幼なじみのあの娘はB級アイドルで‥というわりとありがちな設定。こうなるとその娘と初体験というのは定番なんだけど、それが全然愛情のないセックスだったというのがこのまんがのミソ。
全編を通して(特に後半に)漂う索漠とした雰囲気。描かれているのは居場所を見つけられない主人公たち。ラストにわずかな救いをのぞかせてはいるけれど、解釈のしようでは「自分しか愛せないぼくら」の延長線上にあるラストともとれる。
作者はこれがデビュー作らしい。今後の作品に要注目。(1998.8.22)
つまり「神のせいにするな」という、そういうまんが。人間はその所業のすべてを己の責任において行なっているのだから。言うは易く行なうは難し、人間の弱さは常に他に救いを求めずにはいられない。
それでも人間の所業による惨禍は決して神が見捨てたためではない、己の顔を見ろと永野のりこは言ってるんだと思う。決してなじるのではなく、あくまで真摯に。(1998.8.22)
授業が始まる。礼をする。先生の脳が落ちる。頭蓋がないから。
戻すと復活する。くしゃみする。脳が飛ぶ。こんどは崩れる‥
いちおう念を押しておくと、ギャグまんがです。4ページの快作。作者は17才とのこと。(1998.8.22)
幽霊だからって、生前の記憶があるとは限らない。人間にさわれないとは限らない。人間より達観しているとは限らないし、幽霊のほうから去っていくとも限らない。そして自分が幽霊であることをわかっているとは限らない。
いかにもこの作者らしいユニークな、心にしみる短編。子供と等価の子供の幽霊、子供と楽しく遊び、そして子供が大人になっていくのをどうすることもできない、そういう幽霊の話。よいです。とても。(1998.9.19)
たぶん、夏の花火が描きたかっただけなんだろう。自転車背負った主人公がいきなり川から現れるスタートから、風呂につかって花火を眺めるラストまで、設定の説明もあらすじらしいものもなし。描かれているのは広い意味での風景だけ。夏の夜の匂いと音だけ、確かに伝わってくる。
この感じで短編を積み重ねていくとおもしろそう。手法としては山崎浩に少し似てるかもしれない。(1998.9.19)
ヤングアニマルの新鋭のデビュー3作めにして、初のエロなし作品。駆け出しカメラマンが主人公で、静物が得意でモデル撮影が苦手だった彼が、ニンゲンをとる面白さと難しさに気付いていくおはなし。
こま割りとか表現方法とかいろいろ試しているのがよくわかる。まだ、上手くなったというほどうまくなってはいない。登場人物が背景から浮いてるとか、こま割りに凝りすぎてテンポが阻害されてるとか、まだまだ未熟なところは残っている。だけど描き慣れてきているのは確か。
まず雑誌掲載という「場」に慣れる。それからゆっくり上手くなる。それでいいんだと思う。新人なんだから。いい線が描けるのだから。(1998.10.31)
ヤングアニマルの新人をもうひとり。こちらはHあり。
やや少女まんが風のやわらかな線がおもしろいとはいえ、一見どうってことないHまんが。新人らしくあらも見える。にもかかわらず不思議な吸引力がある。再読・三読を強いる。
屋外で欲望のままに犯そうとして、女の子の心音を感じて途中でやめて、いぶかる女の子に本音を吐いて、女の子も別の本音を吐いて。そしてあらためてのゆっくりしたセックス。そんな都合のいいはなしがあるかいなという感もあるけれど、でもこの展開、新鮮なのである。美少女まんがの一本調子のHシーンにはないリアルがあるのである。いや、そう思うのは個人的な勘違いかもしれないけど。
つい最近べつの美少女まんが誌で見かけたような気もする(読み逃した‥)ので、純粋な新人ではないかも知れない。ともあれしばらく追ってみる価値はありそう。(1998.10.31)
アンドロイドの暴れ回るアクション。例によってなにやら破綻したギャグ。家族のつながり、人間と人間でないものの感情のつながり。この3つをまとめあげて1つのまんがにしてしまったのは目黒三吉ならではの腕力。
結果できたまんがは当然風変わりである。ふつうの読者に受け入れられたかどうかはよくわからない。ラストでの豪快な場面転換など、ついていけない人のほうが多いかもしれない。とりあえず、エロ抜きでもやっていける力量だけは確かに示した。(1998.10.31)
しょうもないことでけんかした彼女が、「ポテチでも何でも思う存分食べるがいいわ」という捨てぜりふと一緒に置いていった、旅行しようとしてためてたらしい50万。それっきり、いつまで待っても連絡がないことで意地になった男、ほんとに50万全部をポテチで食ってやると決意。他の食物への渇望を乗り越え、ポテチだけ食べて生きていくうちに、変わり者としてテレビに出たのがきっかけでポテチの広告塔として有名になり、CMで共演した女優とも結婚し。だがある日、いつの間にかずいぶん遠くへ来てしまったことに気付いた男、ポテチオンリーの食生活に終止符を打つことを決意する‥
快作。もっともらしい列伝風のラストが最高。これがデビュー作で、こういう新人が出てくるのが赤/青BUTA増刊の魅力である。次はどういうのを描くのやら。(1998.10.31)
ひたすらふんわりとやわらかい、ただそれだけだけどただそれだけで十分魅力的なまんが。無理矢理例えれば、ヨコハマ買い出し紀行と神戸在住を足して2で割ったような感じ。例えになってないなあ。
まったくHではないこういうまんがが快楽天に載るのは、こういうのを載せる場が一般誌にないからとも、快楽天が意識してそういう場を狙っているからともいえる。いや、どっちでもいいんだけど。読めれば。(1998.10.31)
女性型ホムンクルスの製造工場。そこで一体のホムンクルスがまちがって男性生殖器をひっつけてしまったことをきっかけに起こる大騒ぎ。みんな勝手にパーツをつけるわ増やすわ、そのうちあっちこっちで交尾(なのか?)を始めるわ、あげくのはてに妊娠して子供が生まれるわ。
登場人物(人物?)どもがやってることは間違いなくエロまんがのそれだけど、これ、果たしてエロなんだろうか。けらけら笑いながら読めたから、意味なしスラップスティックとして上出来なのは間違いないところ。(1998.10.31)
やまむらはじめには珍しい高校生もの。
練習中に足をこわした高校3年生のスプリンター・多島。松葉杖をついた、老人の目をした彼が顧問に言われてしぶしぶ引き受けたのが、1年生の素質に溢れる少女・小田桐の指導。
最初は競技として走ることに興味を示さなかった彼女だが、主人公のなにげないひとことでその気になってから素質を発揮し始める。だがタイムトライアルのさなか、多島の目の前で彼女は転倒する。松葉杖で必死に駆けつけた主人公に向けられた、小田桐のVサイン。
その場から離れ、ひとり部室にこもる多島。心配して様子を見にきた、わりと仲のよい同級生の陸上部員・秦野にいきなり抱きついて頭を埋めたところに、小田桐が多島を探しに来る。勘違いし、びっくりして逃げ去る小田桐。それからかわされる会話。
「多島クン ちょっと離してよ」
「いいよ」
「だって彼女!!」
「いいんだよ 放っとけよ」
「そう そうなの」「で 私はどうしたらいい訳?」
「抱きしめてはくれない?」
「……そうね お断り」
「残念…」
「頭 冷やしなさい! それからのハナシね」「じゃ また明日」
「さいなら」
立ち去る秦野。多島は習慣でタバコを口にしようとする。だが、競技を断念してから吸うようになっていたたばこの箱を、多島はにぎりつぶす。
それから多島は、松葉杖でトラックを回る。夏空の下、息を切らし、汗を流しながら。ふとふりかえった多島の目に映る空と雲と、遠くへと伸びるトラック。
後半9ページ、説明になるセリフもコマもなし。不親切なやまむらまんがの真骨頂。
作中「子供の頃から諦めはよかったんだ」と小田桐に話す多島。そのことばで封印してきたもの−−自分でついていた嘘に気付いたゆえのラストの行動。封印していたものは走ることへの執着でもあり、小田桐を追う自分の目でもある。だから秦野に求めたのは「なぐさめてくれる他者」であり、それが見えたゆえの秦野の拒絶なのだろう。あなたのお母さんにはならないわ‥
ほかの人はたぶんほかの解釈をしたに違いない。そういうまんが。(1998.10.31)
コマ割りが実験的。22ページ中、1×4(横1列、縦4段)が12ページ。そのうち1ページを除いて均等割り。4コマ中1つを縦に割ってページ5コマにしたのが5ページ。4コマ中2つをあわせて3コマにしたのが1ページ、そのうえで1つを縦にわって4コマにしたのが2ページ。3×3に均等割りしたのが1ページ。残る1ページは扉。ここまで書けば言わずもがなだけど、すべてのコマは長方形。変形コマなし。
登場人物は男女2人。描かれるのは男の子のアパートに女の子がたずねてきて、食ってしゃべって寝て起きてラーメン屋行ってラーメン食って、ふたりで自転車で帰るまで。その多くが部屋を舞台にした全96コマ中、ふたりとも描かれたのが54コマ。横長のコマを多用したことが、「ふたりのいる部屋」を描くうえでおもしろい効果をあげている。部屋でのありふれた時間の流れが、コマ割りの均質さで表現されている。
この感想、ここからねたばれ全開です。これから読む人は読まないほうがいいかと。
ふたりの会話はほとんどがたあいもない内容である。ごくありふれたカップルのごくありふれた日常に見える。が、半年も先の誕生日にプレゼントを送り、食後に大量に薬をのむ女の子の行動は、決してありふれたカップルのそれではない。それは就寝前、女の子の「コメンね ホントの誕生日までもたなくて」ということばで証される。ふたりの時間はあと半年も残されていないのである。
でも、ふたりはありふれたカップルのようにふるまう。それはふたりの境遇について触れるのが怖いからではない。ふたりの置かれた境遇について悟ってしまってるからでもない。そうふるまうことが、ふたりにとっていちばん良いのだということを知っているからなのだ。
だから、ときに運命に押しつぶされそうになるのをこらえて、ふたりはたあいもない時間をすごす。わざと明るくふるまっているのではなく、ふつうに笑ったり怒ったりしているのである。もし女の子が病気でなかったときに、笑ったり怒ったりするのと同じように。ふたりがそうしたいから。
自分たちにのこされた時間が少ないとき、どうその時間を生きるか。燃えつきるまでなにかに打ち込むという選択肢もあるだろう。おのれの煩悩や執着を捨て、心の安寧を得ようとする選択肢もあるだろう。それ以外にもさまざまな選択肢があるに違いない。
この短編で描かれたのは、そんな選択肢のひとつである。PAJAMAS☆PARTY(なかせよしみ)で描かれたものと同じたぐいの、そしてよりありふれた終末に対する選択肢。
残された時間をごくあたりまえに過ごす。それにはときに歯を食いしばって堪えるだけの強さが必要になる。ひとつだけわかっているのは、おれにはとてもじゃないけどこんなふうに振る舞えないということである。
まんがのとらえ方はひとそれぞれということを踏まえた上で、あえて書く。同じ雑誌に載っているまんががすべて色褪せて見えた短編です。必読。(1998.11.3)
59歳の男性と結婚している21歳の女性・明美。ふたりの性関係は、女性の自慰行為を男性が眺めることによってのみ成立していた。「お金もあるし子供もほしくないし、別にいいかなー」と思って結婚した彼女は現状に不満はないが、満ち足りてもいない。
ある日、彼女は指に怪我をさせた中学生の少年を手当てのために家に連れ込み、当たり前のように関係を持つ。彼女にとっては当たり前のように退屈しのぎだったそれは、「クソダサイ素朴な美少年」である少年にとっては当たり前のように本気の行動だった。
結婚ということばが少年の口から出た次の機会、彼女は別れを切り出し、最後に「マック買ってあげるから」オナニーしてるところを見せてくれと言う。激しい怒りを見せて一度は立ち去った少年はやがて戻り、見せたらまたここに来てもよいかとたずね、首を横に振られて涙を流し、それでもそれを彼女に見せる。その少年の表情を思い出して涙にくれる明美。帰宅し、彼女が泣いてることに驚き慰める夫に、彼女は泣いたまま抱きつく‥‥
ヤンジャン系でこういうややっこしいまんがを読めるとは思わなかった。性描写のソフトさを除けばエロまんが誌で読んでも違和感なさそな作品。いろいろ切り口はあるけれど、失恋の涙にくれることのよろこびを的確にとらえた少なくともその一点で、納得のいくまんが。(1998.11.7)
朝めし食って、毎朝会社へと出かけていく父親。でも、ほんとうに会社へ行っているのだろうか?どっか別のところへ行ってるんじゃないだろうか?そう思ったこどもは、なかば自分の思いこみを否定するために、朝、父親のあとをつける‥
へんてこな、すっとぼけた、でもなぜか鼻の奥を刺激する短編。やまだないとの絵ってそれほど好きではないけれど、このまんがが絵の力抜きでは成立しないのもまた事実。うまいもんです。(1998.11.7)
いじめられっ子を主人公にしたあたりまえの物語が突然軌道を外れる。暴走する。あらぬ方向に行きついて、そこからさらに踏み外して終わる。おおよそ荒唐無稽に属する類の話なのに最後まで読み手を引きつけるのは、「こどもにとっては身のまわりが世界の全て」という軸がぶれてないせいだろう。期待を裏切らない内容。
それにしても、ほとんど年1回しか黒田硫黄が読めないというのはもったいなさすぎる。アフタヌーンでもどこでもいいからとっとと新連載希望。希望ったら希望。(1998.11.4)
中世、孤島、錬金術、ホムンクルス、賢者の石。石を胸に宿したまま眠りつづける不死の少女たち。道具立ては古屋兎丸らしいといえばらしいのだけど、物語そのものは極めて正攻法。稠密な絵がもたらす膨大な情報量のせいで、48ページとは思えないほど読みごたえがある。力作ということばがぴったりくる感じ。
古屋兎丸がホラー描いたらものすごくこわいだろうなどとふと思う。この絵だもんなあ。(1998.11.7)
老人ホームでいそがしく働いてる女性。心待ちにしていたクリスマス、ホームのクリスマスパーティのせいで恋人と会えなくなって、涙をぬぐって笑顔でパーティ会場を駆け回る。事情を察して逢瀬の手引きをしてくれたのは、いつも彼女を困らせている悪ガキ老人3人組‥‥とってもいい話。Hシーンをソフトにしたら少年誌に載せてもいいくらい。
がんばるお姉さん、いいですねえ。気丈な女性を描かせたらうらまっくはうまい。あるいは読むほうが個人的にそういう女性に弱いだけか。よくわからん。(1998.12.20)
太く丸いサインペンのような、あるいは筆ペンのような線。フリーハンドの、たてよこななめのいりまじった、ときにゆっくり曲がっていく枠で断たれた、不思議なコマ割り。1ページとして同じ割り方のない、作者の思うがままに割ったようなコマ。その中に描かれた、スクリーントーンを使わない、黒の印象に残る絵。多様な角度からとらえられた、遠近さまざまの映像的な絵。
反射望遠鏡をそなえた天文台。そこから見える星や銀河や宇宙の闇。青空、夕暮れ、朝、昼、夜。淀んだ夜、沈んだ夜、嵐の夜、そして穏やかな崩壊の朝。
少年と少女、ふたりが子供だったころ。月日が過ぎてなお少年のままの男が訪ねた、すでに少女ではなくなっていた女。意味のない言葉を吐くことで沈黙を埋めるすべを知ってしまった生き物。彼女がともに暮らす、年老いた「教授」。妄想にとりつかれた醜怪な老人。
時の流れとふたりの変化を表わすための小道具。象徴としてのフラスコ。
だれかこれ、このまんまで映画にしません?短編映画に。ラストがちょっとだけ弱いけど、あとはそのまんまで行けるはず。
これがデビュー作であるという作者に望むことはただ一つ。描き続けること。2作、3作と雑誌に発表し続けること。これ一発で消えたりしたらおれが許さん。(1998.12.21)
かつて伝説の料理人の弟子だった女性は、自分の過ちによって師匠を死なせて以来、その経歴をひた隠しにし、忘れようとしてきた。しかし、今はサッカー日本代表チームの監督をつとめる女性の前に、かつての兄弟弟子が率いる韓国代表が立ちふさがる。韓国の選手たちは監督の料理によりパワーアップしていた。一方的になぶられる日本代表。そして再起を願う兄弟弟子の真情に動かされた女性は、封印していた料理の腕を再びふるうのだった、というあらすじ。なんだか破綻しているようにみえるけど書き間違いではない。こちらの脳みそが破綻しているわけでもない。たぶん。
食うともろにパワーアップする料理法という設定はおもしろいし、料理人がサッカーチームの監督をしているというミスマッチもおかしいけど、なにより興味深く思ったのは、これが友情スポーツまんがとしてきちんと機能していること。伝説の料理が伝説の戦術であった場合と、読み手に与える印象が変わらないのである。よく考えると−−というより一見してむちゃな設定なのに、読み終わるとなんとなく納得している。設定のむちゃさ加減について「そんなことあるかいな」的つっこみが一切ないのもその一因に違いない。
現実にはありえない設定で、現実と同じようなこころの動きを描く。やってることはSFやファンタジーと同じである。料理人とサッカーの組み合わせでファンタジーというまんが。ユニーク。(1998.12.20)
淡く塗られたカラーと、決して線の尖らないモノクロ絵。最低限のお約束である妄想シーンひとコマを除けば、ほとんど子供向けのおはなし。彼女がうさみみのほのぼのラブストーリーなんて、そんなぁ。困っちゃいます。
読者コーナーのイラストを見るに決してかわいい絵を描くだけの人ではないようにも思うけど、でも、これ、かわいい絵を描くだけでも食ってけるような気もするなあ。刺激臭0だもん。絵本なんか描かれたら買っちゃうなあ、たぶん。いいなあ。(1999.1.4)
デビュー作、だそうな。デビュー作で巻中カラー付きという破格の扱いは、編集部の期待が大きいことのあらわれに違いないのだけど、これ、そう書いてなかったらとてもデビュー作とは気づかなかった。正確には「プロ」デビュー作らしいのだけど、どこで描いてた人なんだろう。
まんがの骨格は宇宙船と宇宙服と宇宙空間の正統派宇宙SF。ただし、舞台となる宇宙空間が地上からたかだか高度150kmの場所であり、主人公たちは宇宙空間を浮遊しているこわれた衛星や宇宙船が捨てていったタンクの類−−つまり宇宙のごみを回収することを生業にしている。ぼろい宇宙船で。宇宙の物語もここまで身近に降りてきたのだなあとふと思う。
6年前の宇宙船事故で奇跡的に助かった男と、助からなかった妻。その妻の遺品を探すために、男は宇宙ごみ回収業者をとなった。彼のエピソードが物語の軸であり、彼を妙な同僚として見ている若い男が主人公であり狂言回しでもある。ストーリー自体はとびぬけてどうというわけではないけれど、極めて正統である。星野之宣がそうであるように。星野之宣と違うのは、それが冒険者の物語ではなく生活者の物語であることなのだ。
第2弾は春ごろ登場予定とのこと。このクオリティで2カ月に1度も読めるなら、まんが読む楽しみが一つ増えることになる。期待大。(1999.1.18)