寺のご案内・アクセス

寺の沿革

  開基・信楽房の木像(江戸中期の作という)

建保3年(1215)稲田あるいは高田におられた親鸞聖人に聞法帰順した、平将門の後胤と伝えられる相馬太郎義清が、信楽(しんぎょう)という法名を賜って一寺を建立したことに始まる、と伝承しています。時に、嘉禄2年(1226)のことであるともいいますが、あるいは、寺関係文書の「御帰路之後(聖人が帰洛されてのち)」という記録から、嘉禎2年(1236)であろうという説もあります。
その後、江戸時代のはじめ慶長13年(1608)、順和が住職のとき、「心得違いを以て転派」したのですが、慶安2年(1649)、朱印地五石五斗を幕府から与えられましたし、同4年には、住職・順故のときに帰参がかないました。この時順故は、さっそくに蓮如上人の御影を迎えたといいます。また、このころには、寺内寺院として、円生寺と信覚寺とが存在していたという記録が残っています。
元禄4年(1691)10月には、本尊木仏やさまざまな「御影」等が迎えられ、同12年には本堂が建てられた(平成23年に建て替えられた旧本堂です)と伝えていますから、この時に、寺としての形態が整ったと申せましょう。
寛政期(1789-1800)には、順恵が住職で、檀家数は築地村40戸、鷺島村32戸等の、計146戸で、当時あった天台宗の寺の80戸や40戸などとくらべて、格段に多かったといわれます。その後に、東保末村から14戸が新たに転入して、計160戸の檀家数を誇りました。

 

寺の所属

正式名称は 鷺島山 花月院 西光寺(ろとうざん かげついん さいこうじ) です。

浄土真宗本願寺派 東京教区 茨城西組(いばらきさいそ) に所属しています。

  上下の2枚とも境内にある親鸞聖人の尊像です

 

              西光寺の共同納骨堂です


周辺略地図

ルート294号からなら、黒子・辻交差点で、北・下館方面からは左折、南・下妻方面からは右折です。小貝川の橋を渡ってから、二つ目の信号、あるいはその手前の細い道を右折です(右折箇所に寺の案内看板あり)。
県道54号線で真壁方面(東)からおいでの場合は、「あけの元気館」を目印にしてきて、それを左側にして通過したなら、二つ目の信号を左折です(案内看板あり)。上の案内図にも記しておきましたが、案内看板を三箇所に設置しています。あまりスピードを出さずに注視して、それに従ってお越しください。


タクシー利用の場合

JR下館駅(水戸線)が最寄りの駅です。
関東鉄道常総線の下妻駅からも利用できます(一番近い黒子駅にはタクシーが多分ないでしょう)。
つくばエクスプレスのつくば駅からでもタクシー利用が可能ですが、少々料金がかかります。