6−3 アメリカ大陸への訪れ

御父、御子について証される


紀元33年
3ニーファイ11:1-7

さて、ニーファイの民の大勢の群衆がバウンティフルの地にある神殿の周りに集まり、互いに驚き、不思議に思い、また各地に起こった大いなる驚くべき変化について互いに話し合っていた。
彼らはまた、すでにその死にかかわるしるしが現れたイエス・キリストについても語り合っていた。
そして、彼らが互いに語り合っていたとき、天から発せられるような声が聞こえた。しかし彼らは、自分たちに聞こえたその声の告げる意味が分からなかったので、辺りを見回した。それは耳障りな声ではなく、大きな声でもなかったが、小さな声でありながら、聞いた人々の心の中まで貫いたので、彼らの全身はことごとくそれによって震えた。まったく、それは魂そのものにまで彼らを貫き、彼らの心を燃え上がらせた。
そして彼らは、再びその声を聞いたが、それでもその声の告げる意味が分からなかった。
その声は三度まで聞こえ、彼らはこの度は耳を開いてそれを聞き、目をその声のする方へ向けて、その声が発せられる天を見詰めていた。
すると見よ、三度目には、彼らは自分たちに聞こえたその声の告げる意味が分かった。その声は彼らに語った。
「わたしの愛する子を見なさい。わたしの心にかなう者である。わたしは彼によって、わたしの名に栄光を加えた。彼に聞きなさい。」


【動画】ニーファイ人にみ姿を現されたイエス


キリストが現れ、御自分の贖罪について宣言される。


3ニーファイ11:8-17

そして、彼らはその意味が分かったので、再び天を見上げた。すると見よ、天から一人の男の方が降って来られるのが見えた。この御方は白い衣を着ておられ、降って来て群衆の中に立たれた。全群衆の目がこの御方に注がれたが、彼らは互いの間でさえ、あえて口を開こうとはしなかった。また彼らは、自分たちに御姿を現された御方を天使であると思ったが、これがどういうことなのか分からなかった。

そこでこの御方は、片手を差し伸べて人々に言われた。
「見よ、わたしはイエス・キリストであり、世に来ると預言者たちが証した者である。
見よ、わたしは世の光であり命である。わたしは、父がわたしに下さったあの苦い杯から飲み、世の罪を自分に負うことによって父に栄光をささげた。わたしは世の罪を負うことによって、初めから、すべてのことについて父の御心に従ってきた。」
さて、イエスがこれらの御言葉を語り終えられると、群衆は全員地に伏した。彼らは、キリストが天に昇られた後、自分たちに御自身を現されることが預言されていたのを思い出したからである。
そこで、主は彼らに言われた。
「立ってわたしのもとに来て、あなたがたの手をわたしのわきに差し入れ、またわたしの両手と両足の釘の跡に触れて、わたしがイスラエルの神であり、全地の神であること、そして世の罪のために殺されたことを知りなさい。」
そこで群衆は進み出て、主のわきに手を差し入れ、また主の両手と両足の釘の跡に触れた。彼らは一人ずつ進み出て、全員がこのようにし、自分の目で見、自分の手で触れ、この御方が、将来来られると預言者たちによって書き記された主であられることを、確かに知って証した。
彼らは全員進み出て、自ら確認した後、一斉に叫んだ。
「ホサナ。いと高き神の御名がほめたたえられますように。」そして、彼らはイエスの足もとに伏して、イエスを拝した。

キリスト、バプテスマの様式を述べられる。


3ニーファイ11:18-28

そして、イエスは(ニーファイが群衆の中にいたので)ニーファイに語りかけ、進み出るように命じられた。
そこでニーファイは、立ち上がって進み出て、主の前にひれ伏し、主の両足に口づけした。
すると主は、立ち上がるように彼に命じられた。そこで彼は、身を起こして主の前に立った。
すると主は彼に、「わたしはあなたに力を授ける。わたしが再び天に上げられるとき、あなたはこの力をもってこの民にバプテスマを施しなさい」と言われた。
さらに主は、ほかの人々も召して、彼らにも同じように言われた。そして主は、バプテスマを施す力をこれらの人に授けられた。それから、主は彼らに言われた。「次の方法であなたがたはバプテスマを施しなさい。あなたがたの中に決して論争があってはならない。
まことに、あなたがたに言う。あなたがたの言葉によって罪を悔い改め、わたしの名によってバプテスマを受けたいと望む人に、次の方法でバプテスマを施しなさい。見よ、あなたがたは水の中に下りて行って立ち、わたしの名によって彼らにバプテスマを施しなさい。
さて見よ、そのときにあなたがたの言う言葉は次のとおりである。まず、バプテスマを受ける人の名を呼んで、
『わたしはイエス・キリストより権能を受けたので、御父と御子と聖霊の御名によって、あなたにバプテスマを施します。アーメン』と言いなさい。
それから、あなたがたはその人を水中に沈め、水から上がりなさい。
このような方法で、わたしの名によってバプテスマを施しなさい。見よ、まことに、あなたがたに言う。父と子と聖霊は一つである。わたしは父におり、父はわたしにおられ、父とわたしは一つである。
わたしが命じたとおり、あなたがたはこのようにバプテスマを施しなさい。これまであったような論争が、今後は決してあなたがたの中にあってはならない。また、わたしの教義の要点について、これまでにあったような論争が、今後決してあなたがたの中にあってはならない。

キリストの教義


3ニーファイ11:29-41

まことに、まことに、あなたがたに言う。争いの心を持つ者はわたしにつく者ではなく、争いの父である悪魔につく者である。悪魔は互いに怒って争うように人々の心をあおり立てる。
見よ、互いに怒るように人々の心をあおり立てるのは、わたしの教義ではない。このようなことをやめるようにというのが、わたしの教義である。
見よ、まことに、まことに、あなたがたに言う。あなたがたにわたしの教義を告げよう。
これから述べるのがわたしの教義であり、父がわたしに与えてくださった教義である。わたしは父のことを証し、父はわたしのことを証され、聖霊は父とわたしのことを証する。父は、どこにいる人でもすべての人に、悔い改めてわたしを信じるように命じておられることを、わたしは証する。
わたしを信じてバプテスマを受ける者は、だれでも救われる。神の王国を受け継ぐのはこれらの者である。
また、わたしを信じないでバプテスマを受けない者は、だれでも罰の定めを受ける。
まことに、まことに、あなたがたに言う。これがわたしの教義である。わたしは、父から告げられたとおりにこれを証する。わたしを信じる者は父をも信じるのである。その者に、父はわたしのことを証されるであろう。父はその者に火と聖霊を与えられる。
このようにして、父はわたしのことを証され、聖霊はその者に父とわたしのことを証する。父とわたしと聖霊は一つである。
もう一度あなたがたに言う。あなたがたは悔い改め、幼子のようになり、わたしの名によってバプテスマを受けなければならない。そうしなければ、あなたがたは決してこれらのものを受けることができない。
もう一度あなたがたに言う。あなたがたは悔い改め、わたしの名によってバプテスマを受け、幼子のようにならなければならない。そうしなければ、あなたがたは決して神の王国を受け継ぐことができない。
まことに、まことに、あなたがたに言う。これがわたしの教義である。この教義の上に建てる者はわたしの岩の上に建てるのである。地獄の門もこれらの者に打ち勝つことはない。
また、これ以上のこと、あるいはこれに及ばないことを告げ知らせて、それをわたしの教義とする者は、悪から出る者であり、わたしの岩の上に建てられてはいない。このような者は、砂の土台の上に建てているのである。地獄の門は開かれており、洪水が起こり、風が打ちつけるときにこのような者を迎え入れる。
したがって、あなたがたはこの民の中に出て行き、わたしの語った言葉を地の果てまで告げ知らせなさい。」

山上の垂訓に似た説教をされる。


3ニーファイ12,13,14

内容が重複するため3−2「山上の垂訓」を参照
新約聖書とモルモン書の「山上の垂訓」の相違点は「モルモン書勉強ノート」の「山上の垂訓」を参照

イエス、モーセの律法が御自分によって成就したことを告げられる。


3ニーファイ15:1-10

さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、群衆を見回して、「見よ、あなたがたは、わたしが父のみもとに昇って行く前に教えたことを聞いた。だから、わたしのこれらの言葉を覚えていて行う者を、わたしは終わりの日によみがえらせよう」と言われた。
そしてイエスは、これらの御言葉を述べると、彼らの中に、イエスはモーセの律法をどうするおつもりかと驚き怪しんでいる人々がいるのに気づかれた。これらの人々は、古いものは過ぎ去って、すべてのものが新しくなったという御言葉の意味を、理解していなかったからである。
そこでイエスは、彼らに言われた。「わたしが、古いものは過ぎ去って、すべてのものが新しくなったとあなたがたに言ったことを、不思議に思ってはならない。
見よ、あなたがたに言う。モーセに与えられた律法はもう成就している。
見よ、その律法を与えたのはこのわたしであり、わたしの民イスラエルと聖約した者はわたしである。律法はわたしによって成就している。わたしは律法を成就するために来たからである。したがって、律法は終わった。
見よ、わたしは、預言者を廃止することはしない。まことに、わたしはあなたがたに言う。まだわたしによって成就していないことはすべて、これから成就するであろう。
わたしは、古いものは過ぎ去ったとあなたがたに言った。ということは、将来のものについて告げられてきたことを、廃していないということである。
見よ、わたしが民と交わした聖約は、まだすべては成就していないからである。しかし、モーセに与えられた律法は、わたしによって成就している。
見よ、わたしは律法であり、光である。わたしに頼り、最後まで堪え忍びなさい。そうすれば、あなたがたは生きるであろう。最後まで堪え忍ぶ者に、わたしは永遠の命を与えるからである。
見よ、わたしはあなたがたに戒めを与えたので、わたしの戒めを守りなさい。これは律法であり、預言者である。律法と預言者は、実際にわたしについて証したからである。」

イエスがエルサレムで言われた他の羊とは、ニーファイ人のことである。


3ニーファイ15:11-24

さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、御自分が選んだあの十二人に向かって言われた。
「あなたがたはわたしの弟子である。またあなたがたは、ヨセフの家の残りの者であるこの民にとって光である。
見よ、この地はあなたがたの受け継ぎの地である。父はこれをあなたがたに与えてくださった。
このことを、エルサレムにいるあなたがたの同胞に告げるように、父は一度もわたしに命じられなかった。
また父が、その地から導き出されたイスラエルの家のほかの部族について、彼らに告げるようにわたしに命じられたことも、これまでに一度もない。
彼らに告げるようにと、父がわたしに命じられたことはただ、
『わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らもわたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、一人の羊飼いとなるであろう』ということだけである。
ところが、彼らは強情であり、不信仰であったので、わたしの言葉を理解しなかった。そこで、このことについてそれ以上彼らに言わないように、わたしは父から命じられた。
しかしまことに、わたしはあなたがたに言う。父から命じられたので、わたしはあなたがたに告げる。彼らが罪悪を犯したために、あなたがたは彼らから分けられた。だから、彼らがあなたがたのことを知らないのは、彼らの罪悪のためである。
まことに、もう一度あなたがたに言う。父はほかにも彼らから幾つかの部族を分けられた。彼らがそれらの部族のことを知らないのは、彼らの罪悪のためである。
まことに、あなたがたに言う。『わたしには、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らもわたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、一人の羊飼いとなるであろう』とわたしが言ったその羊とは、あなたがたのことである。
しかし、彼らはわたしの言ったことを理解しなかった。それは異邦人のことであると、彼らは思った。異邦人は彼らの宣教によって改宗するということを、彼らは理解していなかったからである。
また、『彼らもわたしの声に聞き従うであろう』とわたしが言った意味を、彼らは理解しなかった。異邦人は決してわたしの声を聞かないということ、すなわち、聖霊による以外にわたしは異邦人に自分自身を現さないということを、彼らは理解しなかった。
しかし見よ、あなたがたはわたしの声を聞き、わたしを見た。あなたがたはわたしの羊である。そしてあなたがたは、父がわたしに与えてくださった者の中に数えられている。」

イエスはこの後、行方の知れないイスラエルの他の羊を訪れられる。


3ニーファイ16:1-3

「まことに、まことに、あなたがたに言う。わたしには、この地におらず、エルサレムの地にもおらず、またわたしがこれまでに行って教え導いた周囲の地のどこにもいない他の羊がいる。
わたしの言うその羊は、まだわたしの声を聞いたことがなく、またわたしも彼らに自分自身を現したことはない。
しかし、わたしは彼らのところへ行って、彼らがわたしの声を聞いて、わたしの羊の中に数えられるようにし、一つの群れ、一人の羊飼いとなるようにすることを、父から命じられた。だから、わたしは行って彼らにわたし自身を現す。

末日に、福音は異邦人に伝わり、次いでイスラエルの家に伝わる。


3ニーファイ16:4-15

また、わたしはあなたがたに、わたしが去った後にこれらの言葉を書き記すように命じる。エルサレムにいるわたしの民、すなわち、わたしを目にし、わたしが務めを果たしている間わたしとともにいた民が、聖霊によってあなたがたについて知ることができるように、また彼らの知らないほかの部族についても知ることができるように、わたしの名によって父に求めなければ、あなたがたがこれから書き記すこれらの言葉は、書き継がれて異邦人に明らかにされるであろう。それは、エルサレムにいるわたしの民の不信仰のために、地の面に散らされる彼らの子孫の残りの者が、異邦人が満ちみちた恵みにあずかることによって導かれるためである。すなわち、彼らの贖い主であるわたしについて知るようになるためである。
そのとき、わたしは彼らを地の四方から集めよう。またそのとき、わたしは父がイスラエルの家のすべての民に立てられた聖約を果たそう。
異邦人は、わたしと父について証する聖霊によってわたしを信じるので、幸いである。
見よ、父が言われるには、彼らはわたしを信じ、おお、イスラエルの家よ、あなたがたは信じないので、末日には異邦人に真理が明らかにされて、これらのことがことごとく彼らに知らされるであろう。
しかし、異邦人の中の信仰心のない者は災いであると、父は言われる。彼らはこの地の面にやって来るにもかかわらず、イスラエルの家に属するわたしの民を散らすからである。そして、イスラエルの家に属するわたしの民は、彼らの中から追い出され、彼らに足で踏みつけられる。
父は異邦人を憐れみ、イスラエルの家に属するわたしの民を裁かれるので、まことに、まことに、あなたがたに言うが、これらの後、わたしはイスラエルの家に属するわたしの民が打たれ、苦しめられ、殺され、異邦人の中から追い出され、彼らに憎まれ、軽蔑の的となり、笑いぐさとなるようにする。
また父は、あなたがたに次のことを言うように、わたしに命じられた。『異邦人がわたしの福音に背いて罪を犯し、わたしの完全な福音を受け入れず、あらゆる国民、全地のあらゆる民にも増して高慢な心で高ぶり、あらゆる偽りと欺き、悪事、あらゆる偽善と殺人、偽善売教、みだらな行い、秘密の忌まわしい行いにふけるその日、もし彼らがそのようなことをすべて行い、わたしの完全な福音を受け入れなければ、見よ、わたしは彼らの中からわたしの完全な福音を取り去ろう』と、父は言われる。
『そのとき、わたしはかつてわたしの民、イスラエルの家に立てたわたしの聖約を思い出し、彼らにわたしの福音を伝えよう。
そして、おお、イスラエルの家よ、異邦人にはあなたがたを支配する権力がないことを、わたしはあなたがたに示そう。イスラエルの家よ、わたしはあなたがたに立てたわたしの聖約を思い出そう。そしてあなたがたは、わたしの完全な福音を知るようになるであろう。
しかし、もし異邦人が悔い改めて、わたしに立ち返るならば、見よ、彼らはわたしの民、イスラエルの家の中に数えられる』と、父は言われる。
『また、わたしはイスラエルの家に属するわたしの民が彼らの中を通り過ぎて、彼らを踏みにじることを許さない』と、父は言われる。
『しかし、もし彼らがわたしに立ち返らず、わたしの声に聞き従おうとしなければ、わたしは彼らが、すなわちわたしの民イスラエルの家が彼らの中を通り過ぎて、彼らを踏みにじることを許そう。彼らは塩気を失った塩のようで、もう何の役にも立たず、捨てられて、わたしの民イスラエルの家の足の下に踏みつけられるだけである。』

主がシオンを再び元に戻されるとき、主の民はそれを目の当たりに見るであろう。


3ニーファイ16:16-20

まことに、まことに、あなたがたに言う。父はわたしに、この地を受け継ぎとしてこの民に与えるようにと命じられた。
そのとき、預言者イザヤの言葉が成就するであろう。イザヤは言った。
『あなたの見張り人は声を上げ、声を合わせて彼らは歌う。主がシオンを元に戻されるとき、彼らはそれを目の当たりに見るからである。
エルサレムの荒れた所よ、喜びの声を上げ、ともに歌え。主が御自分の民を慰め、エルサレムを贖われたからである。
主はその聖なる腕を、すべての国民の目の前に現された。地の果てに至るすべての人は、わたしたちの神の救いを見るであろう。』」

イエス、民に御自分の言葉について深く考え、理解力を祈り願うように指示される。


3ニーファイ17:1-4

さて見よ、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、再び群衆を見回して言われた。「見よ、わたしの時は近づいた。
あなたがたは弱く、あなたがたに今告げるようにと父から命じられているわたしの言葉を、すべては理解できないことを、わたしは知っている。
だから、自分の家に帰り、わたしが述べたことを深く考えなさい。そして、理解できるように、また明日のために心が備えられるように、わたしの名によって父に願いなさい。わたしはもう一度あなたがたのところに来るであろう。
しかし、わたしは今は父のみもとに帰り、またイスラエルの行方の知れない部族にもわたし自身を現そう。彼らは父にとっては行方知れずではない。父は彼らを導いた先を御存じだからである。」

イエス、民の病気を癒される。


3ニーファイ17:5-10

さて、イエスはこのように言うと、もう一度群衆を見回して、彼らが涙を流しながら、もうしばらくとどまっていてほしいと願うかのように、イエスをじっと見詰めているのを御覧になった。
そこで、イエスは彼らに言われた。「見よ、わたしの心は、あなたがたに対する哀れみに満たされている。
あなたがたの中に病気の者がいるか。彼らをここに連れて来なさい。足の不自由な者、目の見えない者、足の悪い者、手の不自由な者、らい病にかかっている者、体のまひしている者、耳の聞こえない者、あるいはどんなことでも苦しんでいる者がいるか。彼らをここに連れて来なさい。癒してあげよう。わたしはあなたがたのことを哀れに思い、わたしの心は憐れみに満たされている。
あなたがたは、わたしがエルサレムにいるあなたがたの同胞に示したことを、自分たちにも示してほしいと思っている。わたしはそのことを知っている。また、あなたがたの信仰がわたしから癒しを受けるのに十分であることも、わたしは知っている。」
さて、イエスがこのように言われると、群衆はこぞって、病気の者、苦しんでいる者、足の不自由な者、目の見えない者、口の利けない者、そのほかどんなことでも苦しんでいる者たちを伴って前に進み出た。するとイエスは、御自分のところに連れて来られた者をことごとく癒された。
そこで、彼らは皆、癒された者も健康な者も、イエスの足もとにひれ伏して、イエスを拝した。また、群衆の中を近づくことのできた者はイエスの足に口づけし、涙でイエスの足をぬらした。

イエス、書き記せない言葉で民のために祈られる。


3ニーファイ17:11-22

さて、イエスは、幼い子供たちを連れて来るように命じられた。
そこで、彼らは幼い子供たちを連れて来て、イエスの傍らに降ろした。イエスはその真ん中に立っておられた。また、群衆は道を譲って、幼い子供たちが皆、イエスのもとに来られるようにした。
さて、幼い子供たちが皆連れて来られると、イエスはその真ん中に立ち、地にひざまずくように群衆に命じられた。
そして、彼らが地にひざまずくと、イエスは心の中で苦悩され、「父よ、イスラエルの家に属する民の悪事のために、今わたしは心が騒いでいます」と言われた。
そして、イエスはこのように言われると、御自分も地にひざまずき、見よ、御父に祈られた。イエスが祈られた事柄を書き記すことはできないが、イエスの祈りを聞いた群衆はそのことを証した。
彼らは次のように証した。「わたしたちはイエスが御父に話されるのを見聞きしたが、それは目がまだ見たこともなく、耳がまだ聞いたこともないほど、大いなる驚くべきことであった。
わたしたちはイエスが話されるのを見聞きしたが、それはどんな舌も語ることができず、どんな人も書き記すことができず、人々の心が想像できないほど、大いなる驚くべきことであった。またわたしたちは、イエスがわたしたちのために御父に祈ってくださるのを聞いたが、そのときにわたしたちの心に満ちた喜びは、だれも想像することができない。」
さて、イエスは御父に祈り終えると、立ち上がられた。しかし、群衆は喜びが非常に大きかったので力を失っていた。
そこで、イエスは彼らに語り、立ち上がるように命じられた。
そこで、彼らは地から立ち上がった。すると、イエスは彼らに、「あなたがたは信仰があるので、幸いである。見よ、わたしの喜びは満ちている」と言われた。
そして、イエスはこれらの御言葉を語ると、涙を流された。群衆はそのことを証した。また、イエスは幼い子供たちを一人一人抱いて祝福し、彼らのために御父に祈られた。
そして、イエスはこれを終えると、また涙を流された。

天使たちは幼い子供たちに恵みを施し、幼い子供たちは火に包まれる。


3ニーファイ17:23-25

また、イエスは群衆に語って、「あなたがたの幼い子供たちを見なさい」と言われた。
そこで彼らは、見ようとして天に目を向けたとき、天が開くのを見た。そして、天使がまるで火の中にいるかのような有様で天から降って来るのを見た。天使は降って来ると、幼い子供たちを取り囲み、幼い子供たちも火に包まれた。そして、天使は幼い子供たちに恵みを施した。
群衆はそれを見聞きして、証した。彼らは皆、自分自身で見聞きしたので、その証が真実であることを知っている。群衆の人数はおよそ二千五百人であり、男と女と子供から成っていた。


【動画】イエス・キリスト,子どもたちを祝福される


イエス、ニーファイ人の中に聖餐を定められる。


3ニーファイ18:1-14

さて、イエスは弟子たちに、幾らかのパンとぶどう酒を持って来るように命じられた。
そして、彼らがパンとぶどう酒を取りに行っている間に、イエスは群衆に、地に腰を下ろすよう命じられた。
そして、弟子たちがパンとぶどう酒を持って来ると、イエスはパンを取り、それを裂いて祝福された。それからイエスは、弟子たちに与えて、食べるように命じられた。
彼らが食べて満たされると、イエスは群衆にも与えるように命じられた。
そして、群衆が食べて満たされると、イエスは弟子たちに言われた。「見よ、あなたがたの中の一人を聖任しよう。わたしはその人に力を授け、彼がパンを裂いて祝福し、わたしの教会の人々、すなわち信じてわたしの名によってバプテスマを受けるすべての人に、それを与えることができるようにしよう。
またあなたがたは、わたしがしたように、すなわち、わたしがパンを裂いて祝福し、それをあなたがたに与えたように、いつもこれを行うように努めなさい。
あなたがたは、わたしがあなたがたに示したわたしの体を記念して、これを行いなさい。それは、あなたがたがいつもわたしを覚えているということを、父に示す証となるであろう。そして、あなたがたは、いつもわたしを覚えているならば、わたしの御霊を受けるであろう。」
さて、イエスはこれらの御言葉を語ると、弟子たちに、器のぶどう酒を取って飲むように告げ、さらに群衆にも与えて飲ませるように命じられた。
そこで、弟子たちはそのようにして、飲んで満たされた。また、彼らは群衆にも与え、群衆も飲んで満たされた。
弟子たちがこれをなし終えると、イエスは彼らに言われた。「あなたがたはこれを行ったので、幸いである。これはわたしの戒めを守ることである。またこれは、わたしの命じたことをあなたがたが喜んで行うということを、父に証明するものである。
これをあなたがたは、悔い改めてわたしの名によってバプテスマを受ける人々のためにいつも行いなさい。あなたがたは、わたしがあなたがたのために流したわたしの血の記念として、それを行いなさい。そうすれば、あなたがたはいつもわたしを覚えているということを、父に証明することができる。そして、あなたがたは、いつもわたしを覚えているならば、わたしの御霊を受けるであろう。
わたしはあなたがたに、これらのことを行うようにという戒めを与える。あなたがたはいつもこれらのことを行うならば、わたしの岩の上に建てられているので、幸いである。
しかし、あなたがたの中で、これ以上のこと、あるいはこれに及ばないことを行う者は、わたしの岩の上に建てられておらず、砂の土台の上に建てられているのである。雨が降り、洪水が起こり、風が吹いてこれらの者に打ちつけると、彼らは倒れてしまう。また地獄の門は、彼らを受け入れるためにいつでも開かれている。
だから、あなたがたに与えるように父がわたしに命じられたわたしの戒めを守るならば、あなたがたは幸いである。


【動画】イエス・キリスト,聖餐とお祈りについて教えられる
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ニーファイ人、イエスの名によって常に祈るように命じられる。


3ニーファイ18:15-25

まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う。あなたがたは悪魔に誘惑されないように、また悪魔に捕らえられないように、常に目を覚ましていて祈らなくてはならない。
わたしがあなたがたの中で祈ったように、あなたがたもわたしの教会で、悔い改めてわたしの名によってバプテスマを受けるわたしの民の中で祈りなさい。見よ、わたしは光である。わたしはあなたがたのために模範を示した。」
さて、イエスはこれらの御言葉を弟子たちに語り終えると、再び群衆の方に向き直って、言われた。
「見よ、まことに、まことに、あなたがたに言う。あなたがたは誘惑に陥らないように、常に目を覚ましていて祈らなければならない。サタンはあなたがたを小麦のようにふるいにかけることを願っているからである。
だからあなたがたは、わたしの名によって常に父に祈らなければならない。
与えられると信じて、わたしの名によって父に求めるものは、正当であれば、見よ、何でもあなたがたに与えられる。
あなたがたの妻子が祝福を受けるように、あなたがたの家族の中で、わたしの名によって常に父に祈りなさい。
見よ、あなたがたはしばしばともに集いなさい。また、ともに集うときには、どんな人もあなたがたのところに来るのを禁じてはならない。彼らがあなたがたのところに来るのを許しなさい。禁じてはならない。
むしろあなたがたは彼らのために祈りなさい。彼らを追い出してはならない。もし彼らがしばしばあなたがたのところに来るならば、彼らのためにわたしの名によって父に祈りなさい。
あなたがたの光を掲げて、世の人々に輝き渡るようにしなさい。見よ、あなたがたの掲げる光とは、わたしである。すなわち、わたしが行うのをあなたがたが見た、その行いである。見よ、あなたがたはわたしが父に祈るのを見た。皆、目の当たりに見ている。
また、あなたがたが見たように、わたしはあなたがたのだれにも立ち去るように命じることなく、むしろわたしのもとに来て、触れるように、また見るように命じた。あなたがたも世の人々にそのようにしなさい。この戒めを破る者はだれでも、誘惑に陥ることを自ら許す者である。」

ふさわしくないままでイエスの肉を食べ、イエスの血を飲む者は、罰の定めを受ける。


3ニーファイ18:26-35

さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、御自分が選ばれた弟子たちにもう一度目を向けて言われた。
「見よ、まことに、まことに、あなたがたに言う。わたしはあなたがたにもう一つの戒めを与える。その後、わたしは父のみもとに帰り、父から与えられているほかの命令を果たさなければならない。
さて見よ、わたしがあなたがたに与える戒めはこれである。すなわち、あなたがたは、わたしの肉と血を分け与えるとき、だれであってもふさわしくないままでわたしの肉と血にあずかることを、承知のうえで許してはならないということである。
ふさわしくないままでわたしの肉を食べ、血を飲む者は、そうすることで自分に罰の定めを招くからである。だから、ある人がわたしの肉を食べ、血を飲むのにふさわしくないと分かったならば、あなたがたはその人に禁じなさい。
それでもあなたがたは、その人をあなたがたの中から追い出すことなく、教え導き、またその人のためにわたしの名によって父に祈りなさい。もしその人が悔い改めて、わたしの名によってバプテスマを受けるならば、あなたがたはその人を受け入れて、わたしの肉と血を分け与えなさい。
しかし、悔い改めなければ、その人がわたしの民を滅ぼすことのないように、あなたがたはその人をわたしの民の中に数えてはならない。見よ、わたしは自分の羊を知っており、わたしの羊は数えられているからである。
それでも、あなたがたは引き続き教え導くことができるように、その人を会堂や礼拝の場所から追い出してはならない。彼らが立ち返って悔い改め、十分に固い決意をもってわたしのもとに戻って来るようにならないとは言い切れないからである。彼らがそうするならば、わたしは彼らを癒そう。だからあなたがたは、彼らに救いをもたらす者になりなさい。
罪の宣告を受けることのないように、あなたがたはわたしが命じたこれらの言葉を守りなさい。なぜなら、父から罪に定められる者は災いだからである。
わたしがあなたがたにこれらの戒めを与えるのは、これまであなたがたの中に論争があったからである。あなたがたの中にこれから論争がなければ、あなたがたは幸いである。
今、わたしは父のみもとに行く。あなたがたのために父のみもとに行くことが必要だからである。」

弟子たち、聖霊を授ける力を与えられる。


3ニーファイ18:36-37

さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、以前に御自分が選ばれた弟子たち全員に一人ずつ手で触れ、触れながら彼らに何事かを言われた。
群衆はイエスの言われた御言葉を聞かなかったので、彼らは証しなかった。しかし弟子たちは、聖霊を授ける力をイエスから授けられたと証した。わたしはこの証が真実であることを、後にあなたがたに示そう。

イエス、天に戻られる。


3ニーファイ18:38-39

さて、イエスが彼ら全員に手で触れられると、雲が現れて群衆を覆ったので、彼らはイエスを見ることができなかった。
そして、群衆が覆われている間に、イエスは彼らのもとを去り、天に昇られた。弟子たちはイエスが再び天に昇って行かれたのを見て、そのことを証した。

その日の内に、イエスが来られたことが民に知らされる


3ニーファイ19:1-3

さて、イエスが天に昇って行かれると、群衆は解散し、男たちは各々妻子を連れて家に帰った。
そして、群衆がイエスにお会いしたことと、イエスが彼らを教え導かれたことと、イエスが翌日も群衆に御自身を現されることが、暗くなる前に、すぐに民の中に広く告げ知らされた。
まことに、一晩中イエスのことが広く告げ知らされた。そして彼らは、民に使いを出して、多くの者、まことに非常に大勢の者が一晩中大いに働き、イエスが群衆に御自身を現される場所に、翌日人々が集まることができるようにした。

翌日、十二弟子、民を教え導き、聖霊を求めて祈る。


3ニーファイ19:4-9

そしてその翌日、群衆が集まったときに、見よ、ニーファイと、ニーファイが死者の中からよみがえらせた彼の兄弟テモテと、ヨナという名のニーファイの息子と、マソーナイと、その兄弟マソーナイハと、クメンと、クメノンハイと、エレミヤと、シェムノンと、ヨナと、ゼデキヤと、イザヤ、以上はイエスが選ばれた弟子たちの名であるが、さて、彼らは進み出ると、群衆の中に立った。
そして見よ、群衆が非常に大勢であったため、彼らは群衆を十二組に分けた。
十二人はその群衆を教え、また見よ、彼らは群衆を地の面にひざまずかせ、イエスの名によって御父に祈らせた。
また弟子たちもイエスの名によって御父に祈った。そして、彼らは立ち上がり、民を教え導いた。
彼らは、イエスが言われたとおりの御言葉を、イエスが教えられた御言葉と少しも異なることなく教えると、見よ、再びひざまずいて、イエスの名によって御父に祈った。
彼らは、自分たちが最も望んでいるものを求めて祈った。聖霊が授けられるようにと望んでいたのである。

十二弟子、バプテスマを受け、聖霊を授かり、天使から教えと導きを受ける。


3ニーファイ19:10-14

彼らはこのように祈り終えると、水際に下りて行き、群衆も彼らに続いた。
そして、ニーファイが水の中に入って行き、バプテスマを受けた。
そして彼は、水の中から出て来ると、バプテスマを施し始め、イエスが選ばれた者たち全員にバプテスマを施した。
そして、彼らが皆バプテスマを受けて、水から上がると、聖霊が彼らに降られた。そして、彼らは聖霊と火に満たされた。
見よ、彼らは火のようなものに包まれた。それは天から降って来たものである。群衆はそれを見て証した。また、天使たちが天から降って来て、彼らを教え導いた。

イエス、再び来られ、書き記せない言葉で祈られる。


3ニーファイ19:15-34

さて、天使たちが弟子たちを教え導いていたときに、見よ、イエスが来られ、彼らの中に立って教えを授けられた。
そして、イエスは群衆に語りかけ、もう一度地にひざまずくように命じ、弟子たちにも地にひざまずくように言われた。
そして、彼らが皆、地にひざまずくと、イエスは弟子たちに、祈るように命じられた。
見よ、彼らは祈り始め、イエスを自分たちの主、自分たちの神ととなえて、イエスに向かって祈った。
そこでイエスは、彼らの中から去り、少し離れた所に行って御自分も地に伏して、言われた。
「父よ、わたしが選んだこれらの者に聖霊を与えてくださり、感謝いたします。彼らがわたしを信じたので、わたしは彼らを世から選び出しました。
父よ、どうか彼らの言葉を信じるすべての者に聖霊をお与えください。
父よ、あなたは彼らがわたしを信じているので、彼らに聖霊を与えてくださいました。彼らが祈るのをお聞きになってお分かりのように、彼らはわたしを信じています。彼らはわたしに祈っています。わたしが彼らとともにいるので、彼らはわたしに祈っています。
さて、父よ、わたしは彼らのために、また彼らの言葉を信じるすべての者のためにお願いします。彼らがわたしを信じることができるようにしてください。父よ、あなたがわたしにおられるように、わたしが彼らにいることができ、わたしたちが一つとなれるようにしてください。」
さて、イエスはこのように御父に祈り終えると、弟子たちのところに来られた。ところが見よ、彼らは、絶え間なくなおもイエスに向かって祈り続けていた。彼らは言葉数を多くしたのではない。祈るべき事柄が彼らに示され、また彼らには、願い事がいっぱいあったからである。
そこで、弟子たちがイエスに祈っている間に、イエスは彼らを祝福された。また、イエスは彼らにほほえみかけ、イエスの顔の光が彼らを照らした。すると彼らも、イエスの顔のように、またイエスの衣のように白くなった。そして見よ、その白さはあらゆる白さに勝っており、まことに、地上のものでこれほど白いものはあり得ないほどであった。
また、イエスは彼らに、「祈り続けなさい」と言われた。しかし、実は彼らはまだ祈るのをやめていなかった。
イエスは彼らからまた向き直り、少し離れた所に行って地に伏された。そして、再び御父に祈って言われた。
「父よ、わたしが選んだ者たちを、彼らの信仰のゆえに清めてくださり感謝します。わたしは彼らのために、また彼らの言葉を信じる者たちのためにもお願いします。彼らがわたしによって清められているように、彼らの言葉を信じる者たちも、彼らの言葉を信じることでわたしによって清められるようにしてください。
父よ、わたしは世のためではなく、信仰があるということであなたが世から選んで、わたしに与えてくださった者たちのためにお願いします。彼らがわたしによって清められるようにしてください。父よ、あなたがわたしのうちにおられるように、わたしが彼らのうちにいることができ、わたしたちが一つとなり、わたしが彼らによって栄光を受けることができるようにしてください。」
イエスはこれらの御言葉を語ると、また弟子たちのところに来られた。すると彼らは、絶え間なく続けてイエスに向かって祈っていた。そこでイエスは、また彼らにほほえみかけられた。見よ、彼らはイエスのように白かった。
さて、イエスはまた少し離れた所に行って、御父に祈られた。
イエスが祈られた御言葉を舌は語ることができないし、イエスが祈られた御言葉を人は書き記すことができない。
群衆は聞いて、証している。彼らの心は開かれ、彼らはイエスが祈られた御言葉を心の中で理解した。
しかし、イエスが祈られた御言葉は、まことに大いなる驚くべきものであったので、人はそれを書き記すこともできなければ、言い表すこともできない。


【動画】イエス・キリスト,ニーファイ人たちを教え,ともに祈られる
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イエス、これらのニーファイ人の信仰が非常に深いことを認められる。


3ニーファイ19:35-36

さて、イエスは祈り終えると、また弟子たちのところに来て彼らに言われた。「わたしはすべてのユダヤ人の中で、これほどの深い信仰を見たことがない。わたしは、彼らの不信仰のゆえに、このように大きな奇跡を彼らに現すことができなかった。
まことに、あなたがたに言う。彼らの中には、あなたがたが見たような大いなることを見た者、またあなたがたが聞いたような大いなることを聞いた者は一人もいない。」

イエス、不思議な力でパンとぶどう酒を用意し、再び聖餐を執行される。


3ニーファイ20:1-9

さて、イエスは群衆と弟子たちに、祈るのをやめるように、しかし心の中で祈ることはやめないようにと命じられた。
また、イエスは彼らに、体を起こして立ち上がるように命じられた。そこで、彼らは体を起こして立ち上がった。
そして、イエスは再びパンを裂いて、それを祝福し、弟子たちに食べるようにとお与えになった。
そして、彼らが食べ終えると、イエスは彼らに、パンを裂いて群衆に与えるように命じられた。
彼らが群衆に与え終えると、イエスは彼らにぶどう酒も与えて飲ませ、また群衆にも与えるように命じられた。
ところで、弟子たちと群衆は、パンもぶどう酒も持って来ていなかった。
しかしイエスは、実際に彼らにパンを与えて食べさせ、ぶどう酒を与えて飲ませられたのであった。
そして、イエスは彼らに言われた。「このパンを食べる者は、自分のためにわたしの体を食べるのであり、このぶどう酒を飲む者は、自分のためにわたしの血を飲むのである。その者は決して飢えることも渇くこともなく、満たされるであろう。」
さて、群衆は皆食べ終え、飲み終えると、見よ、彼らは御霊に満たされた。そして、彼らは声を合わせて叫び、自分たちが見たり聞いたりしたイエスに栄光を帰した。

将来、ヨセフの子孫(ニーファイ人の子孫)はアメリカ大陸を受け継ぐ。


3ニーファイ20:10-22

そして、彼らが皆、イエスに栄光を帰すると、イエスは彼らに言われた。「見よ、今、わたしはイスラエルの家の残りの者であるこの民について、父から命じられたことを果たそう。
あなたがたが覚えているように、わたしはあなたがたに、イザヤの言葉が成就するときのことを語った。見よ、イザヤの言葉は書き記されてあなたがたの前にあるので、それを調べなさい。
まことに、まことに、あなたがたに言う。イザヤの言葉が成就するのは、父が御自分の民、イスラエルの家に立てられた聖約が果たされるときである。
そのとき、地の面に広く散らされる残りの者たちが、東から西から、南から北から集められる。そして、彼らを贖われた主なる彼らの神を知るようになる。
また父は、受け継ぎとしてこの地をあなたがたに与えるように、わたしに命じられた。
あなたがたに言う。異邦人がわたしの民を散らした後、祝福を受けてから、もし悔い改めなければ、
そのとき、ヤコブの家の残りの者であるあなたがたは、彼らの中に出て行くであろう。異邦人の数は多いが、あなたがたは彼らの中にいる。あなたがたは彼らの中で、森の獣の中のライオンのようであり、羊の群れの中の若いライオンのようである。若いライオンは通り過ぎるときに踏みにじり、引き裂いて、だれも救うことができない。
あなたの手はあなたに敵意を抱いている者のうえに振り上げられ、あなたの敵はことごとく絶たれる。
人が刈り束を床に集めるように、わたしは自分の民を集めよう。
父が聖約を交わされたわたしの民、わたしはあなたの角を鉄とし、またあなたのひづめを真鍮としよう。あなたは多くの民を打ち砕くであろう。わたしは彼らの利得を主のために聖別し、彼らの所有物を全地の主のために聖別しよう。見よ、それを行うのはわたしである。
さて、わたしの罰の剣はその日彼らのうえに迫ると、父は言われる。彼らが悔い改めなければ、それは彼らに、すなわち異邦人のすべての国民に下ると、父は言われる。
そしてわたしは、自分の民、イスラエルの家を築き上げよう。
見よ、わたしはこの民をこの地に立てて、わたしがかつてあなたがたの先祖ヤコブと交わした聖約を果たそう。この地は新エルサレムとなるであろう。天の力はこの民の中にあり、まことに、わたしはあなたがたの中にいるであろう。

預言者はイエスを証した。


3ニーファイ20:23-24

見よ、モーセが語ったのはわたしのことである。モーセは言った。『主なるあなたがたの神は、あなたがたのために、あなたがたの同胞の中からわたしのような預言者を一人お立てになる。その預言者があなたがたに語るすべてのことに耳を傾けなさい。そして、その預言者に耳を傾けない者はすべて、民の中から絶たれるであろう。』
まことに、あなたがたに言う。サムエルをはじめとして、彼に続いて語った預言者は皆、わたしについて証した。

将来のイスラエルの子孫と異邦人について


3ニーファイ20:25-29

見よ、あなたがたは預言者たちの子孫であり、イスラエルの家に属する者であり、父があなたがたの先祖と交わされた聖約を受けている者である。父はアブラハムに、『あなたの子孫により、地のすべての部族は祝福を受けるであろう』と言われた。
父はわたしをよみがえらせ、まずあなたがたに遣わされた。あなたがた一人一人を罪悪から遠ざけて祝福にあずからせるためである。これは、あなたがたが聖約の子孫だからである。
あなたがたが祝福にあずかった後、父は、『あなたの子孫により、地のすべての部族が祝福を受けるであろう』と言ってアブラハムと交わした聖約を果たされる。それは、わたしを通じて、異邦人に聖霊が注がれるためである。異邦人はこの祝福を与えられて、何者にも増して強くなり、わたしの民、イスラエルの家を散らすであろう。
そして異邦人は、この地の民にとって鞭となるであろう。それでも、彼らがわたしの完全な福音を受け入れたとき、『もしもわたしに対して心をかたくなにするならば、わたしは彼らの罪悪を彼ら自身の頭に戻そう』と、父は言われる。
『またわたしは、自分の民と交わした聖約を思い起こそう。わたしは自分がふさわしいと思うときに彼らを集め、彼らの先祖の地を受け継ぎとして再び彼らに与えると聖約した。その先祖の地とはエルサレムの地、彼らのためのとこしえの約束の地である』と、父は言われる。

将来、完全な福音が宣べ伝えられる。


3ニーファイ20:30-32

そして将来、わたしの完全な福音が彼らに宣べ伝えられる時が来る。
そして彼らはわたしを信じ、わたしが神の子イエス・キリストであることを認め、わたしの名によって父に祈るようになるであろう。
そのとき、彼らの見張り人たちは声を上げ、彼らは声を合わせて歌う。彼らは目の当たりに見るからである。

将来、ユダの子孫(ユダヤ人)はエルサレムに集められる。


3ニーファイ20:33-46

そのとき、父は再び彼らを集め、彼らの受け継ぎの地としてエルサレムを彼らに与えられる。
そのとき、彼らは喜びの声を上げる。『エルサレムの荒れた所よ、ともに歌え。父が御自分の民を慰め、エルサレムを贖われたからである。』
父はその聖なる御腕を、すべての国民の目の前に現された。地の果てに至るすべての人は、父の救いを見るであろう。父とわたしは一つである。
そのとき、書き記されていることが成就するであろう。『おお、シオンよ、目覚めよ、再び目覚めよ、力を着よ。おお、聖なる都エルサレムよ、美しい衣を着よ。これからはもう、割礼を受けていない者と清くない者は、あなたの中に入って来ることはないからである。
あなたの身からちりを振り落とせ。おお、エルサレムよ、立ち上がって座せ。おお、囚われたシオンの娘よ、あなたの首の縄を解き捨てよ。
主はこう言われる。「あなたがたは自分自身をただで売り渡した。あなたがたは金を払わずに贖われるであろう。」』
まことに、まことに、あなたがたに言う。わたしの民はわたしの名を知るであろう。まことに、その日、彼らは語っている者がわたしであることを知るであろう。
そのとき、彼らは言う。『よきおとずれを伝え、平和を告げて広め、善のよきおとずれを伝え、救いを告げて広め、シオンに向かって「あなたの神が統治しておられる」と言う者の足は、山の上にあって何と麗しいことであろう。』
またそのとき、叫び声が起こる。『去れ、去れ、そこを出よ。清くないものに触れるな。その中を出よ。主の器を担う者たちよ、清くあれ。
あなたがたはあわてて出る必要もなければ、逃げるようにして去る必要もない。主があなたがたの前を行き、イスラエルの神があなたがたのしんがりとなられるからである。
見よ、わたしの僕は賢く振る舞う。彼はあがめられ、たたえられ、非常に高くなる。
多くの人があなたに驚いたように――彼の顔つきはほかのだれよりも損なわれて、また彼の姿も、人の子らのようではなかった――
彼は多くの国民を清める。王たちは彼を見て口をつぐむ。彼らはまだ告げられたことのないことを見、まだ聞いたことのないことを悟るからである。』
まことに、まことに、あなたがたに言う。これらのことはすべて、父がわたしに命じられたように必ず起こる。そのとき、父が御自分の民と交わされた聖約が果たされる。そのとき、エルサレムは再びわたしの民の住む所となり、彼らの受け継ぎの地となるであろう。」

回復の御業が始まるしるし


3ニーファイ21:1-7

「まことに、あなたがたに言う。これらのことが起こる時、すなわち、わたしが自分の民、イスラエルの家を長年の離散した状態から集めて、彼らの中に再びわたしのシオンを設ける時を、あなたがたが知ることのできるように、一つのしるしをあなたがたに示そう。
見よ、わたしが一つのしるしとしてあなたがたに示すのは、次のことである。まことに、あなたがたに言う。今あなたがたに告げるこれらのこと、またわたし自身と、父があなたがたに授けられる聖霊の力とによって、わたしがこの後あなたがたに告げるこれらのことは、将来異邦人に知らされるであろう。異邦人がヤコブの家の残りの者であるこの民について、また彼らによって散らされるこのわたしの民について、知るようにするためである。
まことに、まことに、あなたがたに言う。これらのことは父によって彼らに知らされ、父から出て彼らからあなたがたに伝わる。
彼らがこの地に定住し、父の力によって自由な民とされて、これらのことが彼らからあなたがたの子孫の残りの者に伝わり、父が御自分の民、イスラエルの家と交わされた父の聖約が果たされるようになることは、父の知恵にかなうことである。
これらの業と、この後あなたがたの中で行われる業は、罪悪のために不信仰に陥るあなたがたの子孫に、異邦人から伝わるであろう。
このようにして、父が望んでおられるように、それは異邦人から伝わって、父が御自分の力を異邦人に示されるようになり、またその結果、異邦人は心をかたくなにしなければ、悔い改めてわたしのもとに来て、わたしの名によってバプテスマを受け、わたしの教義の真の要点を知って、わたしの民、イスラエルの家の中に数えられるようになるであろう。
これらのことが起こって、あなたがたの子孫がこれらのことを知るようになるとき、それは彼らにとって一つのしるしとなって、彼らは、父がイスラエルの家に属する人々に立てられた聖約を果たすために業を始められた、ということを知るのである。

一人の僕が召され、回復の御業が始められる。


3ニーファイ21:8-11

その日が来ると、そこで王たちは口をつぐむようになる。王たちはまだ告げられたことのないことを見、まだ聞いたことのないことを悟るからである。
その日、わたしのために父は異邦人の中で一つの業を、すなわち大いなる驚くべき業を行われる。一人の男が彼らにその業について告げるが、彼らの中にはそれを信じない者たちがいる。
しかし見よ、わたしの僕の命はわたしの手の内にあるので、彼は彼らによって損なわれることはあっても、害は受けない。損なわれても、わたしは彼を癒そう。わたしの知恵が悪魔の悪知恵よりも深いことを、わたしは彼らに示そう。
さて、父はこの僕がイエス・キリストであるわたしの言葉を異邦人にもたらすことを許し、また異邦人にわたしの言葉をもたらす力を彼に与えられる。わたしの言葉を信じない者はだれであろうと、聖約を受けているわたしの民の中から絶たれるであろう。(それは、モーセの言ったとおりになる。)

異邦人、信じて従うならば救われる。そうでなければ、絶たれて滅ぼされる。


3ニーファイ21:12-21

ヤコブの残りの者であるわたしの民は、異邦人の中で、彼らのただ中で、森の獣の中のライオンのように、羊の群れの中の若いライオンのようになるであろう。若いライオンは通り過ぎるときに踏みにじり、引き裂いて、だれも救うことができない。
彼らの手は彼らに敵意を抱いている者のうえに振り上げられ、彼らの敵はことごとく絶たれるであろう。
まことに、異邦人は悔い改めなければ災いである。父は言われる。『そしてその日には、わたしはあなたのうちから馬を絶やし、戦車を壊し、
あなたの国のもろもろの町を絶やし、あなたの城をことごとく覆す。
また、あなたの国から魔術を絶やす。あなたのうちには占い師がないようになる。
また、あなたのうちから彫像と石の柱を絶やす。あなたは重ねて手で造ったものを拝むことはない。
また、あなたのうちからアシラ像を抜き倒し、あなたのもろもろの町を滅ぼす。
そして、偽りや欺きやねたみ、また争いや偽善売教、みだらな行いはすべて廃される。』
そして、父は言われる。『その日、悔い改めてわたしの愛子のもとに来ない者を、わたしは自分の民、イスラエルの家の中から絶とう。
わたしは異教徒に及ぼすように、彼らが聞いたこともないほどの報復と怒りを彼らに及ぼそう。』

イスラエルは新エルサレムを築き、行方の知れない部族は戻って来る。


3ニーファイ21:22-29

しかし、彼らが悔い改めてわたしの言葉に聞き従い、心をかたくなにしなければ、わたしは彼らの中にわたしの教会を設けよう。彼らは聖約を交わし、わたしがこの地を彼らの受け継ぎとして与えた、このヤコブの残りの者の中に数えられるであろう。
そして、わたしの民であるヤコブの残りの者と、将来やって来るイスラエルの家のすべての者が、新エルサレムと呼ばれる一つの都を築くのを、彼らは助けるであろう。
そのとき、地の全面に散らされているわたしの民が新エルサレムに集まるのを、彼らは助けるであろう。
そのとき、天の力が彼らの中に下り、わたしも彼らの中にいるであろう。
またその日、すなわちこの福音がこの民の残りの者の中で宣べ伝えられるとき、父の業が始まるであろう。まことに、あなたがたに言う。その日、父の業は、わたしの民のすべての散らされた者の中で、すなわち、父がエルサレムから連れ出された行方の知れない部族の中で始まるであろう。
まことに父は、わたしの民のすべての散らされた者がわたしのもとに来て、わたしの名によって父に請い願うことができるように、道を備えるために彼らの中でその業を始められる。
そのとき、父は、御自分の民が彼らの受け継ぎの地に戻されるように、道を備えるためにすべての国民の中で業を始められる。
『そして、彼らはあらゆる国民の中から出て来る。彼らはあわてて出る必要もなければ、逃げるようにして去る必要もない。わたしが彼らの前を行き、またわたしが彼らのしんがりとなるからである』と、父は言われる。」

イエス、イザヤ書を引用される。(54章)


3ニーファイ22:1-17

「書き記されていることは、そのときに起こる。『「おお、子を生まなかった不妊の女よ、歌いなさい。産みの苦しみを味わわなかった者よ、声を放って歌い、声高らかに叫びなさい。見捨てられた者の子供は、夫のある者の子供よりも多いからである」と、主は言われる。
「あなたの天幕の場所を広くし、あなたの住まいの幕を張って広げなさい。惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にしなさい。
あなたは右にも左にも広がり、あなたの子孫は異邦人から受け継いで、荒れ果てたもろもろの町を人の住む所とするからである。
あなたは恥じることはないので、恐れてはならない。あなたは辱められることはないので、うろたえてはならない。あなたは若いときの恥を忘れ、若いときの恥辱を思い出さず、寡婦であったときの恥辱を決して思い出すことはない。
あなたを造った者があなたの夫であり、その名は万軍の主である。あなたの贖い主はイスラエルの聖者であり、全地の神ととなえられる。
主はあなたを、見捨てられて心に痛手を負っている女のように、また若いときに拒まれた妻のように招かれたからである」と、あなたの神は言われる。
「わたしは少しの間あなたを捨てたが、深い憐れみをもってあなたを集めよう。
わたしはいささか怒って、少しの間あなたから顔を隠したが、永遠の慈しみをもってあなたを憐れもう」と、あなたの贖い主である主は言われる。
「このことは、わたしにはノアの洪水のようである。わたしはかつてノアの洪水が二度と地を覆うことはないと誓ったが、そのように、わたしはあなたを怒らないと誓った。
山々が去り、丘が動いても、わたしの慈しみはあなたから去ることなく、わたしの平和の聖約は動くことがない」と、あなたを憐れむ主は言われる。
「おお、苦しめられ、嵐にもてあそばれ、慰めを得ない者よ。見よ、わたしは麗しい色であなたの石を敷き、サファイヤであなたの基を据えよう。
また、めのうであなたの窓を造り、紅玉であなたの門を造り、あなたの境をすべて宝石で造ろう。
あなたの子孫は皆、主によって教えを受け、あなたの子孫の平安は深い。
あなたは義をもって堅く立てられる。あなたは恐れないので、虐げられることはない。また、恐怖から遠ざかる。それはあなたに近づくことがないからである。
見よ、彼らは必ずあなたに敵対して集まるが、それはわたしによるのではない。あなたに敵対して集まる者はだれであろうと、あなたのゆえに倒れる。
見よ、わたしは炭火を吹きおこして、自分の仕事のために道具を造る鍛冶を造った。また、わたしは荒らし滅ぼす者も造った。
あなたを攻めるために造られる武器は、まったく役に立たない。また、裁きの時にあなたに向かってののしる舌はことごとく、あなたがそれを罪に定める。これが主の僕たちの受け継ぐものであって、彼らの義はわたしから出る」と、主は言われる。』」

イエス、イザヤの言葉を是認され、預言者の書を調べるように民に命じられる。


3ニーファイ23:1-5

「さて見よ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたはこれらのことを調べなさい。まことにわたしは、これらのことを熱心に調べるようにという戒めを、あなたがたに与える。イザヤの言葉はまことに偉大だからである。
確かにイザヤは、イスラエルの家に属するわたしの民について、すべてのことを述べた。そこで、どうしても彼は異邦人にも語る必要があった。
彼の語ったことはすべて、彼の語った言葉のとおりにこれまで起こっており、またこれからも起こるであろう。
したがって、わたしの言葉を心に留め、わたしがあなたがたに告げたことを書き記しなさい。これらの言葉は、父の定められたときに、父の御心のままに異邦人に伝わるであろう。
わたしの言葉に聞き従い、悔い改めてバプテスマを受ける者は、だれであろうと救われる。預言者の書を調べなさい。これらのことについて、証している預言者が多いからである。」

レーマン人サムエルの言葉が記録に加えられる。


3ニーファイ23:6-14

さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、再び彼らに語り、彼らに与えられている聖文をすべて説き明かした後、「見よ、あなたがたが書いていない別の聖文を書き記すことを、あなたがたに望む」と、彼らに言われた。
そして、イエスはニーファイに、「あなたがたが書き継いできた記録を持って来なさい」と言われた。
そこでニーファイが記録を持って来てイエスの前に置くと、イエスはそれらの記録に目をやって言われた。
「まことに、あなたがたに言う。わたしはレーマン人であるわたしの僕サムエルに、この民に証するようにと命じた。その証とは、父がわたしによって御名に栄光を受けられる日に、多くの聖徒が死者の中からよみがえって、多くの者に現れ、彼らを教え導くであろうということである。」そして、イエスは彼らに、「そのとおりではなかったか」と言われた。
そこでイエスの弟子たちは、イエスに答え、「はい、主よ、サムエルはあなたの御言葉のとおりに預言し、それはすべて成就しました」と言った。
するとイエスは彼らに、「多くの聖徒がよみがえって多くの者に現れ、彼らを教え導いたことを書き記していないのはどうしてか」と言われた。
そこでニーファイは、このことがまだ書き記されていないのを思い出した。
そして、イエスがそれを書き記すように命じられたので、イエスが命じられたとおりにそのことが書き記された。
さて、弟子たちが書き記してきたすべての聖文をまとめて説き明かした後、イエスは、御自分が説き明かした事柄を教えるように、彼らに命じられた。

イエス、マラキ書を引用される。


3ニーファイ24:1-18,25:1-6

さて、イエスは、御自分がこれから告げる御言葉を書き記すように、彼らに命じられた。それは、御父がマラキに与えられた御言葉である。そして、それらの御言葉が書き記された後、イエスはそれを説き明かされた。イエスが彼らに告げられた御言葉は次のとおりである。「父はマラキに次のように言われた。『「見よ、わたしは使者を遣わす。彼はわたしの前に道を備える。あなたがたの求める主、すなわちあなたがたの喜ぶ聖約の使者は、突如主の神殿に来る。見よ、主は来る」と、万軍の主は言う。
しかし、主の来る日には、だれが堪え得よう。主の現れるときには、だれが立ち得よう。主は精錬する者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである。
主は銀を精錬し清める者として座に着き、レビの子らを清め、金銀のように彼らを清めて、彼らが義をもってささげ物を主にささげられるようにされる。
そのとき、ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日のように、また先の年のように主に喜ばれる。
「そして、わたしはあなたがたに近づいて、裁きをなし、魔法を使う者、姦淫を行う者、偽りの誓いを立てる者、賃金について雇い人を虐げる者、やもめと父のいない子供を虐げる者、外来者を退ける者、わたしを畏れない者に対して速やかに証を立てる」と、万軍の主は言う。
「わたしは主であるので、変わることがない。それゆえ、ヤコブの子らよ、あなたがたは焼き尽くされることがない。
あなたがたは、先祖の時代からわたしの定めを離れて、それを守らなかった。わたしに帰りなさい。そうすれば、わたしはあなたがたに帰ろう」と万軍の主は言う。「ところが、あなたがたは、『どのようにして帰りましょうか』と言う。
人は神から盗むだろうか。ところが、あなたがたはわたしから盗んでいる。しかし、あなたがたは、『わたしたちはどのようにしてあなたから盗んでいるのでしょうか』と言う。什分の一とささげ物によってである。
あなたがたはのろいをもってのろわれる。あなたがた、まことに民のすべてがわたしから盗んでいるからである。
わたしの家に食物があるように、什分の一をすべてわたしの倉に携えて来なさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、受け入れる余地がないほどの祝福を、あなたがたに注ぐかどうかを見なさい」と、万軍の主は言う。
「わたしは食い荒らすものをあなたがたのために抑えて、あなたがたの地の産物が荒らされないようにしよう。また、あなたがたのぶどうの木が熟す前に、その実を畑に落とすことのないようにしよう」と、万軍の主は言う。
「諸国の民は皆、あなたがたを祝福された者と言うであろう。あなたがたは喜ばしい国となるからである」と、万軍の主は言う。
「あなたがたは言葉を激しくしてわたしに逆らった」と、主は言う。ところが、あなたがたは、「わたしたちはあなたに逆らって何を言いましたか」と言う。
あなたがたは言った。「神に仕えることは無益だ。神の定めを守ってきたことが、また万軍の主の前を悲しんで歩んできたことが、どんな益になっているか。
今わたしたちは、高ぶる者は幸せであると言う。まことに、悪を行う者は高く上げられ、まことに、神を試みる者でさえも救われる」と。
そのとき、主を畏れる者たちはしばしば互いに語り合い、主は耳を傾けてこれを聞かれた。そして、主を畏れ、主の名を尊んだ者たちのために、主の前で一つの覚えの書が書き記された。
万軍の主は言う。「わたしがわたしの宝石を集める日に、彼らはわたしのものとなる。人が自分に仕える息子を憐れむように、わたしは彼らを憐れもう。
そのとき、あなたがたは帰り、義人と悪人、神に仕える者と神に仕えない者との区別を知るようになる。」』」
「『「見よ、炉のように燃える日が来る。すべて高ぶる者と悪を行う者は、わらのようになる。やがて来る日が彼らを焼き尽くして、根も枝も残さない」と、万軍の主は言う。
「しかし、わたしの名を畏れるあなたがたのために、義の御子は翼に癒しを携えて現れる。あなたがたは出て行って、牛舎の中の子牛のように育つ。
そしてあなたがたは、悪人を踏みつける。わたしがこれを行う日に、彼らはあなたがたの足もとで灰となる」と、万軍の主は言う。
「あなたがたは、わたしが全イスラエルのためにホレブでわたしの僕モーセに命じたモーセの律法と、掟と裁決を思い出しなさい。
見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤ(Elijah)をあなたがたに遣わす。
彼は先祖の心を子孫に向けさせ、子孫の心をその先祖に向けさせる。これは、わたしが来て、のろいをもって地を打つことのないようにするためである。」』」

イエス、マラキの預言を説き明かされる。


3ニーファイ26:1-5

さて、イエスはこれらのことを語り終えると、群衆にそれを説き明かし、また大小を問わず、あらゆることを彼らに説き明かされた。
そしてイエスは、「あなたがたの持っていないこれらの聖文が、後の時代の人々に伝えられることは、父の知恵にかなっていたので、父は、これらの聖文をあなたがたに伝えるようにわたしに命じられた」と言われた。
そして、イエスは世の初めから将来御自分が栄光のうちに来られるときまでのすべてのこと、すなわち、諸元素が酷熱に溶け、大地が巻き物のように巻かれ、天地が過ぎ去るときまでに地の面に起こるすべてのことについて説き明かされた。
すべての民族、すべての部族、すべての国民および国語の民が、彼らの行いが善いか悪いか、行いに応じて裁かれるために神の前に立つ、大いなる終わりの日に至るまでのことを、イエスは説き明かされたのであった。
行いが善ければ永遠の命の復活にあずかり、悪ければ罰の定めの復活を受ける。すなわち、世の始まる前からすでにおられたキリストの内にある憐れみと公正と神聖さによって、前者は一方にあり、後者は他方にあって、互いに平行している。

イエス、しばしばニーファイ人を訪れられる。


3ニーファイ26:13

主は実際に三日間民を教えられた。その後、主はしばしば彼らに御自身を現し、しばしばパンを裂いて祝福し、彼らに与えられた。

乳飲み子と小児たち、書き記せない驚くべき事柄を述べる。


3ニーファイ26:14-16

そしてイエスは、前に述べた群衆の子供たちをも教え導き、彼らの舌を緩められた。そこで子供たちは、大いなる驚くべきことを、実に、イエスがかつて民に明らかにされたことよりも大いなることを、自分たちの父親に語った。イエスが子供たちの舌を緩められたので、彼らは語ることができたのであった。
そして、イエスが天に昇って行かれた後、すなわち、イエスが二度目に群衆に御自身を現し、彼らの中の病気の者も、足の不自由な者もすべて癒し、目の見えない者の目を開け、耳の聞こえない者の耳を開き、そのほか彼らの中であらゆる癒しを与え、一人の男を死者の中からよみがえらせ、彼らに御自分の力を示して、御父のもとに昇って行かれた後の、
見よ、その翌日、群衆は集まり、これらの子供たちが語るのを、まことに乳飲み子でさえも口を開いて驚くべきことを語るのを見聞きした。しかし、彼らの語ったことはだれも書き記してはならないと止められた。

キリストの教会の人々、すべてのものを共有する。


3ニーファイ26:17-21

さて、イエスから選ばれた弟子たちは、そのときから、彼らのもとに来るすべての者にバプテスマを施し、彼らを教え始めた。そして、イエスの名によってバプテスマを受けた者は皆、聖霊に満たされた。
また、彼らの多くは、語ってはならない様々なことを見たり聞いたりした。今、それを書き記すことは許されていない。
また彼らは、互いに教え、互いに仕え合った。そして、彼らはすべてのものを共有し、皆、互いに公正に振る舞った。
そして彼らは、イエスから命じられたとおりにすべてのことを行った。
そして、イエスの名によってバプテスマを受けた人々は、キリストの教会と呼ばれた。

イエス、御自分の名によって教会を呼ぶように命じられる。


3ニーファイ27:1-12

さて、イエスの弟子たちは旅をしながら、自分たちがそれまで聞いたり見たりしたことを宣べ伝え、イエスの名によってバプテスマを施していた。また、弟子たちは集まり、一つになって熱烈に祈り、断食をした。
そして、彼らがイエスの名によって御父に祈っていると、イエスが再び彼らに御自身を現された。イエスは来て彼らの中に立つと、「あなたがたはわたしから何を与えられたいのか」と彼らに言われた。
そこで彼らはイエスに、「主よ、この教会をどのような名で呼ぶべきか、わたしたちにお教えいただきたいと存じます。この件について民の中に論争がございますから」と言った。
すると主は、彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言う。民がこのことについてつぶやき、論じ合うのはなぜか。
彼らは、『キリストの名を受けなければならない』という聖文を読んだことがないのか。キリストとはわたしの名である。終わりの日にあなたがたは、この名によって呼ばれるのである。
わたしの名を受け、最後まで堪え忍ぶ者は、終わりの日に救われるであろう。
だから、あなたがたが行うことは何事でも、わたしの名によって行いなさい。あなたがたは教会をわたしの名で呼びなさい。また、父がわたしのために教会を祝福してくださるように、わたしの名によって父に呼び求めなさい。
わたしの名で呼ばれなければ、どうしてわたしの教会であろうか。ある教会がモーセの名で呼ばれれば、それはモーセの教会である。あるいは、ある人の名で呼ばれれば、それはその人の教会である。しかし、わたしの名で呼ばれ、人々がわたしの福音の上に築かれていれば、それはわたしの教会である。
まことに、あなたがたに言う。あなたがたはわたしの福音の上に築かれている。だから、あなたがたが呼ぶものは何であろうと、わたしの名によって呼びなさい。あなたがたが教会のために、わたしの名によって父に呼び求めるならば、父はあなたがたの祈りを聞いてくださる。
また、教会がわたしの福音の上に築かれていれば、父は教会の中で御自分の業を示されるであろう。
しかし、教会がわたしの福音の上に築かれておらず、人の業の上に、あるいは悪魔の業の上に築かれていれば、まことにあなたがたに言う。彼らはしばらくの間は自分たちの業を楽しむが、やがて最後が来て、彼らは切り倒されて火の中に投げ込まれ、そこから二度と戻ることができない。
彼らの業は彼らにつき従い、彼らはその業のために切り倒される。だから、わたしがあなたがたに告げたことを覚えておきなさい。


【動画】弟子たちを祝福されるイエス


イエス、イエスの福音について述べられる。


3ニーファイ27:13-22

見よ、わたしはあなたがたに、わたしの福音について告げた。わたしがあなたがたに告げた福音とは、次のとおりである。すなわち、父がわたしを遣わされたので、わたしは父の御心を行うために世に来た。
父は、わたしが十字架に上げられるようにと、わたしを遣わされた。十字架に上げられた後で、わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。わたしは人々によって上げられたが、そのように人々は、父によって上げられてわたしの前に立ち、自分の行いが善いか悪いかによって、行いを裁かれるのである。
このために、わたしは上げられたのである。それで、父の力によってすべての人をわたしのもとに引き寄せ、彼らが各々の行いに応じて裁かれるようにするのである。
さて、悔い改めて、わたしの名によってバプテスマを受ける者はだれであろうと、満たされるであろう。そして、最後まで堪え忍ぶならば、見よ、わたしはその者を、わたしが立って世の人々を裁くその日に、わたしの父の御前で罪のない者としよう。
また、最後まで堪え忍ばない者は、切り倒されて火の中に投げ込まれ、父の正義のゆえに、そこから二度と戻ることができない。
これは父が人の子らに告げられた御言葉である。父は御自分の正義のゆえに、御自分が告げられた御言葉をことごとく成就される。父は偽らず、御自分の御言葉をことごとく成就される。
清くない者は、決して父の王国に入ることができない。したがって、信仰を持ち、罪をすべて悔い改め、最後まで忠実であることによって、わたしの血により衣を洗われた者のほかには、父の安息に入る者はいない。
さて、戒めは次のとおりである。地の果てに至るすべての者よ、悔い改めて、わたしのもとに来て、わたしの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊を受けて聖められ、終わりの日にわたしの前に染みのない状態で立てるであろう。
まことに、まことに、あなたがたに言う。以上がわたしの福音である。あなたがたは、わたしの教会で行わなければならないことを知っている。わたしがするのを見たその行いを、あなたがたもしなさい。わたしが行うのを見たそのとおりのことを、あなたがたも行いなさい。
あなたがたは、これらのことを行うならば、幸いである。終わりの日に高く上げられるからである。

人々は書き記されたものによって裁かれる。


3ニーファイ27:23-27

あなたがたが見たこと、聞いたことを、禁じられているものを除いてすべて書き記しなさい。
これまで書き記されてきたように、これからもこの民の行いを書き記しなさい。
見よ、これまで書き記されてきた数々の書と、これから書き記される数々の書によって、この民は裁かれるであろう。これらの書によって彼らの行いが人々に知られるからである。
また見よ、すべてのことは父によって書き記されている。したがって、これから書き記される数々の書によって、世の人々は裁かれるであろう。
あなたがたが知っているように、将来あなたがたは、わたしがあなたがたに与える公正な判断力によって、この民を裁く者となるであろう。したがって、あなたがたはどのような人物であるべきか。まことに、あなたがたに言う。わたしのようでなければならない。

イエス、民に神の賜物を求めるように命じられる。


3ニーファイ27:28-29

さて、わたしは父のみもとに行くが、まことに、あなたがたに言っておく。あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何であろうと、あなたがたに与えられる。
だから、求めなさい。そうすれば与えられるであろう。たたきなさい。そうすれば開かれるであろう。求める者には与えられ、たたく者には開かれるからである。

イエス、今のニーファイ人を喜ばれる。しかし、4代目の人々の罪悪を予見される。


3ニーファイ27:30-32

さて見よ、あなたがたとこの時代の人々についてのわたしの喜びは、大きくて限りがない。また父も、あなたがたとこの時代の人々のことを喜んでおられ、すべての聖なる天使たちも喜んでいる。だれ一人、失われていないからである。
見よ、あなたがたに理解してもらいたい。わたしが言っているのは、今この時代に生きている人々のことである。彼らはだれ一人、失われていない。そして、彼らのことでわたしは満ちみちる喜びを得ている。
しかし見よ、この時代から四代目の人々について、わたしは悲しむ。彼らは滅びの子が捕らえられたように、悪魔に捕らえられるからである。彼らは銀や金、また虫のつくものや盗人が押し入って盗むもののためにわたしを売るであろう。その日、わたしは彼らに報いを下し、彼らの業を彼ら自身の頭上に浴びせよう。」

イエス、民に狭い門から入るように命じられる。


3ニーファイ27:33

さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、弟子たちに言われた。「狭い門から入りなさい。命に至る門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。しかし、死に至る門は広く、その道も広い。そして、だれも働くことのできない夜が来るまで、そこから入って行く者が多い。」

三人弟子が、イエスが再び来られるときまで、死を制する力を与えられる。


3ニーファイ28:1-16,38-40

さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、御自分の弟子たち一人一人に、「わたしが父のみもとに行った後、あなたがたはわたしに何を願うか」と言われた。
すると弟子たちは、三人を除いて皆、「わたしたちは人の寿命まで生き長らえたら、あなたから召されたわたしたちの務めを終え、速やかにあなたの王国であなたのみもとに行けるように願っています」と答えた。
そこで、イエスは彼らに、「あなたがたは、わたしにこのことを願ったので、幸いである。あなたがたは七十二歳になると、わたしの王国でわたしのもとに来て、わたしとともに安息を得るであろう」と言われた。
イエスは彼らに語り終えると、三人の方を向き、「わたしが父のみもとに行ったら、あなたがたはわたしに何をしてもらいたいか」と言われた。
すると彼らは、自分たちの望んでいることをイエスに思い切って言えなかったので、心の中でつらく思っていた。
するとイエスは、彼らに言われた。「見よ、わたしはあなたがたの思いを知っている。あなたがたは、愛するヨハネがわたしに願ったことを願っている。ヨハネとは、わたしがユダヤ人によって上げられる前に、わたしとともに務めに携わっていた者である。
したがって、あなたがたはさらに幸いである。あなたがたは決して死を味わうことがない。わたしが天の力をもってわたしの栄光のうちに来るときまで、すなわち父の御心のとおりにすべてのことが成就するそのときまで、あなたがたは生き長らえて、父が人の子らのために行われるすべてのことを見るであろう。
また、あなたがたは決して死の苦しみを受けることなく、わたしがわたしの栄光のうちに来るとき、一瞬のうちに死すべき状態から不死の状態に変えられる。その後、あなたがたは父の王国で祝福を受けるであろう。
またあなたがたは、肉体に宿っている間、苦しみを感じることなく、また世の罪に対する以外に悲しみを感じることもない。わたしがすべてこのように行うのは、あなたがたがわたしに願ったためである。あなたがたは世界が存在する間、人々をわたしのもとに導きたいと願ったからである。
このために、あなたがたは満ちみちる喜びを得、父の王国で座に着くであろう。父が満ちみちる喜びをわたしに与えてくださったように、まことに、あなたがたの喜びは満ちるであろう。そして、あなたがたはわたしのようになる。わたしは父のようであり、父とわたしは一つである。
聖霊は父とわたしのことを証する。そして父は、わたしのゆえに人の子らに聖霊を与えられる。」
さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、とどまることになった三人を除いて、ほかの全員に一人一人指で触れ、その後去って行かれた。
すると見よ、天が開かれ、三人の者は天に引き上げられて、言い表すことのできない様々なことを見聞きした。
彼らはそれらのことについて語るのを禁じられ、また見聞きしたことについて語る力も与えられなかった。
それが体のままであったか、体を離れてであったか、彼らには分からなかった。彼らには、神のものを見ることができるように、自分たちがこの肉の体から不死の状態に変えられ、変貌したように思われたからである。
さて、彼らは再び地の面で教えを説いたが、天で与えられた戒めがあったので、自分たちが見聞きしたことについては教えなかった。
彼らが死を味わわないように、ある変化が彼らの体に生じ、彼らは世の罪に対する以外に苦しみも悲しみも受けないようになったのである。
ところで、この変化は終わりの日に起こる変化と同様のものではなかったが、彼らに変化が生じたので、サタンは彼らを支配する力をまったく持てず、彼らを誘惑できなかった。そして、彼らは肉にあって聖められ、聖なる者となり、地の力も彼らを閉じ込めておくことができなかった。
この状態で、彼らはキリストの裁きの日までとどまることになった。そして、その日、彼らはさらに大きな変化を受けて、御父の王国に受け入れられ、二度とそこを去ることがなく、永遠に神とともに天に住むことになるのである。

キリストの生涯と教え

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