ 真夏のデスバレーに突入

アメリカ旅行記/ Death Valley(デスバレー) Dantes View
ダンテスビュー。頂上からバッドウォーター辺りを望む。白く見えるのは塩。頂上はそれ程暑くない
デスバレーの谷底に向かう道の途中、Dantes View (ダンテスビュー) への入口発見。ダンテスビューはデスバレーの山側の部分。1699mの高さがある。デスバレーの谷の部分はマイナス86mなので、1700m以上の高度差。ダンテスビューも回る予定にしていたのでまずはこちらから回ることにする。
ダンテスビューの頂上に向かう道は最後がむちゃくちゃ急坂。オートマチックトランスミッションをDから2にしてもパワー不足。さらに下のLにしてアクセルベタ踏みにしてようやく進んで行けるような急坂。ところどころに、ラジエーターの補給水置き場がある。オーバーヒートする車も多いのだろうか?最後は急な上に道が細いしヘアピンカーブ。途中にラジエーター用の水タンクが置いてある。やっぱりオーバーヒートする車がいるのか。この様な急勾配で運転は大変だけど見晴らしは格別。

ダンテスビューからはデスバレーの谷の部分が一望。昔、デスバレーは塩湖であったのがよく分かる。塩の跡が残っている。塩水を鍋で煮詰めた様な風景。実際に同じ説明がビジターセンターのポスターで書かれていた。

ダンテスビューから今度は一気に1700m下ってデスバレーの谷底部分。谷底といっても狭いわけではなく、幅20km、長さ200km近くあるような平原。まさに何もない荒野そのもの。ここまでもずっと荒野を走ってきたけれど、モニュメントバレーあたりの荒野とは質が違う。地球ではない、まるで月か火星の上の様な荒涼さ。

さて、現在時間が午前10時30分。 昼間の行動はやめよう〜とおもっていたのにだんだんと昼間になってくる。
行動を急がねば。 ダンテスビューを後にして谷底へ下る。まずはファーニスクリークにあるビジターセンターで地図をもらう。これで今回の旅、国立公園は4つ目。ナショナルパークパスは元を取った。併設されているデスバレーの歴史の展示を見る。これで今回の旅、国立公園は4つ目。ナショナルパークパスは元を取ったな。


<デスバレーとゴールドラッシュ>
アメリカ旅行記/ Death Valley(デスバレー) 20 mules team が使用してた蒸気トラクター
開拓当時に使われていた蒸気トラクター
デスバレーはゴールドラッシュの最中におこった悲劇から命名されたとのこと。
カリフォルニアで金鉱が発見された翌年の1849年、カリフォルニアにはアメリカ東部から10万人近い人が金を求めて移動してきた。人生の「一発逆転」をめざし、家を売り、住み慣れた場所を捨てて、馬車をこしらえて環境の厳しい西部へと移動していった。とにかく早くついたものの勝ち。
ちょっと出遅れたチームいた。本来はデスバレー北側が西部への正しい道だったのだが、あいにく雪で閉ざされたため南にコースを変更するうちにこの谷にたどり着いたとのこと。谷底を歩くうちに暑さと乾きでロバはどんどんと衰えてゆき、しまいにはチームのメンバほとんどが死んでしまったとか。(ちなみに、1849年にゴールドラッシュでカリフォルニアに移住した人を49ersっていうんですね。アメフトのチームの名前はここから来ているんだそうな)。はるかヨーロッパから新大陸に移住してきて、さらに荒野とロッキーを越えて新天地を目指していったんですねえ。「ゴールドラッシュ」と単語では聞いていても、実際にデスバレーの人を寄せ付けない厳しい自然を見ると、当時の開拓者たちの意志や苦労がなんとなく分かったような気にもなります。


ビジターセンターを出たときにはまだ気温は40℃をちょっと程度(向こうは華氏なので変換しづらいですが)。ビジターセンターで一ガロンペットボトルにたんまりと水を詰め込んでデスバレーの中へ出発することにする。
このファーニスクリークはデスバレーの中のほぼ中心にあり、北には砂丘(Sand Dune)、南には岩塩の乾湖とアメリカの最低標高点がある。
デスバレー北側にも行きたいのだが、時間の関係で今回は南のみ。デスバレーの南側への道は北よりもさらに何もないところ。
道路には「Next Service 72mile」という表示。つまり「ガソリンスタンドがこの先110キロ以上に渡ってないよ」ということ。そもそも、ガソリンスタンドどころか全くなにも無い。この「何もないところ」「人を寄せ付けない厳しい自然」がデスバレーの最大の売りだからこれでもいいんでしょう。

ファーニスクリークを後にして最初に訪れたのは、「アーティストパレット("Artists Palette")」という岩がいろいろな色に変色している地形。ちょうどパレットのようになった彩られた岩山。メインの道路からちょっと奥まったところにあり、私が訪れたときには他に誰もいなかった。ここへの道は反時計回りの一方通行。しばし猛烈な乾燥した暑さと静寂のなかでこの不思議な岩の色を眺めていた。アーティストパレットとはよく言ったものだな。

そして、「デビルズゴルフコース(悪魔のゴルフコース Devil's Golf Cource)」 。ここは、岩塩が地表に析出して辺り一面岩が転がっているような平原。CA-190からちょっと塩湖の方に入って行くと見える。ダートになっているので砂煙がもうもうと上がる。「悪魔ならここでゴルフできるに違いない」というアメリカ人的ジョークで「悪魔のゴルフコース」と名前が付けられたそう。こんなところでゴルフしたらボールが岩の影に入ってゴルフどころではないと思うが。ちょうど足が入りそうな穴がたくさん空いているために、「注意しないと骨折します。」という注意の看板もある。一人で来てこんなところで骨折したら目も当てられない。
岩をちょっとさわってみたが、とても暑い。

そしてデスバレーで一番有名かもしれない「バッドウォーター(Bad Water)」 。ここがアメリカで一番標高が低い(標高 マイナス85m)ところ。この場所は後ろは山になっているけれど、前は一面塩湖。はるか20kmぐらい先まで真っ平ら。
地面は塩湖が干上がったところで真っ白。おまけに当日はカンカン照り。やっぱり暑い。あらら〜?? バッドウォーターの駐車場に観光バスがやって来ている。真夏のデスバレーでは団体の見学は自粛されていうるのではなかったのか?観光客の言葉を聞くとドイツ語っぽい。ドイツから来たのかな?
さすがに駐車場から離れて遠くに行く気はしないけど、冬はハイキングできるかもな。 この団体さんが帰るのをまって一人になったら写真を撮りまくろうと待っているのだけど、やっぱり観光名所。なかなか帰らない。うー リュックに500mlのペットボトルを入れているけれど、あっという間に飲み干してしまった。ちょっと頭がだんだんと暑くなってくる気がする。ほとんどとまっているのだけど。 そいうや、あまりに乾きすぎて汗はかいていないな。
さすがにまずいか? ようやく団体さんがバスに乗ってファーニスクリークの方へ引き返していったので、この真っ平らの平原で一人写真を撮る。で即、車に戻りエアコン全開で体を冷やす。ふー外にいるだけで「暑い」ではなくて「疲労が目に見えて蓄積する」という感じ。後から調べて分かったのだけど、この日のデスバレー最高気温は50℃だったみたい。ひえー。それも照り返しなしの場所だからなあ。体感ではもっとあったかも。

アメリカ旅行記/ Death Valley(デスバレー) artists palette( アメリカ旅行記/ Death Valley(デスバレー) 悪魔のゴルフコース(Devile's Golf Cource) アメリカ旅行記/ Death Valley(デスバレー) バッドウォーター (Bad Water) アメリカの標高最低地点 アメリカ旅行記/ Death Valley(デスバレー) 次のガススタまで57マイル。
アーティストパレット。左上の岩の色が変わっています。ちょっと分かりづらいか.. 暑かった。 悪魔のゴルフコース。この岩は一つ30cmぐらい。こんな岩っ原が向こうの山まで続いています。岩みたいに見えるけれどこれって塩の結晶 有名な(?)バッドウォーター。アメリカ最低地点。白い筋は塩です。暑い。このときの気温50℃。 次のガススタまでの距離。この看板だと57マイルですが、「72マイル」と書かれていた所もあります。

暑い街 Bakerへ

さて、ちょっと体を休めてバッドウォーターを後にする。この後は全く何もないところをひたすら走り続けるコース。
いや、本当に何もない。

途中、廃墟を発見。Ashford Mill という煉瓦造りの建物の廃墟。金の採掘現場だったらしい。こんな暑いところで穴を掘るとは、ゴールドラッシュ恐るべし。
ただでさえ車は少なく、おまけにこんな廃墟を訪れる人など誰もいない。この廃墟は道路から少し入ったところにある。もしここで倒れてもすぐには見つからないだろうな。

バッドウォーターからは本当に対向車に会わなかった。100km走ってすれ違ったのは5台ぐらいだったかな。砂漠のとても暑く乾燥した気候で荒涼とした風景。車もすれ違わない。ちょっとばかし心細くなる。でもさ、こういうところを走りたかったのだもんな。まさに「非日常の世界」

デスバレーの谷の部分から峠を越えてしばらく行くと小さな町ショーショーネ(shoshone)に出る。これが、ファーニスクリークの看板にあった「72マイル先のガススタ」なんだろうな。でもここも本当に小さな街。

この先の街はベイカー(Baker)つまり「焼けてしまう」という名前の街。ここはインターステートの入口なのでそれなりに栄えている。この街にはデスバレーの最高気温(136F)にちなみ、136フィートの温度計がたっている。(でもさ、華氏とフィートで書かれてもわからんよな。アメリカ人以外には)。

さて、このShoshoneからBaker への CA-127 の道も何もない風景。。 Bakerまで60マイルほど沿道には全く何もない。おまけに暑い。
走行中、ちょっと空気を入れ換えるかと窓を開けたとたん... 熱風が車内に吹き込む。日本でも炎天下に長時間止めておいた車に乗り込むときの「むうぅ」っとした暑さ。あれと同じ空気が外から流れ込んでくる。とてつもなく暑そう。
アメリカ旅行記/ Death Valley(デスバレー) Ashford Mill 。 本当の廃墟。 アメリカ旅行記/ Death Valley(デスバレー)  Shoshone からBaker に向かう道
Ashford Mill 。本当に廃墟。こんな廃墟が砂漠の中にぽつんと立っている。かつてはここでも金が採れたらしい。 ShoshoneからBakerへ向かう道。とにかくまっすぐに続く道(CA-127)。眠かった〜。ほとんど対向車は来ない。とにかく外は暑い。しゃれにならない暑さ。

今の状況は、
  1. 対向車もいないひたすらまっすぐな道
  2. 前日は400マイル以上走行
  3. 今日の睡眠2時間
  4. 昨日、今日とほとんど水しか口にしていない
  5. 50℃のデスバレーの暑さで疲れた
  6. 一人で運転。
眠くならない方がおかしいよな... いや〜 ちょっとまずかったかも.....
いや... 本当眠くなった。

なんとかやっとこさベイカーに安全にたどり着いた(途中かなり睡魔が襲ってきたけど、そのたびに水をがぶ飲みして眠気を覚ます.)。ベーカーのガススタで給油したついでに隣のファーストフードのタコベルで牛丼ライクなサウスウエストステーキボウルとかいうような食べ物にありつく。Bakerではまだ3時だったが、もうかなり頭がへろへろ.. 今日の今後の観光の予定はなく単に移動するだけだ。 ガススタ併設のコンビニでとにかく糖分を!ということでジュースとチョコを調達し、インターステート(I-15S)に乗る。

Bakersfieldへ一直線

もしBakers Filedで6時を越えていたら今日はそこで宿を取ろうかと考える。(実は今日はこれ以降あまり写真がありません。運転するだけで一杯一杯だったので。
きれいな景色もいろいろありましたので、これ以降は文章で表現。 どこまで情景を伝えられるだろうか..)

アメリカ旅行記/  Tehachapi あたりを走るアメリカ大陸横断鉄道
Mojaveあたり。Tehachapiの急勾配に向かうため何台もの機関車を連結している大陸横断鉄道。
アメリカ旅行記/ Tehachapiあたり。18輪トレーラーと併走
Tehachapi辺り。
ベイカーからはI-15SでBastow まで一直線。初日に通った道を逆に移動。BastowからはLosAngeles方面に折れるI-15から別れ、西に向かうUS-58W に乗りベーカーズフィールド(Bakersfield)へ。

US-58は高架や一般道にあったりとバラエティに富む道。荒野ではなくだんだんと街の雰囲気を感じさせる風景が多くなってくる。
Bakersfield 手前は峠になっている。カリフォルニアは南北に盆地になっているけれど、その東側の山を越えてゆくところ。ここはテハチャピ(Tehachapi)という峠で、アメリカの鉄道の撮影ではかなり有名なところらしい。日本でいえばむか〜し有名になった真鶴-根府川間の鉄橋の所のようなものかな。Tehachapi付近は勾配がとても急なので、線路が螺旋状に一回回っているとか。そうそう。こういう交通オタク的な話だと、この近くのモハベ空港は降水量の少なさから、世界中の飛行機が機体の塗装にやってきて乾かしてゆくとのこと。飛行場は車からもちょこっと見えたのだけど、確かにたくさんジェット機が駐機していた。
Tehachapiは、風力発電でも有名らしい。風が強いんだろうね。US-58からも山頂に多くの風車が林立しているのが見えた。

そういえば、この辺りで今日走り初めてから500マイルを越える。「500マイル」ということで、頭の中ではアルフィーの「星空のディスタンス」が流れはじめる。500マイル走るってことはこういうことか。

このTehachapi峠を越えてしばし行くとBakersfield。午後5時ぐらいだったか。夕日がきれい。交通量も激しい。街には降りずちょっと欲を出して更に西に進むことにする。日本での計画時には、今日は西海岸のSan Luis Obispo(サンルイスオビスポ)あたりに泊ろうかと考えていたが、さらに今日の距離を稼ぎたいので西海岸をもう少し北上しようかと考える。
ハイウエイを走行しながらハンドルにおいたロードマップをちらちら眺めて、これからの道を考える。もちろん全く土地勘など無い。
うーん行き当たりばったりではあるが、こういう「自由気ままな旅」をやりたかったのだよな。

Salinasへの遠い道程(眠かったUS-101)

Bakersfield を少し北に行き、Famosoという街でハイウエイを降りる。以後はCA-46でひたすら西に。途中 Wasco という街のガススタで給油。今日3回目。(マイル、ガロンの世界で走っているから燃費が計算しづらいけど、レンタカーで使っているフォードマーキュリー、燃費はだいたい10km/l ぐらいかな)。ここでまたジュースを補給。
Wasco を過ぎるとだんだんと日が暮れてくる。この辺りは荒野ではなく草が多い平原。石油採掘のポンプも林立していた。石油がとれるのか。

今日の宿をサンノゼの南にあるサリナス(Salinas)にすることにした。Wascoからは140マイルほど。日が暮れかけているが、昨日も夜走ったし大丈夫かな。
Wasco からCA-46をひたすら西に。I-15の下をくぐり更に進む。小高い丘を下りながらCA-41と合流。この丘からは西の空一面に残照がきれいに見えた。(こういうとき一人だとちょっとつまらないのだよな。)

しばらく経つと、辺りは真っ暗闇。道路の反射材と対向車のライトでこの先の道路の形を判別しながら進む。インターステートと違って交差点はあるし、道も曲がっており、細心の注意を払いながら走行。正直いってちょっぴり心細かった。
夜8時頃 Paso Robles という街で北へ向かう US-101 のインターにぶつかる。Paso Roblesにもモーテルはあったが、最初決めたとおりSalinasに行くことに。
US-101はアメリカの西海岸ドライブで有名な道らしく、ロサンゼルスとサンフランシスコの海岸地帯(サンタバーバラ、サンタマルタあたり)を通っている風光明媚なハイウエイ。ただもう周囲は真暗闇で景色は見えない。

US-101に入って最初のうちは「快適快適〜」なドライブであったが、だんだんと前方の道路の状況が分かりづらくなってきた。眠気が......
何とか目を覚まそうとラジオの音を大きくする。それもFMの音楽ではなく、AMのおしゃべり番組。とにかく話している内容を大声でシャドウイングして眠気を覚ます。しばらくはこれで大丈夫。 でもだんだんと眠くなってくる。 どこぞのインターで降りて休憩しようかとも考えたが、Salinasまで40マイル程度になっていたのでがんばって行くことにする。うーでも眠い。... 。「睡魔」というけど本当に魔物と戦うような気分。と不思議なことに、誰も座っていない助手席の方から私を呼ぶような声がする。「寝ちゃだめだよ〜」とも言っている。だれなんだろう?きっと自分自身の思いが音として聞こえてきたのだろうけど。普段だとこんな現象は怖いが今の状況だとちょうど良い。守護神が現れて睡魔との戦いに加勢。まるで独り言のようにこの人(?)と世間話や昔の話をしていた。ようやく目が覚めてくる。良かった。今になって思うと、一体誰だったんだろう?


アメリカ旅行記/ やっとこさ到着したサリナスのモーテル
やっとこさ本日の宿確保。ベッドはそれなりにしっかりしています。
やっとこさ Salinasに到着。地図の文字では大きそうな街だったけどそれ程取り立てて大きな街ではない。とにかくすぐにでも休みたいので一番最初に目に付いたモーテルに泊る。"Inn of California" というモーテル。60ドルなり。あんまり愛想は良くないけどでも、不快感を与えることはないフロントのお姉ちゃん。無事チェックイン終了。午後10時頃だったかな。本日の走行距離720マイル。km換算で1150km よく走ったな。ほっ。もう仮にこの瞬間寝てしまっても死ぬことはないんだほっと一息。
部屋はそんなにきれいじゃないけど、ベッドはちゃんとキングサイズのベッド。やっぱりアメリカのモーテルはいいなあ。そういえば、また例によって食事をたいして取っていない。ちょうど近くにハンバーガー屋(「Denny's」 と日本のデニーズと同じロゴ書いてあったがファミレスではなかった)があったので、散歩がてら歩いて行きハンバーグをパクつく。客も私しかおらずバイトのおばちゃんが物珍しいのかいろいろと話しかけてくる。会計の時にちらっと見えた「きれいねーどこのお札?」と千円札に興味を示した様子。そういえば、アメリカドルって単色印刷だもんな。10ドルと交換してもいいよと持ちかけたがさすがに断られた。 極度に頭が疲労した状態で英語で世間話するのはかなり疲れるけど、変に恥ずかしがる気持ちなども疲れで吹っ飛んでいて逆に気楽にしゃべれる。酒によってカラオケ歌うようなものか(^^;。これもいい経験。

実はその後部屋に戻ってからの記憶があまりありません。シャワーを浴びようか寝てしまおうかと考えているうちに寝てしまっていたような気がします。(^^;
というわけで長い一日が終了。明日はいよいよこの旅の最後の街サンフランシスコ。

(さて、この日の行程はとても他人に勧められるものではありません。 事故を起こさなかったのは単にラッキーというべきものです。特に一人旅だと勢いで強行軍することがあると思いますが無理はやっぱり避けた方がよいです)
2005.4に再びデスバレー訪れました。 アメリカ旅行記2005・デスバレー編もあわせてご覧ください
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