ときどき日記(20020916〜20020930)

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2002/09/23(日)

イリヤの空、UFOの夏 その3/秋山瑞人(電撃文庫)

 さんざんさぼったあげくにいかにもなタイトルでの更新だけど、別にこの本が出るのを待っていたとかそういう訳ではないのです。8月からこのかたいろいろ忙しかったのと、それ以上にパワードール4なんぞにのめり込んでいた(よく出来た戦術級SLGなんかやっちゃいかんのですおれみたいなのは)のと、そもそもゲームしかできない脳状態だったのと、まあそんなこんなで1ヶ月も間が開いてしまいました。現状の怠惰さ加減ではデスクトップ機の前にすわって文章なんか書けないと腹をくくり、ジャンクで4年前のIBMノートを4万円で拾ってきたのはいいが、セットアップにまた時間を取られるという本末転倒なことをやってみたり。いまんところちゃんと動いてます4万円ノート。バッテリがだめだったりFDDが死んでたりWin98で上書きしたらレジュームもハイバネーションも効かなくなったりいかんせんCPUだってMMX233だけど、13.3インチの液晶とThinkPadのキータッチが4万円で手に入ったのだから不満はありません。図にのってハードディスクを40GBに差し替えようと画策してまさに今フォーマット中なのだが、果たしてそんなことしてまともに動くものやら。まあHDD単体ならほかに使い道がないわけではないし、うまくいかなくてもそれはそれと思ってるのですが。ああそうだイリヤの話をしようとしていたんだった。

…こうなることは、わかっていた。のだけど。そうなのだけど。

 個人的には秋山瑞人についてショック小説家−−いかに読者にショックを与えるかを第一目的としている小説家−−だとは思っていません。もちろんそういうこと考えて狙って書いているとは思うし、そういう意味で確信犯だと思うし、ちょっとまてそこまでやるんかいと思ったことがないわけではない(EG2とか)。でもそれは目的ではなく手段で、そういう方法でしか伝えられない現実があるから、だからこういう手法を取っているのだと思ってます。そういう受け取り方をしてしまうからだから自分は甘ちゃんなのかもしれないでも、しょうがない自分は自分の受け取ったものでやっていくしかないのだし、そもそも世の物語の大半は「うまくいったまれなケース」を描いていてそういう意味で死屍累々の現実世界のほうがはるかにシビアなのだし、その点では秋山瑞人の書くものもある種「うまくいった」ケースには違いなくて、うまくいかないと物語にならない、でもそんな簡単にうまくいくもんでもない、物語の成立と現実性の妥協点を探った結果が、ああいう形になってるのかもしれないと、そんな風に思ったりもします。
 祭りは終わり、嵐が来る。残念ながら水前寺邦博はスーパーマンではなく、浅羽直之はもとよりヒーローであるはずもない。でもたぶん、もちろんほとんどのばあい結果がなにより重要なのだし、そんな泣きそうな場面には自分はできれば一生直面したくなんかないけど、でも飛べたか墜ちたかより飛んだか飛ばなかったかがいちばん大事な、そんな場面もまれにはあるのだと思います。なんだか昔「大日本天狗党絵詞」を巡ってそんな話を知り合いとしたのを思いだしたりもしました。

 4巻のキーパーソンは須藤晶穂でしょう。そして決着がどうなるにせよ、物語は5巻で完結する事になるんじゃないかと、現時点ではぼんやりと予想しています。登場人物の行き着く先もなんとなく見えてきた気がします。もちろん自分の想像力なんざ、この小説家の描く物語にはちっとも届かなくて、その魔術的な文体だけのためではなく、だからおれはこのひとの書くものを読んでるのだろうと思います。また1年待つことになるのか。


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