2001/8/29

           <1.マイケルソン・モーレー実験の疑問点の指摘>

 マイケルソン・モーレーの実験(以下MM実験)は、従来より教科書等で誤った説明がなされてきました。MM実験を再考
する過程で見出した従来からの考察のミスをまとめましたので、報告します。

<エーテル風に関する一考察>

[概説]
 一旦光源より放たれた光は、絶対空間を足場にすすんでいきます。窪田氏も指摘しているとおり、その後の光の進行は
光源の運動に影響を受けたりしません。これは「光は物体のように慣性の法則に従ったような運動はしない」と言いかえる
こともできます。

 さて、仮にMM実験がおこなわれた当時の立場にたってみますと、光はエーテルの海を伝わっていくとみな考えました。
このことから、一旦放たれた光は、静止したエーテルの海をただ放たれた方向にすすんでいくだけ、ということが自然に理
解されます。

 つまり、どの方向にどんな状況で放たれたとしても、一旦空間に放たれれば光がエーテルの風を受けるということはあ
りえないとわかります。放たれた光はエーテルを足場に(基準に)光速度cで進んでいくのですから、この解釈は自然なこ
となのです。
 「エーテルという媒質を光が伝わっていく」という当時の解釈に則って考えると上記の考察が自然であるにもかかわらず、
当時の物理学者はみなどういうわけか「エーテルの海を進行している地球から放たれた光は、強いエーテルの風を受け
るだろう。そして、その風の影響によって縦方向と横方向では往復時間に差が出るにちがいない。差がでればエーテル
風が原因したと結論でき、それはとりもなおさず、エーテルを検出したことになる!」と考えました。
それを期待しMM実験が行われたのは我々も教科書等でよく知っていることです。

 少し考えれば、その考えは間違いであることにすぐ気づきます。はじめに述べたように、一旦空間に放たれた光は、静止
したエーテル中を進むだけなのだから(エーテルを足場に進むのであるから)、エーテルの風など一切受けないのです。

 「受けない」にもかかわらず、「受ける」と解釈してしまったことが、まずMM実験に対する当時の学者の解釈ミスとしてあげ
られます。そして、現代の物理学者でさえ、歴史の解釈をそのまま踏襲してしまって、どの本を見てもMM実験に関しては
同じような記述ばかりがなされています。つっこんだ考察が見られない。「エーテル風を受ける」などという記述が、なぜ
代の教科書にも堂々とのっているのか、不可解としかいいようがありません。

 さらに論をすすめます。
色々な相対論の本を見てみますと、MM実験は絶対系で計算されている場合と、運動系で計算される場合の2つの場合
にわかれています(両方で計算されている教科書もあります)。
 そこで、まず絶対系から考えることにしましょう。

[絶対系での従来解釈のミス]
 色々な本のうちから、「なっとくする相対性理論」(講談社)を見てみましょう。p.37のMM実験装置の図を下に示します。
「Aは水平の線SAに対して45°に傾けてある」とあります(Aとは鏡Aのことです)。



 この鏡Aの角度に関しても、従来解釈で誤りがあります。 鏡Aは45°ではありえません。C´に光が到達するには、窪田
氏も指摘しているとおり、若干鏡を45°より小さく傾けなければなりません。(ただし、45°とほとんど同じ角度ですが)
にもかかわらず、従来から厳密に45°だとして説明されつづけてきました。しかし、私はそれは間違いと考えます。
注意:多くの相対論の教科書と同様、ここではMM実験の本質だけを抽出し単純化した形での議論をしていますので、「実際は厳密に45°に合
わせたりしない!」などと勘違いしないでください。)

もし光を物体と考えると、物体は慣性の法則にしたがいますので、45°の角度でC´に無事に正確に到達します。しかし、
当時、「光はエーテルを伝わる波である」として実験がおこなわれたのですから、上記解釈はおかしいのです。

 なぜなら、「厳密に45°で且つ地球の絶対速度vが不明」という状況で、どんな状況下(vはいろんな値をとり日々変化
しつづけている!)でもC´に正確に到達するとどうして保証できるのか?保証できるはずがありません。物体では保証で
きるが、波では保証できないのです。
地球の絶対速度vは時時刻刻と変化しつづけているはずです。銀河系は銀河集団のなかで回転し、銀河系の中では太陽
系も回転して、しかも地球は確実に太陽の周りを公転して日々方向を変えつづけている。よって、地球の絶対速度vが1年
の間にもかなり変化していることは容易に想像できます。

 このように考えると、物理学者は波である光に物体のもつ性質(慣性の法則)をも付与して考えるというミスを犯してしま
っていることに気づきます。
当時の立場にたてば、徹頭徹尾光は波としてあつかわなければならないはずなのに、あるときは光、あるときは物体
としてあつかうという全く論理性に欠けた取りあつかいをしてしまっていることがわかります。このMM実験の解釈は、相対
性理論の誕生前のことであることに注目してください。

 窪田氏は光は上図のような経路をとらないと主張されていますが、私も賛成で、上のようには進まない。上図は、光がま
ったく物体と同じような運動をする、すなわち慣性の法則に従うような運動をすると主張しているのと同じですが、光は物体
とはちがいますから、それは誤った主張なのです。

 上図をよく見てください。
 図は、MM実験装置が絶対系に対してどんな速度で動いていても、光は鏡A´の真上の鏡C´にきっちり到達す
ると主張しているのですが、まったく信じられない話です。
 MM実験装置は、地球に固定されていますから、地球が絶対系に対してどんな速度で動いているか全く不明で
あるのに、光は必ずC´に到達するのです。そんな奇妙なことが信じられますか?

相対論の教科書で、光がなぜC´にきっちりと到達するかの理由説明が全くなされていないのは、驚き
とともに呆れます。ここは重要性において決定的な点であるからです。

 何度も述べますが、相対論誕生前のことを教科書で説明するには、当然マクスウェル電磁気理論やニュートン力学を用
いて上のようになる理由を説明するのが当然であるにもかかわらず、全く説明がなされていないのです!

 私は、MM実験それ自体を根底から疑っています。
鏡Aが45°の角度である場合、光がほんとうに上図のように進むなどと考えられますか?
地球の絶対速度vは時時刻刻と変化しつづけている。銀河系は銀河集団のなかで回転し、銀河系の中では太陽系も回転
して、しかも地球は太陽の周りを公転して日々方向を変えつづけているという事実をもう一度確認してください。

 実際の実験で、たとえ鏡Aの角度が45°よりも小さめに設定されていたとしても、そんな状況下で、鏡Aの正確な角度
(45°よりも僅かに小さめに傾ける必要があるが、その正確な角度を!)を日々常に正確に見出しつづけるなどという理
想状態が実現できたとは到底考えられません。

これまでの議論より、MM実験そのものが全く信用のおけない実験であったことがよくわかると思います。




次に運動系での従来解釈のミスを考えましょう。

[運動系での従来解釈のミス]
 ここでも「なっとくする相対性理論」を参考にします。p.39前後に運動系でのMM実験解釈が説明されています。本では
”運動系”が”実験室系”として書かれていますが同じことです。つぎのように記述されています。

 「・・・AC方向に対して垂直に右から速さvのエーテルの風が吹いてくるとする。光がCの方向に進むとすると下流に流され
るので、少し上流に向けて速度cで進むとする。これは流れる川を横切る渡し舟の例を考えると理解しやすいだろう。cとv
のベクトルを合成した速度で、光は鏡Cに向う。・・・・」

 ここにすでに上の[概説]でも述べたミスがみられます。
光はエーテル風の影響など受けないのです。上の説明では、光は川を渡っている間中(C´に向っている間中)エーテル風
による力学的影響を受けつづけるということになりますが、そんなことはありえない。

 当時の立場にたてば、光は一旦空間に放たれると静止エーテルの海を何の影響も受けずにただ進んでいくだけだか
らです。

 「地球船から放たれた光が静止エーテルの中を進んで鏡に到着すること」と、「エーテルの流れの川を渡し舟(光)が向こ
う岸のある地点に到着すること」が同じであるとして解釈したことがおかしい点です。同じであるはずがありません。物理的
内容がまるで違います。
計算云々をいう前に、運動系では物理的考察が誤っているのです。

[最後に]
 上の絶対系と運動系の比較で奇妙なことに気づきませんか?
従来の絶対系解釈では光は鏡C´へ静止エーテル中をただ進んでいくだけで途中でエーテル風の力学的な影響など一切
受けないとして論を展開しています。
 ところが、運動系では一転してエーテル風の力学的力を受けつづけるとして説明されています。同じ実験でありながら、
物理的に矛盾した解説がなされています。

 もうお気づきと思いますが、運動系解釈の罪の重さに比べれば、絶対系解釈は物理的にはまだまともな議論であるとい
えましょう。ただ、絶対系でも上記ミスを含んでいる以上、従来のMM実験そのものが全く信用のおけないものであるとい
えます。

以上。



追加2002/2/21
   <2.運動系と絶対系でのMM実験問題点のまとめ>

 MM実験での問題点の中心点を簡潔にまとめますと、次のようになると思います。



[MM実験の問題点のまとめ]
 実験装置に乗っている人(運動系)から見たら、光は真っ直ぐ上に登っていき、鏡C´にきっちりと到達するとして議論が展
開されています。実験装置は、この宇宙の中でどんな絶対速度vをもって動いているのか当時全くわからなかったのに、ど
んなvでも、まるで光は物体と同じように、ぴったりC´に到達するとして議論が展開されています。

 相対論が誕生する前に物理学者はMM実験をいろいろと解釈しましたが、なぜ光はこんな奇妙な(まるで物体であるか
のような)進行をするのか?という理由が説明されずに、当然そうなるものとして説明が済まされてきたことはおかしなこと
であり、物理学の理論の展開の仕方として許されることではありません。
 マイケルソン・モーレーの実験が行われた当時の立場にたって、物理学者は説明をきっちりすべきす。
でなければ、「マイケルソン・モーレーの実験は、物理学の歴史において、完全に無意味な実験であった」と後世から非難
されることになると思われるからです。

 絶対系での解釈でも、全く同様のことが言えます。
光はなぜ上図のような進行をするのか、学者はきっちりと説明しなければならない。

 私が、徹底的にこの点にこだわるのは、次のことを問題にしたいからです。
下図は、「相対性理論」(中野董夫著、岩波書店)の光時計の図ですが、「光の進行はこうなるのだ」として説明されていま
す。下図は何を本質的に語っているかというと、光源から発射された光は、まるで物体であるかのごとく(慣性の法則に
従ったような)進行をするのだという驚くべきことを言っているのです。これは特殊相対性原理からの帰結です。

奇妙なことは、それだけではありません。

なんと、下右図では、物体の運動のように速度ベクトルが合成され長くなっているにもかかわらず、光速度不変の原理の
ために、依然その大きさはcなのです!(通常の力学での運動を考えれば、ベクトルは合成され当然cよりも大きくなるは
ずなのに!)
 全くおかしな図です。

 この奇妙な図は、「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」の両方の内容が盛り込まれてでき上がっていることを、
しっかりと認識してください。

 ちなみに、光は、下図のような慣性の法則に従ったような進行はせず、絶対系を基準に進むことはすでにいくつもの実験
で証明されています。次で示しています。下図は嘘なのです。
[光が慣性の法則に従わず、絶対系を基準に走ることを実証した例]
<相対論の原理にひそむ理解不可能な論理展開を明らかにする>
<レーザージャイロにより、絶対系の存在は確実となった>

 上記の実例により、光時計の光の挙動(下図)は嘘であることが証明されたわけですから、相対性理論も自動的に崩壊
することはいうまでもありません。




 光時計に関連して<光と時間の考察でアインシュタインは3重のミスを犯している>でもこのことに言及していますので、
参考にしてください。




追加2003/6/14 <3.地球の絶対速度を30km/sとした奇妙な前提条件!>

 マイケルソン・モーレーの実験は、考えれば考えるほどおかしな実験です。
干渉縞移動の観点から、別の問題点に気づきました。

 MM実験は、地球の絶対速度 vが30km/sとして実験の全てが組み立てられました。これは実験当時、太陽は絶対系
に静止し、その周りをまわる公転運動を地球の絶対運動とみなしていたことを意味します。
 ここが現在からみれば非常に奇妙な点なのです。

 v=30km/sと決め付け、v/c=10^-4となることを利用して、干渉縞の動きを観察しているわけですが、”30km/s”
という値が幸運にも干渉縞移動を肉眼で確めるにはたまたまよい値であったために、実験が可能になったということを、
もう一度思い起こす必要があります。地球の絶対速度が30km/s近辺でなければ、MM実験は非常に難しい実験となっ
てしまうのです(それより大きければ正規分布的統計誤差に埋もれてしまう可能性が増大するし、それより小さければ肉
眼では干渉縞動きが観測できない。すなわち、いずれの場合も、干渉縞動きが観察できないのです)。
 「おお、vが30km/sとはこれはちょうど都合のよい速度である!」と当時勘違いしたために、発案された実験であるこ
とに注目すべきです。

 そして、決定的に不思議なのは、現在でも、地球の絶対速度vがいくらかなどわかっていないことです!
(じつは速さのみならず、地球の絶対運動の”方向”も分からなければ干渉縞移動の正確な考察は無理なのですが、その
方向さえもわかっていない)

 にもかかわらず、当時の勝手な仮定つまり「地球の絶対速度=30km/s」(方向は公転の進行方向)という条件のもと
で、実験すべてが解析された。全くおかしいわけです。

 現代でさえ地球の絶対速度がいくらかなどなにもわかっていない。
絶対速度v=30Km/sというのは勝手な決め付けなのであるから、実験をやろうとした前提自体がじつはあやしかった、
とわかります。
 すなわち、MM実験をやるにはおおよそでも地球の絶対速度vの値が予めわかっていなければならないにもかかわ
らず、怪しい勝手な仮定のもとで全ての解析が行われた。太陽系が銀河系の中で運動し、その銀河系もまた動いてい
ることがわかっている現代から見れば、その実験結果をもう一度再検討しなければならないのは明らかということです。

地球の絶対速度が予めわかっていなければこんな実験など発案され得ないことをもう一度認識してください。

以上より、MM実験は、再考を要する実験とわかるでしょう。




追加2003/8/17 <4.実験自体が矛盾しているマイケルソン・モーレーの実験>

 上記<3.地球の絶対速度を30km/sとした奇妙な前提条件!>で重大な事実が明らかとなりました。
 すでにお気づきかもしれません。

 マイケルソン・モーレーの実験は、エーテル(絶対系)の存在を確めるために行われました。
すなわち、地球が絶対系に対してどんな速度vで運動しているか?を確かめる実験であったのです。

 ところが、そのvを求める実験であるのに、その実験の前提条件としてvが予め分かっていなければならないのです。
 全く矛盾した話ではありませんか!

 これより、現代から見て、マイケルソン・モーレーの実験は根本的におかしな実験であったと言えるのです。






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