山上の垂訓

ニーファイ第3書12章から14章では、キリストはマタイ福音書5章から7章と同じ内
容を語っておられる。ユダヤとアメリカで同じことを語られているということから、この
言葉はとても重要だということがわかる。この話しは、キリストがその場の思いつきで話
されたのでなく、前もって準備されていたようだ。ルカ福音書6章にも同じような話が載
っているので、キリストはこの話を何度も繰り返し話されていたのだろう。

「主は山上の垂訓において、ご自身の完全な属性について幾つかのことを示された。言葉
を換えれば、それは自分の行いで示されたことを一つ一つ言葉で表した自伝とも言えるも
のであり、わたしたちの人生に指針を与えている。」(ハロルド・B・リー)

ここでは、新約聖書のマタイ福音書と比較しながら見ていく。


第12章 八福の教え 01 さて、イエスはこれらの御言葉をニーファイと前に召された人々(召されてバプテス   マを施す力と権能を授けられた人々の数は12人であった)に語り終えると、見よ、   群衆に手を伸ばして、大きな声で言われた。「わたしがあなたがたの中から選んで、   あなたがたを教え導き、またあなたがたの僕となるようにしたこの12人の言葉に注   意を払うならば、あなたがたは幸いである。わたしは水であなたがたにバプテスマを   施す力をこの12人に授けた。あなたがたが水でバプテスマを受けた後、見よ、わた   しはあなたがたに火と聖霊によってバプテスマを授けよう。あなたがたはすでにわた   しを見ており、わたしが実在することを知っているので、わたしを信じてバプテスマ   を受けるならば、あなたがたは幸いである。 02 さらにまた、あなたがたがわたしに会ったと証し、わたしが実在することを知ってい   ると証するとき、あなたがたのその言葉を信じる人々は、なおさら幸いである。まこ   とに、あなたがたの言葉を信じて、心底謙遜になってバプテスマを受ける人々は、幸   いである。彼らは火と聖霊を授かり、罪の赦しを受けるからである。     ・この1節と2節はマタイ書にはない。 03 まことに、わたしのもとに来る心の貧しい人々は、幸いである。天の王国は彼らのも   のだからである。     ・マタイ書では「わたしのもとに来る」がなく、ただ単に「こころの貧しい人た      ちは」になっている。 04 また、悲しむ人々は皆、幸いである。彼らは慰められるからである。     ・マタイ書と同じ     ・喜んでいるよりも悲しんでいる方がよいという意味ではない。      この意味は、ニーファイ書にだけある1、2節によって明らかになっている。      つまり、これら8つの祝福は1、2節の条件を満たしているとき、与えられ      る。だから、ここの意味は「バプテスマを受け、聖霊を授かっている人は、      たとえ悲しんでいたとしても、慰められる。」という意味である。 05 柔和な人々は、幸いである。彼らは地を受け継ぐからである。     ・マタイ書と同じ 06 義に飢え渇いている人々は皆、幸いである。彼らは聖霊に満たされるからである。     ・マタイ書では、「聖霊に満たされる」が、「飽き足りるようになる」になって      いる。 07 憐れみ深い人々は、幸いである。彼らは憐れみを受けるからである。     ・マタイ書と同じ 08 心の清い人々は皆、幸いである。彼らは神を見るからである。     ・マタイ書と同じ      愛するから価値が出るを参照 09 平和をつくり出す人々は皆、幸いである。彼らは神の子と呼ばれるからである。     ・マタイ書と同じ 10 わたしの名のために迫害される人々は皆、幸いである。天の王国は彼らのものだから   である。     ・マタイ書では「わたしの名のために」が、「義のために」となっている。 11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、またあなたがたに対して   偽って悪口を言うときには、あなたがたは幸いである。     ・マタイ書と同じ 12 あなたがたは大きな喜びを得て、非常に喜ぶようになる。天においてあなたがたの受   ける報いは大きいからである。あなたがたより前にいた預言者たちも、同じように迫   害されたのである。     ・マタイ書では「あなたがたは大きな喜びを得て、非常に喜ぶようになる。」が      「喜び、よろこべ」となっている。
弟子の義務 地の塩、世の光、升の下のろうそく 13 まことに、まことに、あなたがたに言う。わたしはあなたがたを地の塩とする。しか   し、もし塩がその塩気を失ったら、地は何によって塩味をつけられようか。その塩は   もはや何の役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけである。     ・ほぼマタイ書と同じ 14 まことに、まことに、あなたがたに言う。わたしはあなたがたをこの民の光とする。   丘の上にある町は隠れることができない。     ・ほぼマタイ書と同じ 15 見よ、人はろうそくに火をつけて升の下に置くだろうか。そのようなことはせず、燭   台に立てて、家の中のすべてのものを照らす。     ・マタイ書と同じ 16 だから、あなたがたの光をこの民の前に輝かせて、この民があなたがたの善い行いを   見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。     ・マタイ書と同じ
モーセの律法の成就 17 わたしが律法や預言者を廃するために来た、と思ってはならない。わたしが来たのは   廃するためでなく、成就するためである。     ・ほぼマタイ書と同じ     ・モーセの律法の成就の説明。       キリストが贖いを行われる前の時代には、将来犠牲となられるキリストのし       るしとして、動物の犠牲の儀式が行われていた。これらの儀式等のおきてが       モーセの律法である。しかし、これはキリストが犠牲となられるまで有効な       律法であった。キリストが犠牲になられ、復活された後は、動物の犠牲の儀       式は廃止され、代わりに聖餐の儀式が定められた。犠牲となられたキリスト       のしるしとして行われる点では共通しているが、儀式の方法が変わったので       ある。これらをモーセの律法の成就という。      つまり、キリストはモーセの律法の成就をするため来られたということである。 18 まことに、あなたがたに言う。律法は一点一画もむなしくなることがなく、わたしに   よってすべて成就した。     ・マタイ書では、「天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはな      く、ことごとく全うされるのである。」となっている。     ・マタイ書のときには、まだ犠牲になられる前であったが、ニーファイ書のとき      は、犠牲になられた後なので、「成就した」と過去形の表現に変わっている。 19 そして見よ、わたしはあなたがたに、わたしを信じ、罪を悔い改めて、打ち砕かれた   心と悔いる霊をもってわたしのもとに来るようにという父の律法と戒めを与えた。見   よ、あなたがたの前には戒めがあり、律法はすでに成就している。     ・マタイ書では、「それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、      またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるで      あろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼      ばれるであろう。」となっている。     ・モーセの律法が成就した後は、捧げるのは動物ではなく、「打ち砕かれた心と      悔いる霊」である。 20 だから、わたしのもとに来て救いを得なさい。まことに、あなたがたに言う。今あな   たがたに命じたわたしの戒めを守らなければ、あなたがたは決して天の王国に入れな   いであろう。     ・マタイ書では、「今あなたがたに命じたわたしの戒めを守らなければ」が      「あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ」      となっている。     ・ニーファイの民には律法学者やパリサイ人がいないので。
モーセの律法に代わるキリストの律法 モーセの律法の書にかかれていることについて、キリストは更に高度な律法を与えら れた。これはキリストの律法と言われる。以下21節から48節まで。 恨みや敵意を抱くことについて 21 昔の人々により、『あなたがたは殺してはならない。殺す者はだれでも、神の裁きを   受ける恐れがある』と言われてきたことは、あなたがたの聞いているところであり、   またそれは、あなたがたの前に書き記されている。     ・マタイ書では「神の裁き」が「裁判」になっている。 22 しかし、あなたがたに言う。自分の兄弟に対して怒る者はだれであろうと、神の裁き   を受ける恐れがある。自分の兄弟に向かって『愚か者』と言う者はだれでも、議会に   引き渡される恐れがある。また、『ばか者』と言う者はだれでも、地獄の火に投げ込   まれる恐れがある。     ・マタイ書では「神の裁き」が「裁判」になっている。     ・英語のマタイ書では「理由なく自分の兄弟に対して怒る者は・・・」となって      いる。 23 だから、あなたがたはわたしのもとに来るとき、またはわたしのもとに来たいと思う   とき、兄弟があなたに対して何か恨みを抱いていることを思い出したら、     ・マタイ書では「わたしのもとに来る」が「祭壇に供え物をささげようとする」      になっている。     ・モーセの律法が成就したあとなので、「祭壇に供え物をささげる」儀式は終わ      ったから。 24 あなたの兄弟のところに行って、まずその兄弟と和解し、それから十分に固い決意を   もってわたしのもとに来なさい。そうすれば、わたしはあなたを受け入れよう。     ・マタイ書では「その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和      解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。」になってい      る。     ・上記と同じ理由。 25 自分に敵意を抱いている者と、一緒にいる間に早く仲直りしなさい。そうしないと、   いつか彼はあなたを捕らえるであろう。そして、あなたは牢に入れられるであろう。     ・マタイ書では「彼はあなたを捕らえるであろう。」が「その訴える者はあなた      を裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、」になっている。 26 まことに、まことに、あなたに言う。あなたは最後の1セナインを支払ってしまうま   で、決してそこから出て来ることはできない。あなたは牢の中にいて1セナインでも   支払えるだろうか。まことに、まことに、あなたに言う。『支払うことはできない』   と。     ・マタイ書では「あなたは牢の中にいて・・・」以降がない。
姦淫について 27 見よ、昔の人々は、『あなたは姦淫してはならない』と書いている。     ・ほぼマタイ書と同じ 28 しかし、あなたがたに言う。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦   淫を行ったのである。     ・マタイ書と同じ 29 見よ、わたしはあなたがたに、これらのことを決して心の中に入れないようにと命じ   る。     ・マタイ書では「もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨      てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あな      たにとって益である。」となっている。     ・マタイに書かれている29節と30節は実際に目や手を切り取ることを命じて      いる訳ではない。ニーファイ書でいわれている通り、そのような悪を取り込ま      ないように言っている。 30 あなたがたは、これらのことを断って自分の十字架を負う方が、地獄に投げ込まれる   よりもよいからである。     ・マタイ書では「もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てな      さい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとっ      て益である。」となっている。 31 『妻を出す者は離縁状を渡せ』と書かれている。     ・マタイ書と同じ 32 まことに、まことに、あなたがたに言う。だれでも、不貞以外の理由で自分の妻を出   す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのであ   る。     ・マタイ書と同じ
偽ることについて 33 さらに、『偽り誓うな。誓ったことは、すべて主に対して果たせ』と書かれている。     ・ほぼマタイ書と同じ 34 しかし、まことに、まことに、あなたがたに言う。一切誓ってはならない。天にかけ   て誓ってはならない。そこは神の御座であるから。     ・マタイ書と同じ 35 また、地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台であるから。     ・マタイ書には「またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるか      ら。」が付け加わっている。     ・ここはアメリカ大陸なので。 36 また、自分の頭にかけて誓ってはならない。あなたは髪の毛一筋さえ黒くも白くもす   ることができない。     ・マタイ書と同じ 37 あなたがたの言葉はただ、『はい、はい』『いいえ、いいえ』であるべきだ。それ以   上のものから出るものはすべて悪である。     ・ほぼマタイ書と同じ
報復することについて 38 また見よ、『目には目を、歯には歯を』と書かれている。     ・ほぼマタイ書と同じ 39 しかし、あなたがたに言う。悪人に手向かってはならない。もし、だれかがあなたの   右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。     ・マタイ書と同じ 40 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。     ・マタイ書と同じ 41 もし、だれかが、あなたを強いて1マイル行かせようとするなら、その人とともに2   マイル行きなさい。     ・マタイ書と同じ 42 求める者には与え、借りようとする者を断らないようにしなさい。     ・マタイ書と同じ
隣人を愛し、敵を憎むことについて 43 また見よ、『隣人を愛し、敵を憎め』とも書かれている。     ・ほぼマタイ書と同じ 44 しかし見よ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたの敵を愛し、あなたがたをのろ   う者を祝福し、あなたがたを憎む者に善をなし、あなたがたを不当に扱い迫害する者   のために祈りなさい。     ・マタイ書では「あなたがたをのろう者を祝福し、あなたがたを憎む者に善をな      し」がない。英語のマタイ書では同じ。 45 こうして、天におられるあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の   上にも善い者の上にも太陽を昇らせてくださるからである。     ・マタイ書では「正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからであ      る。」が付け加わっている。 46 以前律法の下にあったことはすべて、わたしによって成就している。     ・マタイ書では「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いが      あろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。」になっている。     ・ニーファイ書の46節、47節では律法が成就したことを強調している。      マタイ書46節、47節の部分がないのは、ニーファイの民は、取税人や異邦      人といわれてもピンとこないからであろう。 47 古いものは廃されて、すべてのものが新しくなったのである。     ・マタイ書では「兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をして      いるだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。」になって      いる。 48 わたしや天におられるあなたがたの父が完全であるように、あなたがたも完全になる   ことを、わたしは望んでいる。」     ・マタイ書には「わたしや」と「わたしは望んでいる」がない。     ・ニーファイ書の時点では、キリストは贖いと復活を通じて、完全になられてい      る。だから「わたしや」が付け加わっている。     ・「わたしは望んでいる」となっているのは、「完全」になることは「命令」で      はなく「努力目標」だからである。この世の短い期間で完全になるのは人間に      は不可能である。「完全」の方向を見て努力して欲しいということである。
第13章 施し 01 「まことに、まことに、わたしは言う。あなたがたは貧しい者に施しをしてほしい。   しかし、見られるために人々の前で施しをすることのないように注意しなさい。もし、   そうしないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。     ・マタイ書には「まことに、まことに、わたしは言う。あなたがたは貧しい者に      施しをしてほしい。」がない。 02 だから、施しをするときには、偽善者たちが人から褒められるために会堂や通りです   るように、自分の前でラッパを吹いてはならない。まことに、あなたがたに言う。彼   らはその報いを受けてしまっている。     ・マタイ書と同じ。 03 あなたは施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。     ・マタイ書と同じ。 04 それは、あなたのする施しが隠れているためである。そうすれば、ひそかに見ておら   れるあなたの父は、公に報いてくださるであろう。     ・マタイ書と同じ。
祈り 05 また、祈るときには、偽善者たちのようにしてはならない。彼らは人に見せようとし   て、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。まことに、あなたがたに言う。彼   らはその報いを受けてしまっている。     ・マタイ書と同じ。 06 あなたは祈るとき、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所におられるあなたの父   に祈りなさい。すると、ひそかに見ておられるあなたの父は、公に報いてくださるで   あろう。     ・マタイ書と同じ。 07 また、祈るとき、異教徒のように無益に繰り返すことはやめなさい。彼らは、言葉数   が多ければ聞き入れられると思っている。     ・マタイ書と同じ。 08 だから、彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、求めない先から、あなた   がたに必要なものを御存じだからである。     ・マタイ書と同じ。 09 だから、あなたがたはこう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、御名があ   がめられますように。     ・マタイ書と同じ。 10 御心が天で行われるように、地でも行われますように。     ・マタイ書には「御国がきますように」がある。     ・ニーファイ書の方に「御国がきますように」がないのは、もうすでに来ている      から。ここで言う御国はキリストの教会のこと。     ・マタイ書には「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」が      ある。 11 わたしたちが自分に負債のある者を赦していますように、わたしたちの負債をお赦し   ください。     ・マタイ書と同じ 12 わたしたちを誘惑に陥らせることのないようにし、悪からお救いください。     ・マタイ書と同じ 13 王国と力と栄光はとこしえにあなたのものです。アーメン。』     ・マタイ書にはない。英語のマタイ書にはある。
人を赦すこと 14 もしあなたがたが人の過ちを赦すならば、天におられるあなたがたの父もあなたがた   を赦してくださるであろう。     ・マタイ書と同じ 15 もし人を赦さないならば、あなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださらな   いであろう。     ・マタイ書と同じ
断食 16 さらにあなたがたは、断食をするときには、偽善者のように悲しげな顔つきをしては   ならない。彼らは断食をしていることを人に知らせようとして、自分の顔を見苦しく   する。まことに、あなたがたに言う。彼らはその報いを受けてしまっている。     ・マタイ書と同じ 17 あなたがたは断食をするときには、頭に油を塗り、顔を洗いなさい。     ・マタイ書と同じ 18 それは、断食をしていることを人に知られないで、隠れた所におられるあなたの父に   知っていただくためである。そうすれば、ひそかに見ておられるあなたの父は、公に   報いてくださるであろう。     ・マタイ書と同じ
天に宝を積むこと 19 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み   出すような地上に、宝を蓄えてはならない。     ・マタイ書と同じ 20 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出す   こともない天に、宝を蓄えなさい。     ・マタイ書と同じ 21 あなたの宝のある所には、心もあるからである。     ・マタイ書と同じ 22 体の明かりは目である。だから、あなたの目が正しく見ていれば、あなたの全身に光   が満ちるであろう。     ・マタイ書と同じ 23 しかし、あなたの目が悪を見ていれば、全身に暗闇が満ちるであろう。だから、もし   あなたの内にある光が暗闇になるならば、その暗さはどんなに深いことか。     ・マタイ書と同じ
二人の主人に兼ね仕えることはできない 24 だれも、二人の主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるい   は、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕   えることはできない。」     ・マタイ書と同じ
十二使徒への特別な指示 25 さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、御自分が選んだ12人を見て言われ   た。「わたしが語った言葉を覚えておきなさい。見よ、あなたがたはこの民を教え導   くようにわたしが選んだ者だからである。あなたがたに言う。何を食べようか、何を   飲もうかと、自分の命のことで思い煩い、何を着ようかと自分の体のことで思い煩っ   てはならない。命は食物に勝り、体は衣服に勝っていないだろうか。     ・マタイ書には「さて、・・・わたしが選んだ者だからである。」がない。     ・マタイ書でもこれは、12弟子(使徒)に語ったものである。彼らは自分の仕      事を捨て、キリストの業に専任されていたので、生活していく上での問題につ      いて、心配することはないとおっしゃたのである。ここから36節までは、専      任で御業に働くものにあてた言葉である。 26 空の鳥を見なさい。まくことも刈ることもせず、倉に納めることもしない。それでも、   あなたがたの天の父は鳥を養っておられる。あなたがたは、鳥よりもはるかに優れた   者ではないか。     ・マタイ書と同じ 27 あなたがたの中のだれが、思い煩ったからといって、自分の背丈を1キュビト伸ばす   ことができようか。     ・マタイ書では「背丈」が「寿命」になっている。     ・英語のマタイ書は同じ 28 また、なぜ衣服のことで思い煩うのか。野のゆりがどのように育っているか考えてみ   なさい。野のゆりは働きもせず、紡ぎもしない。     ・マタイ書では「ゆり」が「花」になっている。     ・英語のマタイ書は同じ 29 しかし、あなたがたに言うが、栄華を極めたときのソロモンでさえ、この花の一つほ   どにも着飾ってはいなかった。     ・マタイ書と同じ 30 だから、今日はあって、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神がこのように装っ   てくださるとすれば、あなたがたの信仰が薄くないかぎり、神はあなたがたにも同じ   ように装わせてくださるであろう。     ・「あなたがたの信仰が薄くないかぎり、神はあなたがたにも同じように装わせ      てくださるであろう。」が、マタイでは「あなたがたに、それ以上よくしてく      ださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。」になっている。 31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って思い煩って   はならない。     ・マタイ書と同じ 32 あなたがたの天の父は、これらのものがすべてあなたがたに必要であることを御存じ   だからである。     ・マタイ書では「これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。」      がある。 33 まず神の王国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与え   られるであろう。     ・マタイ書と同じ 34 だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自身が思い煩うであ   ろう。その日はその日の苦労だけで十分である。」     ・マタイ書と同じ
第14章 正しい裁き 01 さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、もう一度群衆の方に向き直って、再   び彼らに口を開かれた。「まことに、まことに、あなたがたに言う。裁いてはならな   い。自分が裁かれないためである。     ・マタイ書には「さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、もう一度群衆      の方に向き直って、再び彼らに口を開かれた。」がない。 02 あなたがたが裁くその裁きで、自分も裁かれ、あなたがたが量るそのはかりで、あな   たがたも量られるからである。     ・マタイ書と同じ
梁とちり 03 なぜ兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。     ・マタイ書と同じ 04 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取ら   せてください』と言えようか。見よ、自分の目の中に梁があるではないか。     ・マタイ書と同じ 05 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えるよう   になって、兄弟の目からちりを取りのけることができるであろう。     ・マタイ書と同じ
聖なる物を価値の分からないものに与えてはならない 06 聖なるものを犬に与えてはならない。また豚の前に真珠を投げてはならない。彼らは   それらを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたを引き裂くであろう。     ・マタイ書と同じ
熱心な祈り 07 求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。捜しなさい。そうすれば、見いだす   であろう。たたきなさい。そうすれば、開かれるであろう。     ・マタイ書と同じ 08 すべて求める者は与えられ、捜す者は見いだし、たたく者には開かれるからである。     ・マタイ書と同じ 09 あなたがたの中に、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。     ・マタイ書と同じ 10 魚を求めるのに、蛇を与える者があろうか。     ・マタイ書と同じ 11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をするこ   とを知っているとすれば、天におられるあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に   良いものを下さらないことがあろうか。     ・マタイ書と同じ
黄金律 12 だから、何事でも人からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにしなさい。   これが律法であり、預言者である。     ・マタイ書と同じ
二つの門と二つの道 13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入   って行く者が多い。     ・マタイ書と同じ 14 命に至る門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。     ・マタイ書と同じ
最終的な選びの基準 15 偽預言者に気をつけなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その   内側は強欲なおおかみである。     ・マタイ書と同じ 16 あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう。いばらからぶどうを、あざ   みからいちじくを集める者があろうか。     ・マタイ書と同じ 17 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。     ・マタイ書と同じ 18 良い木が悪い実を結ぶことはないし、悪い木が良い実を結ぶこともあり得ない。     ・マタイ書と同じ 19 良い実を結ばない木はことごとく切り倒されて、火の中に投げ込まれる。     ・マタイ書と同じ 20 このように、あなたがたはその実によって彼らを見分けるのである。     ・マタイ書と同じ 21 わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の王国に入るのではなく、ただ、   天におられるわたしの父の御心を行う者だけが入るのである。     ・マタイ書と同じ 22 その日には、多くの者がわたしに向かって、『主よ、主よ、わたしたちはあなたの御   名によって預言したではありませんか。あなたの御名によって悪霊を追い出し、あな   たの御名によって多くの驚くべき業を行ったではありませんか』と言うであろう。     ・マタイ書と同じ 23 そのとき、わたしは彼らにはっきりこう言おう。『わたしはあなたがたをまったく知   らない。罪悪を行う者たちよ、わたしのもとから去りなさい。』     ・マタイ書と同じ
岩の家に建てた家と砂の上に建てた家 24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者を、わたしは岩の上に家を建てた賢い   人にたとえよう。     ・マタイ書と同じ 25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それは倒れなかった。   岩を土台としていたからである。     ・マタイ書と同じ 26 また、わたしのこれらの言葉を聞いて行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人   にたとえられる。     ・マタイ書と同じ 27 雨が降り、洪水が起こり、風が吹いてその家に打ちつけると、それは倒れてしまった。   そして、その倒れ方はひどかった。」     ・マタイ書と同じ
英語での比較表

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