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 1年3の組

 担任 西山清センセ。お子さんは体重80kgを越える多中の5年生。柔道3段、「西山のブー」と云う英雄やった。教室は東南の隅で、上は6年男子組、東は便所が見え、西は中庭に面していた。教室の前には、コンクリートの廊下に「すの子」が敷いてあり、前に傘棚があった。石段を3段登って教室に入るようになっていた。今考えると、総てがクラシック。教育の暖かさがあった。

 石板と石筆と國定教科書がランドセルの中味という時代やった。そう云えば机もユニークなデザインで、金具もないのに「フタ」があくようにできていた。60年近くたってしまったが、身のまわりのもの総てが今ではアンティークとして通用しそうに思える。仲間は53人、40人位の名前と顔を思い浮かべることが出来るんやけど、あと10人はどうしても思い出せへん。この絵よりは「シッソ」やったような気もするんやけど、ベッチンの福助足袋をはいている子もいたし、男の子はクツ下をゴム輪でとめていた。真冬でも素足の子も何人もオッタ。仲多度郡一の小学校やったんで、着物を着てくるのは「センセ」と玉ちゃん以外にはオラナンダ。玉ちゃんは勉強はスカン方やったけど掃除がうまく、当番の時、糠袋で床を磨き、よう働いた。センセに頭をなでられ、なにか褒美をあげようと言われたら、「多度津音頭教えてつか。」と云ったのには驚いた。センセはにこにこしながらオルガンでチョイナチョイナをひいたのである。エエ時代やった。エエ先生やった。

 絵は天性のもの。習わんでもワシは抜群やった。石板に最初に書いた絵は「銃剱をつけた兵隊さん」センセがほめるからみんながワシの机の周りに集まってきた。「ヒイキや」という声も聞こえた。


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