天使の名
真の基督教300
霊界の名によって明白であるように、各人の名は、その名のみではなく、その全人格を意味している。彼処では何人もその洗礼名を、あるいはその家族名を保有することなく、その性格に応じて新しい名を与えられ、天使はその道徳的な、霊的な生活に応じて命名される。このこともまた、主の以下の語によって意味されている。
「我は良き牧者なり。羊はその声を聞き、彼は己の羊の名を呼びて、索き出す」(ヨハネ10・3、11)。
「サルデスにて衣を汚さぬもの数名あり。勝を得る者の上に我は新しきエルサレムなる都の名と、我が新しき名とを書き記さん」(黙示録3・42)。
ガブリエルとミカエルとは天界の二人の人物の名ではなく、天界で主にかかわる知恵を享受し、主を礼拝する凡ての者を意味する。聖言に記されている人物や場所の名もまた、人物や場所を意味しないで、教会の事柄を意味している。自然界でもまた名はその名を持つ人物の性格を意味しているのは、性格は名に連結しているからである。それ故普通の談話で、ある人間については彼は偉大な名を―それはその人間が技術、学問、徳あるいはある他の目覚しい性質のために傑出していることを意味する―持っていると語ることが普通である。人間の名を辱しめることは、彼の行動を辱しめることである。両者は極めて密接に結ばれており、共に害を受けなくてはならない。王、あるいはある偉大な人物の名を誹謗することは、彼らの尊厳と高貴とに汚辱を与え、侮蔑の語調で或る人間の名を口に出すことはその行為を貶すことである。それ故、人間の名を辱しめることを禁ずることは全国民の全般的な律法であるのは、それは彼の性格と名声とは必然的に損害を受けねばならぬからである。