預言・預言者

運ぶ者

 

1.聖書より

2.主は預言者を送り続ける

3.私の運搬者

4.神の口から語る

5.主は預言者

6.脱魂

7.苦しみの多い生活

8.預言者は主(聖言)の取り扱われ方を表象している

9.預言は神の言葉

11.聖言を表象した者たち以外には何人も主と話すこともできなかった

12.恐れるな

13.預言者への非難

14.諸刃の剣に変えて送り出し

15.声高に話す書物

16.僕を通して語られる

17.私の預言者

18.真理を教える者たち

19.教会の教義

 

1.聖書より

 

 

申命記18・15−20

 

あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」

 

 

エレミヤ5・19

 

もし、あなたが軽率に言葉を吐かず熟慮して語るなら わたしはあなたを、わたしの口とする。

 

 

エレミヤ25・4

 

主は僕である預言者たちを倦むことなく遣わしたのに、お前たちは耳を傾けず、従わなかった。

 

 

イザヤの預言(イザヤ42・1−4,6−7)

 

[主は言われる。]

見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。

わたしが選び、喜び迎える者を。

彼の上にわたしの霊は置かれ

彼は国々の裁きを導き出す。

彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。

傷ついた葦を折ることなく

暗くなってゆく灯心を消すことなく

裁きを導き出して、確かなものとする。

暗くなることも、傷つき果てることもない

この地に裁きを置くときまでは。

島々は彼の教えを待ち望む。

主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び

あなたの手を取った。

民の契約、諸国の光として

あなたを形づくり、あなたを立てた。

見ることのできない目を開き

捕らわれ人をその枷から

闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

 

 

イザヤ49・1

 

島々よ、わたしに聞け

遠い国々よ、耳を傾けよ。

主は母の胎にあるわたしを呼び

母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。

わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き

わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して

 

 

エゼキエル2・2−10

 

彼がわたしに語り始めたとき、霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた。主は言われた。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。人の子よ、あなたはあざみと茨に押しつけられ、蠍の上に座らされても、彼らを恐れてはならない。またその言葉を恐れてはならない。彼らが反逆の家だからといって、彼らの言葉を恐れ、彼らの前にたじろいではならない。たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたはわたしの言葉を語らなければならない。彼らは反逆の家なのだ。人の子よ、わたしがあなたに語ることを聞きなさい。あなたは反逆の家のように背いてはならない。口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。」わたしが見ていると、手がわたしに差し伸べられており、その手に巻物があるではないか。彼がそれをわたしの前に開くと、表にも裏にも文字が記されていた。それは哀歌と、呻きと、嘆きの言葉であった。

 

 

エゼキエル3・1−4

 

彼はわたしに言われた。「人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい。」わたしが口を開くと、主はこの巻物をわたしに食べさせて、言われた。「人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ。」わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。主はわたしに言われた。「人の子よ、イスラエルの家に行き、わたしの言葉を彼らに語りなさい。

 

 

詩篇40・9−12

 

わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み

あなたの教えを胸に刻み

大いなる集会で正しく良い知らせを伝え

決して唇を閉じません。

主よ、あなたはそれをご存知です。

恵みの御業を心に秘めておくことなく

大いなる集会であなたの真実と救いを語り

慈しみとまことを隠さず語りました。

主よ、あなたも憐れみの心を閉ざすことなく

慈しみとまことによって

いつもわたしをお守りください。

 

 

詩篇96・10

 

国々にふれて言え、主こそ王と。

 

 

詩篇119・141

 

わたしは若く、侮られていますが

あなたの命令を決して忘れません。

 

 

マタイ5・11−12

 

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

 

 

マタイ13・57

 

このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。

 

 

ルカ4・24−30

 

そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。 確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、 エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。 また、預言者エリシャの時代に、イスラエルにはらい病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

 

 

マタイ23・29−39

 

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。 先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。 蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。

「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」

 

 

マルコ6・4

 

イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。

 

 

ルカ6・22−26

 

人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。

その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。

しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、

あなたがたはもう慰めを受けている。

今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、

あなたがたは飢えるようになる。

今笑っている人々は、不幸である、

あなたがたは悲しみ泣くようになる。

すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

 

 

ルカ11・46−54

 

イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、何か言葉じりをとらえようとねらっていた。

 

 

 

 

マタイ13・57−58

 

このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、

人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。

 

 

ルカ4・24−26

 

そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。

 

確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、 エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。

 

 

ルカ19・41−44

 

エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」

 

 

マタイ23・37−38、ルカ13・34−35

 

「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。」

 

 

 

 

天界の秘義9198[2]

 

『予言者は一人としてその者自身の国では受け入れられはしない』は、主と主から発した神的な真理とは教会の外側よりも教会の内側ではさらに心の中に受け入れられはしないし、また愛されもしないことを意味しているのである。

 

主は当時そのもとに教会が在ったユダヤ人に話されたが、主は教会の外側の諸民族よりはユダヤ人によってはさらに受け入れたれたまわなかったことは知られている。そのことは現今でも主に因んでキリスト教会と呼ばれている教会の中でも同じである。この教会の中では主は実際教義の中では受け入れられてはいるが、しかしたんに僅かな者によってしか受け入れられてはいないし、心で承認されてもいないのであり、愛の情愛をもって主を受け入れる者はさらに僅かしかいないのである。

 

教会外の回心した異邦人のもとではそうではない。これらの者は主を唯一の神として拝し、崇めており、かれらは自分たちは主が人間の形をとって現れたもうたゆえ、主を唯一の神として承認していると、口で言いもし、心で考えもしているのである(5256番)。

 

教会の中では反対であり、そこでは主は人間として生まれたもうたため、主が心から神として承認されることは困難である。これらの者は、主の父はエホバであられて、人間ではあられないことを知ってはいるものの、主の人間的なものをかれら自身の人間的なものにしているのである。この凡てから『予言者は一人としてその者自身の国では受け入れられはしない』によりその内意で意味されていることが明白である。『予言者』はこの意義では神的真理の方面の、引いては教会の教義の方面の主を意味しているのである。(『予言者』は教える者を意味し、抽象的な意義では教義を意味し、主について述べられているときは、聖言の神的真理を意味していることについては、前の9188番を参照されたい)。

 

マタイ10・26−33

 

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

 

 

コリント1・14・1−

 

 愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。異言を語る者は、人に向ってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。

 あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。

 

 

2.主は預言者を送り続ける

 

 

3.私の運搬者

 運ぶ者

 

4.神の口から語る

 

天界の秘義1745[2]

 

主が試練の状態の中におられたときはつねに主はエホバと他の者と語られるように語られたが、しかし主の人間的な本質が主の神的な本質に結合されていたときはつねに、エホバとは自分自身と話されるように話されたのであり、このことは福音書の多くの記事から明白であり、同じくまた予言者の書と詩篇の多くの記事からも明白である。その原因は母から来ている遺伝[母から受けついだもの]について前に言ったことから明らかに明白である。そうしたものが止まっている限り、主はエホバからはいわば不在であられたが、しかしそれが根絶されたかぎり、主は現存されて、エホバ御自身であられたのである。

 

 

[]このことは主と天使たちの連結により説明することができよう。ときとして天使は天使自身から語らないで、主から語っているが、そのときかれは自分が主であるとのみしか考えていないのであって、そのときはかれの外なるものは静止しているのである。かれの外なるものが活動しているときはそうではない。その理由は天使たちの内なる人は主から所有されているということであり、それで天使たち自身のものの側で妨害しないかぎり、それは主のものであり、また主でありさえするのである。しかし主にあっては、完全な連結がまたはエホバとの永遠の結合が行なわれたのであって、それで主の人間的な本質そのものもまたエホバである。

 

 

天界の秘義7406

 

「エホバはモーセの言葉どおりに為され」。(出エジプト記8・9)

これは主の御言葉どおりにそのように為されたことを意味していることは以下の事実から明白である、すなわち、モーセが祈願したことは実際モーセの口から発してはいたものの、主から発していたのである、なぜなら何であれ人間が考えて、それから話すことは、また何であれ、人間が欲して、それから為すことは凡て流れ入っており、その人間は単に受容器官にすぎず(6189−6215、6307−6327、6466−6495、6598−6606、6613−6626番を参照)、モーセが話しもし、行いもしたことも全くそれと同じであったからである、それでここでは『エホバはモーセの言葉どおりに為された』により、主の御言葉どおりにそのように為されたことが意味されているのである(聖言では『エホバ』は主を意味していることについては、1343、1736、2921、3023、3035、5663、6281、6303番を参照されたい)。

 

 

スウェーデンボルグ/夢日記/55/たま出版

 

それでも私たちは霊たちを試すように命じられているので、すべてをよく考え直し、そして昨夜起こったことから、一晩中、聖霊により浄められ、包まれ、守られており、ここにこのように準備されていた―顔を伏せ、言葉をしゃべった、それと祈り、これは決して自分自身からのものではないが、しかし私の口の中に言葉があった、それでも私が、それをしゃべり、それはすべて聖なるものだった―このことが分かった。そこで、この雷とともに下って来て、私を地面にひれ伏せさせ、祈らせたこの方は神ご自身の子と分かり、それで私は言った、「この方はイエスその人であられた」。

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P272

 

 主がユダに:

 「そのとおり、暗示しています。しかし、ヨアキムはすべての預言者たちと同じように、神の口を通して話していました。ヨアキムも聖霊が自分の口に言わせた超自然の崇高な真理は分りませんでした。」

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3P60

 

すさまじい脱魂に捕らわれたかのように気を失いかけたヨハネが言う・・・。こんな状態のヨハネは見たことがないので、皆びっくりして見つめている。からかう者はだれ一人としていない。何かの超自然的なことに遭遇していると感じ、尊敬して静まり返っている。

(中略)

「(中略)・・・主よ・・・私は何を言ったのですか」

「ヨハネ、私のことばを話したのです。恐れないで。では、ここに泊まって、明日の夜明けに山の方へゆきましょう」

 

 

5.主は預言者

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P160

 

皆に言う。主を畏れよ、彼の声を聞ける時が来たからである。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P245

 

それなのに偽預言者奴、わざと私が何者かと聞いたのか。確信のために知りたいと言っていたが、今度はヨハネが最後の預言者だったと言うのか? これは二重のうそだ。うその一つは真の預言者のことばは拒んだことがないと言うのと、もう一つのうそは、ヨハネが最後の預言者だと言うことだ。預言者を信じていると言いながら、私が真の預言者であることさえも否定する。

 

 

天界の秘義2534

 

聖言にはしばしば『予言者』が記されているが、文字の意義では予言者は啓示を与えられた者を意味しており、また抽象的には、啓示そのものを意味しているが、しかし内意では『予言者』は教える者を意味しており、また抽象的には教義そのものを意味している、そして主は(前に言われたように)教義そのものであられ、すなわち、教えるところの聖言であられるため、『予言者』と呼ばれている、例えばモーセの書には―

 

 あなたの真中から、あなたの兄弟たちの中から、わたしのような予言者を、あなたの神エホバは起こされるであろう、かれにあなたたちは従うであろう(申命記18・15,18)。

 

主はアブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデ、その他多くの者のみでなく、モーセによっても表象されたもうたため、『わたしのような』と言われ、かれらは主を期待したため、ヨハネ伝には以下のように言われている―

 

 その人々は、イエスが為されたしるしを見て言った、まことにこの方こそ世に来られるにちがいない予言者である(ヨハネ6・14)。

 

 

天界の秘義2534〔2〕

 

 聖言の内意では『予言者』が教える者を意味し、また抽象的には教義を意味しているのは、主は最高の意義における『予言者』であれら、『イエスの証は予言の霊である』(黙示録19・10)ためであり、このことは以下の記事から明白である―

ルカ伝には―

 子供よ、あなたは至高者の予言者と呼ばれるであろう(ルカ1・76)。

これはザカリアにより彼の息子バプテスマのヨハネについて言われたが、ヨハネ自身は自分は予言者ではなく、主が来られることについて教え、また宣べ伝えることにより道を備えている者であると言ったのである―

 彼らは彼に尋ねた。あなたは何ですか、エリアですか。しかし彼は言った、そうではない。あなたはかの予言者ですか。彼は答えた、いいえ。それで彼らは彼に向って言った、あなたはたれですか。彼は言った、私は荒野に主の道を直ぐにせよと叫んでいる者の声である(予言者1・21−23)。

 

 

6.脱魂

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P165

 

 律法学士たちは手荒く彼女を引き立て、打ち叩いたが、彼女は何も感じていないように見える。

 

 

7.苦しみの多い生活

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P170

 

だが彼女は苦しみの多い生活を送る定めだから、特に慈しんでやってください。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P169

 

彼らは様々な名前を持っているが、使命は同じであり、人間的な苦しみと超人間的な喜びの運命に出会うであろう。世間に憎まれても神に二重に愛されるこの霊魂がいなかったら、大きな災いが起こる。苦しむため、ゆるすために、主に全く服従して愛の活動をするこの人々がいなくなったら、世間は闇と氷の中に死のまどろみを続け、野蛮な無知な野獣に変わる。

 

 

ベルナデッタ/P318

 

聖母:「私が約束するのは、あなたをこの世ではなく、あの世において幸せにすることです。」

 

 

コンチータの出現日記/P133

 

 そのとき、聖母はつけくわえて、こうおっしゃいました、

「あなたは地上では、あまり楽しくないでしょう。でも、天国で幸福になれます」と。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P60

 

私は教え苦しみながら人々を救わねばなりません。

 

『イエズスに出会った人々・1』P11

 

「何かの使命を委託された私の下僕たちに、世間でいわれる幸せな一生を与えたことはない。なぜかと言うと、このような使命は苦しみの中に苦しみによって行われるものだから。こういう人々は“人を贖うために苦しむ”という私に似た望みしか持っていないからである。」

 

 

マリア・ワルトルタ43・6/天使館第1巻P382

 

人間的な賜物や慰めをわたしはあなたに約束するのではありません。ヨセフが受けたのと同じ慰めをあなたに約束します。超自然の慰めです。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」/天使館/P38

あなたたちは肉体的な大きなよろこびは味わわないだろう。わたしはそんなよろこびは与えない。真のよろこびを与える。それは単なる肉のよろこびであるだけでなく、私が授け、承認し、共有するのを拒まなかった霊魂のよろこび、誠実で、祝福された、聖なるよろこびである。

 

 

8.預言者は主(聖言)の取り扱われ方を表象している

 

スウェーデンボルグ/主イエス・キリスト15

 

これらの事柄から予言者は教会の状態を、また聖言を表象したことは明白である、なぜなら教会は聖言から存在し、聖言を生命[生活]と信仰とに受け入れることに順応しているため、教会を表象する者は聖言を表象するからである。それで予言者は、その二つの聖書の中に記されているところでは、常に聖言から発している教会の教義を意味しており、最大の予言者としての主により教会そのもの、聖言そのものが意味されている。

 

 

スウェーデンボルグ/主イエス・キリスト16

 

 []主御自身は、最大の予言者として、聖言に対する教会の状態を表象されたことはその受苦の凡ゆるものから明白である、例えばかれはユダによりうら切られたもうた、かれは祭司長と長老に捕らえられて、罪に定められたもうた、彼らはかれを打った、彼らはかれの頭をあしで打った、彼らはかれを十字架につけた、彼らはかれに酢を飲むように与えた、彼らはかれの脇腹を刺した、かれは葬られたもうた、かれは三日目に復活された(ことから明白である)。

 

[]かれがユダにより裏切られたもうたことは、かれが当時聖言を与えられていたユダヤ民族により裏切られたもうたことを意味した、なぜならユダはその民族を表象したからである。かれが祭司長と長老とにより捕らえられて、罪に定められたもうたことは、かれが全ユダヤ教会によりそのように扱われたことを意味した。彼らがかれをむちうち、その御顔につばを吐きかけ、かれを打ち、その頭をあしで打つことは、その凡てに主が取扱われている聖言の神的諸真理にそれと同じようなことが為されたことを意味した。

 

彼らがかれに茨の冠をかむらせたことは、彼らがその諸真理を誤謬化し、不善化したことを意味した。彼らがかれの上着を分け、その下着のためにくじを引いたことは彼らは聖言の真理をすべて消散させてしまったが、その下着の意味している聖言の霊的意義は消散させなかったことを意味した。彼らがかれを十字架につけたことは、彼らが聖言全体を破壊し、冒涜したことを意味した。彼らがかれに酢を飲むように差出したことは凡ゆる物が誤謬化され、また誤謬となったことを意味したのであり、それでかれはそれを飲まないで、そのとき、それは終ったと言われたのである。彼らがかれの脇腹を刺したことは、彼らが聖言の真理の凡てを、またその善の凡てを完全に消滅させたことを意味した。かれが葬られたもうたことは、母から来た人間的なものの残りのものを斥けられたことを意味した。かれが三日目によみがえられたことはかれの栄化を意味したのである。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P319

 

 預言者たちのそれぞれの生涯は、将来“私の時”に起こることを前もって示しています。

 

9.預言は神の言葉

 

ペトロの手紙2・1・20−21

 

 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。

 

 

ペトロの手紙1・1・12

 

それらのことは、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが、今あなたがたに告げ知らせており、天使たちも見て確かめたいと願っているものなのです。

 

 

11.聖言を表象した者たち以外には何人も主と話すこともできなかった

 

天界の秘義6752[]

 

モーセにより歴史的な聖言の方面の主が表象され、エリアにより予言的な方面の主が表象されたため、それで主が御形を変えられたとき、モーセとエリアとが主と話しているのが見られ(マタイ17・3)、主の神的なものが世に現れたときは、聖言を表象した者たち以外には何人も主と話すこともできなかったのである、なぜなら主と話すことは聖言を通して為されるからである。

 

 

12.恐れるな

 

ヴァッスーラ

私の天使ダニエルP64

 

主よ、誰もこんなことを信じないでしょう・・・懐疑主義者なら、気が狂ったと言うでしょうし 他の人たちは、潜在意識のなせるわざだと言います。

 

この人びとは任せておきなさい。 私はヤハウェ あなたの創り主。 あなたを導いている、ヴァッスーラ、恐れることはない。 覚えておくように、あなたの前にも多くの者を導いた。 王や王国を打ち倒し、みことばが知られるように道を平坦にした。 私は変わらない。* 聞きなさい、私に従う人は皆助けてきた。 誰であっても私に従う人はいつでも助ける。 覚えておくように、いつもあなたと一緒だ。

 

*神およびそのメッセージを止められる者は誰もいないと私は解釈しました。

 

 

13.預言者への非難

 

ヴァッスーラ・ライデン/『私の天使ダニエル』P184

ヴァッスーラ:私の耳は邪悪な者たちの吠える声に聞き飽きました、
       その悪意に満ちた舌で次つぎと嘘を言い立てるのです。

主:偽りの非難をする者たちはいつか私の前に立たなければならない・・・

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P134

 

「いつまでも永らえると、誰が言ったか?もう十分長く 鷲のように舞い上がり、星々の間に巣くい 刺となった。さあ、戦いに出てきて 私と顔を合わせなさい。 顔を合わす相手は アベルでない。 おまえの剣を 叩き落す。 おまえは我が家を荒し、最も尊いものを そこから盗んだ。 心ゆくまで盗み取った。 我が民の門を通過し 民の目を見えなくさせた。 その闇の王国を広げ 私の民を誤った道に連れ込めるとまだ信じてはいるが、今や、おまえの時は終わった。 もうやめよ。今にも 義は水のように流れ出し 我が霊は 止めどない流れのように 溢れ出す・・・」

 

「ああ、今は何とよい時か・・・」と感嘆する時が 近づいている。 来なさい、新しい力を得るよう 休ませてあげよう。 私のメッセージを生きて あなたのために踏み固めた小道を辿りなさい・・・ic

 

 

ヴァッスーラ・ライデン/『私の天使ダニエル』P101

 

 あなたを笑いたがる人たちが近づいて来るなら、その咎がどんなに深刻なものか知るまい 私の与えた言葉を笑っているのであるから。後でこの人びとには対処する。 私を信じていなさい。あなたの耳に教えを囁くためにこれからもあなたを呼ぶ。 あなたの口を我が言葉で満たす。私ヤハウェはあなたの力。多いであろう反対者たちを見下すに十分な力を与える、我が子よ。そして我が盾で覆う。 誰もあなたを傷つけることはできないであろう。耳ある者は聞くように、目のある者は私を見て悟るように。 心を閉ざしていない者は 私、ヤハウェが、すべてのくに民に救いの手を差し伸べていることを理解するように。 私のそばに留まっていなさい、娘よ、私、神はあなたを愛している。

 

14.諸刃の剣に変えて送り出し

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち10巻P64

 

次に私は 天の富と荘厳 すなわち美徳をもって我が預言者たちを飾る。

 

我が神殿は神聖で清く、我が祭壇は無垢で 千の宝石のように輝いてほしい。 預言者の舌を 私は諸刃の剣に変えて送り出し あらゆる傲慢と思い上がり、すべて誇らしく語る者、あらゆる人間的誇り、人に高く見られているすべて、不正と我が愛の掟に背く一切を 非難させる。

 

私は 我が住まいを喜びとする み言葉を産み出すその者の上には 我が霊が宿るゆえ。 我が預言者たちは真理に娶られ、私の高貴な使いとして 地上のあらゆる汚れた隅々にも遣わされて、正義、親切、聖性、美徳を賛美する歌をあなた方に聞かせ 皆に私のやり方を思い出させる、あらゆる身分の人に思い出させる:

 

―私は(IAm)、霊の貧しい人に注がれる 香油。

―私は(IAm)、あなたの安寧を 保証する者。

―私は(IAm)、光輝く至高の神 崇高な愛の源。

―私は(IAm)、全被造界の支配者であり 花婿。

―私は(IAm)、体と霊魂を回復する者 その明かり。

―私は(IAm)、正義のために迫害される人の 慰め。

―私は(IAm)、病む人 死に臨む人びとの香油であり 膏薬。

そして私は あなたの主なる神であり 同時に友、仲間であり 父でもある と。

 

時代よ、私は絶え間なくあなたに自らを与えては、その悪行、罪 私を父として認めようとしない頑なな抵抗によって 歪め汚されたあなたの肖りを 全きものにしようとしている。そして私が絶え間なく私自身を与えているのは、恵みによってあなたを高め 恵みを通して視力を回復させ 目には見えず 決して朽ちることのない物事を 見えるようにするため。 それゆえ我が善意によって 彼らを私の心に結び合わせる一言を口から発しては、預言者たちを立ち上がらせている。

 

光輝く至高の神なる、私は あなたを創造するはるか以前に この大背教を見越していた。それでも私には預言者たちを立ち上げる権利がないと言うのか?

 

15.声高に話す書物

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P192

 

だが、まことに言っておく、私を進んで受け入れた者は誰であろうと、私が話している今も、祝福されている、あまりに不思議な仕方で、知識と知恵を私より受けているゆえ、それはまるで聖書を全部読んでしまったかのよう!その人自身 恵みを通して得られる聖なる霊感を自らのうちに携え 声高に話す書物となる。 こうして、我が娘よ、その人は聖書を読むとき、その字づらだけではなく、むしろ、ヴァッスーラ、あなたも経験したように、霊的な目で 内容の深い意味が見えてくる ♡

 

そこで、預言的任務を持ち、声高に話す書物のような我が使者たちには 反対しないように、私がこの者たちを遣わした。 聖書に含まれる以上のものは啓示しないが、あなた方にとっては 道案内。 私のうちなる真のいのちを生きるよう 新しい生き方を手引きする ♡ 人生をよりよくし 希望と慰めを与えて。私は誰であっても 悲惨な存在からカテドラルへと変えられる。

 

裁いてはならない そうするなら私が訪れて 我が言葉を実現しよう。 聖書は、あなたの神なる、私の肖り、だから見くびってはならない そして私を知るに遠く及ばないあなたが 聖書を知っているとは言わないように。私のヴィジョンが見えるように掟を守り、そこに述べたことを果しなさい。 我が言葉を行う霊魂は 私を知るようになろう。 そのとき、そしてそのとき初めて、あなたは決まりによってではなく 私に与って神となる。

 

16.僕を通して語られる

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P148

‘89・3・29

コーテテル(JU)(スイスの北)の集会に際して与えられたメッセージ

 

あなた方に平和 ♡ 私は主、我が現存を感じなさい、今日は我が僕を通して、語っている。 私はいつもともにいる、人生の一瞬一瞬に ♡

 

17.私の預言者

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P225

‘98・11・30

 

私はみことばによって預言者を立ち上げたが それは自分たちを神学者と呼ぶ者たちではない この人びとが預言者なのではなく、我が心に引き上げ、深くに据え 私どもの聖なる意思を十分知って その意思を我が民に宣言できるようになる者たちこそが 私の預言者。 私は礼を尽くして直接 個人的に介入し、備えさせては あなた方皆にそっくり与え、忠告させる。みことばを通して 私は我が意思を知らせる。

我が預言者たちとは 恵みによって私の口から直接養われ 私がその口に直接みことばを置く者たち。天の露をいまだ滴らせたまま あなた方皆を訪れ その言葉はさわやかな雨のように皆を潤す。直接の介入で与える、我が預言者の言葉は 刃のよう、背教者たちを悔い改めへと追い立て、誉れと栄光を私に帰する。その言葉は あなた方の霊魂の闇を 松明のように照らし出す。その骨は 多くが墓場より元気に生き返る(*)。

 *預言者たちが送られてこなくなる日はないと理解しました。そして預言者エリヤは死なずに引き上げられたという事実は、預言が決してすたれないことを象徴しています。

 

 

18.真理を教える者たち

 

天界の秘義2534[3]

 

マタイ伝には―

 

 かの日多くの者は言うであろう、主よ、主よ、わたしたちはあなたの御名により予言しませんでしたか(マタイ7・22)。

 

ここでは予言することは教えることであることが明白である。ヨハネの書には―

 

 あなたは再び多くの民[人々]、国人、舌[言語]、王の前に予言をしなくてはならない(黙示録10・11)。

 

『予言する』ことは教えることを意味しており、『民、国民、言語、王』が意味していることは前にも述べもし、また示しもした。同書に―

 

 諸国民は聖都を四十二ヶ月ふみにじるであろう、しかしわたしはわたしの二人の証人に麻布を着て一千二百六十日の間予言させよう(11・2,3)。

 

ここにもまた『予言する』ことは教えることを意味している。モーセの書には―

 

 エホバはモーセに言われた、見よ、わたしはあなたをパロに対し神とならせた、あなたの兄弟のアロンはあなたの予言者となるであろう(出エジプト記7・1)。

 

ここでは『予言者』はモーセが言おうとすることを教えまたは語らなくてはならない者を示している。ヨエル書には―

 

 わたしはすべての肉の上にわたしの霊を注ぎ出そう、あなたたちの息子と娘とは予言するであろう(ヨエル2・28)。

 

『予言するであろう』は、教えるであろうということを意味している。

 

 

天界の秘義2534[4]

 

イザヤ書には―

 

 エホバはおまえたちの上に深い眠りの霊を注ぎ出され、おまえたちの目を閉じられてしまった、予言者とおまえたちの頭を、見る者たち[見神者たち]をおおわれてしまった、凡ての者の幻は封印された書物の言葉のようになってしまった、それをかれは文字を知る者に与えて、言う、ねがわくは、これを読んでください、と。かれは言う、わたしは読めません、それは封印されているからです、と(イザヤ29・10,11)。

 

 ここでは『予言者』により真理を教える者たちが意味され、『見る者[見神者]』により真理を見る者たちが意味されていて、かれらは真理を些かも知りはしないし、また見もしないときは『蔽われている』と言われている。古代では教える者たちは『予言者』と呼ばれたため、それでかれらはまた『見る者[見神者]』と呼ばれもしたのである、なぜなら『見る』ことは理解することを意味するからである。

 

 

天界の秘義3540[4]

 

 予言者は教える者を表象し、そこから聖言から善と真理とを教えることを表象し(2534番)、エリアは聖言そのものを表象し(2762番)、同じくヨハネもまた聖言そのものを表象したため―かれはそうした理由から来るべきエリアと呼ばれているが(マタイ17・10―13)―それでかれらは聖言をそれがその外なる形において、すなわち、その文字においてあるがままに表象するため、エリアはその腰のまわりに皮の帯をしめ(列王記下1・8)、ヨハネはらくだの毛の衣をつけ、その腰に皮の帯をしめたのである(マタイ3・4)。人間の皮膚と獣の皮とは、霊的なものと天的なものとに対する関係では自然的なものである外なるものを意味したため、また古代教会では表意的な事柄により語ったりまた書いたりすることが慣習とされたため、それでまた古代教会の書であるヨブ記にも『皮膚[皮]』は同一の意義を持っているのであり、

 

 

天界の秘義3863[8]

 

 さらに―

 

 エホバはあなたたちの上に深い眠りの霊を注ぎ出されて、あなたたちの目を閉じられた、予言者たちとあなたたちの頭たちを、見る者たちをかれは蔽われた(イザヤ29・10)。

 

 『目を閉じること』は真理の理解[真理を理解する事]を閉じることを意味し(『目』は理解を意味していることについては、前の2701番を参照)、『見る者たちを蔽うこと』は信仰の真理を知って教える者たちを蔽うことを意味している。見る者たちは前には『予言者』と呼ばれ、『予言者』は教える者たちを、また教義の諸真理を意味していることは前に見ることができよう(2534番)。

 

 

19.教会の教義

 

天界の秘義7268〔2〕

 

そこからまたアロンはここでは彼の『予言者』と呼ばれ、前の記事では彼の『口』と呼ばれ、即ち、主から直接に発出して、理解をことごとく超越している神的真理を理解出来るような形で述べる者と呼ばれているのである。そして『予言者』は理解出来る形で神的真理を教え、また述べる者を意味しているため、『予言者』もまた教会の教義を意味しているのである、そのことについては今以下に述べよう。