前面の赤帯を外し、東横線時代に使用していた急行板を取り付けて運転された7200系7260F編成。
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地下鉄南北線・三田線の目黒延伸開通および目黒線との相互直通運転開始に伴い引退した車両がありました。 1967年に田園都市線に登場した東急7200系は当時としては画期的な車両であり2両1編成として製造され、1M方式を採用した他、先頭車の車両前面がダイヤモンドカットと呼ばれる特殊なものを取り入れました。その後中間車も製造されるようになり東横線、大井町線、目蒲線、池上線で活躍するようになりました。デビュー当初は一部の車両を除き非冷房でしたが冷房化され、最終期は目蒲線で4両編成(3M1T、一編成のみ2M2T)として活躍しました。1986年から編成組み換えによって余ったクハ7500を抵抗制御からVVVFインバータ制御へ改造された7600系が登場し現在も池上・多摩川線で3両3編成が活躍しています。しかし1000系が池上線に登場すると7200系も廃車が生じて2両5編成が上田交通へ譲渡され、2000年の目蒲線分割の際には老朽化とワンマン改造に膨大な費用が掛かることから2両の電気検測車を除いて引退しました。2000年11月12日に7200系最後の製造車として作られた7260Fを用いて、多摩川線・池上線においてさよなら運転を行い、登場当時の赤帯無し、東横線時代の急行板を取り付けて抽選で当選した人のみが乗車しました。
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秩父鉄道5000形として活躍する元都営6000形 秩父鉄道へは3両4編成が譲渡された。
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都営三田線でも、目黒延伸開通に伴い姿を消した車両がありました。1968年の巣鴨−志村(現:高島平)間開通当初から活躍していた都営6000形です。6000形は当初、一部車両がワンマン化改造、ATO(自動列車運転装置)を取り付けの上、目黒線へ直通する計画がありましたが、改造費用に大きく掛かるため新型の6300形に置き換えることが決定し、目黒線との相互乗り入れを前に1999年11月に引退しました。 6000形はMM’ユニット方式で全車モーター車デビュー当時は4両1編成で活躍していました。その後、巣鴨−日比谷間の延伸開通に合わせて6両化されました。製造当初は非冷房でしたが1989年より冷房化され最終的に全6両27編成あるうち、日比谷延伸開通時に製造された6両14編成と開通時から使用していた6両1編成の計6両15編成が冷房化改造を終えました。現在は熊本電鉄、秩父鉄道、インドネシア国鉄へ譲渡され元気に活躍しています。
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